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10-37 祭礼の準備

 慌ただしく人の行き来する離宮の聖堂で、真新しい青灰色の絨毯の上を歩いて中央で足を止めた。

 小さな聖堂だと思っていたけれど、大きな薔薇窓と高く張り巡らされたガラス窓が開放的で美しく、決して狭苦しくは感じない。意匠は旧神聖帝国時代の名残のあるヴァレンティンの大聖堂よりも、このベザの初期帝国時代の面影を残すベルテセーヌの聖堂などに近い作りだろうか。

 濃い色の椅子と濃い色の祭壇。真っ白な春の花が次々に運び込まれ、張り巡らされた二階回廊からヴァレンティンの青い狼の紋章旗がかけられてゆく。

 いっそこの小さな空間が、大聖堂なんかよりも落ち着く。


「これは公女殿下。如何なさいましたか?」

「お邪魔して御免なさいね。ちょっと確認に来ただけだったのだけれど、思いのほか素敵な聖堂ね」

「本来ならば春の議会のたびにこちらにお迎えする大公殿下のため、毎日香を焚き祭祀を行うための場なのですが……」


 この通り。まったく使われていませんでした、と言わんばかりに苦笑する侍府官に、リディアーヌも肩をすくめて、それは致し方ない、と苦笑してみせた。

 ヴァレンティンは帝国内でも最も神聖帝国と言われた古い時代の名残を残す信心深い国であり、聖女ベルベット家の生地でもあるという神々に近しい土地だ。だがだからと言って国主が教会祭祀に熱心かと言われるとちっともそうではない。いや、むしろ古い正しい信仰が根付いているからこそ、教会祭祀だなんて形のある物に頓着しないのかもしれない。


 そんなことを思いながら、清めの邪魔にならないようさっさと配置を確認してから外へ出ると、そのままぐるりと聖堂の裏手に向かった。

 大きな聖堂ではないから、通常の聖堂と違って裏手に神問の塔や回廊はない。けれど聖堂裏手は神の庭と呼ばれ庭園を設けるのが教会建築の基本だから、思った通り、軽く巡らされた鉄柵の中に美しい春の庭があった。

 この聖堂はおよそ春にしか使われない聖堂だから、庭も春の花なのだろう。ヴァレンティンでは見たことのない種類も多い。

 そんな庭の中央には噴水か、それを模したトピアリーが置かれていることが多いが、ここの庭には小ぶりだが立派な噴水があった。手入れは行き届いているが、どこからか舞い落ちてきたらしい花びらが水面に浮かんでいて、春らしい様相になっている。

 一休みしようかと淵に腰かけて水に指先を浸してみると、ひんやりとした冷たさを感じた。噴水の水は地下水なのだろうか。


 ここに来る前に、フィリックは仕事を任せて置いてきた。シュルトは相変わらずどこで何をしているのか、昨夜から見ていない。ケーリックは執務室に缶詰めさせて、国許から送られてくる書類の整理だ。可哀想だから、ハンナはそちらに残してきてあげた。マーサは主人から突然『帝都城下にある蜂蜜の種類をすべて調べてくること』などという無茶な注文をされ、しきりに首を傾げ、かつ文句を言いながら、イザベラとフランカと共に出かけた。おかげで今傍にいる側近はエリオットとセルリアという護衛だけだ。

 周囲からこんなにも人が減ることは珍しい。今は二人も離れた場所で警戒に立ってくれているから、益々人気がなく感じる。勿論、気が付いていないだけで周囲はしっかりと騎士達が巡回しているはずだけれど。

 折角こんな麗らかで穏やかな時間を過ごせるのであれば、防寒具を持って来て、お茶でも淹れさせ、本の一つでも持ってくればよかっただろうか。さすがに侍女を全員傍から離してしまったのは不便だったかもしれない。

 まぁ、どうせこんな穏やかさもほんの一瞬のことで、帰りが遅ければ家族よりもうるさいフィリックが『何を遊んでいるんですか』と怒鳴りこんでくるのだろうけれど。


 そう顔をほころばせてこの何でもない時間を堪能していたら、「ご機嫌ですか?」と、セルリアが声をかけてきた。

 騎士の仕事は護衛であって、任務中に私語をすることはほとんどない。なので厳しいエリオット護衛騎士長様が少し怖い顔をしたけれど、それをさっと手で制したリディアーヌはセルリアを招き寄せ、立ち上がるのに手を借りた。

 セルリアはリディアーヌと同い年で、護衛騎士の中では最年少だ。まだ見習いから卒業したばかりであまりリディアーヌの一番側近くにつくということはないので、こんな風に話すのは珍しい。小柄で温和で、一つに結わえたポニーテールがトレードマークだ。


「フィリックもマーサもいない自由に思わず浮かれているのよ。あとは怖い顔の騎士長様がいなければ完璧なのだけれど」

「私は私だけで姫様をお守りするのが不安ですから、エリオット様がいてくださって安心です。マーサ様もいてくださるともっと安心なんですが」


 まぁ。なんて素直なんでしょう。一度ムスリとしかけたエリオットも、思いがけない部下の発言におかしな顔になっている。


「やっぱり連れて歩くには、大して何も考えていないイザベラの方が適任かしら」

「そんなこと仰らないでください、姫様。私だってもっと護衛騎士らしい仕事がしたいのですから」


 いつも留守中の執務室の警備などにばかり回されることに不満があるのか、直接主にお願いをしたセルリアにエリオットがゴホンッと咳払いで窘めようとしたが、ちっとも効果はないようだ。

 思わずクスリと笑いながら、「じゃあしっかりついていらっしゃい」と傍に控えさせて、ゆるゆると庭を見て回った。

 もとよりセルリアはその上品な顔立ちと貴族女性らしい体格が見込まれ、夜会中にドレスで警備できる人材として採用された騎士だ。日頃の護衛では威圧感が足りないからと屋内向けに配備されることが多いだけで、決して実力不足だとかそういうわけではない。あくまでも適材適所だ。


「春天の祭事では護衛は傍に付けないわ。でも貴女なら護衛っぽくなくていいでしょう? エリオットは貴女には祭服を着せて私の補佐という体で傍につけるつもりらしいのだけれど、それでも不満かしら?」

「っ! いえっ。ちっとも不満ではありません! 有難う御座います、エリオット様!」

「……ごほんっ」


 あくまでも仕事中に私語は慎むスタンスらしいエリオットが今一度咳払いで窘めたが、セルリアの目には隊長が誉め言葉に恥ずかしがって誤魔化したように見えたらしい。実に陽気に「もぅっ、隊長はいけずなんですから」だなんてはにかんでいる。後でお説教されないといいのだけれど。


 それからまた二人を少し遠ざけながら、聖堂の中へと戻った。先程までの慌ただしい様子が少し落ち着いていて、差配を行っていた侍府官も手が空いた様子だったので、改めて声をかけ、祭祀の流れの確認を行った。

 本当は祭祀の施行者である国主が行うべき事なのだが、生憎とそのお養父様は昨日のザクセオン大公との面会の内容を聞くや否やぷりぷりとお怒りになって、今日は朝からマクシミリアンを引きずって『うちがどれほどミリム君を可愛がっているのか見せつけて来てやる!』と豪語し、選帝侯議会棟にお出かけになったのだ。

 よりにもよって、ただでさえ消沈しているであろうザクセオン大公に追い打ちを掛けに行かなくても……とか生易しいことを思ったのはリディアーヌだけだったのか、『それは楽しそうですね』と乗り気なマクシミリアンはカラカラと笑いながら大人しくそれに着いて行った。

 なんだか急速に二人が仲良くなっているようで、少し困惑している。


「祭礼用の灰はここに」


 やがて侍府官に代わってこの小聖堂の管理をしている出向司祭が、これからの祭礼で使う灰をたんまりと持った盆を見せてくれた。

 はて。結構な量だが……まさかこれも司祭様方がこの聖堂でちまちまとサントベロを燃やして作ったものだろうか。

 そう思っていたら、「きちんと毎日香を焚いて、集めていたものです」と苦笑された。


「こほんっ……えっと。そう。私達がいない間も、毎日香を焚いてくれているのね」

「勿論でございますよ。年の瀬の聖堂の清めに少々使いますが、残りは毎年こうして春天の祭祀に合わせて、この聖堂と、それから離宮内の建物の清めにも用います」


 ふむ、なるほど。

 春天の祭祀は表向きは春の盛りを祝う日だが、同時に国中が“大掃除”をする日でもある。教会から配られる清めの灰で玄関を清め、また各家でも冬の間に火鉢や暖炉からとっておいた灰を雪解け水に溶かし、それで家の中を清めて回るのだ。

 ヴァレンティンの城でも、下働きだけでなく侍女や侍従、騎士達まで総出で、日頃手入れの手が届かない場所までしっかりと清めて回る。どうしてこの時期にそんなことをするのかは誰も良く知らないが、古く、初代皇帝ベザが始めた行事だと聞いている。

 夏には疫病が流行りやすいから、それに先立って悪い物を取り除く邪気払いなのだとかなんだとか。

 効果があるのかどうかは知らないが、年に一度町中がしっかりと清められるとあって、都市景観的にも衛生面的にもいい行事であることは間違いない。どうやらこの日頃から主人の居ない離宮でもそれは同じだったようだ。


 ということは、皇宮でもそうなのだろうか。

 そういえば今日は珍しく何の予定もない日だからと一日中書架棟に籠もって溜まった仕事を消化しようとしていたのに、『午後からと花祭りの間は閉館いたしますので、仕事はございません』と追い出された。あれももしかすると書架棟の大掃除をする予定だったからかもしれない。

 さすがに公女に大掃除の手伝いはさせられないということか。


「皇宮は広いから、清めは大変そうね」

「ええ。ですからこちらではいつも祭礼の前日から五日ほどかけてじっくりと行われるんですよ。今日も、すでに外郭の棟や別館などでは清めが始まっているはずです」


 知らなかった。だが道理で、毎日忙しいはずなのに今日ばかりはどこからも茶会や面会の予定も入らなかったはずである。そもそもそのための建物などがすべて清めのために封鎖されているのだろう。

 そしてそんな様子は、聖堂を出て離宮に戻ってからも顕著になり始めた。


 長く出歩いたせいか、今にもリディアーヌを連れ戻しに行こうとしていましたとばかりの様子で待ち構えていたフィリックが差し出してきたのは明日から三日間分の立ち入り禁止箇所の予定表で、明日、祭祀で皆が出払っている間にも離宮内の私室の類の清めと夏物の品々の天日干し。二日目には廊下やホール、庭園、食堂に至るまで、共用部分全般の一斉清掃と、三日目に執務室や書庫のような重要なものが置かれている場所の清掃との予定であるらしい。

 この内三日目については清掃に当たる者がおかしな真似をしないか監視する必要があるためリディアーヌか側近文官かが立ち会わねばならないようだが、そのほかはむしろ離宮にいてくれない方がいいくらいだと指示された。

 そう言われても花祭りの間は政務も滞るようだから、どこにいればいいのやらちっともあてがない。

 ヴァレンティンではそもそも花祭りの時期が皇宮より少し遅いこともあって、大聖堂で祭祀を行うとその翌日には養父が帝国議会に出発する。なので皆で首都郊外の離宮まで送り届け、そこで一泊、ついでに休暇のつもりでもう一泊して戻るのが慣例だった。多分その留守の間に、城内の清めが行われていたのであろう。


「私も清めの手伝いとか……」

「は?」

「……いえ、何でもないわ。まぁ、何か……考えておくわ」


 まぁさすがに手伝いは無理だろうけれど、どうしたものかと息を吐く。

 しかしその悩みはその夕にでも、随分とすっきりした顔で帰って来た養父と含みある苦笑いで肩をすくめているマクシミリアンに問うてみた瞬間、解決した。


「せっかくの休暇なんだから、町にでも遊びに行ってくればいいじゃないか」

「だそうだよ。リディ、城下に行こうよ」

「ちなみに私は寝る。離れで寝る。絶対に仕事は持ち込むなよ、お前達!」


 周りに胸を張って主張する大公様の背中を見送りつつ、「えーっと?」とマクシミリアンを窺う。

 なにやらくすぐったそうにくすくす笑っているが、一体何があったのだろうか。


「お養父様、変な暴走はしなかった? ザクセオン閣下は大丈夫かしら」

「ふふっ、どうかなっ。いやぁ、リディにも見せたかったよ。なんか僕、結構閣下に気に入られてるみたい」

「あら、今更ね。お養父様が誰かを連れ歩こうとするだなんて、それだけでも奇跡よ」

「うん。そうらしい」


 何があったのか知らないけれど、どうやらマクシミリアンにとって悪い事ではなかったらしい。それは良かった。

 良かったけど……お養父様。“離れで寝る”って。日頃から寝不足と言われるほど働いているわけではないと思いますけれど?


 そう首を傾げる思いだったのだけれど……後から、パトリックがこっそりと教えてくれた。

 盛春の月の最初の日は、お養父様の生母、つまりリディアーヌの祖母の命日だ。だからといって弔いに専念するほどに養父は母に思い入れがあるわけではないらしいが、母を看取りもせず仕事に明け暮れてきた父への当てつけのように、この日は部屋に引きこもり、一人でむっすりと黙って静かに過ごすのが慣例らしい。

 言われてみれば、リディアーヌはいつもその日、アセルマン候達と城郊外の大公家の墓地で祖母のお墓に花をたむけていたが、そこに養父がやって来たことは一度もなかった。どうしてお養父様は来ないのかしら、なんて思っていたが、アセルマン候がいつも何も言わないので聞いたことも無かった。

 なるほど、一人でむっすり過ごすのが、養父なりの母への弔い方だったらしい。


「今年はお祖母様のお墓に、お花を供えられないわね」

「フレデリク様が立派に果たして下さっていますよ」

「ええ、そうね。きっとそうだわ」


 でも身内の命日だと思うと……そんなフレデリクと一緒にいてあげられないことが、少しばかり寂しかった。

 今も昔も、リディアーヌは自分の両親の墓に花を供えたことがほとんどない。命日にお墓に参ったすらない。それはあまり、心良い事ではない。


 マクシミリアンの母の命日はいつなのだろうか。

 お墓を移すことはできないけれど、出来る事なら命日を共に弔うくらいの何かをヴァレンティンにも作ってあげられたらいい。

 そう思った時、ふいに脳裏に過ぎったのは、骨も肉も埋まらぬただの墓標を離宮の隅にひっそりとつくり詣でていた実の父の事だった。

 あれもこんな言いようのない、直接は慰められない死者への弔いをするための慰めの場所だったのだろうか。

 だとしたら少しだけ、よく知りもせぬ実の父のことを理解できる気がした。






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