11-35 悪だくみのすすめ
「いかがですか? 妃殿下。ちょっとヴァレンティンに、誘拐されてみませんか?」
「……」
ふむ。駄目か? どうせなら穏便に、自分の足で隠し扉をくぐっていただけると大変手間が無くて良かったのだが。だとしたら少し強引に……。
「公女殿下……一つ、お聞きしますが」
「ええ、何でしょう」
「私が誘拐されたことで、夫は何か大変困ることになったりするのでしょうか?」
「いいえ、妃殿下。これはいつものらりくらりと真意を掴ませない上に私に何か事件を起こせと期待していらっしゃるダグナブリク閣下の関心を引くための悪戯であり、ついでにいえばこんな場所に侍女も連れずに妃殿下を連れてきた考え無しに対する公女としての無言の圧力です」
後半は取って付けた理由だったが、まぁ、本心でないわけではない。現にリディアーヌは養父やマクシミリアンらの進言に従って侍女を連れてきたことに大変感謝している。そしていかに侍女のいない生活に慣れている下級貴族出身の妃殿下とはいえ、現状に不自由さを感じていたであろうことは……その自分で結ったであろう、言っては何だが少々みじめな髪方にも表れていると思う。
パラメア妃はいつもシンプルで目立たない装いを好まれる方ではあったが、それでいながら小物や飾り物にはさりげない刺繍や珍しいデザインの柄をあしらうなど、そういうのが嫌いなわけではない方なはずだ。それは先程初めて知った事実である辺境公の長い髪をいつも結わえている洒落たリボンを見ていても分かる。
だったら今この場で自分とは対称的に、不自由な場でありながらも綺麗に髪を結われ、飾り物を添えられたリディアーヌの装いを羨まないはずがない。そしてそれは、フランカの手によってなされたものだ。
「妃殿下、恐れながら私も、日中は姫様がお留守で、お部屋を整えるのも備品を整えるのも苦ではないとはいえ、話す相手もおらず、つまらなくしておりました。もう四日もない短い期間ですが、いかがですか? こちらにいらっしゃいませんか?」
さらにフランカが屈託なく誘いをかけると、自然とパラメア妃の腰が浮いた。
あと一押しだ。
「それにたまには女も、こうして反旗を翻して男どもに思い知らせてやるべきです。ヴァレンティンはそういうのはとても得意なんですよ。何しろうちは、姫様が姫様ですから」
「フランカ? 何か言った?」
ごほんっと咳払いをしで窘める。
どうして途中まではいい感じだったのに、最後の一押しにそれを選んだのだろうか。そう呆れたというのに……。
「誘拐……あぁ、なんて魅力的なのでしょうか」
今にも腰が浮きそうなパラメア妃の嘆息に、何やら釈然としない所はあったものの、リディアーヌもひとまず笑顔を見せた。
「ですが公女殿下、私は夫を愛していないわけではないのです。その足を引っ張りたいわけでもありませんし、試したいだなんて……そんな畏れ多いことを思ったこともありません。公妃らしい振舞いなど存じていない私ですが、荷物になるくらいならば自決しろと言われて理解できる程度には、覚悟もございます」
「ええ。お二人がお二人なりの睦まじさでいらっしゃることは存じていますわ」
「……ただ……」
そう。“ただ”なのだ。
夫婦仲は良いのだろう。だがパラメア妃は妃殿下である自分を受け入れようとはしておらず、心の底から自分のことを卑下している。それはアンジェリカも言っていた。
パラメア妃は一見人当たりが悪く、社交性のない排他的な雰囲気を醸し出しているけれど、実際、アンジェリカやアンナベル妃に対してはとても優しく声をかけ、色々と教えてくれる、まるで母や姉のような存在であったという。
逆にリディアーヌの知っているパラメア妃は、公妃でありながら遠慮がちで、リディアーヌなんかにもおどおどと視線を避け、関わらないようにしているといった雰囲気を感じることが多かった。だからそういう性格なのだと思っていたが、どうやらアンジェリカにはそうではないらしい。
そしてそれについてアンジェリカはこうも言っていた。
『リディアーヌ様はいかにも王族出身ですという感じの公女殿下でしょう? でも私は市井出身、伯爵家の庶子です。アンナベル妃はヘイツブルグのご名門の出身だと聞きましたけれど、名門とはいえ政治的な要職にはつかなくなって長い名ばかりの名門で、しかも穏やかな両親のもとでぬくぬく育てられた一人娘なのだと言っていました。妃殿下は同じ話しやすそうな女性でも、シャリンナのヘルミーナ妃殿下とは距離を置いていらっしゃるんですよ。それってつまり、そもそも王侯家の高貴な方、っていうこと自体に気後れか、あるいは苦手意識があるのかなって。だからリディアーヌ様におどおどされていらっしゃるのは、別にリディアーヌ様が怖いとかではなくって、ただリディアーヌ様が公女殿下だからだと思いますよ』
パラメア妃は、本来なら許されようもない立場から辺境公家に嫁いだ女性、それも恋愛結婚で嫁いだ女性だ。公妃になる予定は無かっただろうが、しかし夫の家の姑や夫の兄弟、親族からはさぞかし後ろ指を指され、苦しい思いをしたことだろう。それに耐えるほどにあの変わり者の辺境公閣下を愛していらっしゃるのか? などと首を傾げてしまうものの、まぁ本人達には何かしらそうなるだけの理由があるのだろう。同時に、夫以外のそうした王族連中に忌避感を抱いていたとしたって、何ら不思議ではない。
だから今も妃殿下として付き合うべき王侯との社交は嫌煙しがちで、妃殿下らしい振舞いもしていないし、ダグナブリク公もそれを強要しない。それでも離縁はしないのだから、まったく、夫への愛情だけで今の地位に留まっているとでもいうのだろうか。リディアーヌには理解しきれない感情である。
だがしかし、結局夫はダグナブリク辺境公であり、選帝侯閣下だ。そうではない一面を好いて結婚したとしても、今やその人が国主であることに変わりはなく、そして彼は辺境公としてさも当たり前のように王侯達と語らい、その肩を叩いて笑うことが出来る人だ。そのことは、この長い皇帝戦という皇宮での生活の中でとくと思い知ったことだろう。
自分に対する変わらない態度が愛情であり、けれど自分にそれを求めない夫に対する不満を、きっと抱いていないわけでもない。『お前が嫌ならそれでいい』が、『どうせお前には無理だろう?』という態度に感じるようになったとしても仕方がない。
それが、パラメア妃が喉から振り絞るようにしてこぼした『ただ』の正体であり、誘拐だなんていう言葉を聞いても取り乱さない理由なのだろう。
どうやらパラメアを突き動かすには“この辺”が一番効果ありそうだ。
「妃殿下、私、今結構イライラとしていますのよ」
びくりと肩を揺らした様子を見ても、罪悪感は無い。それは多分、ただ煽るためだけの嘘というわけではなく、少しの本心が含まれているからだろうか。
よく知りもしないくせに、その生まれだけで差別されるのは気に入らない。そういうのは、逆差別というのだ。
「妃殿下は“ただ”と仰いました。ご自分でも分かっておいでなのでしょう?」
「……」
うむ。やはりこの辺か。
「ダグナブリク公は選帝侯閣下です。物怖じせずあのヘイツブルグ大公閣下やザクセオン大公閣下にちょっかいをかけられ、何故か妙にうちのお養父様を気に入っていて、私にも遠慮なく駆け引きや徴発をしてくる、困った一国の国主です。お国許ではどうなのか存じませんが、この皇宮においては現在、五本の指に入る貴い御方です。なのにあの方が頑なにそれにふさわしい他の妃を迎え入れられないことは、まぁうちもお養父様がアレですから、理解できますわ。けれどその唯一である以上、貴女も変わるべきです。一体どうして誰も貴女にそれを言わないのでしょう」
「……」
「別に難しいことを求めているわけではありません。ヘラヘラ愛想よく媚を売れなんて言っているわけでも勿論ありません。それが許されるのが妃殿下ですもの。私は貴女のその私達への淡泊な雰囲気も気に入っていますし。それに貴女方の関係や夫婦間の無言の誓約に、口を挟みたいわけでもありません。けれどどうですか? 貴女にとって私やコランティーヌ夫人は、嫌煙し、かかわりを避けたくなるような、貴女の大嫌いな王侯女性ですか?」
「っ……それは」
まぁ、ここで『はい、そうです』と言われても困るのだけれど。いや、そんなことを言わせない雰囲気を作ることが公女のお仕事である。この手のことは得意分野なので、まず期待する以外のことは言わせたりしない。
どうやら妃殿下という立場でありながらもずっと上からの抑圧を感じて、脅えているらしいパラメア妃にはこのくらいの物言いの方がちょうどいいようなのだ。だったら喜んで、悪役を演じてやろうじゃないか。
「そんなに難しく考えないでくださいませ。私はただ、ここで私と親しくなっておいたらこの先楽になるだろうという、そういう打算的な行動がどうしてとれないのかと言っているだけですわ。私は今はまだただの跡継ぎで春の議会にも顔を出さない立場ですけれど、これからは養父に代わってそういう場に出ることもあるでしょう。そんな時、私の既知を得ているのといないのとでは、妃殿下の公的な場での“楽”の具合も違うはずです」
「……公女殿下からの既知という有難いお申し出を受けて、庇護を受けろと……?」
「それは言い方の問題ですね。こうして苦言は述べていますが、私は別に妃殿下に危害を加える者ではありませんし、冷たくしたいわけでもありません。貴女を大切になさっているダグナブリク公のこともヴァレンティン家としては気に入っていますし、あの方のお怒りは被りたくないですから。
そうではなく、貴女ももっと上手くやって、私達もお使いなさいませ、と言っているのです。貴女がその一歩を踏み出すかどうかです。それでも今のままがいいと仰るのであれば、そうなさればいいですわ。一国の妃殿下に、私はなんら強要する権利は持ちませんし、そんな意図もありません。貴女が私をどう思っているのか、あるいは“どんな偶像”を被せて見ているのか知りませんけれど、私はこれまでちゃんと、貴女を妃殿下として尊重して接してきたつもりです。誘拐を提案したり、あるいはこのようなことを口にしていたなお、今もです。尊重していなければ、とっくに臣下に攫わせていますもの」
「……」
ぎゅっと手を結んで深く考え込んでしまったパラメア妃に、フィリックが少し扉の前でイライラと口を歪めた。思わず話し込んでしまったが、今は誘拐をするか否かという場面である。あまり長々とこんな場所に留まっていることにしびれを切らしているのだろう。
心配せずとも、もうそう時間はかからない。
「けれどもし今すぐ堂々と一国の公女の無礼を咎めて非礼を詫びさせるだけの気概と手段があるのであれば、そうなさってくださいませ。けれどそれが出来ない……その手段が思いつかないというのであれば、貴女は妃殿下でありながら、妃殿下という地位を蔑ろにし、身辺の警戒を怠ったという失態を犯したのです。私とて手荒な真似をしたいわけではないのですから、ひとまず大人しく私に誘拐されてくださいませ」
「っ……」
まぁ、脅しはこのくらいでいいか。あとはいざ誘拐したところで泣いたり喚いたり逃げ出されたりしても困る。鞭を与えた後は、たっぷりと甘い飴をくれてやろう。
「誘拐と言われると人聞きは悪いですけれど……妃殿下にとっても、悪いことにはならないかと存じますわよ。その証拠に、きっと辺境公閣下は妃殿下がヴァレンティンに誘拐されたと聞いても、妃殿下のもとに押しかけてはいらっしゃらないでしょう。それだけの信頼は得ているつもりですから。
それでいて、そう言わしめる私達王侯の日常がどういうものなのか、この機会に良く知って下さいませ。ご自分の何が至らず、何が違っているのかを、よく考えてくださいませ。そしてついでに、果たして本当に私達王侯が、貴女が厭うそれと同じなのかどうか、確かめてくださいませ。きっと拍子抜けすると思いますわよ。何しろうちは、ダグナブリク公と並んで……いいえ、きっとそれ以上に“緩い”ですから」
「は、はぁ……はぁ?」
なぜそこで首を傾げるのかが分からない。うちほど緩いところは無いと思うのだが。
それもこれも、ただ社交嫌いで引きこもり癖のあるうちのお養父様が、皇宮の社交界で“氷の選帝侯閣下”扱いされるというおかしな噂が立っているせいに違いない。
その実態はアレなのに。
それを知ってもらうにも、大変良い機会である。
「さぁ、いかがですか? 妃殿下。少しだけ、妃殿下らしくこの光と闇の渦巻く選帝議会で、その暗雲に巻き込まれてみませんか? 難しい事ではありません。林檎酒を片手に、侍女に世話を焼いてもらいながら、ただ傍観していらっしゃればいいだけです。何が出て来るかは分かりませんが、少なくとも“何か”を知るきっかけにはなるかと思いますよ」
「……なにやら、私にばかり良いお話のように聞こえますが……」
「私はそれだけ、妃殿下と仲良くなりたいと思っているのです。心の底から」
ニコリと微笑んで見せたリディアーヌに、今少し考えこんだパラメア妃は、ゆっくりと首を縦に振った。
「私は……どうすれば、良いのでしょう」
「心配せずとも、私の大切なお客様として持て成させます。このような場ですから多少の不自由はあるかもしれませんが、今朝までよりは楽な生活をお約束しますわ。フランカ、お部屋にお連れして差し上げて。パトリックから接収した林檎酒は勿論、今から妃殿下のものよ」
「ふふっ。かしこまりました。私にはあのきついお酒の味はよく分からないのですけれど、美味しい注ぎ方でしたら祖父に教わったことがございます。さぁ、参りましょう、妃殿下。私に、色々とお好みを教えてくださいませ。これから約三日、精一杯お仕えいたします」
そう朗らかにパラメア妃を誘導するフランカの人当たりのおかげか、少しほっと息を吐いた様子で、パラメア妃は隠し扉に向かった。
摘まみ上げられたドレスの裾から除いた白い靴が、敷居の前で立ち止まり、ゆっくりと足を持ち上げてあちら側へと入る。狭い隠し扉の向こうの薄暗い部屋は、マクシミリアンの部屋の納戸に通じている部屋だ。まさかマクシミリアンの探索がこんな形で役に立つとは思わなかった。
この部屋の前は最も目立つ階段ホールであり、いつも警備の目が光っている。よもやその家事室以外に通じている扉もないはずの部屋から公妃が消えるだなんて、思いにもよらないだろう。これでダグナブリク公に対してはたっぷりと時間が稼げた。あとはヴァレンティンの区域の中に匿って、フランカにしっかりと妃殿下を『こちらの方が居心地がいいです』と言わせるほど口説き落としてもらえばそれでいい。
さぁ、これで……“人質”は手に入った。
後はこれをどう利用して、ダグナブリク公を引きずり込むかだが。
「悪い顔をしていますよ、姫様」
「悪い顔にならない理由があって? 今目の前で、誘拐事件が起きたのに」
「“起きたのに”ではなく、“起こしたのに”の間違いでは?」
まぁそうだけれど。
「まったく。どの口で、“妃殿下と仲良くなりたいのです”などと仰るのか。笑いそうになりましたよ」
「あら失礼ね。嘘は言っていないわよ」
「ダグナブリク公の攻略に有意義、かつチョロそうな世間知らずは大歓迎です、というには随分とお言葉を端折ったのではありませんか?」
「いや……そこまで思ってないけれど。貴方、相当悪辣ね」
「姫様が認めたくない姫様の本心を代弁しているだけです」
「だとしたら私は相当この状況に麻痺しているということね。皇帝戦が終わったら、エティエンヌ猊下にお祓いでもしてもらおうかしら」
「それ、聖女が言います?」
思わず突っ込んだエリオットに視線が集まったところで、ガタンと再び隠し扉が開いて、パトリックが顔を出した。すぐにこの部屋の異様な空気を見て取ったのか、「また何か言ったのか?」とすかさず弟を睨みつける。
うむ、実によく分かっているではないか。
「顔を見せるなり弟に罪を着せるだなんて、酷いですよ、兄上」
「お前以外に部屋の空気をこんなに凍らせる原因がいるか。姫様、また何かご迷惑でもおかけしたのでは?」
「まぁ、そうとも言えるわね」
「今のは姫様の自業自得では?」
ぐふんごほんっ。
「えーっと、それで。何かしら? パトリック」
「フランカが妃殿下をお部屋にお連れしました。お連れしたのはいいんですが……」
うん。その先は……うん。分かっている。分かっているのだが、しかしこれは“仕方がない”ことなのだ。
「ッ、ちょっと、リディ!」
そこにガタガタガタと、慌ただしく隠し扉から飛び出してきたのはマクシミリアンだ。もうすっかり、隠し扉が隠し扉ではなくなった。
だが彼が慌てるのも無理はない。
「ど、どういうこと?! なんでっ……」
そう。このヴァレンティンに宛がわれている部屋と言ったって、数に限りはある。そして余分な一つは、すでに余分に別の家門から転がり込んできたマクシミリアンが使っている。つまり、もう余剰なんてものはない。
だったらこうするしかないと思うのだ。
「ッ、なんでリディが私の続き間の部屋に引っ越すことになってるの?!」
「お養父様にバレたら大変だから、とりあえず騒がないことをお勧めするわよ」
だってパラメア妃を、区域の外に扉がある狭い一間の部屋や、ましてやこの私の人の隣で寝起きさせるわけにはいかないじゃないか。
そう。だからこれはとてもとても、致し方のない事なのである。
※4月はあまりの多忙につきちょっと長めにお休みさせていただきます。
ちゃんと完結させますので少しだけお待ちください。




