1-45 勅使来訪(1)
フォンクラーク別宮での捕り物からこの方、リディアーヌは三日ほど寝込んだ。
多少気だるいぐらいでもう体調はいいと思っていたけれど、ただのまやかしだったらしい。よその王家の別宮であれやこれや好き勝手していたら急に熱が上がって来て、帰るや否やアルセール先生に回収されてベッドに押し込められた。
以来、先生と、その先生の隣でキラキラと目を輝かせながら教えを受けているセーラがベッドの横から離れず治療に当たってくれた。正直、それに対してどうこう言えるほどの気力もない状態だった。
熱は引かないし肌がぞわぞわして気持ちが悪く、時折幻覚か幻聴のようなものを感じて精神が不安定になった。そんな不安定な自分が嫌で益々気分は悪くなったのだが、先生はそれをパヴォの後遺症だとは言わず、「グーデリック殿下のご乱行のせいでしょう」と言って、獄中の王太子の罪をさらに重たくしてくださった。
おかげさまで気兼ねなく八つ当たりできた。
***
「それで、アマーテオ卿。皇帝陛下は何と?」
ようやく体調が落ち着いて熱も引いてきた頃、久方ぶりにずっと放置していた皇帝陛下の直臣を部屋に呼び寄せ問うたなら、恐縮した様子で縮こまるアマーテオが言葉もないといった様子で口ごもった。今なおベッドの中で、かろうじて身を起こして面会しているリディアーヌを見て、益々自分の罪に打ちのめされてしまっているようだ。
そんなアマーテオの代わりに深い謝罪の意味の目礼をしながら「私からご報告してもよろしいでしょうか」と口を開いたのは、昨日こちらにやってきたという新しい皇帝陛下からの使者……ゼーレマン卿だった。
いつぞや帝国議会の後でヴァレンティンにやってきた使者であり、リディアーヌの内情も良く知っている皇帝陛下の腹心の一人である。どうやら皇帝陛下にもパヴォの一件とリディアーヌが関与していることが耳に入ったらしく、早々と遣わされてきたのが彼だった。
リディアーヌは内皇庁の詳しい役職や階級には通じていないけれど、アマーテオが緊張した様子で小さくなっているのは自分の失策のせいというだけでなく、このゼーレマン卿の方が上司に当たるからなのだろう。
ついでにゼーレマン卿はもう一人、内皇庁でもきっての重臣であるエッフェル候の娘婿も連れて来た。それはつまりルゼノール家の長男であり、クロレンスの弟であるクロヴィスのことだ。着いてすぐ一度リディアーヌを見舞ったそうだが体調が芳しくなく寝込んでいたため、アルセール先生が面会を断ったそうだ。
ゼーレマン卿はそのままこの港町に残ったが、対するクロヴィスは早々と為すべきことを為すため領都の方へ向かったと聞く。
「陛下からは至急、皇帝陛下の御前へとお連れするよう承っております。ただ公女殿下のご体調を鑑みるようにとの配慮もいいつかっております。まだクロヴィス卿もお戻りではありませんから、今少しこちらでご静養いただき、クロヴィス卿が戻り次第ご移動いただけたらと思いますが、いかがでしょうか」
決して意見を押し付けてくるわけではなく配慮を求める物言いをするあたり、やはりゼーレマン卿は言葉が巧みである。配慮の利かないアマーテオが益々肩をすくめて反省を深めるのも無理ないことである。
「恐れながら、毒の治療は長い時間を必要とします。まだ長旅をなさるのは……」
答えたのはリディアーヌではなく主治医という名目で同席しているアルセール先生だ。エッフェル候の婿であるクロヴィスの実弟、しかも本山の司祭様ともなれば、ゼーレマン卿も中々気を遣わねばならない相手のようである。いささか困ったようにリディアーヌに助けを求める視線を寄越した。
まさかこんなことで、アルセール先生の偉大さを知るだなんて。
だがまぁ、この一件はリディアーヌも早い所ケリをつけたく思っている。
「私はかまいません。そもそも私の方からご報告に上がると、以前から謁見を申し込んでいたのですから」
「公女殿下……」
「ご心配いただいて有難う、アルセール先生。でも先生のおかげでもう随分と良くなりました」
同席しているフィリックが訝し気にこちらを見ているが、すべてはアルセール先生の判断次第である。ね? ね? と笑顔でごり押ししていたら、やがて先生も深いため息をつきながら、「仕方がありませんね」と折れた。
「但し、私も同行いたします。この数日でセーラ殿が十分に治療に当たれる人材であることは確認しましたが、皇宮に傭兵を連れてゆくわけにはいかないでしょう」
「本山の司祭様をいつまでも私用に付き合わせては……」
「このまま投げ出し帰ろうものなら、私は枢機卿猊下からお叱りを受けてしまいます。他でもない、“貴女”のことですから」
あ、はい。そうだね。聖女だものね。
だったら、有難く付き合っていただこう。味方として頼れる司祭様がいてくださるなら、心強くもある。
「それで、アルセール司祭様……もし殿下のご体調がお悪くないようでしたら、今回の一件に関して少しばかり調書させていただきたいのですが」
すぐに状況を理解したらしいゼーレマン卿は、リディアーヌではなくアルセールにその許可を求めた。実に小憎たらしい配慮である。
このままゼーレマンを追い返したところでリディアーヌも状況が気になって満足に休めないものだから、チラチラと懇願するようにアルセールを窺う。さすれば察したように、アルセールも小さくため息をつきながら、「少しだけでしたら」と答えてくれた。
おかげで、ようやく寝込んでいた三日分の状況整理ができる。
「先にこちらから伺いたいのだけれど、いいかしら?」
待っていましたとばかりに食いついたら、ゼーレマンが何かを言うよりも早く、フィリックがため息を吐いた。でもそれもこれも、この三日間、フィリックが何の情報も漏らさなかったせいなんですからね。
「ひとまずブルッスナー家の現状、グーデリック王太子の様子、それからフォンクラーク本国の反応を聞きたいのだけれど?」
話の矛先はどちらかというとフィリックに向けたものだ。それはおそらくゼーレマン側も聞きたかったことであろうから、ゼーレマンの視線をも受けたフィリックは仕方がなさそうに、「私からご報告いたします」と口を開いた。
「まず三日前のフォンクラーク別宮での一件により、およそ捕縛すべきものは全て捕縛してあります。ブルッスナー家に関しては皇帝陛下の直臣なので、領都に向かわれたクロヴィス卿があちらでの情報整理と取り調べを終え次第、皇帝陛下の御前に引き立てることになります」
つまりリディアーヌはすでに罪人として捕らえられているブルッスナー伯と一緒に、皇帝直轄領に向かうことになるわけだ。
「クロレンス姉様が随分と型破りに暴れたようだけれど……ルゼノール家には何の命令も下っていないのかしら?」
こちらはゼーレマンに向けて問うた。
「えぇ、まぁ……私もこちらに着いてすぐ、状況を聞いてどうしたものかと思ったのですが」
あぁ、なるほど。皇帝陛下の耳には、ルゼノール家の小伯爵の暴走までは届いていなかったらしい。
「ですがこの教会領の主であるトレモントロ大司教様から、“何ら問題ない”とのお言葉をいただいております。皇帝陛下からはおそらく後日、“厳重注意”はもたらされることかと存じますが、その必要もなく、今頃クロヴィス卿が良いようにして下さっている事かと」
もれなく、彼らの弟であるアルセールが頭を抱えてため息を吐いた。
破天荒な姉と容赦ない皇帝陛下の直臣たる兄と。本当に、苦労の次男である。
「それからこちらの獄中にあるグーデリック王太子に関しては……まぁ今更、お耳汚しをするほどのこともないかと」
「ちょっと、フィリック……」
「簡単に申しますと、妄言と妄想があまりにもひどかったので別の麻薬でも嗜んでいるのかと疑い、アルセール司祭に薬を調合していただきました。それ以来、正気になったのか、大人しくペラペラと内情を自白しております」
ちょっとまって……それ、“薬”じゃなくて“自白剤”の間違いじゃなくて?
「……」
「……まぁ、私とて思う所が無かったわけではありませんので」
アルセール先生まで……。
「はぁ……それで。王太子はなんと?」
「言葉が要領を得ませんので推測を交えた説明になりますが、まず例のクロイツェンとの貿易交渉に関しては、王太子が責任者に任じられてはいたものの、一応正式に国同士の約定であったようです。しかしそれに乗じてリンテンに赤い旗を掲げた店舗を構えさせたのは王太子の独断のようですね。ここで名声を得れば姫様が会いに来てくださるはずとの下心であったことを熱く語っておりました」
「そこは省略していいわ……」
「王室の専売品を扱わせていたことに関しては、王太子は踊らされただけのようです。ウォルマン商会から、こういう品が有れば称賛を得られるだの、引き寄せられるお方もいるだの、上手く言いくるめられたようです。ウォルマン商会はブルッスナー家と通じていて、ブルッスナー家が港での権利を取り返すために考じたようです」
「そう。先にそちらが繋がるのね。ではパヴォは?」
「すべての予定が狂ったのはそこからですね。原因は“アンジェリカ嬢”でした」
「なんですって?」
いきなりどうしてそこですでに終わったはずの儀式の主役が出て来るのか。
「姫様も仰っていたでしょう。王太子は結構な“聖女信奉者”だと」
「……あ」
なるほど……な、なるほど。おぞましいことにも、グーデリックはいつぞやリンテンで見かけたリディアーヌに目を付け、聖女信仰と相俟って暴走していた。そんな男が、ベルテセーヌで新たな聖女が生まれたと聞いて何を考えたのか。
そこでアンジェリカに興味を抱いてくれればまだいいものの、どうやらグーデリックの場合は、アンジェリカの存在によってリディアーヌが汚されたと考えてしまったらしい。
「なんてはた迷惑な……」
「それがベルテセーヌへの嫌悪に繋がり、ベルテセーヌを麻薬漬けにして“正聖女様を救おう”などという発想に繋がったそうです。ウォルマン商会やブルッスナー家もよもや麻薬の密輸に加担するつもりはなかったようですが、王太子が自ら持ち込んだ麻薬に口も出せず、ほとんど強制的に加担する羽目になったようですね。しかしその状況を利用して“竜の海渡り亭”で違法な稼ぎを思いついたのはウォルマン商会であり、そこの常連として積極的に女性達にパヴォを盛り好き勝手にしていたのはブルッスナー伯です。どちらも重罪でしょう」
これは中々、聞くに堪えない。フォールがグーデリックを“小心者”と呼んで小物扱いしていたが、そのことに非常に納得がいった。彼はまるで子供の用に衝動的にベルテセーヌに麻薬を送ってやれ、だなんて真似をしでかしたけれど、だがそれだけだ。それを利用して本当に悪だくみをしていたのは、その周囲というわけだ。
「王太子はリゼットの方は使い慣れているようだったけれど」
「そちらは例の内通者が情報を提供してくれました。どうやらフォンクラークではリゼットは嗜好品として喫煙されていて、違法とされていないそうです。アルセール司祭が仰っていた通り耐性の付けやすいものなので、国民の多くが耐性を得ていて、多少の陶酔感や良い気分を得られるものとして一部で流行っているものだとか。ただし王室では昨今バルティーニュ公を中心に、若者に悪影響の有るものとして取り締まるべきとの意見が強く出ており、リゼット愛好者の王太子とは反目しあっているようです」
「そういえばナディアが昔、フォンクラークは古い時代の神事の名残で、外国では違法とされているものが合法であることが多いとか、頭を抱えていたわね」
どうやらリゼットもそのうちの一つだったらしい。
「お話を中断させて申し訳ありません。その“バルティーニュ公”の件をお伺いしたいのですが」
傍聴に徹していたゼーレマン卿がそう口を挟むと、リディアーヌもコクリと頷いてそちらに視線を寄越した。こちらからも、きちんと伝えようと思っていたことだ。
「フィリック、ナディアからいただいた手紙は?」
「こちらに」
すでに用意してあったらしく、フィリックが自ら銀盤の上に恭しく用意されていたものをゼーレマンの元に持っていった。
ゼーレマンはその随分と可愛らしい便箋に一度首を傾げたようだったけれど、すぐに「拝見いたします」といって手に取り、それから瞬く間に顔色を濁し、困惑させ、また濁し、短い時間にみるみると顔色を変化させていった。ちょっと面白い。
「……その。公女殿下……こちらは、その……」
どうやら言葉が見つからないらしい。
うん、気持ちは分かる。便箋と筆跡の可愛らしさとは打って変わった内容だものね。
「そちらはフォンクラーク王の異母弟セリヌエール公爵の夫人であるナディア夫人からの手紙です。私とはカレッジ時代から親しくしている友人なの」
チラリと隣のアマーテオ卿を窺ったゼーレマン卿に、アマーテオ卿がコクリと頷いた。どうやらアマーテオはその辺を知っているようである。
そういえば彼はアルトゥールに直接脅しをかけられるくらい、アルトゥールと面識があったようである。ナディアの事まで知るとなると、カレッジ時代からアルトゥールと繋がりがあった人物ということだろうか。
「では、この手紙と共に置かれているバルティーニュ公爵殿下のご令旨は……」
「ナディアを通じて受け取った正式な書面です。そこにある通り、今回の一件は王太子の独断であり、フォンクラーク王室は関与していない事。また王太子に与する者は一切、国法に基づいてフォンクラーク王室が裁きを与える旨が書かれています」
ゼーレマンが最も確認したかったのがそのことだろう。その書状によって、今このリンテンでとらえられているすべてのフォンクラーク人の“裁きの権利”は、フォンクラーク王室が有することになる。
ただし書状には“王太子に与する者”としか書かれておらず、王太子については何ら書かれていない。
「つまり、グーデリック王太子への裁きは皇帝陛下に一任するとの解釈で間違いないでしょうか」
「ええ、その通りよ」
まったく、ナディアもやってくれたものである。
バルティーニュ公の書状は、つまるところ“先の王弟”としての命令書であって、決してフォンクラークの国王の名のもとに出されているわけではない。つまり、これは国王自身の意とは関係なく行われた摘発だ。
もしその書状を以てバルティーニュ公が王太子自身を摘発してしまったならば、いざ王太子が国許に連れ戻された時、国王が王太子を庇う可能性がある。それどころか王太子に濡れ衣を着せただのなんだのと、バルティーニュ公が追い詰められる材料にもなりかねない。逆に言えば、バルティーニュ公たちは国王が王太子を庇うであろうことを察しているわけだ。
だが王太子が誰も口を出せない皇帝陛下自身による裁きを受けるとなると話は違う。
フォンクラークにも当然口を挟む権利はあるが、皇帝直轄領にも面する教会の直轄領で麻薬の密輸などという大事件を起こしているのだ。フォンクラーク国外で犯した事件である以上、皇帝や教会が主導権を握るのは当然で、しかもこの事件には皇帝を選出する選帝侯家の姫が巻き込まれ、被害を受けている。フォンクラークがどんな口を挟もうが、何ら効力はない。
実に上手いこと、この土地と皇帝陛下を利用したと言ってもいい。分かっていて利用されたリディアーヌとしても、益々このバルティーニュ公に興味が湧くというものである。
「なるほど……この書状を見て納得いたしました。実は先日、事情聴取のため内情を知る者を寄越すよう内皇庁からフォンクラーク王室に通達したのですが、その返書に“セリヌエール公爵夫人が参上する”とありました。庶出とはいえ王弟であらせられるセリヌエール公や、公女殿下が用いたという令旨をしたためた張本人でいらっしゃるバルティーニュ公ならまだしも、何故公爵夫人なのかと訝しんでいたのですが……」
どうやら黒幕の正体は、夫人の方だったようですね、なんてゼーレマンが言うものだから、「まぁ、なんてことを言うの!」とすかさず声をあげた。
「私の可愛いナディアをそのように仰るだなんて、心外だわ」
「姫様……」
ここでもそれを言うんですかとばかりに睨み下したフィリックに、クスクスと笑ってやった。ゼーレマンが慌てているのがなんとも楽しい。
でもこう言っておけば、ますますリディアーヌがナディアと特別に親しい間柄であることの証左になったことであろう。
「でも、そう。ナディアが来るのね」
直接会うとなると、もう三年ぶりになる。少し楽しみだ。
あぁ、そうだ。直接という言葉で思い出した。
「そういえばアルトゥール殿下はまだ皇宮にいらっしゃるのかしら?」