11-30 議会二日目(2)
「皇帝候補アルトゥール十六票。同じくリュシアン十二票。リヴァイアン八票。そしてアブラーン七票。ギュスターブ七票。計五十票。相違ございませんか?」
分かってはいたが、結果を聞けば誰からともなく、ほぅ……と吐息が零れた。
やはり現時点ではクロイツェン、アルトゥールが飛びぬけている。
ただそれに悲観することはない。所詮この三日間の仮投票は仮の投票であり、中には最終日では他の票に投ずるつもりなのに、それを隠している人もいるのだ。
それは例えば、今回はザクセオン大公に倣ってアルトゥールに投じたであろうマシェロン伯であったり、まだ今は本気かどうか信じかねる中、今回はリヴァイアン殿下に投じたであろうダグナブリク公であったり。
選帝侯達が相違ないことを宣言すれば、この部屋のステンドグラス中央にあるガラス扉の向こうに最初から備え付けられている金庫が開錠され、二段目の引き出しにそれらがしまわれ、再び施錠された。
これらは四日間保管され、最終日にこの場で必要な箇所のみ書記官が書き写し、実際のカードや書類はこの場で燃やし捨てられることになる。鍵は二本必要で、一つは教皇聖下。そしてもう一つは皇宮内皇庁から派遣されていることになるカリックス卿が保管するらしい。
こうして投票が終われば、ひとまず議会は終わりだ。教皇聖下が解散を言い渡すと同時に、大事な鍵を預かるカリックス卿や手伝いの修道士達も聖下と一緒に退出する。
だが選議卿達がすぐに解散するということにはならないようで、皆思い思いに席を立つと、それぞれの派閥などに集まりながら雑談に興じた。
今この場で一番賑やかなのは、皇帝候補筆頭として明らかになったアルトゥール支持の陣営で有ろう。マクシミリアンの離反もあってさすがに不安を抱いていたらしいザクセオン大公も、今ばかりは目に見えて分かる安堵の様子になっていて、自然と声も弾んでいる。
急ぎそちらの選帝伯の席から逃げてきたマクシミリアンも、思わずリディアーヌの傍にやって来て、「ふぅっ」と息を吐いたほどだ。あんな敵陣の真っただ中でリュシアンの名を書くのだから、人一倍気疲れしたことだろう。
「お疲れ様、ミリム。事実上の初日が終わったわね」
「おおよそ予想通りだったね。それにしても……やっぱり、ギュスターブは七か」
うむ。やはり一番気になるのはそこだ。リディアーヌも同じ心地で、ため息でも吐きたい気持ちを抱えながら頷いた。
これまで二度にわたって議会の場でこれ以上ないだけの批難と無意味さを訴えかけたつもりだったが、いまだ少しも揺るぐことなく自ら弾劾すらしているギュスターブ王に票を投じているのだ。本当に、まったく、微塵としてその人の考えが分からない。その図太さはもはや、厚かましさと言ってもいいくらいである。
「それで、リディ。これからの予定は?」
「コランティーヌ夫人かしらね」
ちらと視線をやると、昨日とは打って変わってすっかり落ち着いたらしい夫人も、同じ派閥のラモーディオ枢機卿猊下やノヴェール伯などと集まって真剣な顔で何か話し込んでいた。その視線がチラリと、早々部屋を出て行こうとしているヘイツブルグ大公と、慌てて後を追うウィクトル公子を一瞥するから、あるいは話題はセトーナのアブラーン王子ではなく、フォンクラークのギュスターブ王のことかもしれない。
夫人としても、実の弟の推挙とはいえ罪状すら押されているギュスターブ王が、伝統と正当性のあるアブラーン王子と同率同票など気に入らないことだろう。若干、面差しが険しい気もする。
ただ思ったよりもセトーナ票は粘っているように思うので、昨夜の事件の影響は今日の投票に出なかったに違いない。
「ミリムはどうするの?」
「昼までは何も入れてない。午後からは、以前リディの既知にお勧めしてもらった一階の談話室で、ちょっと“オハナシ”でもしてこようかなと思ってる」
「あら、どこの誰と?」
「昔のよいひとと……と言ったら怒るかい?」
「まぁ、どうしようかしら……とりあえず、触らせては駄目よ。三秒以上見つめ合っても駄目。ちょっと微笑むくらいはいいけれど、あちらの笑顔に絆されて気を許すようなら怒るわよ。それを守れるなら、ちょっとくらいは昔話に花咲かせるくらい許してあげるわ」
「もう少し嫉妬してもいいんだよ?」
そんなことを言ってマクシミリアンは茶化すけれど、つまりこの中央棟のいたるところにある隠し部屋の中でも、以前リディアーヌの既知であるエリジオ卿が教えてくれた最も見つかりにくいであろう隠し部屋の一つで、昔の好い女……ならぬ、古巣ザクセオンで密かに通じているマシェロン伯と密談をしてくると言っているのだろう。ただの即席の隠語だ。
そうであるはずなのだが。
「昔のッ、女だとっ?!」
何故かギュンと振り返って、わざわざより一層引っかかりそうな物言いで振り返ったお養父様のせいで、ざわっと議場がざわめき、かつザクセオン大公とラルカンジュ侯の視線を集めることになってしまった。
まったく……このお養父様は。
「何故そんなところだけ耳ざといんです?」
「いやいやいやッ。これに思わず振り返らない父親はいないと思うぞ?!」
「ははは……閣下、ご存じですか? 今この禁事棟にいる私が名前を知っている女性はたったの三人。リディとコランティーヌ前公爵夫人とカーシアン女伯だけです」
コランティーヌ夫人は未亡人、カーシアン女伯は夫婦仲が破綻しているとはいえ、どちらも既婚者。しかも夫人は五十代、女伯は六十代……さすがにうちの何かと思考が斜め上を言っているお養父様とて、マクシミリアンに熟女好きの汚名は着せ……。
「どっちだ?!」
思わずブフォフッと噴き出してダグナブリク公が肩を揺らしたのは致し方のないことだと思う。
リディアーヌも全く違う理由で吹き出したい。
「苦労をかけるわね、ミリム……」
「うん……まぁ、うん。慣れるよ。私にとっても義父上になるわけだからね」
同情的な他のヴァレンティン陣営の皆の視線が、唯一の慰めであろうか。
それに幸か不幸か、この先程の投票結果なんてまるで気にしていないようヴァレンティン大公達の変わらぬ様子に、リュシアンに票を投じたものの首位に立てず不安を抱いていたらしいサンチェーリ司教が随分とほっとした顔をした。
こちらがまだこんなバカげた話で笑えるくらい余裕がある様子に安堵したのだろう。お養父様の平常運転もまんざら無意味でもない。クロイツェン派に対してもほどよい挑発になったと思う。
その……内容が、まぁ、内容であったが。
「で、どっちだ」
「えー……っと。まぁ、ええ……そうですね。比べるまでもなく一番はリディなんですが、あえてどっちだと言われたなら、コランティーヌ夫人でしょうか。ピンと通った背筋と自信に満ち溢れた堂々とした立ち居振舞い、華やかで目を引く女傑っぷりが大変魅力的です」
「ほほほっ! 公子殿下。この未亡人を年甲斐もなく真っ赤にさせるおつもりですか?」
これ以上この話を続けるのはどうなんだと思わなくは無かったのだが、くしくもマクシミリアンの機転……かどうかは分からないが、その発言のおかげでコランティーヌ夫人が釣れた。ちょうど話したいと思っていた夫人である。
この状況を逃してなるものかと、「嫉妬しても宜しいですか? 夫人」と悪乗りしてみれば、離れた場所にいた夫人が自らカツカツとヒールを鳴らし、「さすがに勝ち目が見えませけれど」と言いながらこちらに歩み寄ってきてくれた。大変良い状況である。
「コランティーヌ夫人、真に受けないでくださいよ。ちょっとした言葉遊びのつもりだったのを、閣下が見逃してくれなかっただけですから」
「まぁ。必死な言い訳ですこと。でしたら先程の言葉はこの老女を弄んだだけだと?」
「もて……」
必死と言われたマクシミリアンが思わず口を曲げて沈黙したところで、コランティーヌ夫人は再びカラカラと闊達に笑いながら、リディアーヌの傍に足を止めた。
「まったく、東大陸男には難儀いたしますわね、リディアーヌ公女」
「仰る通りですわ、コランティーヌ夫人。この調子でいたるところで女性を誑かしているのではないかと心配になります」
「けれど嫉妬は不要ですよ。マクシミリアン公子ときたら、こんなことを言いながら、私の誘いにはたったの三回中二回しか乗って下さらないのですから。つれないったらありゃしません」
「え? 七割も?」
何それ、初耳ですが、と思わずマクシミリアンを見てしまったところで、「いや、リディ。夫人の冗談だよ? 一回の覚えもないよ?」と念を押された。しかしそれにしては妙に夫人の言葉に真実味を感じるような。
「自分で振っておいてなんですけれど、夫を亡くして二十年近く立つ私にはお二人の初々しさは目に毒ですわね。若者を揶揄うのは嫌いではないものの、さすがに閣下の視線が痛いのでこれ以上は止めた方が宜しいかしら」
ジィっと見つめるお養父様の視線が気になったらしいコランティーヌ夫人に、コホンと咳払いしたパトリックが養父の視界を遮り、サリニャック侯の連れてきたサンチェーリ司教が養父の気を引きつけてくれた。手慣れた連携である。
これ以上お養父様に突っ込まれるのも何なので、そろそろこの無意味な会話は止め時だろうか。
「それで夫人、わざわざこちらまで足を運んでいただきまして、どうかなさいました?」
「どうもこうも、公子様より熱い公女様の視線を感じていましたから」
「あら、隠しきれていませんでしたか? ですが何しろ、夫人は今最も注目を集めていらっしゃる御方ですから」
コランティーヌ夫人はラモーディオ猊下と並んでセトーナ派の中心人物でもあるから、昨夜の事件からこの方、事情を訊くならこの人だろうと皆の視線が煩いことは本人も自覚しているであろうし、それでいて容易く口を緩める気などないだろう。そもそもリディアーヌの本当の目的はそちらではない。さて、どう切り出すか。
「実は私も皆様同様、昨夜のことが気にかかっております。先日のデルフィンでは殿下を擁護したつもりですもの。それがこのようなことになるのですから」
「ええ、そうでございましたね。当然の権利です」
くしくもデルフィンでこのコランティーヌ夫人にされた無茶ぶりが役に立っている。一度はアブラーン王子とセトーナ王との間の諍いを諫め窘める協力をしたのだから、気になりますと口にしても違和感がなかろう。あの時の無視しないという選択は正しかった。
「こんなところで不用意にする話でもありませんし、如何ですか、夫人。昨夜からのお疲れに、ハーブティーなど。とてもよい茶葉を持ち込んでいるんですよ」
「まぁ、公女様からお声をかけてくださるとは」
「それから実はもう一人、ついでというわけではありませんが、是非声をおかけねばと思っている御方がいらっしゃるのです」
チラ、とあからさまにダグナブリク公の方に視線を寄越してみれば、視線を追いかけたコランティーヌ夫人は一瞬考えこみ、それから「もしかして」と振り返った。
「公女殿下も東棟におきたもう一つの密かな事件をお聞きに?」
「その様子だと夫人も」
「古くはそういうこともあったと聞いたことはありましたけれど……まさか辺境公閣下が何か策があってお連れしたとも思えませんし。驚いていますわ」
「私もです。それに耳にしてからこの方、妃殿下はさぞかし困った顔で気苦労をしょっていらっしゃるのではないかと心配になっています」
「えぇ、えぇ、まったくです」
深く頷くコランティーヌ夫人も、パラメア妃とはこの皇帝戦の間に随分と既知を得ていたはずである。リディアーヌの意図はすぐにも伝わったようだった。
「ここには仲良くなさっておられた他のご夫人方もいらっしゃいませんから、少しくらいお慰めする時間を取ることはやぶさかではありませんね」
「どうやら私の好い男が知る女性がもう一人いらっしゃるようなのですもの。変な気を起こさぬよう、先にしっかりと釘を刺しておかねばなりません」
「リディ……」
マクシミリアンが再び情けなく名を呼んだけれど、これが西大陸ジョークである。
「ほほほ。まぁ、公女殿下にはすでに一つ、借りがございますからね。そういうことでしたら、どうぞ私に一つ、お任せくださいませ」
そうパタンといつも優雅に仰いでいらっしゃる扇を閉じた夫人は颯爽と踵を返しながら、何やらロイタネン伯にがみがみと言われているダグナブリク公の元へと闊歩していった。
選帝侯相手にもまったく躊躇がない。本当に、お強いご夫人である。
そういえばあの扇……優雅に見えて、実は鋼板入りの鉄扇なのだったか。
「ミリムの好みがあぁいうのであるのなら、私も頑張らなくてはならないわね」
「えーっと……リディ、そろそろその話題、忘れない?」
「こんな衝撃的な出来事、早々忘れはしないと思うわよ?」
「そろそろこの軽口を封印する時がやって来たのかもしれない」
「あら、駄目よ、ミリム。私は貴方の軽口が結構好きなのだから」
「ごほんっっ。君達、パパの存在を忘れていないかね」
おっと。どうやらパパ上様はサンチェーリ司教から解放されたようだ。
それと時を同じくして、ダグナブリク公に話しかけていたコランティーヌ夫人がこちらを振り返り、何やらバチンとウインクをなさった。どうやらパラメア夫人を引っ張り出すのに成功したようである。
珍しくダグナブリク公の顔が苦々しそうになっているが、一体何を言われたのだろうか。やはりお強い。
そしてこの結果を見るに、やっぱり……。
「ええ、やっぱり私は貴方の軽口が大好きよ、ミリム」
「うーん。実に複雑な心地だよ」
クスリとほくそ笑んだリディアーヌに肩をすくめたマクシミリアンは、しかしそれでも好きと言われて機嫌よくなったのか、人目も憚らずゴロゴロと背中に甘えてきた。
おかげさまで、もれなくお養父様の「娘よ! パパと手を繋いで部屋に帰るぞ!」という恥ずかしすぎる言葉に晒される破目になった。
このパパと婿殿の無駄に恥ずかしい応酬は、一体いつまで続くのだろうか。
出来る事ならそろそろ落ち着いて欲しいと思う所存である。
※明日は更新お休み。次は7日に。




