1-43 情報整理(2)
「先生。セーラはやはり、教会の出身でしょうか?」
「そうでしょうね。本山の教会関係者が私服に用いるアルバだけで私の階級を見て取った上に、緑の襟などという言葉が出て来るくらいですから……本山か、あるいはリンテンのような教会領の教会孤児院出身でしょう」
「緑の襟というのは私も初めて聞きました」
「教会内でしか使わない俗称ですからね」
先生いわく、教会でしか取り扱えない薬草類の栽培と管理、使用を許可された司祭以上の者をそう呼ぶらしい。教会内で規定期間の授業と研修を受け、試験に通過した者だけが襟に唐草の刺繍を入れることを許される。試験のために薬園に通い詰めている内に、真っ白な聖職者の服が草花で緑に染まることから、“襟まで緑に染まった者”という意味で通称するようになったのだとか。
「よく作法も知っていて、不思議には思っていたので」
「あれほど薬の知識に長けているとなると、教会でも上手くやっていけたでしょうが……なるほど、傭兵ですか。そういう人もいるんですね」
貴族階級出身で、ほとんど家の務めのようにして教会に入ったアルセールにとっては真逆のような存在だろう。しかしセーラの様子を見ても、別に教会に対して嫌な思い出が有るといった様子でもなかった。さしずめ、より知識欲にかられた結果の、青の傭兵団なのだろう。中々に羨ましいことである。
「それで、姫様……“リゼットの解毒”とは、一体どういうことでしょう」
あぁ、しまった……いきなり部屋の温度が二度は下がった。
「どうもこうも、明らかに怪しい王太子の誘いにまんまとついていった挙句、リゼットとパヴォを盛られて昏倒し、それどころか純潔すら脅かされかけていたのです」
ちょっとっ、フィリックさんっ!
「はぁっ?! 姫様ッ、何してるんだよ!」
クロレンス姉様にだけは言われたくないんだから……。
「はぁ……どうやらとんでもないことになっていたようですね」
「姉様、先生、もうお説教は勘弁してくださいませ。昨夜から延々フィリックに聞かされ続けて、もう一生分叱られつくしたんですから」
「何を言っているんです、姫様。これからヴァレンティンに帰り着くまで、まだ延々と続く予定ですよ」
「ちょっとフィリックさん。そろそろ許してくれてもいいのでは?」
まさかまだ終わっていなかったとでも?
「なるほど……私が何かを言うまでもなさそうですね」
続かなかったら何か言っていたんですか? 先生。
「はいはいっ。もう私のことはいいので。それよりフィリック、状況説明をしてちょうだい」
「……」
そ、そんなに睨んだって、怖くありませんからねッ。
「フランカから簡単に聞いたけれど、昨日の店から随分と証拠が挙がったそうね」
「はい。食事処という表向き、三階ではいかがわしい類の商売と、四階にはパヴォ部屋が。踏み込んだ時点でも複数の中毒者が堂々と麻薬に溺れていましたので、全員リンテンの警備隊に引き渡しています。姫様がいらした部屋はそこからは離れた隅の部屋でした」
「部屋の様子や調度品から見ても、王太子が使い慣れた部屋のようだったわ」
「帝国議会からこの方、あの店には王太子が何度も出入りしている様子が目撃されています。逃亡時の様子から見て当人がパヴォを使用しているとは考え難いですが、リゼットの方は常習犯的な手際であったと、セーラが」
「そうね。多分テーブルの上のお香に仕込まれていたのだと思うけれど……給仕を補助していたフランカ達には効いていなかったわ。それに私と同じ距離にいたはずのグーデリックにも。耐性があるのかしら」
「そうでしょう。リゼットは耐性の付けやすい薬ですから。それに熱に反応して毒性が高まります。公女殿下はワインを飲んでいませんでしたか?」
「飲んでいたわ。甘ったるいパンが口に合わなくて、進みも早くなっていたかもしれないわ。それに魚料理は妙に生姜が効いていて……なるほど、体温が上がって薬のまわりも早くなったのね」
毒見程度にしか口を付けていなかったセーラと違い、影響も色濃かったようだ。用意周到すぎるだろう。
「料理から部屋、テーブルの大きさまですべて事前に準備済みだったということね」
「姫様の方で、他に何か気が付いたことはありませんでしたか?」
「大分意識が朦朧としていたから……あぁ、そういえばあの王太子、結構な“聖女信奉者”だったわよ」
「……は?」
やはりフィリックもそういう反応だったか。私も驚いた。
「私の聖痕を執拗に嘗めまわしていたわ」
「……」
「……」
「ちょっと姫様っ?! 一体どんなひどい目に遭っているんですッ」
おっと。現場にいたフィリックはともかく、ルゼノール家には聞かせない方が良かったか。特にそこで青ざめている聖職者様には。
「トゥーリと違って皇帝戦のためという感じではなくて、狂信的な反応だったわ。王太子は考え無しにトゥーリに利用されているだけだと思っていたけれど、あるいはトゥーリの思惑も飛び越えて、最初から私に接触を測っていた可能性もあるわね。リンテンで問題を起こせば私が引きずり出せるとか……そこまで考えられるほど計画的な人間だとは思い難いけれど」
「いえ。そうであれば、あそこまで周到に準備が整えられていたことに納得がいきます。姫様がリンテンの領都に入ったその同じ日に領都にやってきたというのも……」
「今になってみると、中々気持ちが悪いわ……」
もしかしなくても、もっと前からこちらの行動を監視されていたのではなかろうか。
ただのポンコツだと思っていたのに……。
「今回姫様に同行しているヴァレンティン家の者は全て大公閣下が自ら選んだ先鋭です。姫様の情報を漏らしている者がいるとして、疑うべきはルゼノール家が付けてくださっていた方の方々ということになりますが」
「ちょっとフィリック……」
何もクロレンス達の前でそんなこと。
「遠慮はいらないよ、姫様。そういうことなら早々と絞り出してみせるから、任せてくれる?」
あ、はい……遠慮なんていらなかったわね。クロレンス姉様にお任せしておこう。
「ごほん。それで、フィリック。ウォルマン商会の方にもすでに手が入ったと聞いたけれど?」
「ええ。そちらはイレーヌ商会長が思わぬ大手柄を上げました」
「……えーっと、イレーヌ、なんだって?」
商会長? 傭兵団長の間違いじゃなくって?
「どうやら固めた乳香の中にパヴォを仕込んで密輸していたようですよ。ウォルマン商会長に執拗に、専売品なら乳香の取引はしないのかと迫った結果、手に入れたそうです」
「何という危険な真似を……」
「実際にパヴォを摘発したのは“竜の足跡”ですね」
「私の救出の方にも随分と助力をしてくれたようだわ。彼らには何か褒美を用意しましょう」
「ドゥネージュ城の裏手に、ちょうどよく雌の飛竜が営巣していませんでしたか?」
「あぁ」
そういえばそうだった。流石フィリックだ。
「ではあの飛竜の離巣後、最初に城の裏手を探索する権利を与えましょう。どうかしら?」
「ええ。十分すぎる褒賞になるかと。バレルにとっても」
これでバレルも無事にヴァレンティンの商業組合長のお嬢様に結婚を申し込めることだろう。
「ウォルマン商会が禁輸品を取り扱っていた以上、罪は明白です。すぐにリンテンの警備隊が差し押さえ、現在商会長以下、獄中で取り調べを受けています」
「分かったわ。それで、ブルッスナー家の方は?」
「そっちは私からの報告だね」
そう嬉しそうに言うクロレンスに、隣で弟殿が顔色を濁している。
「昨夜は早馬でフィリック卿から次々と書類が届き続けたものだから、母が大忙しでね。おかげでブルッスナー家の悪事加担の裏が取れただのなんだのそんなことを言っていたから、早朝、私がルゼノールの私兵を連れて乗り込んだんだよ」
「……」
「……」
「……」
うん……うん?
そんなことを、言っていたから?
「……あの、クロレンス姉様? そのように女伯の命があった、とかではなく?」
「うん? いや、特に」
「……リンテンの警備隊ではなく、ルゼノール家の私兵を使って?」
「その方が早いでしょ?」
「……」
どうやらルゼノールの小伯爵により、リンテンを治める三伯家は内二家が統治戦争的なことになっていたわけだ。そんなことにまでさせるつもりはなかったというのに……なるほど、アルセール先生の顔色が悪いわけである。
「さぞかし女伯は頭を抱えていらしたでしょうね」
「姉上をこのように育てたのは母ですから。自業自得です」
「家を出たからといって、他人事すぎや致しませんか? 先生」
「できる事なら私は今すぐ聖都に飛び帰りたいです。ただ生憎と、テシエ司祭やうちの助祭達がまだこちらに着いていません」
あ、うん……だろうね。
「それで、ブルッスナー伯爵はなんと?」
「領都を出た時点ではまだあれやこれやと言い訳と否定ばかりしていましたが、姉上の後始末に手慣れている義兄上がやる気のようでした。何なら今頃はもう、諸々と自白している頃かもしれません」
「エミール卿は元は皇室の騎士ですものね……温厚な方だとばかり思っていたのだけれど」
「とんでもない。この姉上と結婚できる人ですよ」
なんという説得力。
「ブルッスナー家の罪状は、フォンクラークの王太子と密約してフォンクラークの持ち込んだ密売品を黙認していたことと、それから相当量の賄賂の流れもあったようです。そのあたりはウォルマン商会から証拠が挙がっていますから、まず言い逃れは出来ないでしょう」
「確実に伯爵本人に罪を問える証拠だったのかしら?」
「ええ。それにブルッスナー伯は“竜の海渡り亭”の常連のようですよ。王太子と一緒の所も何度も目撃されていますし、今イザベラ達が周辺の花街の女性などから証言を収集しに出向いています」
つまりあの店にそういう仕事の女性達を連れ込んだり、派手に遊んでいたわけだ。それでは言い逃れは出来まい。
「クロイツェンの動きはいかがかしら? フォンクラークの密輸問題が明らかになったのなら、フォンクラークに船の出入りを認めたクロイツェンも黙ってはいられないと思うけれど?」
「……」
流暢に報告をしていたフィリックが、この言葉にはむすりと口を引き結んでリディアーヌを見据えた。その視線が、言葉よりも雄弁である……。
「……情報は集めているのでしょうね」
「マクスが。ただでさえ面倒なことになっていますので、できれば穏便に済ませたいところです」
「私もトゥーリをつつきだすつもりは毛頭ないわ。フォンクラーク全体の責任問題にするつもりもない。まぁそのためにわざわざ“ナディア”も手紙を寄越したのだもの」
「しかしブルッスナー家とウォルマン商会の一件は早計、皇帝陛下の耳に入るかと。リンテンの警備隊も、それからルゼノール家も……派手に動きましたので」
えぇ、まったくですこと。
「アマーテオ卿の様子はいかが?」
「こちらに軟禁した後、ある程度の情報を漏らしたところ、ご自分の罪を自覚したようで消沈しています。一応私の方でも問い詰めましたが、今回の任に出向く前、皇宮でお会いしたアルトゥール殿下に何やら姫様に関する応対についての脅しを受けたそうですよ」
「聞きたくないんだけど聞かざるをえないわね……つまり何かしら? トゥーリは今私がリンテンにいることをすでに知っているのね?」
「ええ。ただアマーテオ卿いわく、聖別が目的であったことは存じていないはずだと。皇帝陛下もそのあたりの“約束”は守って下さっているようですね」
アルトゥールにはリディアーヌが聖女であるだなんて情報は一切知らせていない。皇帝陛下とて、流石にそれをアルトゥールに漏らしていることはないはずだ。だがだとしたら尚更、リディアーヌがリンテンにいたのはヴァレンティンへの計略に気が付いたせいだと思っていることだろう。まぁそれも間違ってはいないが、計略の阻止に一手を打ってからこの方アルトゥールが大人しかったのは、リディアーヌが早々と手を打って行動していることを知ったからだったわけだ。
「どうやら、ヴァレンティンとベルテセーヌの関係を引き裂くだなんて無駄よ、というアピールは成功していたようね」
「しかしこのタイミングで皇太子殿下がクロイツェンの皇都から遠く離れた皇宮におられたというのは気になります」
「トゥーリもトゥーリなりにウォルマン商会の怪しい動きには気が付いていたんじゃないかしら。だったらこっちが過度にクロイツェンを巻き込まないよう配慮する必要はないわね。どうせどう探ってもクロイツェンには微塵も繋がらないよう、トゥーリがどうにかしているでしょうから」
「嫉妬するほどの信頼ぶりですね」
こういうのは信頼とは言わないのだ。
「余計な波風はこれ以上必要ないわ。アマーテオ卿にはここであったことのすべてを口止めして、皇帝陛下のもとに返しましょう」
婦女暴行、それも公女への暴行を理由にグーデリックを断罪できないことは気に食わないが、皇帝直轄領の傍で禁制品を密輸しただけでも重罪だ。それで充分ということにしよう。
「それじゃあ最後に。あの少女趣味のとち狂った男は、今どうしているのかしら?」
「フォンクラークの別宮は仮にも七王家所有の邸宅なので、治外法権です。リンテンの警備隊が取り囲んではいますが、突入は出来ません。“フォンクラーク王族の許可”でもない限りは……」
なるほど。よく分った。
「フランカ」
粛々と部屋の隅に控えていた侍女を呼ぶと、はっとしたように、フランカは急いで服の下に隠していた鍵を引っ張り出し、フィリックに渡した。それを受け取ったフィリックが、ニヤリと珍しくも素直な、それでいて凶悪な笑顔を見せた。
フランカに預けてあった鍵は、フィリックに管理を任せてある“密書”を封じた机の鍵だ。今頃フィリックはアレをどう活用しようか、色々と考えているに違いない。我が側近ながら実に悪い顔をしている。
「姫様、姫様。ルゼノール家の戦力は必要ありませんかね?」
「……」
姉様は暴れたいだけなのでは?
「クロレンス姉様は聖都本山からいらした司祭様方のお見送りで、港にいらしているんじゃなかったかしら?」
「平気ですよ。その司祭様は馬酔いで今日一日ベッドから起き上がれないらしい予定ですから」
「……」
アルセール先生が言葉もなく黙りこくっているどうやらさすがの先生も、この姉には手を焼いているようだ。
「はぁ……そういうことらしいので。まぁ実際、姉のせいで私は今すこぶる体調が芳しくありませんので……どうぞ、姉をお連れ下さい」
「まぁリンテンでヴァレンティン家の私兵が独断でフォンクラークと事を構えるのは外聞も宜しくありませんし。そういうことなら有難く使わせていただきますけれど」
「よし、そうと決まったら行きましょう、姫様! 姫様に乱暴を働いた王太子の横っ面を、早くぶっ叩きたいですからね!」
「……」
「ッ、何を言っているんですか、姉上! 公女殿下は留守番ですッ」
お、おぅ。アルセール先生の怒鳴り声だなんて……なんて貴重な。
だが今回ばかりはクロレンスに一票だ。別に自分を痛めつける趣味は無いけれど、昨夜のグーデリックとリディアーヌのことが噂になっていないとも限らない。堂々と、ヴァレンティンの公女が健在であることを示しておきたい。とりわけどこかにいるかもしれないアルトゥールの耳目に対して、はっきりと何もなかったことを誇示しておきたい。
それにナディアから受け取った“密書”は、とてもじゃないが他人に預けられる類のものではない。これは我が友人が、私を信頼して託してくれたものなのだ。
「フィリック……」
「……はぁ。お止めしても、また無駄なのでしょうね」
「私に託された密書を、他の誰かに託せるというのなら考えてあげるわよ?」
「……誰に託しても荷が勝ちすぎます。無論、私にも」
でしょうとも。
「公女殿下……」
「ご心配を有難うございます、アルセール先生。ですがここまで乗りかかった船、私が最後まで責任を持って終わらせますわ。というか、私も私に酷い屈辱を合わせたあの男を自ら牢獄に叩き込んであげないと気が済まないので」
「病人だという自覚はおありなんですか?」
「一瞬だけ忘れようかと」
「……はぁ」
どうやらアルセール先生も折れてくれたらしい。
「薬を調合してお待ちしておきます。くれぐれもご自分の体調に素直になられますように」
「本山の司祭様に調薬していただくなんて、贅沢ですわね」
「その贅沢が許されるお方であるのをお忘れいただかないでいただきたいものです」
あ、そうか。それもそうだ。
「フィリック、すぐに密書をこちらに。それから戦力を整えてちょうだい。あぁ、アマーテオ卿も連れて行きましょう。現場にいていただいた方が後々の説明の手間が省けるわ」
「かしこまりました」
椅子を立ち恭しく頭を垂れた腹心に、ふぅとか細く息を吐く。
まぁ、このくらい元気なところを見せておけば……この困ったうちの狂臣も、少しは落ち着いてくれるだろう。