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1-41 パヴォ(2)

「姫様ッ!」


 バンと蹴破られた扉に蝶番(ちょうつがい)が捻じ曲がり、部屋の中を派手に飛んだ。

 差し込んできた廊下の明かりが眩しくて目が眩む。


「ッ、何だ、貴様らッ!」

「ッ。貴様ァァァッ!」


 ドンドン、バキバキと激しく高鳴る物音が、薬のせいで頭に響く。

 そのことはひどく不愉快だけれど……はぁ。もう、大丈夫だ。その安堵が、今は何よりも勝った。

 恐怖心だなんて。馬鹿だな、私。目先にとらわれて外の喧噪も聞こえていなかったということだろうか。本当に、なんて馬鹿な。これはきっと、まだ薬が効いているせいね。

 心配なんてする必要はない。うちの臣下達は優秀だもの。

 ほらね。ほら。

 何も心配することなんて――。


「エリオットッ、姫様はいたか?!」


 まぁ、何あれ。フィリックったら、あんな顔ができたのね。驚いた。


「ッ」


 そんなに焦って。あぁ、うん。まあこの状況だものね。

 どうしよう。色々と言い訳したいんだけど、ちょっと声を出すのも億劫だ。


「ッ、貴様ら、どういうつもりだっ。このような無れっッ、ヒッッ」

「グーデリック様ッ、こちらに! 囲まれていますッ」

「ばっ、馬鹿者ッ。公女をっ」

「今は御身が先です!」

「総員、王太子を逃がすな!」


 あぁ、エリオットにちゃんと、王太子は殺しちゃだめだって言わないといけないのに。あぁ、気だるい。


「ッ……姫様」


 薄暗い部屋の中から、不愉快だった香水の香りが消えるとともに、おかしな顔のフィリックが駆け寄ってきて膝をついた。すると忽ち青ざめた顔で辺りを見回し、バッとシーツをかけてくる。

 そういえば服……ひっどい恰好なんだった。でもフィリックのことだ。今更気にする間柄でもない。


「ィリ……」


 あ、また少し声が戻ってきた。


「ッ……姫様、声が。いえ、体が……」


 難儀なもんだ。大丈夫だと言いたいのだが、声が出ない。


「若様、地下ァ制圧完了です。姫様はいやしたか!」


 あの声は……バレル? どうやら青の傭兵団も手を貸してくれているようだ。フィリックを置いてきておいて正解だったな。


「バレル! 今すぐセーラを呼べ! 至急だ!」

「なっ」


 フィリックが声を荒げるだなんて。これもまたなんて珍し……。

 途端、ドォォンッと重たい轟音と共に、地面が揺れた。何だこれ。爆発?!

 体の自由が利かないせいで、揺れに対処できない。このままではベッドから転げ落ちるのではと堅く目を瞑ったところで、ぎゅっと腕が引き寄せられた。

 あぁ、そうだ。フィリックがいるんだ。どんな状況であろうとも、このフィリックがリディアーヌを危険にさらすはずがない。


「バレル!」

「チッ。くそ、お前たち、行くぞ! 王太子の野郎の方だ!」


 慌ただしい足音と共に、ドォン、ドォンッ、と、続けざまに爆発音が続く。

 段々と戻ってきた聴覚が、建物の内外で響く男女の悲鳴を拾い始めた。

 外にまで広がっているのを見ると、建物の外で起きている爆発なのか。


「フィリック卿ッ、姫様を早く外へ!」

「動かしていいのか分からない内は動かせないッ。全員、護衛に当たれ!」


 ちょ。フィリックさん、何言ってるの? そうじゃないでしょう。

 もうこの場は制圧できたんだから、だったら今すべきは王太子の確保だ。


「ィ、ッ、ク……」


 あぁもう、もどかしいッ。


「ィリ、ックっ……」

「姫様、今少しご我慢下さい。安全が確保出来次第すぐに脱出します」


 そうじゃなくって!


「フィリ、ック。ぁたしじゃない。グーデ、リック……つかまえ、なさいっ」


 私、頑張った!


「お断りします」


 ちょっ! 頑張ったのに!


「ィリっ」

「却下です」


 何この頑固者! この状況を見ても、護衛に全員なんていらないでしょうに! いや、まぁ戦力外のフィリックはいいとして、それにバレルは勝手に飛び出していったみたいだけど、でもそこで当たり前みたいに突っ立っているエリオット! なんで行かないのよ!


「フィルっ!」


 あ。大きな声が出た。


「いい、からっ。王太、子を、確実にっ」

「……」


 なんで今日に限ってこうも頑ななっ。


「姫様」

「ッ……」


 どうしたことか。頑ななばかりでなく、フィリックはシーツに来るんだリディアーヌをベッドに置くと、ボロボロのお守りの引っかかったリディアーヌの手をまるで真摯な祈りを捧げるかの如く、強く、強く掴んで、己の額にこすりつけた。

 主の手の甲に額で触れるのは、騎士が忠誠を誓う際の行為だ。フィリックは文官であって騎士ではないのに。なのにどうしてこんなにも強烈に感情が伝わって来るのか。


「……フィリ、ック。貴方……何よ……震えて、いるの?」

「……ハァァァ……」


 行動と裏腹な深いため息が、まるで精神安定剤のようだ。


「貴女に万が一のことがあっていたなら、私は今この場で自分の首を掻き切っています」

「……」


 ちょ、ちょっと。何それ。怖いんだけど。


「公女殿下……私の敬愛する、ただ一人の主」

「……」

「貴女のこのような姿を見て、私がなんとも思わないとでも? 貴女に何があっても動じない、冷血漢とでも思っていらっしゃるのでしょうか」


 もしかして……フィリックは、怒っているのだろうか?

 こんなにも無表情で、こんなにも淡々と話しているのに?

 あんなにも主の貞操に無関心な、枯れ男だというのに?!


「……今、とても失礼なことを考えていませんか?」

「……少し」


 でもこれは偽ることなく、本心である。


「でもフィリック……“全員護衛”は、言いすぎよ」

「どこがどう言い過ぎだと?」


 いつの間にか、部屋の前にぎっしりとうちの騎士達が集まっている。まさか全員、本気でフィリックの言葉を真に受けて、王太子を追わなかったとでも? おいおい、君達……。


「折角私が苦労して、現行犯でつかまえ、られた、のに……」


 大分舌は回るようになってきたけれど、また頭がくらくらし始めた。

 それを見て取ったのか、フィリックが再びぐっと腕を引っ張って、体を支えてくれた。

 まったくいやらしさの欠片もない。頑なに素肌を避け、ただ積みあがった書類を支えるかのような仕草には、相変わらず男を感じない。


「貴女はどうしてそれほどまでに、ご自分を大事になさって下さらないのでしょう」

「してるわ……すっごく。欲望にも忠実に」

「……」


 あ、ひっどい顔。くすくす。


「自覚してください、殿下。貴女がどれほど貴重な存在なのか。どれほど大切な存在なのか。どれほど私が貴女を信奉し、崇拝しているのか」


 それは告白か? いや、そんなものよりもよほど重苦しくて、怖い気がする。まさかフィリックがそんなことを思っていただなんて。す、崇拝って何だ?


「……何よ、それ……貴方、平然と主の着替えも手伝える、くせに……」

「何を言っているんです。崇拝していると言っているでしょう。貴女をそのような(よこし)まな目で見るなど汚らわしい。そんなものはゴミ捨て場の汚物以下です」

「……」


 いえ、ね。ちょっと待ってくれないかな。

 これって、はいそうですね、って言っていいのかな? ねぇ、フィリック。君、あたかもそれが当然のように言っているけれど、皆ドン引いてない? ちょっと今私、周囲の様子を見る余力とかないんだけど……そんなこと口にして、大丈夫?


「……」

「ご理解いただけたようで何よりです」

「いや、理解してないよ?!」


 あぁ、だめだ。叫んだら益々頭が……。


「姫様!」


 あぁ、女子の声がする。なんという癒しなんでしょう。

 ぐふっ……あ。口の中に血の味が……。


「ッ。セーラ、姫様を!」

「フィリック卿ッ、そのまま少し倒して支えてくださいませっ。イザベラ様、窓を!」

「格子が……叩き割ります!」


 ガシャンガッシャンと響いた甲高い何かの割れる音が頭に響く。その音にびくりと眉をしかめていたら、「大きな音はいけません!」とすぐにもセーラが忠告してくれた。

 あぁ、おろおろと困惑しているイザベラの様子が目に浮かぶ。


「っ、姫様……あぁ、姫様っ」


 どうやらフランカもいるらしい。視界には捉えられないけれど、とても近くで声がする。よかった、皆も無事だったようだ。


「セーラ……そこの、香炉を、回収してちょうだい」

「分かっています。いいですから、姫様は御身のことを考えてください。話すのは辛いかと存じますが、少しでも状況を教えてくださいませ」

「……とりあえず、頭がくらくらするわ。光とか、大きな音が響く。体全体に、力がはいらない……あぁ、そういえ、ば、グーデリックが……リゼット、とか、何とか……」

「リゼットっ……」


 はっとしたセーラがすぐにローブをばさりと脱ぐと、リディアーヌの身体にかぶせる。


「強い睡眠弛緩剤です。ここには直接利く解毒薬が有りませんから、とにかく少しでも中和を。布にも身体にも煙がまとわりついているはずですから、シーツははぎ取ってください」

「承知した」


 少しのためらいもなくボロボロな主の姿を知っていてなお容赦なくシーツを引きはがすフィリック……やはりぶれない。

 一瞬シーツの下に見えた姿に、逆にセーラの方がギョッと周囲を見回して、慌てて体を盾にしてくれたくらいだ。その調子で、大人のお姉さんからこの頭のねじが緩んでしまっているらしいうちの臣下にお説教してくれないかな。色々と。


「姫様ッ……まさか、辱めを……」

「セーラ、無礼をッ」

「フィリック卿ッ。大事なことです! もし、万が一などと言うことがあればッ」


 そう腰回りに下げた数多の薬瓶の中から革袋をきつくつかんだセーラに、何を言いたいのかを察した。

 もし“間違い”が起きた後なのだとしたら、恐らくそこに入っているであろう“避妊薬”が必要になるという意味だろう。だが幸いなことに、その薬の出番は無い。


「平気よ、セーラ……未遂だわ」

「……ッ……」


 心の底から安堵したと言った様子で息を吐いたセーラは、それでも乱暴の痕跡のある若い淑女を気遣ってチラチラとリディアーヌを支えるフィリックを見たようだったけれど、リディアーヌが安心して体を任せているのを察したのだろう。それ以上は何も言わず、別の薬瓶を手にカチャカチャと手早く調合したものをフィリックに渡した。

 すぐにフィリックがそれを口元に押し込んでくる。

 うん、この遠慮のなさが……フィリックだよね。


「ベル、ブラウ?」

「神経性の毒を中和する解毒薬と、ベルブラウの根を煮出した水を混ぜたものです」


 そういえば、と自分の腕をみやったリディアーヌに、「ご自分でもベルブラウの花びらを噛まれたんですね」とフィリックが口にした。

 こいつめ……やっぱり、ここにベルブラウの花びらが仕込まれていたことを知っていたか。どうしてフレデリクが姉の為に一生懸命作ってくれたものの仕掛けを知っているのか、問い詰めるべきなのだが、如何せん、今はその体力がないことが口惜しい。


「症状が弱いのはそのおかげですね。おそらく……パヴォの方も」

「パヴォだと? セーラッ」

「間違いなく……部屋からパヴォの匂いがしています。強くはありませんが」

「ッ」

「平気よ、フィリック……気付いてすぐ、ベルブラウの花を噛んだの。一瞬幻覚を見ていたような気がするけれど、意識も失っていたおかげか、幸い、殆ど煙は吸わなかったわ」


 もっともその幻覚とやらは、酷く性質の悪いものだったけれど……。


「すぐにこの部屋を離れましょう」

「動かしていいのか?」

「はい。今はお身体のすべてが過敏になっています。ご負担にならないよう、ゆっくりと」


 ようやくこの部屋から離れられそうだ。さぁ、フィリックよ。細腕のなよなよ文官の腕はもういいから、エリオットでも呼んで……。


「フランカ、馬車を。エリオット、道を開けさせろ」

「はっ!」


 ……え、ちょっ。マジですか、フィリックさん。


「フィリック……貴方に、人を抱える力なんて……」

「失礼ですよ、姫様。意識していただかずとも結構ですが、私は男です」

「……」


 いや、知ってるけど。まぁ背は高いけど。でもペンしか握れない細腕で……。


「……」


 なんてことだ。全然揺れないな。フィリックのくせに。


「今日はいつになく……過保護ね、フィリック」

「先ほど最上級の敬愛をお伝えしたはずの臣下の心配を過保護扱いですか」

「ちょっと……せっかく忘れかけてたのに」

「は? なんで忘れるんです。脳裏に刻んでください」

「いやよ。重い」

「十分にご負担にならない言葉を選んで差し上げたというのに?」

「……貴方時折怖いわよ?」

「光栄です」

「会話がかみ合っていない自覚はあって?」

「それだけ言葉遊びができれば十分ですね。解毒薬が効きましたか?」

「この狂臣め……」


 でも確かに、少し頭がすっきりしてきた。でもそれと比例する形で体のだるさが増している気がする。


「セーラ……だるさが増してきたわ」

「毒性の麻痺感覚が抜けてきているせいです。辛いかもしれませんが薬が効いている証拠です。可能でしたらそのままお休みください」

「疲れ切っているのに……眠れそうな気がしないわ」

「目を閉じておくだけでもかまいませんから」

「……」


 どうしよう。口にはし難いが、目を閉じていると全身を這いずったグーデリックの感触が思い起こされるようで、気持ちが悪い。


「これに懲りたら、もう二度とこのような危険な真似はおやめください」

「……ちょっと、フィリック……」


「大体姫様はいつもそうなのですから。商会での一件も、なんです、あの突発的な行動は。らしくもありませんでしたよ。以前から一つ苦言を申し上げたかったのですが、姫様は何かとアルトゥール殿下やマクシミリアン公子の件が絡むと突っ走りがちです。いえ、あの御方達の場合、とにかく先手を取らねば足元を掬われかねないと危惧する気持ちは分かりますが、それにしたって今回の一件は失策でした。見るからに危険な男にのこのこと、しかもあのような手慣れた中年の口車に乗るなど、危機管理能力をどこに放り出してきたのですか。まったく。それにあのようなベタベタとした態度に黙ってなされるがままなど、らしくもない。貴女ならもっと上手く転がすこともできたでしょうに……」


 な、なんだ、こいつ。いきなりの怒涛のお説教だと?

 疲弊しきっている主を前に、なんという非道を……。


「聞いているんですか、姫様。理解するまで何度も言わせていただきますよ?」

「……」


 そんなの勘弁して、と言いかけて。

 でも不思議と口を噤んでしまった。

 変だな。耳に痛いお説教なはずなのに、この声を聴いていると目を閉じていても気持ち悪くない。

 きっと、一番聞き慣れている声なせいだ。


 まさかフィリックにそんな特技があっただなんて。

 これに免じて……王太子を逃がしたことについては、ちょっとだけ……許してやることにしよう。






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