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10-38 リナリア

 春天の祭祀はとても簡単なものだ。

 皆でぞろぞろと聖堂に向かい、祭主がいつも通りのミサをして、国主に摘み立てのベルブラウで作った花冠を差し出す。国主はそれを花冠の乙女に捧げて、乙女は聖堂から花びらをまき散らしながら後ろから灰を撒きながら歩く聖職者達を引き連れ聖堂の周りをぐるりと一周するだけだ。

 ヴァレンティンで行う時は大聖堂から城まで花で飾られた竜車でゆっくり渡り、集まる国民達に花をまき散らし、聖職者達は集まる子供達の額に灰を擦り付けて行き、最後に城のバルコニーから国主による春告げの祝いの言葉がある。けれどここではそんな必要はないので、余計なことはせず、ただ娘に花冠を授けてほくほくとご機嫌な大公様と、薄くてヒラヒラした花冠の乙女の扮装をするリディアーヌがお気に召したのかじゃれつく大きな狼さんを引き連れて、集まった離宮勤めの者達に花びらと灰の入った小袋を授けただけで終わった。


 皇宮でも皇帝陛下がいる時はそれなりに大きな規模で祭祀が行われるが、今は先帝の喪中ということもあって、規模は随分と縮小されて行われているらしい。だが町中ではそれも知ったことかと、早速祭祀にこと付けた花祭りというお祝いが開かれているそうだ。

 今頃、沢山の花を飾った町中に、城下の教会の聖職者達が灰をまき散らしながら練り歩いていることだろう。

 改めて考えてみても、花びらと灰が一緒に降り注ぐというのは、まったく、なんておかしなお祭りなのだろう。清めたいのか汚したいのか分からないではないか。


 ただそう言ったら、祭祀を終えさっそくリディアーヌの私室で貴重品を取り出して磨き始めた侍女達が、「でも灰を溶かした水で拭うと油汚れやガラスの汚れがとても綺麗になります」と言った。

 ふぅん。そういうものなのだろうか。

 ひとまず離宮内も一斉奮起した使用人達が早速清めを始めたようなので、リディアーヌも邪魔をしないよう、いつもよりどことなくざわついた賑やかな様子を感じつつ、執務室に籠って国許から送られて来た書類の処理に邁進した。

 気が付けばもうすっかりと日は暮れていたので、むしろ何にも煩わされずにおざなりになっていた仕事を片付ける日と言う意味ではいい一日だったかもしれない。


  ***


 ただ問題は二日目だ。

 今日はリディアーヌの私室にも清めが入るので、その差配のためにといつも以上にきっちり髪を結い上げ奮起しているマーサに「さぁさぁ、お出かけの準備でもなさってくださいませ」と、意見を求められる間もなくお忍び用の町娘の恰好をさせられ部屋から放り出された。

 いつもなら気遣ってくれそうなハンナも、今日は日頃から手が届かない場所までしっかりお洗濯できる絶好の機会と思っているらしく、マーサの味方である。一緒に追い出されてくれたのはフランカだけだった。


「追い出されてしまったわね、フランカ」

「ふふっ。帰っていらっしゃる頃には冬の間に煤けた暖炉もピカピカになって、すっかりと心地の良いお部屋になっていると思いますよ」

「貴女は掃除を免除されて嬉しそうね」

「いいえ、私は明日の執務室のお掃除の差配を任されているのです。そのための気力を養う一日です!」

「そ、そう……」


 今にも袖をまくり上げそうな熱心なフランカを見ていると、くすくすと笑うマクシミリアンがやって来た。その恰好はリディアーヌ同様、どこからともなくクロレンスが手に入れてきた町にも溶け込めそうな装いだが、何しろ春の日差しのようにきらきらと艶のよい毛並みと均整の取れた体格のせいで、ちっとも忍べているように見えない。いつものようなだぼっとしたローブくらいないと目立って仕方がなさそうだ。

 だがそれは本人も分かっているのか、ついてきたクラウス卿の手にはそのいつもの青灰色のローブが持たれていて、さらにフランカにもなにやら似たような上着を託していた。どうやらリディアーヌ用のフードが着いたケープらしい。今日はウィッグはしていないから、この目立つ色の髪を隠すのには必須だ。


「これもクロレンス姉様から?」

「いや、アルセール先生から」

「え、なんで?」

「くくっ。なんでも、クロレンス小伯爵の用意したものが頭を抱えるようなものだったそうで、『教会の修道女の備品ですが』といって送って来たよ」

「クロレンスは一体何を用意していたのかしら」


 そう首を傾げている内にもマクシミリアンが手ずからその白いケープを広げてリディアーヌの肩に纏わせ、併せのボタンを留めた。甲斐甲斐しすぎてちょっと恥ずかしい。

 だがなるほど。すっぽりと上半身を覆うシンプルなデザインで、裾に綺麗な薄緑の刺繍が入っているそれは、上品だが清楚で、質は良いが目立ちはしない。修道女が目立たないよう町を歩く際の上着なのだろうが、これなら町娘らしい恰好にもよく合って違和感もない。


「それではフランカさん。公子様を宜しくお願いします」

「はい、任されました。しっかりとお二人を監視して、後ほど隅から隅までご報告しますね」


 どうやらクラウスはこちらで仕事があるのか、同行しないらしい。すっかりフランカと打ち解けて何やら聞かなければよかったことを囁き合っているが、あえてそちらは見ないようにしておいて、「今日はこっそり抜け出すわけではないのね」とマクシミリアンさんを小突いておいた。今日はいつものお忍びではなく、侍従や文官たちも公認の厄介払いということである。

 そうしてポイと離宮から追い出されたリディアーヌ達は、町の辻馬車を模した馬車に乗り込み、フランカとイザベラ、それに本日の四人のお守りを任されたらしいエリオットが御者台の後ろに立ち、離宮を出た。どうせこそこそと変装してついてきている騎士達もいるのだろうが、公認のお忍び歩きにしては少人数である。


「今日は私たち以外にも追い出されてうろうろしている人がいるかもね」

「ダグナブリク公とか?」

「あの人はいつでも普通に町中にいそうだけど」

「辺境公閣下でしたら、町中でレストランを借り切って妃殿下とデートのご予定だそうですよ。大公様が言っていました」


 どうしてフランカがそんなことを知っているのか知らないが、な、なるほど。そのレストランとやらには近づかないようにしようと思う。


「花祭りは清めのお祭りでもあるはずだけれど、町中に出たところで空いている店の一つもあるのかしら? みな家の掃除に邁進しているのではなくて?」

「いや、そんなことないよ。(おお)(だな)なんかは店を閉めて清掃をするだろうけど、代わりに商品の在庫の確認や日干しもされて、不用品を屋台で安く売り払ったりするんだ。だから広場という広場にそういう(のみ)の市が出ていて楽しい。商店以外の店も、祭日の間は教会から灰を受け取る日で、実際には祭日が終わった後で清めをするんだ。ただその準備のために食糧庫を空にして台所の火を落とすから、食事は基本、外の屋台でとる。そのための店も路地中に並ぶよ」

「……」


 なんかこの人、詳しすぎやしまいか。

 いや、今更か。どうせ花祭りだなんてものも、たっぷりとお忍び済みなはずだ。

 いつもより道も混雑しているようだったけれど、皇宮の区域から出て城下町の中でも比較的治安の良い上町と中町の境に馬車を止めてもらうまで、何故か帝都の花祭りにすら詳しいマクシミリアンの雑談のおかげでちっとも退屈はしなかった。

 それに町に入った瞬間から、そこかしこに建物と建物を橋渡すように沢山の蔓花が飾られていて、窓枠にも、街路沿いにも、ありとあらゆる場所に花が置かれていて華やかなせいで、それを見ているだけでも十分に楽しめた。


「一体どこからこんなに沢山の花が出てきたのかしら」

「帝都の花祭りは帝国内でも屈指の賑やかさだそうだから。生活に余裕のあるこの辺の家ではこの日のために庭で花を育てるらしいよ。それを披露して、最終日にはどの家の花飾りが一番素晴らしかったかを決めるコンテストもあるらしい」

「清めがメインの王侯離宮とは真逆ね」


 思わず肩を揺らして笑ったところで、カタリと馬車が停まった。予定していた通り、ヴァレンティンの離宮への出入りがある大商家の裏手に着いたらしい。ここを馬車泊まりとしてお借りしているのだ。

 店の者達には気を使わないよう言ってあったので、ただ店主だけが出迎えてくれて、「すでにいい賑わいですよ」などと言ってお勧めの屋台路地なんかを教えてくれた。

 その助言をもとに路地を目指してメインストリートに足を踏み入れれば、なるほど、大変な賑わいに、わっと圧倒されそうなほどだった。

 どこもここもかぐわしい花の匂いがして、それに屋台からはもくもくと煙がたっている。天井にまで沢山の蔓花がめぐらされているから、いつもなら広々として感じられる空も狭く、噂にしか聞いたことのない大きなバザールのような心地よいせわしなさを思わせた。これは確かに楽しそうだ。


「花をモチーフにしたものが多いのね」

「飴細工も花だらけだね。あ、蜂もある」


 ふらふらと迷いなく屋台に引き込まれてゆくマクシミリアンに引き連れられ、こういう場所での遊び方に慣れていないリディアーヌはあっちもこっちもと連れまわされた。

 公女たるもの、買いもしない品物を冷やかすだけだなんて失礼な真似はしたことがないのだが、マクシミリアンはちっとも気にせず店舗を除いては冷やかすだけ冷やかして「気が向いたらまた来るね」とひらひら手を振って離れるのだ。これが町での作法だと言われても早々真似できそうな気はしないから、彼がいてくれたの幸いだった。


「大丈夫? 失礼ではないかしら?」

「ははっ、ちっとも! 町中ではこんなもんだよ。あ、ガラス細工店もある」


 ふらふらと吸い寄せられてゆくマクシミリアンに手を引かれ、こんな屋台のぐらぐらした棚に出すにはちょっと怖いガラス細工を眺める。

 ガラスは高価なものだから、普通は窓やシャンデリア、裕福な階層の食器などに使われるものだけれど、ここにあるのは動物を模した小さな置物だ。形はとても歪だけれど、中々に可愛らしい。


「見習いの失敗作? それとも強面職人の気狂い?」

「ははっ、言ってくれるなっ、兄さん。そりゃ生きてるみたいとは言わないが、中々難しいんだぜっ」

「うーん、ガラス細工はヴァレンティンの方がやっぱり腕がいいね」

「かっ、なんだい、北の人かい。あんなぼろぼろ(けい)(しゃ)がとれるところの技術と一緒にされちゃあ困るぜ」

「そんなことないよ。帝都北部のモノクルは質がいいって有名だよ。そういうのは出してないの?」

「そういうのが欲しけりゃあっちのメインストリートの方だな。こっちはあまりもんで作った子供の玩具なんだ。冷やかしならほら、行った行った」


 ヒラヒラと追い出す店主におろおろするのはリディアーヌばかりなようで、「私はこういうのの方が好きですよ」なんてフランカが後ろから先程リディアーヌが見ていた犬だか何だかのガラス細工を摘まみ上げた。


「ふふっ、可愛い。ケーリック様みたいですね」

「フランカ……」


 よりにもよってその歪な犬を見て侯爵家ご出身のケーリックさんみたいと言うのはどうかと思う。だがそういう軽口が飛び出てくるのも、この場の雰囲気という奴なのだろうか。


「リディ、気に入ったの?」

「え? あぁ、いや、そういうわけではないけれど。こういうガラス細工というのも面白いものね。初めて見たわ」

「普段から売るようなものじゃないがね」


 若い女性が興味を持ってくれたのがうれしいのか、先程よりデレッとした顔で店主がお勧めを並べる。ふむふむとじっくり見聞しようとしたのだが、それは何やら気分を害したらしいマクシミリアンが、「買ってなんてやんないよ」と笑いながらリディアーヌの手を引きその場から連れ出してしまった。

 またまた店主さんに申し訳ないのではと振り返ったのだが、すっかり売る気もなくひゅーひゅーと冷やかしの口笛を吹きながら手を振っている。


「い、いいのね。こんな感じで」

「うん、いいんだよ、こんな感じで。あぁ、連れ出しちゃったけど、良かった? 欲しかった?」

「いえ、そうではないわ。でも面白い物を見れたわ。ヴァレンティンに帰ったらうちの職人にも作ってもらおうかしら。シャンデリアの飾りに鳩がとまっていたり、燭台に下げるガラス飾りがじゃれつく猫の形なんかをしていたりしたら可愛らしいのではないかしら」

「……なんか可愛いこと言ってるけど、それ、自分用じゃなくて売り物用だよね?」


 うん、まぁリディアーヌ自身はあくまで実用重視だ。あくまでも欲しいからではなく、そういうのがあったら特産品として商人や観光客に売れそうという意味だ。


「さぁ、次に行きましょう。折角の花祭りなんだから、あそこの花売りを覗いてみるのはどう?」

「ふふっ、いいね。町中の花祭りでは、男性が妻や恋人、意中の女性に花を捧げるのが慣例なんだよ。まず真っ先に花屋に行こうと思っていたのに、誘惑が多すぎて中々たどり着けなかった」

「あら、なんだか私が催促したみたいになってしまったわね」

「花屋を見つけるたびに寄ろう。一輪ずつ買って、贈るよ」

「……私、帰る頃には花束に埋もれてしまうのではないかしら」


 そんな会話をしながら花売りの婦人の元へ向かったせいか、一言目より早く婦人に「いやだねぇ、もう夏なのかってくらい熱いねぇ!」と揶揄われてしまった。

 でもちっとも臆さず「そうでしょう?」なんて言って花を物色するマクシミリアンのせいで、段々と気にならなくなってきた。

 なるほど、彼のこのどこでもここでも物怖じせずふらふら溶け込める性格は、こういう所から(つちか)ったものなのかもしれない。


「リディ、何色が好き? やっぱり白が似合うかな。それとも青? 瞳と同じ、こっちの淡い黄色もいいね」


 庭は公女にとっての唯一と言ってもいい遊び場だ。植物にはそれなりに詳しい方だと自負するが、それでも見慣れない種類が多いのはヴァレンティンとは植生が違うからだろう。

 そんな中でもふと視線がひきつけられたのは、緑の葉の中にたっぷりと淡い黄色の小さな花が咲き誇る可愛らしい花だった。


「じゃあこれ」


 そう選んで指をさすと、花屋の婦人が一度目を瞬かせ、それからニヤリと笑った。

 何だろう。男性から女性に花を贈る日に、女性が自ら花を指定したのが変だったのだろうか。それともこの花がリディアーヌの瞳の色というよりも、ふわふわと眩い金の髪に鮮やかな緑の瞳をした彼の色を思わせたせいだろうか。

 だとしたら少し恥ずかしい。


「リナリアか。リディには可愛い花も似合うと思うけど……こっちのド派手な大輪とかの方が似合わない?」

「貴方は私を何だと思っているのかしら?」


 そう呆れてはみたものの、マクシミリアンはすでにとっととリナリアというらしいその花を買い求めている。気に入ったのだろうか。


「おまけして、このお嬢ちゃんにぴったりの緑のリボンでもつけようかね。ふふっ、頑張りなさいな」


 何故か未だにニヤニヤしている婦人はそう言って、粗末だが最大の心遣いであろうリボンを一輪の花に結わえてマクシミリアンに渡した。

 緑の茎に緑のリボンはちっとも映えないのだが、なぜこれがリディアーヌにぴったりなのだろう。そう首を傾げている内にも、ぱっぱとその場で余分な葉を落としたマクシミリアンがその場に膝を着いて「私の愛しい人に」と花を差し出してくる。

 おかげで周囲からの視線が一気に集まった上に沢山の冷やかしが湧いてしまったものだから、さすがに恥ずかしくて「いいから早く立ってっ!」と引っ張り上げる羽目になった。

 も、もう……。


「くくっ。でもこれはリディが悪い」

「どうしてよ」


 変なことをされる前にとマクシミリアンの手から花を奪い取り、すんと香りを嗅ぎながら急いでこの場を離れようとその手を引っ張る。

 あぁあぁ、まだ周りの視線が追いかけて来る。


「だってその色」

「……」


 ご、ごほんっ。


「それにリディ、リナリアの花言葉、知ってる?」

「……知らない。ヴァレンティンにはない花だもの」


 もしかして何かとんでもない物を選んだのかとぎょっとして隣を見やると、クスクスとくすぐったそうに笑うマクシミリアンが再びリディアーヌの手から花を取り上げ、そっと髪に差しながら耳元に口を寄せてきた。


「“この恋に気が付いて”」

「……っっ」

「あと、“乱れる乙女心”なんてものもあったかな」


 かぁっと耳まで真っ赤になって俯いたリディアーヌに、くすくすと笑うマクシミリアンは何を思ったのか、「あ、また花屋」といって吸い込まれていくと、迷いなく二本目のリナリアを買い求めてきた。

 ま、まったくっ、あてつけのようにッ!


「選択を間違った……」

「私は嬉しいよ。でもこんな遠回しなことをしなくたって、とっくにリディの恋心には気付いているから、心配しないで」

「ッ、ミリム!」


 もうっ、とポカポカ背中を叩いている内にも「お、三件目」だなんてまた花屋を見つけるものだから、その上着をひっつかんで引き止めるのに必死にならざるを得なかった。

 あまり、不用意なことはするべきではない。それが本日の教訓である。






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