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1-46 勅使来訪(2)

「そういえばアルトゥール殿下はまだ皇宮にいらっしゃるのかしら?」


 チラと顔を見合わせたゼーレマンとアマーテオに、少しの沈黙が流れた。

 それから間もなく、アマーテオの方がその場にドンと膝をついて深々と頭を垂れた。


「この度は私の不用意な行動と発言が御身に多大なご迷惑をおかけいたしました……いかなる処分も甘んじて受けるつもりでございます」


 別にそのことを責めようと思ったわけではないのだが、どうやら今の今まで戦々恐々と黙っていたのはそのせいだったようだ。まぁ、思う所がないわけではない。


「そうね、まったくだわ。でもそれに関しては私の方も、何の事情も説明していないままに巻き込んでしまったことの責があったわ。いえ、そうであっても、貴方がのこのことあんな場所に顔を出したせいでもあるのだけれど。情報を探るでもなく追いかけてきてそのままあの場所に現れたことについては、確かに貴方の責ね」

「……申す言葉もありません」


 どうやらその点については深く反省しているようなので、これ以上言うことはない。


「そんなことよりも問題は、貴方がトゥーリにいらぬことを囁かれていたことよ。罪があるというのであれば、懺悔(ざんげ)するつもりで洗いざらい吐いていただきたいのだけれど。一体、何を命じられて、何を報告しようとしていたのかしら?」


 安静と言われているものの、これについてはついカッカとして語気も荒くなってしまった。だが皆思う所があるのか、フィリックからも、そしてアルセール先生からも落ち着くようにとの言葉はかけられなかった。

 うん、だよね。皆、アルトゥールが悪いと思っている。そもそも今回の王太子の一件だって、元はヴァレンティン家を巻き込んで利用しようとしたアルトゥールの計略なのだし。


「まず先に申し上げておかねばなりませんが、私は真実、皇帝陛下の臣であってクロイツェンと私心を通じているつもりはございません。ただその……アルトゥール殿下は皇帝陛下のご寵孫でいらっしゃいますから、皇宮においでになることも多く、殿下が幼い頃よりよく存じて参りました。私は元々、内宮にお仕えしていましたので」


 つまり皇帝陛下の私的な空間に勤めているから、よく滞在していたアルトゥールについても馴染みがあるわけだ。ナディアのことを知っていたというのも、実際、カレッジ時代のアルトゥールから自らその辺の話を聞いていたということだろう。


「近年内皇庁に異動になり、今回の聖別の儀の検分という任を承ることになりましたのは、私が教会領の出身だったことも一因です。聖別は秘儀ですので。それに加えて、公女殿下の動きをよく観察し、どのような立場でどうお振る舞いであったのかを詳しく報告するようにとのご命令を賜っていました」


 アマーテオ卿の第一印象は鉄仮面であって、おそらく通常であれば真面目で口が堅いことが取柄の男なのだろう。そういう点では聖別の見聞役としてもふさわしい人選であったと思う。

 今は罪悪感からか、皇帝陛下の命について明かしてしまっているけれど、多分それも“全部”ではない。この状況下にあって、隠すべきことは隠しているに違いない。


「アルトゥール殿下は何処からかその話を聞きつけていらしたようで、出がけに呼び止められ、いくつかのご指示を受けました」

「で?」


 非常に言い辛そうだが、その点については逃してやるつもりは毛頭ない。洗いざらいすべて吐いてもらわねばならない。


「その……」


 まだ口ごもるか。


「黙っていらしてもいいけれど、その場合私はあること無いことでっち上げて皇帝陛下にご報告申し上げねばならないわ」

「……」


 脅しに乗るタイプではないだろうが、忠誠心は厚いだけに皇帝陛下の名は強く引っかかったようだ。間もなくアマーテオは諦めたような深い吐息を漏らすと、「どうかお心をお鎮めになって聞いていただきたいのですが」と前置きをした。

 なんだそれ。聞く前から嫌な予感しかしないのだが。


「殿下が仰るに……その。公女殿下とは今“痴話喧嘩”の真っただ中で、帝国議会中の噂のせいで手紙を受け取ってもいただけないほど怒らせてしまっているため、少しでも詳しく様子を窺って、自分のことを何と言っているのか探りを入れて欲しい、と」

「……」


「それからリンテンにいらっしゃるのは多分自分のせいで……その、殿下は詳しいことはご説明下さいませんでしたが、おそらくクロイツェンとフォンクラークとの貿易の件かと存じます。それで益々怒りを抱いておいでなので、もし公女殿下がベルテセーヌに行こうとされているようなら力づくで引き止め、すぐに自分に知らせて欲しい、とも仰いました。ただこれに関しては、私は皇帝陛下より“聖別の儀”に関する見聞を命じられただけでしたので、殿下の杞憂(きゆう)であろうと思っておりました」

「……」


「それから最後に……どうやら私を公女殿下への使者と思っておられたようで、もし公女殿下にお会いしても、その……」

「……その?」

「……目を奪われず、手、ましてや服、髪の一片にも触れてはならず、常に三歩は離れて、絶対に誘惑などしてはならない。もし少しでも触れようものなら腕が落ちると思え、と……」

「……」

「……」

「……」


 今この場にリンゴがあったなら、もれなくグシャリと潰してこの場にしたたる果汁をまき散らしていたことかと思う。

 確かに、リディアーヌが思っていたような内容とは違っていた。いや、かけ離れていた。

 探りを入れろだの報告しろだのはいいとして、それ以外はすべてがひどい妄言だ。いや、フォンクラークの王太子と違ってアルトゥールはそんな妄言を素で言う人物ではないから、これは間違いなく、アルトゥールの策謀だ。

 これは色恋沙汰の話だから、多少度が過ぎるような監視と報告を頼むのも致し方ない――そんな体裁で、アマーテオはまんまとアルトゥールに転がされたのである。

 あぁ……爽やかな微笑みの裏でこちらを嘲笑するかのようにニヤニヤする悪友の顔が浮かんで消えない。


「姫様の悪友は、悪友という言葉では足りないほどの悪辣(あくらつ)犯でしたね」

「言わないで、フィリック……」


 大体、手紙の返事がなんだって? そもそも先日の一件以来、謝罪の手紙の一通だって届いておらず、どういうつもりかしらとこちらが腹を立てていたくらいなのに。

 それに痴話喧嘩ですって?! あんの野郎ッ……。


 ついでにリディアーヌがアマーテオを巻き込んで腕に抱き着いたり密着して座ったりするたびに、アマーテオが死の淵みたいな顔をしていた理由も分かった。分かってしまった。

 全部お前のせいか、アルトゥール!

 実際にアマーテオはアルトゥールとリディアーヌを痴話喧嘩の真っ最中だと信じ、若いリディアーヌが衝動でグーデリックとの(あやま)ちを犯さないよう、接触を阻もうとしてしまった。それでも止まらないリディアーヌに対してアルトゥールの名を思わず出してしまったのも、”恋人”の名を聞けばリディアーヌが思い留まるとでも思ったからなのだろうか。

 なんだそれ、心外すぎる。

 アルトゥールとしても、本来はリディアーヌが自分の計略に干渉しないよう、フォンクラークやベルテセーヌなどと遠ざけるための命だったのだろう。流石にアルトゥールも、その指示が思いがけない方向にねじれて、リディアーヌを危険にさらすとまでは思っていなかったはずである。


「はぁぁ……アマーテオ卿。貴方、今年の帝国議会でうちのお養父様が何に悩まされていたのか、ご存じないの? それこそ、ゼーレマン卿がわざわざフォレ・ドゥネージュ城にいらしたくらいなのに」


 アマーテオの言葉を同じように頭を抱えて聞いていたゼーレマンが、心の底から申し訳なさそうに「重ね重ね、申し訳ございません」と頭を垂れた。


「クロイツェンの皇城には“ミリム姫”から、一体私とどこのどなたを間違えているのかという分厚い抗議文も届いていたはずです」

「は? ミリム姫……?」


 あぁ、どうやらクロイツェンの皇城を震撼させたマクシミリアンの悪戯については皇帝陛下の耳に届いていなかったらしい。あとでとくと教えてあげよう。


「つまりアマーテオ卿。貴方、トゥーリの掌にまんまと転がされたのよ」

「……は?」

「私とトゥーリはカレッジ時代の悪友で、今も親しく手紙を取り交わす中ではあるけれど、私がどこの誰とどうしようが口を挟む権利なんてない“ただの友人”という間柄よ。なのに噂とトゥーリの口車にまんまと乗せられて、貴方は私の行動を監視してトゥーリに報告する方向に“誘導”されたのよ」

「……あの。しかし……」


 なかなか理解の得られない様子に、ハァとまた一つため息を吐いた。

 まぁ確かに? 皇宮で目撃されたリディアーヌとアルトゥールの間柄といえば、ただの友人です、といって信じられる距離感ではなかった自覚はある。成人式の時だって、アルトゥールとマクシミリアンが一体どちらが本命かと言わんばかりにベタベタしまくっていたし、毎年のようにクロイツェンの皇王も皇帝陛下も、いつリディアーヌは嫁ぐのかと言わんばかりにうちの養父をとっつかまえていた。傍から見れば、誤解するのも無理はない。

 それもこれも、どうやら思いのほか皇宮に出入りをしていたらしいアルトゥールが人目もはばからずにそんな素振りばかり見せていたというのが拍車をかけているのだろう。


「大体、そのお口の達者なアルトゥールさんは最近、フォンクラークで知り合ったとある女性のことで頭がいっぱいで、私へ出すべき謝罪の手紙が頭から抜け落ちていらっしゃるそうじゃないの」

「……あの、公女殿下。何か誤解をなさっているのでは……」


 一体どっちが誤解をしているのやら。

 はぁ、こうとなっては仕方がない……。


「フィリック」

「はい、姫様」


 ちょいちょいと手招きしたフィリックが、何だろうかと歩み寄って来る。そんなフィリックの手を掴んでベッドに引き寄せると、ここぞとばかりにその胸にしなだれ、肩に頬を預けてベタベタとしながらアマーテオを見やった。

 流石はフィリック……こんなことをされていながら微塵も動じた様子はなく、また変なことを思いついたなと言わんばかりの呆れた顔を一つ見せただけで、仕方なさそうに、まだ万全ではないリディアーヌの身体を支えてくれた。


「姫様……人目もございますのに、貴女はまったくお意地の悪い」


 思わずアルセール先生が顔を手で覆って天を仰ぐ。

 リンテン滞在中、散々こういう様子は見ていたから、アルセール先生にもこれが“わざと”であることは分かったはずだ。だが、アマーテオ卿は違う。顔を真っ青にしながら、きょろきょろと困惑したようにフィリックを見ている。


「おわかり? アマーテオ卿」

「お……おわか、お、おわ……」


 混乱甚だしいアマーテオに代わって、ゼーレマンがなんとも言い難そうな顔でポンと同僚の肩を叩いて宥めた。ゼーレマンの方は、どうやら意図を汲み取っているようだ。


「姫様、もう十分では?」

「ええ。体を戻してちょうだい」


 そう頼むと、フィリックはテキパキと背もたれにしていた枕の位置を整え、丁寧にリディアーヌの身体を支えながら再び体を楽にさせてくれた。この手慣れた様子が、きっとより親密さを醸し出してくれたことだろう。


「もう分かったかしら? 今私と最も親密な婿候補はこのフィリックであって、どこぞの皇子殿下ではないわ。なのに私のことをあたかも自分の恋人のように(おっしゃ)って行動を報告させようだなんて、トゥーリは一体いつからそんな気味の悪い勘違い男になり下がったのかしら?」

「ッ、とんでもございませんッ。そんなことは、決してッ」


 でしょう? だったら今すぐにでもその勘違いをどうにかしてくださらないかしら?


「つ、つまり……公女殿下。痴話喧嘩は……」

「してないわよ。あえて言うなら、トゥーリはヴァレンティン選帝侯家をベルテセーヌ王室から引き離そうと暗躍し、それに気づいた私はベルテセーヌと変わらず親密であることを誇示すべくリンテンに来た。そういう、“政治的駆け引き”の真っただ中ではあるわね」

「……」


 仮にも皇帝陛下の直臣だ。この言葉だけで、自分がどれほど不味い利用をされたのかはすぐに理解できたようだった。


「では皇太子殿下が仰っておられた、ベルテセーヌに赴くような様子があれば、というのは……」

「トゥーリの意図に気が付いた私がどんな反撃を目論んでいるのか、探りを入れようとしていたんでしょう? この上さらにベルテセーヌにすり寄ってアルトゥールと対立を深めようものなら本末転倒だわ。私を引き止めろだの、あるいは私に触るなだの誘惑するなだのは貴方に対する“印象操作”よ。案の定、その印象操作にまんまと引っかかって、貴方はグーデリック王太子の前でそれを誇示してくれたわね……」


 まったく、最悪のタイミングで、最悪の人物に対して……。


「……迂闊でした」


 うんうん。まったくその通り。だがこれで重々分かってくれたことだろう。


「私はベルテセーヌの件はてっきり、皇太子殿下も公女殿下の“ご素性”をご存じだからとばかり……」


 その言葉にはピクリと眉を上げ、リディアーヌも表情を険しくした。


「アマーテオ卿……」

「ッ、はっ」

「貴方が今回の件を深く反省し、改めてただ一人皇帝陛下の臣として仕えるというのであれば、この件で貴方を罪に問うつもりはないわ」

「っ……」

「但し、まことに皇帝陛下の忠実なる臣であるというのであれば、その皇帝陛下が実の孫にでさえ固く口を閉ざしている“リディアーヌ王女の死”について、よもやアルトゥール殿下に漏らしたりはしないでしょうね」

「ッ!」


 アルトゥールは知らない。リディアーヌもまた、そのことを決して話してはいない。

 そのことが、どうやらアマーテオにとっては決定的にリディアーヌがアルトゥールと恋仲などではない事の証左になったようだった。

 再びその場に深く叩頭すると、「勿論でございますッ!」と声をあげた。

 それに呼応するように、隣でゼーレマン卿もまた膝をつき、「私のすべてをかけて、そのことを保証いたします」と助言した。ゼーレマン卿は“王籍偽証”に関与していた人物だから、彼にとっても真実を知る人の監視は他人事ではない。少なくともこの一件で、アマーテオ卿は厳しくゼーレマン卿に監視されるようになることだろう。

 ふぅ……これでひとまずの安堵にはなったか。


「姫様、そろそろお疲れでしょう。熱が上がる前に、お休みになった方が」


 そんな話の折りが良い所で、アルセール先生が口を挟んだ。

 まだ聞きたいことはあるが、最低限の情報収集と伝達は出来た。少々体もだるくなってきたし、この辺りが切り上げ時か。


「そうね。この辺にしましょう」

「お疲れの所、失礼いたしました。どうかよくお休みくださいますよう。その(わずら)いが少しでも無くなるよう、お任せいただけたらと存じます」


 ゼーレマン卿は信用に足る。彼の気の利いた物言いに「お任せするわ」と答えれば、ゼーレマンもほっとしたように同僚を立たせて、退出の挨拶をした。

 やれやれ、それにしても……重ね重ね、アルトゥールはまったくもう。どうしてやろうか。


「あ。結局トゥーリが皇宮にまだいるのかどうか、聞きそびれたじゃない」

「後ほど探りを入れておきます」


 まあフィリックがそういうなら。


「ついでにフィリック。トゥーリに知らしめるべく、皇宮では今まで以上に私に過保護になっていいわよ」

「……」

「お返事は? フィル」

「……はぁ。アルトゥール殿下の嫉妬は、買いたくないのですがね」

「嫉妬? ふっ。するものですか」


 八つ当たりくらいは受けるかもしれないけれど。






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