1-35 ウォルマン商会(2)
「気の利かないことを言うな、ウォルマン。“公女殿下”が所望しているのだぞ」
「……ッ」
ビクンと肩を跳ね上げて、机の向こうに見えた無駄に豪奢な“赤いマント”に口を引き結ぶ。
「なっ……こ、公女殿下?!」
「老いぼれた皇帝と若く麗しい選帝侯家の公女。私がどちらに素晴らしい品を贈りたいかなど、言うまでもないではないか。私が許す。丁重にお包みせよ」
何故だ。何故この人がここにいる。そして何故バレた!
グッと奥歯をかみしめ表情を取り繕いながら、ツカ、ツカと歩み寄ってきた派手な衣ときつい香水の訪れ人に、息をひっ詰める。
あぁ……この場が緊張感に満ちているのが分かる。この状況で、もう誤魔化しなどきいたものではない。
「挨拶もする前から贈り物をして下さるだなんて。相変わらず粋なお方ですこと……“グーデリック殿下”」
「貴女こそ。相変わらず私を驚かせてくださいますね、公女」
するりと手を取られ、ぶっちゅうと手の甲に押し付けられた唇が、先日よりもはるかにねちっこい。
何てことか。忍んで探りに来ているというのに、まさか到着して程ない内から本命の王太子殿下に見つかるなんて……しかも一瞬で見抜かれるだなんて思ってもみなかった。一体どうしてバレたのか。
「ひっ、ひぇっ」
あぁ、ウォルマン商会長が腰を抜かした。
確かに、貴族のお嬢様には見えても公女殿下には見えないだろうものね。噂とも違っていただろうし。それに……あ、まって。今私の恰好、やばいんだけど。やっばいんだけどっ!
「よく私だと……お分かりになりましたこと。先日とは随分と違う恰好ですのに」
「ええ、本当に。一瞬どなたかと思いましたよ、公女。ですがその小鳥が囀るような可愛らしいお声と懐かしさを感じる可憐なお姿。どうして私が貴女を見違えるでしょう。こうしてみると、かつてこのリンテンで聖都に向かう貴女をお見掛けしたあの日のことを思い出します」
「え?」
「あの出会いは衝撃でした。青い空と青い海。眩い光に目を凝らしながら、甲板に飛び乗られたあどけない貴女のお姿が、今もこの瞼の裏に焼き付いています。あれほどまでに成長を惜しく思う姫君はおりませんでした」
どういうことだ? 一体この王太子は気味が悪い程のトロリとした顔で、何を言っているのか。
「先日領都でお会いした時には随分と大人びてしまわれて残念に思いましたが、なんと。私の早とちりでした。あぁ、公女。貴女は本当に、なんと愛らしい」
「ッ……」
やばい。これは完全な目論見違いだ。まさかこんなお色気令嬢が似合いそうな王太子が、“少女趣味”だっただなんてッ。
完全なる読み違いだ!
「お、お嬢様……」
どうすべきか、賢明に対処に思考を廻らせていると、困惑気なイレーヌのか細い声が耳に届いた。こうとなっては、茶番にイレーヌを巻き込むわけにもいかない。開き直るしかないか。
「一目でお分かりになってしまうだなんて。折角、我儘で奔放なお嬢様を楽しんでいましたのに。酷いですわ、殿下」
「どうぞそのまま楽しむと良い、姫君」
あぁぁぁっ。ベタベタと触れて来る王太子の手が気持ち悪いッ。やはり気のせいなどではなく、明らかに執拗に撫でまわされている。その上ぴたりと隣に寄り添って座ったグーデリックは、どこの間男かと言わんばかりの密着度でリディアーヌの腰を抱き寄せた。
この中二階席はあくまでも人目につく場所だ。王太子のお忍びともあれば普通は個室に案内すべきだろうが、グーデリックはこの場から動くつもりはないらしい。
もしや、お忍びなんて言葉を微塵も知らないであろう恰好のグーデリックは、「まぁ王太子殿下ですって」「え、本当に?!」と、下で客たちがコソコソと驚きの声をあげているのを楽しんでいるのだろうか。悪趣味である。
そんな衆目を故意に引き付けたような人物にベタベタと触られながら「あのお方はどなたかしら」などと囁かれるのは、かなりの苦行である。やっぱりフィリックを連れてきておくべきだった。
そう。フィリックを……フィリックのような、いい感じに楯にできそうな男性を。
男性を……。
「……」
「……」
「……」
フィリックが現れやしないかと期待して見たはずの階段に、いかにも慌てていますといった様子で駆けこんできた鉄仮面さんと視線が合った。合ってしまった。
多少、町中に溶け込めるような地味な格好をしているようだけれど、あれは間違いない。領都に放置してきたはずの、皇帝陛下のご直臣アマーテオ卿である。
なんでこんなところにいるのだろうか?!
「おい、誰だ」
しまった……グーデリックの視線も同じ方向で止まってしまった。
アマーテオがどういうつもりだったのかは知らないが、王太子が忍んできたと下がざわついているのに、後を追うように駆け込んで来るだなんて怪しすぎる。当然ながら、すぐにもアマーテオの周囲で、フォンクラークの騎士が剣に手をかけた。
そのアマーテオの視線が困惑気にリディアーヌを見る。
あぁ、なんてことだ……この状況。こんなところでアマーテオに、皇帝陛下の直臣として色々と見聞きし報告するためにここにいます、だなんて言われたら最悪だ。折角耐え忍んでここまで近づいたグーデリックが一気に警戒心を抱きかねない。
だったらどうする。
見知らぬふり……をしてアマーテオを捕らえさせるわけにもいかず、かといって見知った顔のふりをしたところで皇帝の直臣だなどと気が付かれるわけにもいかず。
だったら……そう、だったら……。
「あら、遅かったじゃない、アマーテオ!」
グーデリックの手から逃れるようにパッと席を立ったリディアーヌに、アマーテオ卿の肩が飛び跳ねた。もれなく、全員の視線が彼を向く。
「あ、あの……一体何の……」
「貴方が中々追いかけてこないから、私に関心が無いのかと思ってしまったわ。でもそうではなかったのね。嬉しいわ、アマーテオ」
傍に駆け寄りぎゅっと胸にしなだれて、指先でジャケットをつまんで見せる。
「……ッ、殿ッ」
「何をしているの? 早くエスコートしてちょうだい」
そのまま上目使いにくいくいとジャケットを引っ張ってあげれば、完璧だ。かつて寄宿学校で学んだ、対マクシミリアン用、何かをねだる時の必勝モーションである。これをされたマクシミリアンが言うことを聞いてくれなかったことはない!
「……」
あ……はい。だからってアマーテオ卿にまできくかと言われたら、そんなことはありませんよね。何やら恐怖に引きつったような、ひっどいお顔をなさっている。いつもの無表情をどこに忘れてきたのかというお顔だ。
ご、ごほんっ。
「邪魔せず、大人しく空気を読みなさい」
だから代わりにそう耳元に囁くと、吐息に驚いたのか、慌てて自分の耳を手のひらでふさぎながらのけぞり、少しの困惑の後、戸惑いを残したままにか細い吐息をこぼして頷いた。
「し、かし……このようにされては、困ります……」
「相変わらずつれないこと。でも淑女のエスコートは紳士の嗜みではなくって?」
「……お手を、どうぞ……」
「まぁ、可愛い。貴方のそういう所、気に入っていてよ」
「っ……オソレ、イリマス……」
自業自得なのに、なんでこの人、こんなに苦し気に声を吐き出しているんだろうか。リディアーヌをエスコートしただけで死ぬとでも? 大変、遺憾である。
まぁいい。素直にエスコートしてくれたアマーテオを連れて再びグーデリックのやってきてしまった上座に戻ると、グーデリックとは少し距離を置いた場所に腰を下ろした。勿論、アマーテオ卿も一緒に、ぴったりとくっついて、だ。この距離に置いておかないと、いつどんな余計なことを口走るとも限らない。
だがおかげさまでグーデリックの顔があからさまに不機嫌になった。
「公女。そちらは招いていないのだが。どこの誰だ?」
「先日リンテンで知り合ったばかりの殿方なんですの。この通り中々つれなくって。今日もエスコートをお願いしていたのに来てくださらなくって。でもこうして追いかけてきてくださるだなんて感激だわ、アマーテオ」
「……」
「……」
うわっ、空気悪。でもおかげでグーデリックの登場に慌てていた頭が少し落ち着いた。
とか思っていたら、いつの間にか階段を上ったところにフィリックまで顔を出していた。
一応お忍びの恰好はしているが、すらりと高い背と隠し切れない美貌が目立つ。なのに周囲の目を決して引き付けない様子で完璧に忍んでみせているのはさすがである。一体どこでそんなスキルを身に着けてきたのか。
フィリックは今日は馬車の中でずっと待機させておく予定だったのだが、きっと店に入っていくアマーテオ卿を見かけて、こそこそとここまで追いかけて来たのだろう。残念ながら止める間もなくアマーテオはこの場に乗り込んでしまった上に、すでにリディアーヌがフォローのつもりで巻き込んでしまった。おかげで計画が狂ったことに、フィリックの眉がうんと険しくなっている。
でもこれは仕方がないと思うのだよ、フィリックくん。
しかし驚いた。一体どうしてアマーテオがこんなところにいるのだろうか。
さしずめ聖別が済むや否や何も言わずにリディアーヌが領都を飛び出していったものだから、どういうつもりだと慌てて監視のつもりで追いかけてきたのだろう。よもやこんなことに巻き込まれるとは思っていなかったはずだ。私もだ。
「は、はは……これはその。急に賑やかになりましたな。殿下、いかがいたしましょうか」
何とも言えない緊張感の中、少々戸惑った様子でなんとか朗らかに声をかけたのはウォルマン商会長だった。きっとグーデリックの不機嫌には免疫があるはずなので、その調子でこの空気を何とかしていただきたい。
「いかがだと? 自分で考えてみろ、ウォルマン」
だがグーデリックの機嫌は最高潮に悪いようだ。ちょっとやりすぎただろうか。
あぁほら。フィリックがどうするんだと言わんばかりの目でこちらを見ている。
こうとなっては、我慢してグーデリックに媚を売るべきなのか……あぁ、嫌だ。ものすごく嫌だ。でも非常に残念なことに、これがリディアーヌのオシゴトだ。
「もぅ。こんなはずではなかったのに。グーデリック殿下が突然いらしたりするからですわ」
「ほぉう、公女。私のせいだと?」
機嫌は悪いが、リディアーヌの言葉に反応をするあたり、そう悪くはない。
「恋人を侍らせて買い物を楽しんだという噂で殿下の嫉妬を買おうとしていたのに、これでは計画倒れではありませんか。殿下、責任を取ってくださいませ」
理不尽な物言いだが、グーデリックの様子を見るに“奔放で我儘なお姫様”は嫌いじゃないはずだ。案の定、リディアーヌの物言いにクッといやらしく顔を緩めたグーデリックは再びリディアーヌの手を強引に取り、甲にうっとりと頬を寄せた。
その様子に何か思う所が有るのか、思わず逆隣からアマーテオ卿がグッとリディアーヌの腕を掴み止める。アマーテオ卿はしまったといった様子ですぐに手を離したけれど、グーデリックの方はばちばちと勝手に闘志を抱いたようだ。なんだこれ。
「控えよ、下郎。お前の出る幕ではない」
「……」
あぁ、アマーテオが困っている。明らかに公女に対して無礼な、でもどうやら王太子らしい相手を前に、どうすべきか悩んでいる。その顔を見ているのはとても面白いのだけれど、一応こちらにも目的という物が有る。仕方なく自らアマーテオを手で制した。
「……公女殿下」
「王太子殿下のご機嫌を損ねてしまいそうだわ。貴方で遊ぶのはまた後に致しましょう」
「……」
スンとした無表情が何やら落ち着く。どうやらアマーテオも、リディアーヌが無意味に妙な振る舞いをしているわけではないことは理解してくれたようだ。
「さぁ、続けましょう、商会長。まだたったの一品目だわ。他にどんな珍しいものを見せてくださるのかしら」
気を取り直してウォルマン商会長を見やると、場の雰囲気に居心地悪くしていた商会長はほっとした様子で気を取り直した。
とはいえ、誰とも知らない不審な令嬢をつれたイレーヌ商会長向けの商品説明と、グーデリック王太子を前に王太子がベタベタしている公女殿下にお披露目する品物とでは全く違かろう。チラリと王太子の様子を窺った商会長に、グーデリックもまた尊大な様子で「公女に特別な品をお見せせよ。私に恥をかかせるでないぞ」と念を押した。
そう言われれば、どちらを優先するかなど決まったようなものだ。「はっ!」と腰を低くした商会長は、大慌てで丁稚らに品物を入れ替えさせた。
おそらく予め準備を始めていたという、公女をもてなすための品々だろう。所狭しと机に並べられた煌びやで珍しい品々には、思わずイレーヌが「ほぅ」と感心の声を上げた。さて、私は何処から目を付けるか。
「こちらの布は先ほど下の店舗でも気になっていました。ほのかに光沢があって、見た目も質感も涼し気ですこと」
「南方で年中問わず好まれておりますヘンプと申します。薄いだけでなく、夏には涼しく、冬には暖かさも感じる素材でございます。とりわけこちらの品々は染めと刺繍を凝らした一品で……」
このあたりなどよくお似合いになりましょう、と机に広げられた布に、ニコニコと微笑みながら手触りを確かめ、刺繍を褒める。
ヴァレンティンでもよく見かけるリンネルに似ているが、手触りが少し硬い。衣服や寝具には断然慣れたリンネルがいいが、さらりとした手触りはたしかに夏間には心地よさそうで、カーテンなんかに使うとよさそうな素材である。まぁ、衣類用として紹介された布に対してそんな無粋なことは言わないけれど。
「こちらはことのほか、赤と金糸の刺繍が美しいこと。アマーテオ、いかがかしら?」
布を肩にかけチラリと隣を向いてみると、頑なに無表情な男がしばし困惑するように口ごもってから、「はぁ、そうですか」などと、気も利かない物言いをした。
そりゃあまぁ期待なんてしていなかったけれど。でももうちょっと何かそれらしい褒め言葉とかあっていいんじゃなかろうか。ほら、あまりの駄目すぎる発言に、隅でフィリックがため息をついている。
ツンと無視して前を向いたなら、むしろ気を良くしたグーデリックが気前よく「お前などお呼びじゃない」と、商会長にくいくい指で合図を送った。
これはアレだ。グーデリックがプレゼントしてくれた、ってことだ。
お礼をいちいち口にするのも野暮なので、ニコリと最大限の微笑みで答えて差し上げた。
「こちらの布に合わせて、このような首飾りはいかがでしょうか。どれもフォンクラークの職人たちが腕に寄りをかけた一級品でございます」
さらには商機を見出した商会長が、ここぞとばかりに宝飾品を並べ始めた。
金銀細工の類は昔から南方諸国が得意としてきた分野だ。昨今、シャリンナ王国が随分とその分野で力を伸ばしているが、シャリンナと直接の国交が乏しいヴァレンティン家にとってフォンクラークの細工品は馴染み深い。
正直、無駄に豪奢で重たそうなだけのこれらの良し悪しはたいして分からないのだけれど、日頃うちの優秀な侍女マーサさんが出入りの商会に述べている感想をかいつまみながら流用して褒めそやしておいた。おかげで随分と商会長の印象を良くしたようである。
商会長の話が弾み始めると、グーデリックが意識を引き戻すかのように次から次へとプレゼントしてくる。もはや何を貰ったのか覚えきれないくらいである。
何となく、遠くからこちらを見ているフィリックの視線が痛い……別に物欲に駆られているわけじゃない。仕方がないことなのだから、見逃してほしいものである。
他に目に付いたものといえば、先ほどのポワブルの入れ物にもなっていたセダーの木彫りの細工品だろうか。金銀装飾程には目を引かないが、繊細な掘り込みと独特な香りが物珍しい。中には見慣れたセダーとは違う、香りのする木材で作られたものもあるようだ。
ふむ……見慣れない品であるし、持ち帰って少しじっくりと見分してみたい。
「この容れ物はとても素敵ですわね。これはカフス入れかしら?」
「変わった物に興味を持たれるな」
「そうですか? こちらなんてとても素敵。まるで絨毯の柄のように繊細な彫刻だわ」
「さすが公女殿下、お目が高い! 木工細工は一見地味ですが、使っている内に手の油で風合いの出て来るこれらの品は昔から貴顕の殿方に人気が高いのです。特にこちらを仕立てた西部の職人達は著名な作品を数多く残しております」
おっと、殿方向けの品だったか……だがその殿方であるグーデリックは全く興味がなさそうだ。目に見えてキラキラしたものの方が好きとみえる。
この様子だと探りを入れるものとしてはハズレかもしれないが……うん、やはり一つ持ち帰るか。
「ではこれは私からアマーテオに差し上げるわ。付き合わせたお礼に」
「とんでもございません、公女殿下……私などに……」
「……」
「……ッ。い、いえ。その。有難う存じます、殿下……」
うむ、よろしい。
「ふっ。その程度のものならお前にはちょうどいい」
目の前でアマーテオに贈り物などしようものならグーデリックの機嫌を損ねかねないかとも思っていたのだが、どうやら逆に機嫌は良くなったようだ。これは多分グーデリックが思うよりはるかにいい品なのだが、分かっていないのだろう。ウォルマン商会長もだが、イレーヌが微妙な空笑いになっている。
「そんなものより公女。女子供はこのようなものを好むのではないか?」
そうグーデリックが引き寄せたのは甘い香りの琥珀糖だった。見た目も綺麗で、入れ物も非常に凝った装飾のガラス瓶だ。
「これは……飴かしら? 私の知る飴より色が濃いわ」
「こちらは白砂糖に黒糖を混ぜた飴でございます。黒糖は白砂糖に加工される前のものですが、独特の風味が好まれ南方ではよく食されます。飴にしたものは土産物などとして東大陸の方によく好まれるのです」
ウォルマンが説明をしている内にも、「さぁ」とグーデリックが自ら手にしたものをリディアーヌの口元に突き付けてきた。だがそれには拒絶感が勝り、咄嗟に躊躇してしまった。
どうしたものか……演技をするのであれば大人しく口を開けて差し上げるべきかもしれないが、よりにもよってこんな場所で、よく知りもしない商会が机に並べたものを毒見もせず口になどできない。だがここでグーデリックの手を退け毒見を求めるというのも心証を悪くする。
「恐れながら殿下。毒見されていない物に不用意に口を付けられるのはいかがかと」
どうすべきか。
恐る恐る口を開きかけたところで、それを制したのはまさかのアマーテオだった。




