1-39 館の外では
side エリオット
「うちの姫様は、こと、二人の悪友が絡むと張り合おうとなさる悪癖がある」
「……」
「……」
フィリック卿の唐突な愚痴ともいえる不機嫌この上ない声色に、取り囲む全員が顔色を濁して言葉を噤んだ。
日頃は主である公女殿下が何かと突出しているせいで失念しがちだが、彼は大公国において大公一族に次いで権威あるアセルマン侯爵家のご令息なのだ。主という歯止めが無くなったこの人を止められる人はいない。
それは、今そこで床に正座をさせられて顔を青ざめさせている皇帝陛下の直臣も同じである。
「それで、アマーテオ卿。あの場にあのタイミングで脇目もふらず二階に足を踏み入れた迂闊さについてはこの際不問とするとして、皇帝陛下の直臣を名乗ったはずの貴殿が、何故あの場でアルトゥール殿下の御名を口になされたのか」
「……その。迂闊であったことは反省しております。公女殿下を追って参ったのですが……公女、殿下が……その。あの……」
言葉を濁す気持ちは理解できる。きっと追っていった先であまりにも思いがけない恰好をしたその公女殿下に、“潜む”だなんてものが頭の中から抜け落ちたのだろう。姫様がお聞きになったら階下まで凍るような冷笑をお浮かべになることだろう。
「そ、それはともかく。後者に関しましては、誓って、私は殿下の臣ではありませんし密偵などというものでもございません。私は皇帝陛下の見聞役として遣わされた、陛下の直臣です。ただこの任につく前、皇宮でお会いした皇孫殿下に呼び止められ、諸々と忠告をされただけなのです……」
「つまり皇帝陛下の孫殿下に脅しを受けていたと。それで? 我が主の何を報告するよう命じられていたのです?」
「何、などと……ただ厄介なことに巻き込まれているようなので、危険なことが無いように振舞え、とだけ……」
「はっ。そんなお優しい方なら、我が主に悪友などとは呼ばれませんよ」
内容的には同意せざるを得ないのだが、不敬とも言われそうなことを迷いもなく口にするあたりがフィリック卿である。本当にこの同僚……主の手綱が無くなった瞬間、人が変わるのだから。
どうかご無事に。早く帰ってきてください、姫様。
「エリオット」
「はい」
急に名を呼ばれるから驚いた。
だがこちらも指示待ちだったのだ。主が無茶をしでかした以上、今すぐにでも何かしていないと落ち着かないくらいの心地でいた。今回の同行者の中にフィリック卿がいてくださったことは、ある意味不幸中の幸いである。
「ひとまずクロイツェンの殿下のことは後回しです。アマーテオ卿はこちらで監視させておくので、貴方は早急に兵力を整え、いつでも“竜の海渡り亭”に踏み込めるよう準備を。先に忍び込ませたトイからの情報を待って判断するように。それ以外の現場の状況判断については一任します」
「かしこまりました。“狼の旗”を掲げていいので?」
「かまいません。“アセルマン”が許可します」
主無くして勝手にヴァレンティン家の青き狼の旗を掲げることはできないが、筆頭分家であるアセルマン家が認めるのだ。やはり、フィリック卿がいてくれて助かった。おかげで動員できる戦力が変わって来る。
「イレーヌ商会長」
「はっ、はいっ!」
「貴殿は姫様と一緒の所も見られている。しばらくはアマーテオ卿同様ヴァレンティン家が保護する。その代わり、バレル達を貸していただきたい」
「勿論だぜ、若様」
イレーヌが返事をする前に、その護衛という名目で同行していた傭兵団長が自らの胸を叩いた。すでに団員のセーラとトイが協力してくれている。団長としても助力は惜しまずにいてくれるらしい。
「お気遣い感謝します、フィリック卿。ですが遠慮はいりません。ウォルマン商会の動向など、私の専門とするところにもまだまだ怪しい点が多いようです」
「ウォルマンか……私も隅で監視していたが、はじめは堂々と王室の専売品を出してきたかと思いきや、公女殿下と知るや否やその手の品は一切ひっこめたように見受けられた。どう思う、商会長」
「ええ。私もその点が気になっております。王室の専売品として最も名高いのは確かに香辛料ですが、公女殿下がいらしているというのに、“香”が出てこないのは不審でございました。香辛料などよりはるかに相応しい品でしょうに」
フォンクラーク産の香は、香辛料に並ぶ特産品である。中でも、フォンクラークが特産とする乳香などの樹脂香は気品があるとして神殿や王侯貴族に人気が高い。フォンクラークでは神事や王室の祭礼でも必ずこの乳香が焚かれるそうで、ゆえに一般人は手にすることができない王室の専売品とされているとか……たしか以前、そんな風に姫様が仰っていたように記憶している。
買い手を選ぶ品だけに、国の人間である公女殿下に勧めるには香辛料などよりはるかにふさわしいというのはエリオットにも分かった。
さすがにあの王太子も、乳香を持ち出すことはできなかったということだろうか?
だがそうエリオットが首を傾げるのとは裏腹に、フィリックとイレーヌは「そちらが本命でしょう」
「そちらにパヴォも紛れ込ませてある可能性が高い」などと言葉を交わしていた。
所詮、武力による制圧にしか能のない自分では分かり得ない話である。
「匂いがするだけの樹脂に一体何の価値が有るのか……」
そもそもお香の違いなんてよく分らない。そう思わず呟いてしまった言葉に、王侯の香水の好みまで完璧に把握し対処している侍従長のマクスが苦笑をこぼした。聞こえてしまったらしい。
「希少であること、そしてその希少なものを知っているということ自体が一つのステータスであり、格を示す道具にもなるんですよ。乳香は王室専売品なだけに、一般にはまず流通しません。他国の王侯も特別な伝手や政治的駆け引きでのみ手に入れることができる物なので、手に入れる事自体が才覚を示すものであり、その上神殿に寄進することで威を示すことができます。あるいは希少なものを大事な祭礼でもないのに普段使いするような贅沢も、一種のステータスとして好まれますね」
「はぁ……」
「我々の姫様はフォンクラーク産の黒茶よりヴァレンティンの花茶や青茶、ベルテセーヌの風味の柔らかな紅茶をお好みになりますが、旬には必ず黒茶を取り寄せ、嗜まれます。ヴァレンティン家はフォンクラークの特産品に対する理解がある、その価値を知っていると示すことも重要なのです」
つまり乳香も、別にその香りが好きだから云々という話ではなく、手に入りにくい品を持っている、というステータスが大事ということだろうか? 何やら呆れてしまうが、それは自分が国と国の取引と価値を理解していないからなのか。
「大公殿下がそういう物に無頓着な分、姫様は率先して身の回りや日常の品にも気を使っておいでですよ。お茶や香水は勿論、手紙などは相手によってインクの産地や色も変えます」
「……大変なのですね」
やはり聞いても価値に対する理解はできなかったが、そういう物なのだということは何となく理解した。
そんな話をしている内に、フィリックとイレーヌの間の話もまとまったらしい。いつの間にか、イレーヌが今少しウォルマン商会を探ってみるような話で落ち着いたようだ。
この商人は……一見気が弱そうな外見をしているのに、やはり古豪のやり手として名を馳せるだけある。怖いもの知らずで行動的だ。
「旦那にはうちから護衛を出す。旦那、俺は姫さんの方に行ってもいいか?」
「ええ。こっちは調査に長けたものを多めに寄越してください。そちらは宜しく頼みますよ」
どうやらおよそ話はまとまったらしい。
待機組はアマーテオ卿とその護衛だ。アマーテオ卿自身はなんとも居心地悪そうにしていたが、アルトゥール殿下と繋がっている可能性が有る以上、自由にしておくわけにはいかない。ただ名前だけは存分に利用し、リンテンの警備兵を動かすきっかけにはさせてもらうつもりだ。
それからイレーヌ組は商会長を中心に、今少しウォルマン商会の周辺を洗う。王太子の登場で断ち切れになった商談の続きをするという名目、イレーヌが内側から商会の内情の情報収集をしてくれることになった。
また別途、侍従長マクスを中心とした情報収集組も編成された。マクスは一見よくできた侍従の鑑のような穏やかな風貌をしているが、情報収集の類に当たらせるとフィリック卿をも満足させる敏腕である。マクスは姫様のカレッジ時代に自然と鍛えられたのだと謙遜するが、それはつまり姫様をも満足させるだけの才ということだ。正直、嫉妬を禁じ得ない。
だが今は実に頼もしいことである。彼らにはフォンクラークは勿論、思いがけないアマーテオ卿の関与に伴うクロイツェンや皇室側の動きへの注視も行ってもらう。いざ踏み込むとなった時の証拠探し、ないし証拠作りのような裏工作も彼らの仕事だ。
そして自分を含む騎士以下は、命じられるがままに制圧を担当する実働班だ。交渉の類は苦手だが、話し合いをしている内にもフィリック卿があれやこれやと書類を用立ててくれたので、あとはこれを持ってリンテン警備隊の詰め所に押し掛けたり、明日こちらに向かってくるルゼノール家の小伯爵に使いを遣わしたり、そんな彼らを取りまとめて“許可”を待つのが自分の仕事だ。容易いことである。
「それで、フィリック卿は?」
「私は動きがあるまで少し寝る」
「はいっ?」
免疫のないイレーヌがびっくりして思わず声をあげた。
まぁ確かに……主が今まさに大変な状況で、“寝る”とは驚くだろう。私もかつてはこういうフィリック卿の様子に、色々と驚かされたものである。
だがこれは極めて合理的な判断だ。総じて“考えること”が役割のフィリック卿の仕事は、すべての証拠が出揃った後にある。おそらく今夜は夜通し、その頭を働かせることになるだろう。だからこそ、今のうちに“寝る”というのは何とも合理的なのだ。
ただ何分、言い方には語弊がある気がする。思わず苦笑がこぼれたのは、仕方のないことである。
結論から言って、リンテン警備兵の招集は驚くほどスムーズにいった。
元々ブルッスナー家を警戒した時点で、ルゼノール家から情報は得ていたのだ。いわく、今このリンテンの港湾都市では、安定的かつ平穏な治政を歓迎するルゼノール派と、賄賂などによって旨味を占めてしまったブルッスナー派とが混在している。
港湾の管理は本来ブルッスナー家の担当であったことから警備隊にはブルッスナー派も多いそうだが、そうして治安が乱れた結果、すでにルゼノール家がテコ入れした隊もあった。今回協力を要請したのは、そうしたルゼノール家の息がかかった警備隊だ。
彼らは元々ブルッスナー家と癒着した同僚たちへの不満も強く抱いていたから、今回の一件でついにルゼノール家がブルッスナー家に鉄槌を下すつもりであることを察すると、これまで集めてきたのであろう証拠や汚職の数々を提供してくれた。
エリオットが見ても分からないものなので、これらはすべてマクスが取りまとめ、わざわざ“竜の海渡り亭”の近くに宿を取って熟睡しているフィリック卿の部屋に届けてもらった。目が覚め次第、良いようにしてくださることだろう。
リンテンで集めた警備隊の内、一部は自分の直下に配属し、残りはいざ捕り物が始まった際にブルッスナー派の警備隊を抑えるための要員として編成した。とはいえ、人数では圧倒的にこちらが足りない。
ひとまず中町を中心に要所を抑える形で編成したが、いざとなれば別邸に軟禁してあるアマーテオ卿を引っ張り出させていただく所存だ。皇帝陛下から“見聞”の勅書をいただいている直臣がいるとなれば、いかにブルッスナー家になびいていようが、歯向かう警備隊員は激減することだろう。
折角なので今の内に警備隊内には、“陛下の見聞役が滞在中らしい”との噂を流しておいた。
こうして万端に準備を整え、自らも“竜の海渡り亭”付近の路地に身を潜めて中の様子を窺っている内に、いつしか日は完全に落ち、周囲には灯りが灯り、随分と街並みもいかがわしい雰囲気が漂い始めた。
どうやら、そういう店が多い通りだったようだ。
だがこんな時間になってもまだ、店から姫様は出てこられない。やはり、何かが起きている。
「エリオット卿」
警戒を深くしている所に、薄暗闇の中からぼんやりと黒づくめの男が声をかけた。
相も変わらず、こちらにも気配を感じさせない見事な所作である。
「トイ。中の様子は分かったか?」
「セーラと連絡が取れません。何かあったことは間違いありませんね」
「……」
よくない情報である。
「いくつか情報はあります。まずあの店についてですが……」
トイの報告は、大まかに三つあった。
まず一つに、“竜の海渡り亭”という食事処についての情報だ。やはりウォルマン商会と同じ頃にフォンクラークが国の旗を掲げて開いた食事処らしく、先の帝国議会の折には随分と高価な馬車が店先に連なり続け、そこでは何度も例の王太子の姿も目撃されていたそうだ。
料理の評判は良く、シーズン以外でも客の出入りはそれなりに多いが、突然の貸切りも多いという。今夜もそれということだ。
次に建物の構造として、外観は四階建てだが、食糧庫として半地下があるという。この手の作りはこの辺では珍しくない。
店内は二階までが食堂で、二階の奥に個室スペースもある。だが周辺の聞き込みでは三階や四階に何が有るのかを知っている人はおらず、トイが様子を窺った限りでは三階には小さな個室が。四階には少々大きな空間があるようだという。
だとすると察しはつく。こういう街並みであることを考えても、三階は間違いなく客が給仕や周囲の店の女性を引き込む“連れ込み宿”だ。表立ってそんな素振りは見せていないが、この手のやましい裏の商いは立場柄見慣れている。よもやそんな場所に姫様がいらっしゃるなど……フィリック卿が聞いたらさぞかし怖い顔をなさることだろう。
そして最後の情報が、その具体的な出入り口などの情報だった。姫様はあくまでも“晩餐”に招かれたのだから、正面から建物に入った。それから出てきたとの情報は一切なく、今も建物内のどこかにいるはずである。
一方、建物にはこのほかに二つの出入り口が有る。一つは裏の食品などの搬入口だ。当然、客の出入り口とは別で、入ってすぐ地下に通ずる階段があるという。表からは厨房や働いている人達のいるスペースなどを通ってゆかねばならないような場所だから、もし姫様に何かが起きていたとして、わざわざ地下に連れて行くことは考えにくい、というのがトイの意見だった。同意見である。
ただ食品が運び込まれる、つまりウォルマン商会が出入りをしている場所であるから、もしこの建物内に目的の“パヴォ”があるとしたら、それは地下にある可能性が一番高い。つまりこれからもし踏み込むことになった場合、我々は姫様を捜索する班と、内部を制圧する班、そしてもう一つ、この地下を探索する班とを設けねばならないわけだ。
パヴォの件は出来ればリンテンの警備隊ではなくヴァレンティン家の私兵の方で抑えてしまいたいのだが、自分は護衛騎士として、やはり姫様の捜索を優先したい。そんな様子をくみ取ったのか、トイが「僕に任せてください」と請け負ってくれた。実際に探し物などは彼の方が得意分野である。
あとは裏手にもう一つ、従業員用の出入り口もあるそうだが、そちらは踏み込み口として利用した上で、あとは中から逃げ出してくる人がいないかを監視するだけでいい。リンテンの警備隊に任せればいいだろう。
「トイ、セーラの様子はまだ変わりないか?」
情報整理が済んだところで、こちらに同行しているバレル団長がトイに伺う。
一体彼らがどうやってやり取りしているのかは分からないのだが、少しの間黙り込んで目を閉じていたトイが、ふと、「動き出したね」などと口にした。
「どこだ」
「上。距離があるからはっきりは分からないけど、多分セーラは三階にいる。一人じゃないね。でも多分姫様でもない。イザベラ様やフランカ様と一緒なのかもしれない」
「そういえば騎士さんはともかく、あの侍女さんは大丈夫かね……」
「フランカは侍女だが騎士の家の出身で、武術の心得がある。心配はいらないが……」
それより、姫様だ。彼女達とは別の場所にいるというのが不安を駆られる。フランカ達がすでに居場所を把握してくれていたならいいが。
あぁ、駄目だ。らしくもなく気が急いて、意識が乱れてしまう。これが、“不安”というやつなのか。もういっそのこと今すぐにでも突入してしまってはどうか。
だがそんなことを考えていたら、コン、とバレルに頭を小突かれてしまった。
「焦りなさんな、旦那。そちらの姫さんはただもんじゃねぇんだから。黙って好きなようになんてされてやしませんぜ。いや、むしろ中ですでに騒ぎを起こしている可能性だって」
「……確かに私の想像などには及びもしない御方ですけれど……でもまだ十九の、ただのか弱い姫君ですよ」
「はははっ。それ、アセルマンの若様に言ってみろ。鼻で笑われるぞ」
「……か弱い、は取り消します」
妙に呆れたのだが、おかげで少し肩の力は抜けた。とはいえそろそろ何か動きは欲しい所だが……。
「エリオット」
背後から聞こえた声に、パッ! と期待を高めて振り返る。まだ少し眠たそうに頭を振りながら、トツトツとやってきた我らが参謀殿は、そんなエリオットを見るや否や少し呆れたような顔をした。
だが構わない。ようやくである。
「フィリック卿。もう仮眠はいいんですか?」
「優秀な君達のせいで、満足に休む間もなく書類が積みあがってくれたからな」
なるほど、マクス侍従長がいつも以上に張り切って、早々と仕事を終えたようだ。流石である。
「状況は?」
「姫様はセーラたちとは別にいるようです。すでに何かが起きているようです」
「……今にも飛び込んでいきそうだな」
「許可が有るようならすぐにでも」
「では朗報だ。イレーヌ商会長がウォルマン商会でパヴォを発見した。読み通り、乳香の中に隠して持ち込まれていたようだ。すでに警備隊が踏み込んだ」
「は?」
なんということだ。あのポワンとした商人が、まさかいの一番で功績をあげただと?
これはますます、黙っていられなくなった。
「つまり……ウォルマン商会が出入りしているあの店に立ち入る“名分”ができた、ということですよね?」
「地固めはまだ……」
「つまり、踏み込んでいい、と」
「……いや、まぁいい。そういうことだ」
この投げやりな様子。つまりフィリック卿も、すでに心配が度を越しているわけだ。護衛騎士である自分にとっては、それ以上の大義名分などない。
「踏み込みます」
「……王太子は殺すな」
言っておきますが、フィリック卿。それはむしろ私より、貴方に必要な忠告かと愚考いたします。




