1-44 靴、空を舞う
自らも出向くと言ったところで、リディアーヌも自分が多少の自衛のための手ほどきしか受けていない自覚はある。だから当然、今そこで嬉々として剣を振り上げながら真っ先に乗り込んでいったクロレンス姉様と違って、後方で大人しくしている所存である。
とはいえ、兵に取り囲まれたフォンクラークの別宮はすでに内部でひと騒動が有った後らしく、多くの使用人やら何やらが宮から逃げ出した後だったようだ。リディアーヌが到着した時にはもう中は驚くほど静かだった。
それに何より、青い旗を掲げた馬車が停まるや否や、一人の身なりのきちんとした男性が待っていましたとばかりに顔を出し、門の鍵を開けて礼を尽くした。
今更そんな態度を取ったところで遅いと言いたいところだが……はぁ。やっぱり“彼”だったか。
「姫様……王太子の侍従が……」
「心配いらないわ。多分、ナディアと内通しているのは彼よ」
「……なるほど」
そういう疑いはフィリックの中にもあったのだろう。すぐに納得すると、フィリックは自らリディアーヌをエスコートしながら、その男の前に立った。
「お待ちしておりました、殿下。ご壮健の様子……まことに、何よりでございます」
「随分な言い草ね、フォール。貴方、きっと後で私の大切な友人からひどい罰を受けるわよ。私、すでに“貴女の手駒がちっとも役に立たなくって”という手紙を用意しているの」
「覚悟の上でございます。いえ、むしろ私のことをあの方のお耳に……ご褒美です」
う、うん……やっぱりこの人、ちょっと、いや、大分変な人だったわ。
ナディアへの手紙には、くれぐれも傍に置く人間の趣味嗜好には気を付けるべきだとの助言を加えておくことにしよう。
「それで、グーデリック王太子は?」
「あぁ見えて小心者の小さい男でして。奥の部屋のまわりに兵を固めて、脅えきっています。どうぞ中へ。ご案内いたします」
案内されるというのも、何やら妙な感じなのだが。実際、大手を振って乗り込もうとしていたクロレンスが目を瞬かせて残念そうにしている。しかしまぁ、無駄な戦闘が必要ないのであれば、それに越したことはない。
「クロレンス。暴れたいのでしょうけれど、我慢してちょうだい。私は王太子の無礼を咎める権利は持っているけれど、フォンクラークの別宮を荒らす権利は持っていないわ」
「……せっかくここまで来たのに」
「あら、がっかりする必要はないわ。宮は荒らしてはいけないけれど、王太子にはどんな無礼を働いても許すと言っているのですもの」
「ん? あぁ、そうか。うん、そうですね。任せてください、姫様」
そう嬉々として乗り込んでいくクロレンスに、フォールが何かを言う様子はない。どうやら本気で、微塵も王太子に助力する気は無いようだ。
「フォール。貴方、どうして王太子の側近なんてやっているの? いえ、それとも側近だったところをナディアに目を付けられたのかしら?」
フォールはリディアーヌを気遣っているのか、ゆっくりとした足取りで中を案内してくれた。そうしている内にも先に行ってしまったクロレンスが心配なのだが、おかげで話す時間は出来た。フォールも隠す気などさらさらないのか、話しかけたリディアーヌに抵抗することもなくチラリと視線を寄越して首を振った。
「確かに、ナディア様に内通を命じられた時、私はすでに王太子の側近でした。しかしそうなる前から、私の心はナディア様の忠実なる僕でした」
つまりナディアが知る前から勝手にナディアを信奉していたとでもいうことだろうか?
あの王太子といいフォールといい……フォンクラーク男はねちっこくて怖いな。
「それでも一応、それなりにグーデリック殿下にはきちんとお仕えしているつもりではありましたが……あろうことかあの殿下は、私の女神を聞くに堪えない暴言でお辱めになりました。それからというものの……我ながら、よく堪えていたかと」
ほほぅ? それは聞き捨てならないな。あの王太子の罪がまた一つ重くなったようだ。
「公女殿下のお噂は、ナディア様からよく聞いておりました」
「私のことを話すような機会があったのね」
「ですがまさか、グーデリック殿下が日頃から狂信的にお話になっていらした“リンテンの女神”と同じ御方だとは存じておりませんでした。それを知ったのは今回の一件で、殿下が突如としてリンテンに行くなどと言い出してからでございます」
「リンテンの女神? なんです、それは」
首を傾げたフィリックに、そういえばそのことは報告していなかったのだと思い出した。
「フィリック、詳しく蒸し返さないでちょうだい。かなり気分の悪い話なのよ」
「……姫様の事なのですね」
「グーデリック王太子は昔、カレッジに向かう私をこのリンテンで見かけて以来、色々と妄想を膨らませていたようよ」
歩いている内に、どこからかワァワァと派手な物音と怒声がし始めた。どうやら先に行ったクロレンスが仕掛けたようである。
ある程度落ち着いてから行きたいので、ピタリとフォールが足を止めたのに合わせてリディアーヌも足を止めた。どうやらこの辺りに距離を置いておく方がいいようだ。
「素敵なお庭ね。フォンクラークとは随分と気候も違うでしょうに、珍しい植物が多いわ」
上の喧噪をよそに目につく庭に視線をやる。見たことのないものが多いのでフォンクラークから持ち込んだものだと思うが、何となく、ナディアによく似合いそうな庭である。
「恐れ入ります。この辺りは私が管理に口を出しています」
あ、はい。つまりナディアに似合いそうな庭というか、ナディアを意識して作られているわけね。どうりで。
「上の喧騒が落ち着くまで、散策なされませんか?」
どうしようかとフィリックを窺ったところで、そのフィリックの視線を受けたイザベラが庭に駆け込んでいった。危険が無いかを確かめに行ったのだろう。そんなに広い庭でもないようなので、イザベラはすぐに戻って来て頷いた。どうやら人一人いなかったようだ。
透廊から庭に降りると、建物に沿って巡らせた水路が風を冷やしているのか涼しさが肌を取り巻いた。背の高い植物も多いけれど、真ん中には小さな池があって、その周りに彫刻などがあしらわれた上品な作りだ。もっともヴァレンティン風に比べるとかなりコテコテとした印象を与えるが、それも実に南方の国らしい雰囲気である。
確かにそんなに広い庭ではなかったようで、少し行くと鉄柵に突き当たった。柵の向こうにも庭が続いているようだが、あちらは随分と雰囲気が違う庭であり、ついでに庭の向こうにみえる建物に、クロレンス姉様を発見した。
「フォール……あそこに、クロレンス小伯爵が見える気がするのだけれど」
「無事にグーデリック殿下の部屋を探し当てられたようですね。ルゼノールの小伯爵の噂は聞いていましたが、素晴らしいお手際です」
この男……どうやらリディアーヌを特等席に案内したようだ。
「姫様。少しお座りになって待たれては? 幸い、ここからは捕り物の様子が良く見えます」
なぜか妙に機嫌を良くしているフィリックに促され、ハァとため息をつきながらも、鉄柵とその向こうを眺める場所にいい具合に誂えられていた椅子に腰を下ろした。この椅子……都合が良すぎやしまいか。もしかしなくてもフォールがあらかじめここに準備していたのだろうか。この男……。
よその王家の別宮で、暢気に庭でベンチに座って捕り物を眺める……実に奇妙な光景だ。
見ている内にも部屋から引きずり出された王太子らしい人物が、クロレンスに髪を鷲掴まれ廊下に放り出されるのを見た。容赦ないな、クロレンス姉様。
グーデリックはルゼノール家の家紋に気が付いたのか、「私にこのような真似を!」と声を荒げていたけれど、最後まで耳にする前にクロレンスが剣の柄でドゴンッとぶちのめした。あれは痛い。
だがそうことは簡単でもなかったようだ。ふらふらと起き上がって庭に続く階段に足をかける王太子に、なだれ込んできたフォンクラークの騎士が「殿下をお守りしろ!」と声を上げてクロレンス達に挑みかかってゆく。
あんな王太子でも味方がいるのだ。不思議なものである。
「庭に降りてきてしまいましたね」
そっとフィリックがリディアーヌの前を庇うように立つ。こちらとあちらの間には鉄柵があるので問題は無いが、しかし血走った目と、実際頭から血を流しながらふらふらとこちらに向かってくる王太子は、目にするだけでも精神衛生上害悪である。
昨夜の気持ち悪い思い出と共に、ふつふつと怒りが湧いてしまう。
「困りましたね……私が私の敬愛するお方のために用意した庭には入っていただきたくないのですが」
どこまでもぶれないフォールには賛同しかねるが、こっちに来てほしくないという意味では同感である。
「フィリック。クロレンスは手が回らないようだから、こちらから……」
「その声……その声は、リディアーヌ。リディアーヌ! 私の可愛い公女ではないか!」
「……」
「……」
あぁ……せっかくの日当たりのいい庭なのに、なんか周囲の温度が急激に下がった気がするよ。
「フォール、よくやった! さぁ、公女、こちらにっ。今私が貴女をッ」
ごそごそ。ごそごそごそ。
「フィリック。ちょっと手を貸してちょうだい」
「……姫様?」
ごそごそごそ。
とりあえず靴を脱いで。片足だとバランスがとりにくいな。フィリックを支えにして、あとは全身全霊、この手に持った靴に神経を注いで。
「さぁ、私のリディッッッ」
カコーンッッ……。
「……」
「……」
「……」
あら、私。中々見事なコントロール。
見事、王太子の脳天にクリティカルヒットしたお靴さま。
そのままくらっと倒れていく王太子が、バシャンッと側の水路に落っこちた。
あっと二階から覗き込んだ連中の前で、無様に意識を失った王太子。
びっくりしたようなクロレンスと目が合った。
どうやら私、お手柄なんじゃないかしら。
「……」
「……」
「……こほんっ。えーっと。フィリック。書類を」
あまりにも長い沈黙に、一つ咳払いをして手を差し出す。
その様子にはっと我に返ったらしいフィリックが、いそいそと懐から大事に持ってきた書類を取り出し、恭しく差し出した。
それをパンッと片手で開いて、茫然としているフォンクラークの面々に突き付けて差し上げる。
「ヴァレンティン大公国第一公女リディアーヌ・ド・ヴァレンティンです。全員、武器を捨て投降なさい。フォンクラーク王国先々王王弟バルティーニュ公爵殿下の許しのもとに、許可なく王室専売品の密輸と禁輸品の流通を目論みヴァレンティンに害をもたらさんとした王太子グーデリックは、捕縛いたします。与する者は同罪を覚悟なさい!」
突き付けた小さな書類では実際に内容まで目にできた人は早々いなかったはずだが、他でもない、知らぬ人のいない王太子の最側近であるフォールがその場に膝をついて頭を垂れたものだから、次第にカチャン、カチャン、と皆が武器を放り出し始めた。
一人がそうすれば、あとはもう早い。茫然と武器を放り出していく音に、クロレンスもフゥと息を吐いたようだった。
「ッ、何をしている、お前たちッ。くっ。早くッ、早くその侵入者たちを殺せッ!」
あ、王太子生きてた。
いやまぁ、靴が直撃したくらいじゃ死なないよね。
「公女ッ。貴女に手酷いことはしたくない!」
手酷いこと? 昨夜のアレは、手酷くなかったとでも?
「さぁ、大人しく私のもとに来いっ! そろそろ次の薬が欲しくなっている頃だろう?!」
やれやれ。実に頭の沸いた王太子殿だ。彼を見ていると、ベルテセーヌの甘ちゃん王太子が可愛らしく思えてくる。
「エリオット」
どうやら先に限界が来たのはフィリックだったようだ。いや、エリオットもだろうか? 主の命も待たずして、追従していたはずのエリオットががしゃんがしゃんと鉄柵をならして飛び越えていった。これじゃあ柵なんてあってないようなものだな。まぁ、仕方がない。
「そういえば、グーデリック殿下。貴方、昨夜は私の唇を勝手に奪った挙句、初めてがどうのこうのと随分と興奮していらしたけれど……」
なんですって? と横でフィリックが睨み下してきたが、今は無視である。ごほんっ。
「生憎と、私の初めてはトゥーリなの」
ニコリと唇に人差し指を添えて微笑んだ瞬間、グーデリックの表情がろくに移り変わるよりも早く、ドゴッとうちのエリオットさんがグーデリックを殴り飛ばした。
あぁ……あれは痛い。多分、完全に落ちたな。
「……姫様。初めてが……なんですって?」
「……」
あ。
「……」
「……」
「……さぁ、全員撤収よ。暖かいお風呂と具沢山のスープでゆったりしたいわ」
「姫様……」
とりあえず、これにて一件落着である。
落着で……。
「……」
「あ、靴」
「……」
「……」
一件……落着、である?
※明日は更新お休み。次は11日に。




