10-29 四人と旧懐の苑
話がひと段落着き、そろそろ解散しましょうか、という雰囲気になってきたところで、遠くから周囲を囲んでいたクロイツェンの騎士が一人、「殿下」とアルトゥールに声をかけに近づいてきた。
「苑の入口にフォンクラークのセリヌエール公爵夫人がいらして、面会を求めておいでです。いかがいたしますか」
「ナディが?」
ちらと意見を求めるようにこちらを見たアルトゥールに、お好きにどうぞという顔を返す。しかも王弟夫人として赤苑を好きに散策する権利があるはずのナディアがわざわざ入口で足を止めて取り次ぎを求めているのだから、仰々しく周りを囲んでいるクロイツェン兵を見てアルトゥールを目的に声をかけてきたのだろう。友人だからと、リディアーヌ達が口を挟むものでもない。
「分かった、通してくれ」
そう答えてから少し、躊躇して。
「くれぐれも丁重に。友人だ」
そう付け足したアルトゥールに少しだけほっとした。
随分と久しぶりに、まるで学生時代に戻ったかのように三人で肘をつき雑談を交わしていたせいで、懐旧の念に心が引っ張られたのかもしれない。
ほどなく、側近の一人も連れずにしずしずとやって来たナディアは、遠目から見ても分かるほどに険しい面差しをしているようだった。
上着も羽織らず、固く手を握りしめ、ぎゅっと口を引き結んでいる姿は、いつもの朗らかさがちっとも感じられない。
だがその顔が恐る恐ると持ち上がった先でアルトゥールがリディアーヌやマクシミリアンと一緒にいるのを見ると、少しばかりほっとほころんだようにも見えた。
「ナディ、上着はどうしたの? 春とはいえ南部育ちの貴女には寒いでしょう?」
気を解すように真っ先に声をかけてみせると、ナディアは一瞬言葉に躊躇してから、ゆるりと表情を和らげ、「忘れてしまいましたわ」と細々と呟いた。
だからすぐに手招きして、膝に掛けていたブランケットを広げてナディアの肩に纏わせた。こんなものでもないよりはましだろう。
「リディアーヌ様……私……」
「そんな顔をするだなんて、貴女らしくないわね。いつもの辛口はどうしたの?」
「……公女様と公子様がいらっしゃるだなんて思いませんでしたわ。てっきり……」
話しかけた側からふるふると言葉尻が揺れて、そんな自分にぱっと口元に手を添えて悩まし気にするナディアに、そっとその肩を撫でてやった。
「もう。貴方達が怖い顔をしているせいでナディが脅えているのではなくて?」
「いやいや、私はいつも笑顔だよ。原因はトゥーリじゃない?」
「おい」
まぁ実際に怖い顔をしているのはアルトゥールだけだが。
でも仕方あるまい。アルトゥールもおそらく、ナディアが昨今ヘイツブルグ大公と頻繁に通じていたことは情報を得ているのだろう。だが今日の議会ではその思惑を飛び越え、実質、アルトゥール自身が先のベルテセーヌ王殺しの罪人の孫としてあげつらわれた。ともすればフォンクラーク王叔派が共謀したようにも見えなくないのだから、その王叔派を率いているナディアを警戒するのは致し方なかった。
だがナディアがわざわざ側近の一人も連れずにこうして一人やって来たことは、そうではないからなのだろう。それはナディアの覚悟したような面差しからも分かる事で、かつての悪友相手にも緊張した様子であることからも明らかだった。
それを和らげるつもりでかつてのように話しかけてみたのだが、それはかえって緊張感によって平静を保とうとしていたナディアの覚悟を突き崩してしまったようで、ほどなく掌で顔を覆い崩れ落ちようとしたナディアに、リディアーヌは慌てて手を伸ばして支え止めた。
「ナディ……」
「ッ……ごめん、なさい。ごめんなさい。私、こんなつもりじゃ……」
こんなナディアの姿は初めて見る。西大陸の淑女として、すでに人妻といえどもこんな姿は若い男性の目に止めていいものでもないからと自分の腕の中に隠し入れて背中を撫でた。
そうしている内にナディアも巻き起こっていた感情の渦が少し落ち着いたのか、やがてゆっくりと自戒するような深呼吸を繰り返してから、「申し訳ありません」と言いながら顔をあげた。
「お恥ずかしいところをお見せいたしました……どうしたらいいのか分からなくて。皆様があの頃のように、当たり前に、呑気に膝を突き合わせてお茶なんてしていらっしゃるのですもの……」
だから何なのかは口にしなかったが、きっとナディアはその光景に、何も愁うこともなく自由に議論し好き放題に言葉を交わしていた学生時代を懐古してしまったのだろう。
今はもう、それが出来ない立場になってしまった。それを痛感しているからこそ、そうではない光景に甘えそうになったのだ。
「そりゃあ私だって、貴女には物言いたいことがたんまりありますわよ。一番はやっぱり、『ほら見たことか!』かしら?」
「……リディアーヌ様ったら……」
真面目に話をしてもいいのだけれど、今はそんな気分でもない。
一度は深い埋まることのない溝を感じたアルトゥールとでさえ、自分は今こうして平然と向き合ってお茶ができるのだ。どうして親友を一人孤独に貶め、冷たくできようか。ナディアとはすべてが終わった後、ゆっくりとお茶をすることも約束しているのだから。
「リディは昔からナディに贔屓が過ぎないか?」
「私の貴重な女友達ですからね。言っておくけれど、私にナディしかまともな女友達がいないのは貴方達にも原因があるのだから、反省してほしいわ」
「え? なんで?」
「貴方達とナカヨクしたいお嬢様方に私は好かれなかったのだもの」
そう自信満々に言ったのだが、何故かそれには二人共から首を傾げられた。
「いや、彼女達が近づいてこなかったのは君があんまり高貴過ぎて声をかけずらかったのと、あと娘を溺愛していると噂のヴァレンティン大公が怖かったからじゃないかなぁ」
「無礼でもあろうものなら絶対零度の大公殿下に何をされるかわかったもんじゃないからな。俺達くらいの後ろ楯がなければ怖くて声なんてかけられなかっただろう」
「何ですって」
そんなまさか!
「ッ、ナディ、本当なの?!」
「え、えっと……あの、それ、今答えないと駄目ですか?」
「駄目よ」
アルトゥールも軽口に混ざったせいか、ようやくナディアの表情もほぐれてきた。
ほぐれたついでに、「まぁそういう噂も沢山ございましたよね」などと言うので、リディアーヌの方がむしろスンとした顔になってしまった。
記憶が正しければ、男子生徒達にも同じ理由で遠巻きにされていた気がするのだが。
きっと……友人達の軽口であって、それがすべてだなんてことは無いのだろうけれど。
ないと、思う……思いたいのだけれど。
「こほんっ。それで? ナディの本題は何?」
取り合えずこの話はやめておいた。
「何やら皆様の様子を見ていると、今更私がのこのこと足を運んで、私は知らなかったんです、だなんて言い訳するのも愚かしく思えて参りましたわ」
「なんだ、そんなことを考えていたのか? 君らしくもなく謙虚じゃないか」
「まぁ、皇太子殿下……」
いつもならそこで刺々しい反論をする所だが、今日ばかりはナディアの刺も控えめらしい。それにむしろムスリとしたのはアルトゥールの方で、やりがいのなさが落ち着かない様子だ。
おかげでナディアの顔色は益々安堵に代わった。
「物申した方が宜しいようでしたら、そうしますわよ?」
「いらん……と言いたいが。まぁ、その方がマシだな。しおらいしと気持ちが悪い」
「それは流石にお言葉が過ぎますわよ、殿下」
ようやく反論されたことで、アルトゥールもニヤと笑う。実に困った性格の友人である。
「取り敢えずナディも座れ。そんなところに立たれていたんじゃ落ち着かん」
「貴方ってどうしていつもそうなのでしょう。ヴィオレット様の苦労がしのばれますわ」
「アレには優しく接していたさ。ぞんざいにする理由がなかったからな」
アルトゥールにとっての“ぞんざい”は、取り繕わなくていい相手という意味であり、それは友人やごく一部の側近にだけ向けられている扱いだ。
妻をぞんざいに扱っていなかったというのは一件いい意味に聞こえそうなものだが、その実、この意地の悪い本心をなんら見せていなかったという意味なのだから、自然とリディアーヌ達も言葉に困って眉を垂らすしかなかった。
昨春には怒りに任せて、ヴィオレットを娶るなら責任を持ちなさいよと罵ったが、ベルテセーヌでの復讐が果たされ余裕を得た今となっては、面倒をしょい込んでしまった友人のことを察してあげられなかったことは申し訳なかったななどと思わなくもない。勿論、だからといって後悔なんてしていないし、今でも自業自得だとは思っているけれど。
「私は、ヘイツブルグ大公閣下の目的はあくまでもギュスターブ王弾劾なのだと思っておりました。私共もあと一手が欲しいところ、閣下の申し出は望むところで、その原因も閣下のギュスターブ王に対する十五年前の怨みに起因しているのだと思っておりました。それがまさか……リディアーヌ様を担ぎ出さんとしていて、ましてや他の皇帝候補様方にまで罪を問うような、そんなことを考えていらっしゃるなんて……」
控えめに腰を下ろしたナディアは、やがてゆっくりと自分を落ち着けるように深呼吸を繰り返してから、ことの事情を説明し始めた。
数日前に見かけた時のような自信に満ちた様子はなく、多少気は持ち直したようだが消沈した様子に変わりはない。
リディアーヌはこの友人がどれほど抜け目ない慎重な友人であり、かつ人の利害に潜り込むのが上手いのかを知っている。だがそのナディアの確信を裏切る形で今日の議会があったのだとすれば、ヘイツブルグ大公はよほどの上手であったのだろう。
「恐れながら……皇太子殿下。ヴィオレット妃殿下は、私が匿っているのです……」
「ふぅ……」
もれなくため息を吐いたアルトゥールに、ナディアも眉尻を垂らして一度言葉を噤んだ。だがそのため息はナディアというより、ヴィオレットに向けてのものであったように思う。
「ナディ、匿うと言ったかしら? 家出してきたのではなく?」
「家出?」
果たしてその言葉が適切なのか、首を傾げてアルトゥールをチラリと見たナディアに、憮然とした顔をしたアルトゥールは「うちでは家出と認識している」と答えた。
「家出……ですか。えっと。まぁ、そうですわね。私はこちらでお会いした妃殿下が帰る場所がないと仰るので、ではうちにいらっしゃいませんかとお誘いしました。てっきり殿下に追い出されたのかと」
「おい、ナディ。いくら何でも俺のことを馬鹿にしすぎじゃないか? 簡単に野放しに出来るような相手ならそもそも結婚だなんてものでクロイツェンに繋ぎ止めはしなかった。追い出せるものならすでに追い出している」
「?」
どうやらヴィオレットの予知の話を知らないらしいナディアにはすぐに理解できなかったようだ。ただとても興味深そうに、「そこまで貴方様を追い詰めるものをお持ちだなんて。是非聞いてみなければなりませんね」などと言うものだから、誰からともなくため息が零れ落ちてしまった。
「えっと……その反応は、何なのでしょう?」
「悪いけれどナディ、それについては興味を持たないでちょうだい。もうこれ以上状況の混乱は勘弁だわ」
「まぁ……リディアーヌ様がそうおっしゃるだなんて」
「なんかもう、色々と諸悪の根源なんだよね。何が神様の怒りを買ったんだろうね。やっぱりリディが長い間お仕事しなかったせいで神々が天罰でも下したんじゃないかな」
「言っておくけれど私がベルテセーヌを離れるより前にヴィオレットは生まれているから、祟りは関係ないわよ。諸悪の根源については否定しないけれど」
そもそも神々は祝ったり祟ったりするような存在ではないようであるし。
「取り敢えず今日の議会でアレが不在だったことが痛手になったのは事実だ。だがナディが謝る必要は微塵もない。どうせヘイツブルグ大公もそれを知っていて利用したんだろう。真面目にヴィオレットの行方を捜していなかったのは自分のミスであるし、そもそもこの大事な時期に家出など馬鹿げたことをしでかしたのはヴィオレット自身だ」
雑談で茶化せるリディアーヌ達と違って随分と鬱憤が溜まっているらしいアルトゥールの語気は強く、それを聞くとナディアも言葉に困ったように眉尻を垂らした。
「結局、あれは正妃の器などではないのだ。最初から分かっていたことだし、それでも……ふぅ。もう少しくらい、物事の道理が分かると期待していたんだがな」
「貴方が無駄に甘い顔をして惚れさせたのが悪かったんじゃないの?」
「……」
リディアーヌの突っ込みに答えるべき言葉が思いつかなかったのか、むすりと口を引き結んで黙り込んだアルトゥールにナディアも肩をすくめて苦笑を浮かべた。
あの様子だと、フォンクラークの離宮に転がり込んだヴィオレットはナディアにも沢山のアルトゥールに関する恋愛相談をしたのかもしれない。
なんてしょうもないんだろう。相変わらずあの子は、一人だけ見えている世界が違う。
「私は正直……ヴィオレット妃殿下に同情いたしましたわ」
「まぁナディ。貴女がそんなことを言うだなんて」
「私だって、多少王族に縁があったとはいえかつてはただの一介の侯爵令嬢に過ぎませんでした。その私が貴女様方と一緒にいるのがどれほど大変なことだったのか……きっと皆様にはお分かりにならないことですわ」
ナディアがそんなことを言うだなんて驚いた。
思わず目を瞬かせたのはリディアーヌばかりでなく、だがマクシミリアンだけはこれに呆れた顔をしながら、「特ににこの二人はそうだからね」と言うから、益々首を傾げる思いだった。
“そう”とはなんだろうか?
「私は好きだけどね。君達の、周りは全部ぺんぺん草的な思考回路」
そういえば何だか前もそんなことを言っていたような気がする。
「私、そこまで周囲をぞんざいにしているつもりは無いのだけれど」
「ははっ、分かってるよっ。でもリディもやっぱり、生まれながらの王女様だよ。もう、なんていうんだろうね。この人の懐に入れば絶対間違いないっていう安心感? なんか思わず崇拝したくなる感じ? あぁ、何度も繰り返すけど、私はそういう所も含めて好きなんだから、直そうだなんて絶対にしないでね」
「……」
え、なにそれ。なんか複雑なんですが。
「君達はさ。なんというか、思考回路がやっぱり常人とは違うよ。当たり前に為政者の考え方ができるし、当たり前に自分そのものが国そのものである自覚がある。それってどれほどの高位貴族であっても早々持てる感覚ではないし、そういう人に心酔してひれ伏して着いて行くのは楽で簡単だけど、自分達と並んで歩きなさいと言われると、それはひどく難しい事なのだろうと思うよ。同情するほどにね」
「あたかも自分はそうじゃありませんと言わんばかりじゃないか、ミリム」
「うーん……私はまぁ、反抗期くらいから、ザクセオンなんて放り出して旅人にでもなろうかなんて夢想したこともあるくらいだから」
「……お前、旅人って……いや、似合うな」
「似合うでしょう?」
「というかもう半分くらいその体でふらふらしてるんじゃないのか?」
「そうそう。ヴァレンティンに単騎で旅行した時はリディにこっぴどく叱られた」
呑気な話をしているが、とはいえマクシミリアンだって根っこは同じだ。周囲にとってはアルトゥールやリディアーヌよりはるかに付き合うハードルが低い人当たりの良さだが、何となく彼の言わんとしていることは分かった気がした。
ナディアは、もしかしたら意外と無理をしていたのだろうか……。
「誤解しないでくださいね、リディアーヌ様。私はリディアーヌ様から友と呼ばれたことも、期待をかけられたことも嬉しかったですし、プレッシャーはありましたけれど、お声をかけていただいたことを誰よりも光栄に思っておりました。だからこそ少しでも友と呼ばれて恥ずかしくない自分になりたくて、危うい立場にいた夫をわざわざ選んで嫁ぎ、“殿下”の敬称を勝ち取ったんです。少しでも貴女様に近づきたくて。そうなって恥ずかしくない自分でありたくて。すべて私がそうしたかったからです」
「ナディ……」
「でも私がそうできたのは、元王女であった祖母と母のおかげですし、私がその自覚を持てたのは、王族傍系家門の実家あってのことです。それのないヴィオレット妃は、一体どれほど大変だったでしょう……」
リディアーヌにはちっともヴィオレットへの同情心なんて抱けないのだが、ナディアにしてみると昔の自分を見ているようで捨て置けなかったのかもしれない。
「可哀想な方ですわ……あのように未熟では、どうしたって殿下方と並び立つだなんてできやしないでしょうに。なのによりにもよって私が知る中でも最も王族らしい王族で、微塵として他人への気の回し方なんて存じていらっしゃらないアルトゥール殿下にお惚れになるだなんて。不幸としか言いようがございません」
「おい、ナディ。随分と調子が戻ってきたようだな」
「まっ。失礼しました」
そう口では言うが、ナディアはただ同情しただけではなく共感もあって、ヴィオレットと打ち解けたのかもしれない。何しろアルトゥールだからな……ヴィオレットにそれが務まるはずもないことは、彼の実の妹であるベネディクタも言っていたことだ。分かっていなかったのはヴィオレット当人だけである。
やはり、アルトゥールが懐柔のためとはいえヴィオレットに素顔を隠して当たり障りのない王子様を演じたのがすべての元凶なのではなかろうか。
思わず皆の視線がジットリとアルトゥールを見やってしまったのは仕方のない事である。
「お前達……言いたい放題言いやがって。言っておくが、皇太子妃だぞ。一国の正妃、しかも皇帝にならんとしている俺の妃だぞ。あっちだってその覚悟くらいあって当然だろう。そもそもそれができるという自信があったから、契約婚約だなんて駆け引きを持ち掛けられたんだろう……と……まぁ、そう思うじゃないか」
「契約、婚約?」
どうやらナディアはそれも存じていなかったようで目を瞬かせていたが、もうアルトゥールも隠す気はないのか、「結局契約結婚に代わったが、元々そういう約束での結婚だ」と言い放った。
「それは、まぁ……よりにもよって殿下が恋に溺れただなんてことはないと存じていましたが……契約結婚ですか」
「期限は皇帝戦が終わるまで。くしくも昨春、リディに『一度結婚したなら最後まで責任を持て』と説教をされたが……アレには皇帝戦が有利に進むよう導く代わりに衣食住の保証と離縁後の資金援助などを条件に出された。だが蓋を開けてみればどうだ」
「有利どころかどんどんと不利に導かれているわね」
「教会が欲してくれたのは幸いで、これならまだ役にも立つかと思っていたが、ここにきて家出して、しかもいいように使われているなど情けないにもほどがある。契約不履行の条件はもう少しきちんと決めておくべきだった」
「それは貴方が悪いわね」
「うん、トゥーリが悪い」
「うるさい」
どうやら珍しく反省をしているらしい。このくらいにしておいてやるか。
「えーっと……私は殿下の足を引っ張ることに加担してしまったことを謝罪し、許しを請うために面会を申し出たのですが……同時に、私、すぐにもヴィオレット妃殿下をクロイツェンにお返ししなければと、それをお伝えしに参ったという目的も……」
「いらん」
「……」
「……」
思わず冷たい眼差しになった友人達に、アルトゥールもさすがに自分の言い方がまずかったと思ったのか、ごほんっとわざとらしく咳払いした。
「今更寄越されて余計なことに時間を取られる方が困る。家出をしたのは本人の意思なのだから、俺がどうこうするつもりもない。そもそも契約時に、ヴィオレットの行動を制限しないと約束しているからな。だから返却されても困る」
文脈的にはまったく『だから』になっていないと思うのだが、つまりそれが本心なのだろう。ナディアは困った顔をしているが、ただ何となくリディアーヌにはアルトゥールの本心がそればかりではないような気がした。
ヴィオレットは正妃には向かない。それどころか王侯社会、もしかすると貴族社会にすら向かないかもしれない。そんな彼女に好き勝手を許して周囲を掻きまわされるのが嫌だというのも本心だろうが、だがナディアの元に預けて自分の傍から離すことは、同時にこのどうしようもなく清濁入り混じった争いから遠ざけるという意味でもあるのではなかろうか。
彼女には向かない。アルトゥールのように自ら危機を回避する力もなければ、それに対して非情な手が打てるような王侯の気質も持ち合わせていない。そんな彼女をこれ以上傍に置いたところで、早晩命をも落としかねない。そこには少しくらい、妻とした相手に対する情もあるのかもしれ……。
「それにアレがいない方が何かと煩わされずに、心底助かる」
「……」
うん。いや、ないな。情は無い。ただの本心だったようだ。
そんな様子に何を思ったのか、ナディアは一つ決意した顔で頷くと、席を立って改めてアルトゥールに丁寧な一礼をしてみせた。
「かしこまりましたわ、皇太子殿下。此度の件の責任を取って、妃殿下は私が謹んでお預かりさせていただきます」
「頼んでないし聞いてない」
「ええ。でも、そうさせていただきます」
顔をあげたナディアの面差しは、もういつものナディアだった。
それにほっとしながら、改めてナディアに「ほら、座って。お茶をいただきましょう」と誘った。
もうしばらく、こうして友人達が何隔てなくお茶を飲む機会なんて当分来ないだろう。明日になればまた議会で顔を突き合わせ、互いに互いを貶し合うかもしれない。
けれど今だけは……今少しだけは、友人達との旧懐に浸ることを許してほしいと思う。




