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10-41 パン売りの少女(3)

 話し込んでいる内にもポツポツと街の灯りは増えている。

 リディアーヌはこうやって、遠くから城下を眺めるのが好きだ。ヴァレンティンは城の立地的にも街を見下ろせる場所は多く、気に入っている公女府の棟屋なんかも、城と町が両方見渡せる場所として気に入っている。

 あの小さな灯り一つの下で、人々は一体どんな風に暮らしているのだろうか。

 何が好きで、何を喜びにし、何を楽しみに生きているのだろうか。

 今日は帝都での花祭りで、育てた花を家に飾って自慢し合い、あるいは男性が女性に花を贈り、いつもは無口な殿方すらも懸命に愛の言葉を囁く日なのだと知った。

 花を身に着ける女性には見知らぬ人達までもが『お似合いね』と声をかけ、祝福する。だから女性達は沢山祝福してもらおうと、一番きれいな花を選んで、一番綺麗になるように自分に飾ってもらう。

 人々が脈々と受け継いできたその慣習は、少し恥ずかしいけれど愛おしく、ずっと続いてもらいたいものだ。

 本来は厳粛な清めの祭礼だったはずが、年の瀬よりも華やかなに街を彩る祭日に代わった。それもまた歴史で、あるいは今後も変わるのかもしれない。でももし変わるとしても、それは元の形を尊重したまま、そこに住む人達が考え、工夫し、変えていくのだろう。そんな人の営みを、愛おしいと思う。

 それを蔑ろにされることは、一国の国主となる立場として、許しがたい冒涜なのである。


「ここは、本の世界じゃないのね……」

「……」


 ひくひくとしゃっくるヴィオレットの言葉に、関心なんてない。


「私の知っている人柄と、現実との人柄は違っていて……ちっとも優しくなんてなかったわ。でも……」


 熱い視線を感じてチラリと振り返れば、感情を隠すこともせずにリディアーヌを見つめるヴィオレットの顔に、笑みが浮かんでいた。


「私は私の知るあの本の中で、貴女が一番素敵で、一番かっこいいと思っています。そしてやっぱり貴女だけは、思った通り。私が知っている、一番好きな、リディアーヌ様だわ」

「……」


 知ったこっちゃない。

 何なら勝手に知った気でいられることは不愉快だし、勝手に好かれていることも気持ちが悪い。本の中の登場人物と同じだなどと言われて喜ぶわけもなければ、好きと言われてニコニコできるようなお人好しでもない。結局その言葉だって、彼女の独善的な勘違いで、あて付けだ。だからちっとも気に入らない。

 でもそれでも、彼女が何か重たい枷のような物から少しでも抜け出せたことは、確かなのだろうと思う。


「私は無知で、愚かです。だから教えてください、リディアーヌ様。私はどうしたらいいのか……アル……皇太子殿下は、私をどうするつもりなんでしょうか?」

「もしも貴女がこのまま何もしないのなら、教会に送られるでしょうね。皇帝になろうがなるまいが関係なく。貴女は教会の中でもひときわ厄介で過激な、“原典派”に対する備えであるようだから」

「原典派……聖女信仰の一派ですね」


 はぁ。そんなことは知っているのか。知っていながら、どうしてうまく立ち回れないのか。


「私はそれが皇太子殿下の力になると思って……私にできることだと自負して行動していました。でもそうではないのでしょうか」

「最初はそうだったでしょうね。でも原典派が望んでいるのは“原典”よ。それを私しか持ちえないことは、貴女も知っているんじゃないかしら」

「……はい。つまり名ばかりの聖女では意味がなかったんですね。でも原作では……」


 そう口にしてすぐはっとした顔をしたヴィオレットは、慌てて首をブンブンと横に振った。

 原作なんて関係ないのだと思い出したのだろう。


「確かそのゲンサクでは、私がトゥーリの皇后になってオシマイ、なのだったかしら?」

「え、えぇ……はい」

「当たり前だけど、私は私のことを誰より分かっているつもりよ。私はいくら気を許した友人とはいえ、父を殺し私の運命を全部ひっくり返して散々苦しめてきたクロイツェン七世の孫になんて、よほどの理由でもない限り嫁いだりしないわよ。どうしてクロイツェンによってすべてを壊された私が、クロイツェンの王統譜にクリストフ二世の娘の名前を載せてあげないといけないの? すべての子孫に“恥知らず”と言われるようなことを、何故?」

「っ……はい」

「それは自ら死を選ぶよりも辛い選択をしたという悲劇だわ。なのにそれでも私がそうしたというのなら、自分の名と尊き父の名を汚さねば収まらないと覚悟するほどに、この帝国が瀬戸際に立たされていたということなのでしょう」


 抑止力――教会原典派と聖女を帝国の者として引きずり出そうとするすべてに対し、もはやかつてのクリストフ二世のような存在がベルテセーヌに存在しない今、守れるのがアルトゥールしかいなかったのだとしたら。

 あるいはその逆で、アルトゥールが皇帝になった時、どうしても賛同し得ない彼の強硬な政策の数々に対し、“皇后”としてそれに歯止めをかけるのが自分の役割なのだとしたら。

 自分の名誉よりも、ベルテセーヌの子、ベザの子孫として、帝国の安寧を選んだ未来。そういう未来も想像できるかもしれない。

 だがそれはリディアーヌがヴァレンティンの公女という未来を選ばなかった場合の選択肢でしかない。そんな未来は絶対に来ないし、来させない。


「貴女が不用意にアルトゥールに情報を漏らしはしないと見込んだ上で、馬鹿馬鹿しくも自分から面倒くさい教会の派閥争いに足を突っ込んだ貴女に言っておくけれど、私はその原典派を潰すつもりでいるわ」

「つ、つぶ……」

「もうすでにそのための手はずは整えているし、そのための手段も練っているわ。中途半端にそこに貴女に口を突っ込まれるのが煩わしいと思っていたけれど、その調子なら口は挟んでこなさそうね」

「……」


 もう何が何だか分からないと言った様子の彼女は、もとより警戒の必要なんてないものだったかもしれない。


「もしも貴女がこのまま教会に身を置きたいというのであれば、好きになさい。でもそうではないというのであれば、早晩、身の振り方を考えなさい。皇帝戦が今回の一度とは限らないのだから、トゥーリに契約の続行を求めるもよし。契約失敗の代償を支払って離縁するもよし。それは私の知ったことではないわ」

「……離縁……」


 全く考えなかったわけではないだろうに、何をそんなに悩む必要があるのか。それほど、あの暴君が好きなのだろうか。実に変わった趣味である。


「悪く、ないですね。そしたら私、商人になって、旅をしながら物を作りたいです。もし教会に行くことになったら、その時は落ち星が何なのかの研究とか、あと教会の薬草にも興味があります。もっと流通させられれば、沢山の人を救えるはずなのにといつも思っていたんです。やり方は……その……叱られたばかりなので、ちゃんと勉強しないといけませんが。でも、こんなところで無理にお妃さまをやっているより、ずっと想像できる未来です」


 随分と前向きで、楽観的なことである。

 すでに中途半端に“未来を知っている”などと愚かなことを豪語してしまっているヴィオレットを、果たしてクロイツェンが素直に開放するかどうか。下手をすれば彼女は適当な罪を着せられどこかに幽閉され、あるいは命を奪われる可能性だってあるだろうに、そんなことすら思い浮かんでいないのだろうか。

 だが知ったことじゃない。そんなことまで責任を持ってあげるほど、リディアーヌは彼女を親しい人間だとは思っていないのだから。


「まだ皇帝戦も終わっていないのに……お気楽なこと」


 だからこそ、彼女は“向かない”のだ。

 粗末な身なりで粗末なエプロンを身に着けて、頬に煤を付けて小麦をこね、パンを焼く。その方がよほどお似合いだ。


「貴女とお話しできて良かったです、リディアーヌ様」

「私は別に良くなかったわ。すっかり気分を害されたもの」

「でも私は良かったです」


 あぁはいはい。もういいわと手を振り、背を向ける。

 そうすればすぐにでもぺこりと腰を折ったヴィオレットも去ってゆくかと思ったのだが、ふと思い出したことがあって、「あぁ、待って」と振り返りそれを呼び止めた。


「なんだか一方的に貴女のためになる事ばかりで気に入らないわね。貴女も情報を置いて行きなさい」

「え、えっと……はい。私に答えられるものならそうしたいのはやまやまですが」

「貴女、“キリィ”をどうしたの?」

「え?」


 キョトンと首を傾げるヴィオレットに、少しの苛立ちが募る。

 胸の奥底で淀んでいた不安が、良くない方に刺激されたせいだ。


「キリアン。マグキリアン・ペステロープよ。貴女のところにいるはずでしょう?」

「……あの。キリアンが、どうかしましたか? その、本人からも以前、リディアーヌ様にお会いした、という話は聞いたんですが……」

「貴女の成婚式の後、キリアンは私に暇を申し出て貴女の所に戻ったはずよ。知らないの?」


 あぁ、嫌だ。嫌だ嫌だ。

 何故こんなにも痛々しく心臓が飛び跳ねているのだろうか。


「いえ、確かにキリアンは側近としていてくれていましたっ。あの、でも……」


 でも、何だというのか。

 何でもない。今も傍にいる。普通に、幸せに、日常を送っている。

 なぜそう言わないのか。


「先帝陛下が身罷られた後、もう仇はいなくなったから、と……そう言ってリディアーヌ様の所に帰ったんじゃないんですか?」


 あぁ、ほら……やっぱり。

 中途半端に引き入れて、中途半端に投げ出して。監督責任すら持たずにこの体たらく。

 ヴィオレットの元に戻したのは間違いだった。

 キリアンの言葉を信じたのが馬鹿だった。

 フィリックの言う通り……もっと、厳しく、冷静に判断するべきだった。


 ねぇ、キリアン。かつての幼馴染。私達の何の愁えもなかった幼い時代を共に生きてくれた、私の思い出の欠片の一人。貴方は今どこで、何をしているの?

 素朴な幸せを選んだキリエッタという妹を放っておいて、どこで、何をしでかそうとしているの?

 お兄様はそんなことのために、貴方達を命からがら、連れて逃げたわけではないのに。

 あぁ、なんて使えないヴィオレット。

 やっぱり彼女は、私にとっての災厄だった――。


「もう、聞きたいことは無いわ。用が済んだのなら行って」


 ぱっと背を向けたリディアーヌは、その後ヴィオレットがどんな顔をして、どんな風に去っていったのかを知らない。

 ただ固く手すりを握り締め、どんどんと暗くなってゆく景色に見惚れることも忘れて唇を噛みしめていたら、いつの間にかマクシミリアンが後ろに立って、段々と冷えてきた風から覆い隠してくれていた。

 この温もりがなければ、どうしてこの感情に耐えられていただろうか。


「まったく、困った性格だね、リディは。難しいことを考えずに遊び(ほう)けるってことが出来ないんだから」

「……ヴィオレットのせいよ。つい先程まで、世の中のただの女の子のように浮かれていたし、浮かれたまま一日を終えるつもりでいたわ」

「うん……」


 すりと頬が髪を撫で、冷たくなった掌を握りこむ。

 じわじわと固くなっていた指がほどかれ、張りつめていた呼吸が解かれてゆく。

 少し、落ち着いた。


「ミリム……」

「何?」

「……キリィは……」

「……」

「キリィは、お兄様が助けた、大切な私達の過去なの」

「うん」

「たとえ道を踏み外しても、それは不甲斐なかった私達のせいだから。私達が、彼から親も兄弟も親戚も、家も故郷も何もかも、すべてを残酷に奪ってしまった原因だから。だから何度だって手を差し伸べて助けてあげねばならないと……そう、思っていたの」

「君達兄妹にとって、本当に大切な人達だったんだね」

「ベルテセーヌで過ごした六年間に、両親の記憶はほとんどないけれど……でもお兄様とキリィとエッタの兄妹と四人で過ごした記憶は、沢山あるの」

「うん……」

「……」


 ふるりと嫌な予感に肩を震わせ、大きな腕の中に額を寄せる。

 こうしていないと、不安で押しつぶされてしまいそうだった。


「知らなければよかった。関わらなければ、良かった……」

「うん。でも過去は変わらない」

「……ミリム……」


 言いたくない。口には出したくない。

 でも本当はずっと、分かっていた。


「キリィには、リュスとトゥーリを殺そうとする、理由があるわ……」


 いわれはない。でも理由はある。彼がそう狂ってしまう可能性は、確かにある。

 それでもゲンサクとやらを知るヴィオレットがその手綱を取って、道から遠ざけてくれていたらと願っていたのに。

 あぁ、最悪だ。この脳裏によぎるのは、嫌な未来ばかりだ。


「……帰りましょう、ミリム。話し合うべきことが増えてしまったわ」

「やれやれ、困った人だな。本当なら夜景にうっとりと気を緩めた君に、キスをねだってもらう予定だったのに」

「……もう、貴方ったら」


 思わず呆れた顔をしたところで、くすりと悪戯に笑うマクシミリアンが、手になにやら花束ではない妙にいい香りのする茶色い紙袋を持っていることに気が付いた。

 はて……何だろう。どこかで見たような紙袋なのだが。


「あ、これ? さっき去り際、ヴィオレット妃がくれたんだけど。多分、パンじゃないかな? 食べる?」

「……ふぅぅぅ」


 なんて緊張感がないのだろう。

 まさかヴィオレットの焼いたパンだろうか。食べたくない。でも妙にお腹がすく。


「……毒味は、貴方がしてくれるの?」

「勿論。甘いパンだったらリディ、食べれないもんね」

「……食べるわ」


 それを一口食べてみれば……少しくらい、大嫌いなあの子のことも、分かるのだろうか。

 そんな義理は無いけれど。


「ところでもう“甘いもの断ち”の罰は終わりってことでいいんだよね?」

「ふふっ……ええ。そうね。そうしましょう」


 口に入れた、ほろほろと崩れる砂糖のかかったパンは、やっぱり気に入らないくらい甘ったるくてねちゃねちゃしていて。

 でもそれは、この鮮やかな賑わいに満ち溢れた町の光景にとても似合いのパンだった。






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