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1-36 ウォルマン商会(3)

「恐れながら殿下。毒見されていない物に不用意に口を付けられるのはいかがかと」


 どうすべきか。恐る恐る口を開きかけたところで、それを制したのはまさかのアマーテオだった。

 思いがけない発言だったものだから、びっくりしてしまった。まるでうちの過保護な護衛騎士のようではないか。


「貴様。我々を邪魔するだけでは飽き足らず、言いがかりまでつける気か」

「誤解でございます、王太子殿下。しかしお立場というものがございます。公女殿下の護衛騎士も警戒しております」


 そうチラリと後ろを窺ったアマーテオの視線につられ、後ろに立っていたイザベラに視線が集まった。

 考えるより行動に移ってしまうのがイザベラなのだが、なるほど、確かにすこしそわそわと困惑した様子を見せている。


「申し訳ありません、姫様。隊長から、姫様が不用意に何かを召しあがらないよう警戒するよう命じられています」


 なるほど……エリオットが気を回していたか。多分エリオットは“パヴォ”を警戒してイザベラに命じていたのだろうが、思いがけないところで役にたった。


「貴様、無礼であるぞ」

「申し訳ありません。ですが職務ですので」


 さすがは脳筋女騎士……グーデリック王太子相手にまったく躊躇もない。


「残念ですが、イザベラの言う通りですわ。私、“お兄様”の一件もあって、外で見知らぬものを口にすることは怖いのです」


 あまり長引かせるべき問題でもないのでリディアーヌもそう演技がかった様子で口を挟むと、さすがにピクリと反応したグーデリックが、確かにと言わんばかりに飴を置いた。

 グーデリックとて、リディアーヌが兄と呼ぶ人物……かつてのベルテセーヌの王子が毒殺されたことは知っているのだろう。


「これは私が配慮に欠けていた。だが公女。私が貴女に危害を加えようなど、あるはずもないではないか。もっと信用されたいものですね」

「私とてフォンクラークの王太子殿下が私に危害を加えようなどとは思っても見ませんわ。けれど恐怖心というのはままならない物です」

「ふっ……そのように憂えたお顔も愛らしい」


 今そんな話してましたっけ? なんて言いたくなるのを堪えている内にも、ぱっと手を振って砂糖菓子を下げさせたグーデリックはおもむろにリディアーヌの手を取った。


「いかがです、公女。貴女からの信頼を得るべく、これから是非とも晩餐に招待させていただきたい。無論、毒見を伴っていただいてかまいません。私が貴女にとって恐れる必要のない男であることをお教えしましょう」


 なん、ですと?

 晩餐……晩餐、か。今のこの状況はすでにかなりのイレギュラーな状況で、現に部屋隅で若干イライラとこちらを窺っているフィリック的にはこの場は早々と切り上げて作戦会議に持ち込みたいと思っているはずだ。だがこの機会を利用しない手もないという旨味に引かれてしまう。


 晩餐に招かれるというのはかなり私的な誘いだ。しかも特別な縁が有るわけでもない未婚の淑女を誘うのに夜の誘いというのは、いささか度の過ぎた誘いともいえるが、それだけ特別な誘いとなると、目的の“パヴォ”に繋がる証拠も見つけやすくなるかもしれない。ここで断れば折角のグーデリックの関心を失うかもしれないし、今のこの状況を利用しない手はない。


「どうかご熟慮を……殿下」


 ただ事情を知らずとも何か危険な気配を感じ取っているのか、すかさずアマーテオ卿が眉をしかめて留める言葉を口にした。「そうです。いけません」とイザベラも口をはさむ。こちらは普通に護衛の観点として、上司に相談したいとの思いなのだろう。

 うぅむ。やはりさすがに危険が過ぎるだろうか。


「お誘いはとても嬉しいけれど……」

「何を躊躇います、公女。快楽と享楽を求めていたのは貴女だ。それを教えて差し上げようと言っているのです」


 ねっとりと指先が頬をなぞり、顎をはじく。

 心の底から気持ち悪いと思うが、その言葉には少なからず喉が鳴った。

 しかしそれに答えるよりも早く、「いけません!」と先ほどより強く咎めたアマーテオがリディアーヌとグーデリックの間に割って入った。

 らしくもない行動を続けることに驚いたのだけれど、思いのほか真剣……というよりもはや焦っているような面差しをしているものだから、リディアーヌも目を瞬かせてしまう。

 一体アマーテオは何をそこまで警戒しているのだろうか。いや、警戒すべきであることは重々承知しているが、アマーテオがそこまで必死に口を挟まねばならない問題とも思えない。なのにこれはどうしたことか。


「アマ……」

「貴女に何かあっては、私は“アルトゥール殿下”に顔向けできませんっ」

「……」

「……」

「……」


 んっ?!


「今、何と……」

「よもや私の目の前で殿方の夜のお誘いをお受けになったなどと申し上げたなら、一体殿下が何を仰られるやらッ。命がいくつあっても足りません!」

「待って。待って待って、待ちなさいッ」


 この人、何言ってんの?! え? 確か、内皇庁所属と言っていたわよね? つまり“皇帝陛下の臣”なのよね?! なのになんでそこで皇帝の孫であるアルトゥールの名前が出てきたの?!


「貴方、どうしてっ……」

「クロイツェンの犬だと?」


 聞いたこともないほどに低く唸ったグーデリックに、びくんとリディアーヌも思わず肩を跳ね上げた。

 不味い……これは非常に、不味い。


『ミリム君直伝、プライド男にやってはならない三つの法則~!!』


 頭の中に、カレッジ時代のマクシミリアンの言葉が思い起こされた。

 えぇっと、何だったか。王侯貴族に多い、妙に自分に自信を持っちゃっている面倒臭い男から身を守るために覚えておくべき法則だとかなんだとか。リディアーヌへの危機感教育だとか言って、マクシミリアンに妙に真剣な顔でくどくどと説かれたことがある。

 いわく、こういう男は散々褒めそやして気分良くさせた後で急に機嫌を裏切る言動をしてしまうととんでもないことをしでかしがちなので、絶対に刺激しないようにしましょう、とかなんとか。

 それから、そういう男は実は心の奥では負けを察している同性に対して異様なライバル心を抱く傾向が強いため、その相手を引き合いにしたりするとものすごく神経を逆なでることになるので注意、だったか。

 それから三つめが……いやいや、もう考えるまでもない。これはもしかしなくても、非常に不味い具合にグーデリックを刺激してしまっているのではあるまいか?


 リディアーヌがこの場にアルトゥールの配下を連れ添っていたなどと誤解されるのも不味いし、かといってアマーテオが皇帝陛下の()(もく)だなどとバレるのも困る。どちらも今後の計画に支障をきたす上に、ましてやアマーテオの発言を気にかけるなら、彼は皇帝の臣下であると同時にアルトゥールにも通じていることになる。

 この計画を、アルトゥールに知られては困る。絶対にあってはならない。

 だったら取るべき行動はただ一つ。


「ッ、どういうことなのっ?! アマーテオ!」


 パンッとアマーテオ卿を振り払いグーデリック側に身を寄せたリディアーヌに、二人の男の視線が投げかけられる。

 困惑するアマーテオと、こちらの様子を窺うようなグーデリック。失敗できない状況だ。


「アルトゥール……トゥーリですって? 貴方、クロイツェンの人間なの?」

「ッ。いえ、私は紛れもなく皇ッ」

「おだまりなさいッ!」


 クロイツェンの人間であることは否定してもらえたが、かといって皇帝陛下の直臣だと名乗られるわけにもいかない。すかさず言葉を遮ったリディアーヌに、きゅっと息をひっ詰めたようにアマーテオは口を噤む。

 このやり取りは、充分にグーデリックにもリディアーヌが何も知らなかったことの印象を与えたはず。だがグーデリックから理解のある言葉は出てこない。駄目だ。ここで確実にアマーテオを引き離さないと。


「……ッ。グーデリック殿下、参りましょうっ」

「……ほぅ? そこの“犬”はいいのか?」

「リンテンの富裕層のふりをして私に近づいてきておいて、トゥーリと通じていただなんて。とんだ裏切りだわ」

「ッ、公女殿下ッ」

「思えば貴方、最初から私のことを“公女”と呼んでいらしたわね。どうして気が付かなかったのかしら」

「何の意図で公女に近づいたのか……厳しく詮議するべきでは?」


 調子付いたようにリディアーヌをぎゅっと片腕に抱いたグーデリックが、ここぞとばかりに周りの騎士達に手をもたげる。だがさすがに、一応“皇帝の直臣”というのが本職であるアマーテオをここで捕らえさせるわけにはいかない。


「駄目です。拘束などしてはトゥーリには逆効果ですわ。一体何を企んでいるのやら」


 キッと睨みつけたところで、アマーテオも状況判断が追い付かないのだろう、たじたじと言葉に困っているようだった。

 あぁ……こんなことならもう少しちゃんとこの男について調べさせておいて、ついでにこっちの計画も支障がない程度、伝えておくんだった。いかにも真面目そうな無表情っぷりに油断してしまっていた。

 そういえばアマーテオにはまだ、リディアーヌの“別件”とやらについては何一つ情報を与えていない。だからこその、グーデリックの目の前でのカミングアウトだったのだろうが、間が悪すぎる。過度なリディアーヌの拒否反応にはさぞかし面食らっていることだろう。

 だが謝罪はしない。よりにもよって、アルトゥールと通じているだなんて。とんでもない伏兵がいたものだ。


「公女殿下っ……どうか話をッ……」

「公女。やはり……」

「アマーテオ。開放して差し上げるから、精々トゥーリに伝えなさい。リディアーヌはグーデリック殿下と親し気に出ていった、と。もっとも、伝えられるのであればですけれど!」

「ッ」


 ニヤと顔を緩めたグーデリックの機嫌が良くなったのが分かる。

 あぁなんてことだ。思わぬ出来事のせいで、退路を断たれた。もうフィリックの顔色を窺うのすら怖いくらいだ。どうしよう。


「では誘いを受けてくれると? 公女」

「是非とも刺激的で魅惑的な体験をさせてくださいませ、殿下」


 ふんと背を向けてグーデリックにすがって見せたところで、視界の端にオロオロと困惑しているイレーヌ商会長が目に留まった。そんなイレーヌをそっと制したのは、青の傭兵“竜の足跡”の女薬師セーラだ。

 ずっと大人しく存在感を消していたので失念していたが、いつの間にやらトイもいなくなっていて、団長のバレルも真剣な顔でイレーヌの後ろについている。そのセーラが団長に何かを耳打ちし、団長が頷くなりニコリと微笑んでこちらに歩み寄ってきた。

 ほのかな薬草の香りと、相も変わらずばっちりと化粧を整えたお姉様。ローブの下の女性らしい肢体が実はバキバキに鍛え上げられていることは知っているけれど、ひとたびローブに身を包んでしまえば、ただの美人さんにしか見えない。


「“使用人”が一人では何かとお困りでしょう。私がお供いたします、姫様」

「セーラ……」


 今一度チラリとバレルを窺うと、そのバレルが強く頷いた。なるほど、緊急措置ということか。いつの間にか姿の無くなっているトイは傭兵団の斥候であり隠密行動のプロだったはずだから、セーラもトイを通じて何か情報を融通しあう術を知っているのかもしれない。これからどこで何が起こるのか分からない以上、セーラが側にいてくれると心強い。


「そうね。“侍女”は必要だわ」


 そうでしょう? と言いながら粛々とリディアーヌの後ろに楚々と控えた様子に、グーデリックの視線はチラリとよぎっただけですぐに関心を失うようにそらされた。

 リディアーヌは傭兵団の皆の詳しい来歴などまったく存じていないのだが、セーラの所作は恰好とは裏腹になんとも様になっている。侍女らしい立ち位置とちゃんと貴族階級出身らしい雰囲気の立ち居振る舞いだ。

 逆に侍女であるはずのフランカはすぐに意を汲んだ様子で、セーラの後ろに“メイド”のように付き従った。フランカは自分の身を守ることが出来る戦える侍女なのだが、本職というわけではない。そういう意味でも一番危険な場所からフランカを離せたことは安堵の至りである。

 ただ護衛騎士のイザベラは見るからに護衛騎士にしかみえないから、誤魔化しはきかない。連れて行かないという選択肢も不自然であるため、もれなく戦力に加わってもらう。

 まだ何か言いたそうだったアマーテオはいつの間にかうちの侍従のマクスがこそりと掴み止めてくれていた。マクスがいるなら大丈夫だ。ちゃんとここから連れ出して、ついでにアルトゥールなんかに報告をしないよう、必要な手は打ってくれるはずである。

 それから……あぁ、いつの間にかフィリックがいなくなっているではないか。あんなに目立つ外見なのに、どうしてバレなかったんだろう。不思議すぎる。

 だがいないということは、すでに頭を抱えて深いため息を吐いた後、なすべき行動に移っているということだろう。頼もしいような、恐ろしいような……。


「ところでグーデリック殿下。晩餐にお招きいただくのであれば、お時間をいただきたいわ。このような格好では失礼で……」

「何を言う、公女。そのままで十分に愛らしいではないか」

「……」


 あぁ、うん。はい……そういうご趣味なんでしたね。


「だが……その帽子は確かに邪魔だな」


 つままれた帽子がツイと地面に投げ捨てられる。

 帽子の中に入れてあった髪がふわりと背中を舞うと、グーデリックはさらに機嫌良さそうに髪を一筋手にとり、恍惚として深く口付けた。


「あぁ……本当に。なんと素晴らしい……」


 うっとりとしたようなその言葉にぞくりと背を震わせながら。


「嬉しいわ、殿下……」


 崩すこと無い偽りの笑みを張り付けて、差し伸べられた腕に手をのせた。

 これほどまでの屈辱を与えてくれたのだ……絶対に、逃がすものか。

 精々今の内に、自分に酔いしれておくといい。






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