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10-42 公爵夫人と私(1)

side ヴィオレット

「長く抜けちゃってすみません」


 涙を拭いパンパンと頬を叩いて気合を入れなおし屋台に飛び帰ると、そろそろ店じまいが始まっていた。その様子に慌てて手を貸し、アニサ夫人の手から重たい鉄板の山を引き取った。


「お帰り、ヴィオ。すっきりとした顔になったね」

「え? そ、そうですか?」

「アレ、貴族じゃねぇの? いじめられなかったか?」


 生意気を言うラジは売り払わずに確保しておいたらしい自分のためのクリームパンを頬張りながらそんなことを言う。


「そんなわけないじゃないっ。あの人は……その。何というか、私の憧れの人で」

「ふぅん。俺はあぁいうお高く留まってそうなの、嫌いだけど」

「そんなこと言わないで、ラジ……」


 いいや。自分も少し前まで、そんなことを言っていたのだ。だが今は何かと胸の内が複雑で、この感情をどう表現したらいいのか分からずにいる。

 お高く留まって……確かにあの人はいつもヴィオレットに冷たくて、会うたびにむけられる蔑みのような視線が少しも優しくなくて、いわゆる王侯貴族なんていうものはみんなそんなのばかりだ。そうではない側近達も得られたけれど、結局大半はそうではない人達ばかりだった。

 それに比べると、ちっとも歯に物着せず心に寄り添ってくれる町の人達は、彼らをお高く留まっていると称しても問題ないほどに優しく、温かい。

 ヴィオレットの立場を知っているリベルテ商会幹部の夫人でもあるアニサは、言葉に困っているヴィオレットの代わりに「こらっ、うちのお得意様にはそのお貴族様もいるんだからね」と叱り飛ばして話題を逸らしてくれた。

 彼女達は、もしもヴィオレットが何も持たないただのヴィオレットでも、こうして変わらず接してくれるのだろうか?


「それよりお嬢様、そろそろ日暮れだし、お迎えの時間だよ。軽いもんだけ詰め込んで、先に商会に戻ってしまいな」

「……でも片付け」

「いいから、ほら行った」


 そうい背中を押されるままに荷馬車に乗せられてしまう。

 もっと、あそこにいたかった。お貴族様ってやつがどれほど怖いかをラジに語りながら、皆でわいわいと後片付けして、それで『これじゃあ清めの体力なんて残らない!』なんて騒ぎながら夜通し祭りを楽しんで……でも朝には変わらず、せっせとパンを焼いて、寝ぼけ眼のご近所さん達に『飲みすぎですよ』なんて文句を言いながらパンを配るのだ。

 そんなささやかな……ただの平穏な日常が、恋しい。


  ***


「お祭りは満喫できましたか? ヴィオレット様」


 商会に戻ってすぐ、すでに待ち構えていたフォンクラークからの迎えの馬車に乗り込んだ。

 フォンクラークの離宮は実に異国情緒あふれる作りをしていて、しかしそんな雰囲気とは一風変わった帝国風と折衷様式で建てられた離れが、今現在ヴィオレットを匿ってくださっているセリヌエール公爵殿下夫妻の住まいだ。

 玄関をくぐるとすぐにも、休日にしか見せない異国風のドレスを纏った夫人が出迎えてくれた。

 ふっくらと柔らかな体躯に甘やかなブラウンの髪と、高位貴族というわりにはおっとりと穏やかな雰囲気を漂わせた付き合いやすそうな女性だ。


 もしもこれが物語の中の世界なら、きっと目立たない脇役としてちらりと名前が出るだけの登場人物だろう。実際、ヴィオレットの知る本の中でも、彼女は主役級の登場人物達に少しの助言をするただの昔馴染みというポジションだった。だから初めはあまり、注目もしていなかった。

 だがそれがどうしたことか。アルトゥールに抱いた不信感と自分がどうしたらいいのかに迷って立ちすくんでいたヴィオレットに手を差し伸べ、『とりあえずうちにいらっしゃいな』と暖かい馬車に乗せてくれたのは、そんなモブだと馬鹿にしていた彼女だった。

 でもだからこそこんなにもここは居心地がいいのだと思っていた。彼女はギスギスとして恐ろしい主要人物達とは違う、設定のポヤンとした存在だからと。

 しかしただ優しく柔和な貴婦人だと思っていたこの人が、よもやアルトゥールとまともに議論し合うような人で、あのリディアーヌ様に親友などと呼ばれる人物だなんて……分かっているようで、ちっとも分かっていなかった。

 この人もまた、笑顔という仮面をかぶった根っからの王侯貴族の一員だったなんて。


 そんな不審そうな視線にもすぐに気が付いた夫人は、少し困ったように微笑んでから、「お茶にいたしましょう」とヴィオレットをサロンに誘った。

 着いて行くのは少し気まずい。いっそ、今日は疲れてしまいましたからと言おうか。だが返答をためらっている内にも夫人はそそくさとサロンに入ってしまった。それを無視して部屋に帰ることは流石にできない。


 サロンにはいつもの珍しい香りお香は焚かれておらず、とても素朴でシンプルな、生花の香りがしていた。原因はソファーの傍に置かれた大きな花瓶のオレンジの花束だ。

 離宮の中は清めが行われている最中なのに終わる前から花束が飾られているのは妙な話だ。でもきっとそれは彼女の夫が彼女に捧げた、花祭りの愛の花なのだろう。

 あぁ……羨ましい。彼女には、彼女を愛し、いたわる優しい旦那様がいるのだ。自分とは違って。

 そんな見苦しい妬みをもやもやと胸の内に起こしている内にも、夫人は手ずから茶器に茶葉を入れ、湯を注ぎ、綺麗なガラス瓶にミルクと砂糖を移してゆく。

 ヴィオレットはまだ、このナディア夫人の他に自らそのようなことをする王族に出会ったことがない。けれど彼女は毎日、食後には旦那様のためにそうやってお茶を淹れるのだ。

 最初はそれが彼女の優しさなのだと思っていたけれど、そう言えば彼女は困った顔で、『フォンクラークではこれが普通なのです』と言った。そう言われてようやく、以前にナディアとシャリンナのヘルミーナ妃が、両国ではお香の調合や茶葉の調合が夫人の嗜みなのだという話をしていたことを思い出した。

 今更思い出すほどに、自分はその話をちっとも真剣に聞いていなかったのだ。それを思い知った。


「お顔の色が優れませんね。商会のお手伝いは楽しくありませんでしたか?」


 ふわりとまろやかな花の香りに、温められたたっぷりのミルク。差し出されたきめ細かな真っ白なお砂糖。うんと甘くして飲むのがフォンクラーク流だ。


「有難う御座います、ナディア様。いただきます」


 楽しかったのか、楽しくなかったのか。答えに困りつつ、差し出されたお茶を一口飲めば、ふわりと口の中に甘味と香りが広がった。ヴィオレットの自慢の侍女達でさえ、こんなにも特別な味には淹れられない。


「おいしい」

「それは良かったですわ。癖のある茶葉ですから、ミルクを多めにしました。お砂糖はもっと入れても美味しいですよ」


 そういってヴィオレットの倍はお砂糖を入れた夫人は、とてもうっとりとしたいい顔でお茶を飲む。あの女性らしいふくらとした体格は、きっとお砂糖でできているからに違いない。

 そうしてひと心地ついたところで、ふぅと息を吐いて茶器を置く。

 少し、混乱していた感情が落ち着いた気がする。


「今日はお出かけを許していただいて、有難うございました。とても楽しかったです」

「それはようございました」

「あの……ナディア様もお出かけになられていたのですよね?」

「いいえ、私はこちらの離宮におりましたわ。フォンクラークでは屋敷の女主人が清めの指揮を直接取るんです。他の国とは少し違っていますけれど、家のことはすべて女主人の仕事、というのがフォンクラーク風ですわね。そのかわり、私達女性が政治の舞台に立つことはありません」

「そんな……」

「勿論、表向きに、ですけれど」


 少しお茶目にそう言い加えたナディアに、思わずほっと顔がほころぶ。

 今まではただそういう性格なのだと思っていたけれど、もしかするとこれも、相手の表情を読み、好みを知り、わざと相手を解きほぐすために用いている手段でしかないのかもしれない。そう思うと胸の内がもやもやとする。


「やれやれ。どうやらどこかで誰かが余計なことでも吹き込んだご様子ですわね。外出先で、どなたか様にお会いになられましたか?」

「……日暮れ時に。リディアーヌ様に……」

「あら、まぁっ。公女殿下がお忍び歩きとは珍しい。ザクセオンの公子殿下がご一緒だったのではありませんか?」

「え? あ、ええ。そうですね。おそらく隣にいらした背の高い、金の髪の方が……」


 そこまで言ってようやく、自分がリディアーヌ以外誰も目に入っていなかったことに気が付いた。なんてことだ。


「ふふっ。若い女性達の熱い眼差しを一手に受けるザクセオンの公子殿下を“いたかもしれない”扱いだなんて。まったく、相変わらずヴィオレット様は面白い御方ですわね」

「い、いえ……私、まともに挨拶すらしなかったことに今更気が付きました」

「カレッジからこの方、皇太子殿下や公子殿下に群がる女性ばかり見てまいりました。なのに貴女様はそんな公子様よりリディアーヌ様しか目に入らなかったというのですから、私とはとても気が合いそうです」

「ナディア様もそうだったのですか?」

「ええ。私は、それはもう熱心でしたわよ。フォンクラークではあまり女性が表舞台で政治的な発言をすることが好まれない風潮が強いのですが、あの方は編入されて来てすぐ、出会ったその日から鮮烈な印象で、『あぁ、私はこの人になりたかったのだ』と思わせるほどに眩い、私の理想でした」


 それはカレッジの頃の話だろうか。

 そういえばアルトゥールもリディアーヌ達も、皆カレッジでの同級生だ。その頃の話をヴィオレットは良く知らないし、アルトゥールも特に語りたがらなかったから聞かなかった。聞けばリディアーヌと睦まじかったエピソードでも出てくる気がしたから、聞きたくなかったというのもある。

 だがそれにしても無関心過ぎたのは確かだ。ヴィオレットはてっきり最初から皆知り合いであったかのように感じていたが、当然そんなはずはない。リディアーヌが編入生であったことさえ、今更気が付いた。だが確かに、カレッジに入学する十歳の年の頃、リディアーヌはベルテセーヌにいたはずだ。そんなことすら失念していた。


「ナディア様は一学年から、聖都のカレッジなのですか?」

「いいえ、私は三年からですわね。最初の二年は家で花嫁修業をしていましたけれど、私が思い切って勉強をしたいというと、驚きつつもすぐにお父様が手続きしてくださいました。ただフォンクラーク国内では女性ががつがつと学ぶのははしたないと言われますから、目が届きにくい聖都のカレッジへ。私は両親に恵まれましたわ」

「とても良いお父様なのですね」

「ええ。我が家は祖母の力が何かと強かったですから、そのおかげでしょう」


 ふふっ、と愛らしく笑いながら二杯目のお茶を淹れるべく席を立つ後姿を見やる。

 彼女の祖母がフォンクラークの王族で、母も属国出身の王族であることは知っていた。だが彼女はちっとも王族特有の固い雰囲気がない。それほどまでに、“王族出身”と“王族育ち”は違うものなのだろうか。


「あの……ナディア様。少し、失礼なことをお聞きしてもいいですか?」

「私はよほどの事でないと失礼だなんて思わない性質ですよ」


 朗らかな返答にホッとしながら、でも少しの緊張にごくりと唾を飲み込む。


「ナディア様のご友人達は、その……つまり、皆、王族なわけですよね?」

「ええ。フィレンツィオ様や、もう一人の属国出身の友人を除いてですけれど」

「ナディア様はそういった方達といて、ご自分を、その……どちら、だと、思われていたのですか?」

「どちら、というのは……私が支配者側か、それとも彼らに従う臣下側か、という意味でしょうか?」

「……えぇ」

「でしたら迷うことなく、後者ですわね」

「っ……」


 ちっともそんな風には見えない。だから驚いたのだが、そんな表情を敏感に見て取ったナディアはわずかに微笑みながら、ヴィオレットにも二杯目のお茶を注いでくれた。


「王族の傍系と直系には大きな(へだ)たりがございます。生まれた時から背負っている覚悟も重荷も、まるで違います。彼らが幼い頃から“どうやって王として人々を従えるのか”を学んでいる時、私達は“どうやって王に忠誠を示すのか”を学びます。むしろ下手に王族の傍系なんかの血を引いているばかりに、普通の臣下よりも徹底して“出すぎぬ真似”を学びましたわ。下手をすれば王位転覆を目論んでいると言われかねませんもの。最初から王弟殿下としてお生まれになり後に貴族としておくだりになられたバルティーニュ公と、王女降嫁を受けたことのあるだけの我が家は違います。私はあくまでも、臣下の娘です」

「……」


 それはまるで、“貴女もそうですよ”と言われているかのようだった。

 ベルテセーヌにおいて、母ブランディーヌは王女と呼ばれないだけで、それに代わらない立場の人だった。なんなら王の妃などよりもよほど権力があり、大派閥を率いていた人でもある。

 ヴィオレットはヴィオレットとしての記憶が生まれてからずっと、自分が誰かに忠誠を誓う方法なんて学んだことも、そんな心得を説かれたことすらない。すでにそこから、(いびつ)だった。

 なのに前世の記憶という見た目よりはるかに長い経験を持っていながら、ヴィオレットはそれに気が付きさえしなかった。


「ただ臣下の娘とはいっても、父は腐敗甚だしかった我が国の一線を守ってきた立場ですし、祖母の存在も重きを為していましたから、私も幼い頃にはそれなりの(おご)りがございました。女性がてらに政治や経済を学びたいなどと生意気を言ったのもそのせいでしょう」


 ヴィオレットの感覚ではそんなの生意気でも何でもないが、きっとフォンクラークという国ではそうなのだろう。


「その生意気が許される環境に育ったことは、私の何よりの幸運であったと思っておりますわ。そうでもなければ、臣下の心構えから、突然殿下方の対等な友人になどなれません。いいえ、今だって私は彼らに対して、自分が対等などとは思っておりません。それでも少しでも肩を並べられたらと、私もそれなりに、努力を致しました」

「努力……」

「初めてアルトゥール殿下に議論を吹っ掛けた時は、まったく、恐ろしかったですわね。後々何度も思い出しては、そのたびにガクガクと情けなく震えたものです」

「……」

「その点、リディアーヌ様はお優しかったですね。あの方は一方的に議論に引きずり込む皇太子様方と違って、まずはじっくりとこちらの話を聞いて下さいます。だからとてもお話ししやすくて。まぁ、そのかわり油断していると後から怒涛のように論破されてぐっさりと深手を負うのですけれど。ふふっ……でも私の言葉をちゃんと聞いて、答えてくださっているのだと思うと、嬉しくもありましたね」


 そういう話を聞くと、ナディアは十分に特別な人だ。臣下側だなんていうのが不思議なほど、彼らと肩を並べているように感じる。

 だがそういうと、ナディアは再び首を横に振って、「そんなことはありません」と言う。


「私はそういう立場であるために、リディアーヌ様の庇護をいただくという選択をしました。リディアーヌ様は若い女性に甘いところがありますから、存分に甘えて、私を大切に思っていただくよう努力しました。勿論リディアーヌ様はそんなこと百も承知でしょうが、そうした私のしたたかさを気に入って下さって、友と呼んでくださるのです」

「……私は王侯貴族の、そのような駆け引きが……その。苦手、で」

「あら、はっきり“嫌い”と仰っていいいのですよ?」

「っ……いえっ」

「無理もございません。私だって好きではありませんもの。でもそうしたくなるほど魅力的な方達にお会いした時、私はもうなりふり何て構っていられませんでした。私もあそこにいたい。あの方達と対等に議論し合える場にいたい……だから私は、当時の婚約を破棄して、今の夫を選びました」

「え……」






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