10-28 三人と旧懐の苑(2)
「まず後半しょっぱなから教会がそれらしい道義だなんだを述べながら、すでに報いを受けた死者の罪をただ同族というだけで生者が受ける理由はないと、トゥーリやベルテセーヌ王を庇った。ちょっと気持ちの悪い主張ではあったけど、まぁ教皇聖下はトゥーリと何やらずぶずぶにやっているらしいし、リディを皇后にとか馬鹿げたことを言っているからね」
「ずぶずぶって……お前なぁ」
「ずぶずぶなんでしょう? 君がそんな様子なせいで、聖下は君が皇帝になればリディを皇后に出来るだなんてひどい妄想を抱いているんだよ?」
「……」
言葉を失って口をへの字に曲げたアルトゥールに、リディアーヌも肩をすくめて、「まぁその件はいいわ」とフォローした。マクシミリアンには看過できない問題なのだろうが、それが有り得ないことはすでにアルトゥール自身が一番よく理解していると思う。
「とりあえず、議会は教会からの発言を正式に認めたのね?」
「休憩が開けても両論、収拾がつかなかったからね。中立という立場でしゃしゃり出てきた。けど中立というには偏った意見だったせいで、当然ヘイツブルグ大公は反論して……ふぅ。まったく、口にしたくもないくらいなんだけど……」
「じゃあかわりに言ってやる。大公は公の場で教会に対して、教皇聖下はリディを皇后に欲しているから、皇帝候補を罪人にしたくないだけだと抜かした」
「あー……」
なるほど。それでアルトゥールまで平然と教会の思惑を知っていたのか。そうと聞いて、一体何を思ったのか。リディアーヌの胸の内の愛憎せめぎあう激情を知っているはずだから、きっと到底居心地のいいものではなかっただろう。
「ついでにお前とミリムのこともあげつらわれていたぞ。亡きクリストフ二世陛下の愛娘は父の遺志を良く知っていて、父親殺しの皇帝の孫にも、反逆者の息子にも嫁がず、為政者らしく選帝侯家の公子を選んだじゃないか、だとかなんだとか」
「……」
思わず表情を失うほどに呆れたリディアーヌに、アルトゥールはクスと自嘲気味に口を緩めた。
きっと学生時代には、マクシミリアンと変わらぬほどに自分を愛おしんでくれた人だ。その人とこんな話をするのは少し気まずくて、そしてきちんと報告していないことについても若干のうしろめたさがある。そういう情勢なのだから仕方がないとは思うが、気まずいのは致し方ない。
だがそれはアルトゥール自身が、「お前達が利害でそうなったわけじゃないことは俺が一番よく知っているがな」と笑い飛ばして見せた。
アルトゥールはリディアーヌよりも長く、聡く、マクシミリアンの友であった人だ。きっと昔から、リディアーヌよりも深く友人の秘めた想いを知っていただろう。
そんな無二の友人が家を捨て、家族を捨て、婿入りを決めたのだ。それがどれほどの決意であったのかが分からない人ではないし、そしてそれは自分にはできなかったことだと誰よりもよく分かっているだろう。
「ただこれが教会に対するひどい挑発になってしまってね。ヴァレンティン閣下が『うちは自由恋愛主義だ!』だなんて言って……ふふっ。いや、あれは思い返すと今でも笑える」
「まったく……あの閣下の空気の読まなさと、どころかバッサリと切り割いてくるあの度量は何なんだろうな。思わず『今その話がいるか?』と突っ込みかけたぞ」
「お養父様……」
「くくっ。いや、まぁとりあえず、私はすっかり教会に睨まれてしまったよ。聖下の目的は“皇帝”じゃなくて“皇后”だからね。私ではどうあがいても皇帝候補にはなれないから」
それが選帝侯家というものだ。リディアーヌにとってみれば、皇帝候補になりかねない危ういさのある自分などよりはるかに理想的で羨ましい魅力なのだが、まったく、儘ならないものである。
「それでも聖下はまだ理性的だったが、アンジェッロ司教が暴走した」
「あれで司教とは、まったく呆れたものだ。調子に乗って、聖女を皇后に抱けるのなら皇帝候補なんて誰でもいい。こんなつまらない話はとっとと締めてしまえと暴論を吐いてな」
アンジェッロ司教……以前から何かとちょくちょく引っかかる物言いをしているドレンツィン選帝侯家教皇推薦枠の選議卿だ。教皇聖下の懐刀として次期枢機卿の立場を狙う司教様だったと記憶しているが、帝国議会で発言権を得るという絶好の機会に自制がきかなかったのだろうか。
「おかげで議会は大荒れだよ。仮にも聖都本山の司教が皇帝候補とそれを立てる選帝侯家という帝国の基本的、かつ絶対的な法を蔑ろにしたわけだからね」
「惨状が目に浮かぶようだわ……」
その場を見なくて済んだことにホッとする。
「その辺でそこの私達の可愛い悪友が、まぁそれまで散々名指しであれこれ言われていたのもあるんだろうけど、ついに何かがブツッといったらしく盛大に司教を罵り出した」
「……トゥーリ」
「ッ、その目をやめろっ! 分かってるッ、短絡的だった! だがいい加減煩わしかったんだよ。そもそも教会がしゃしゃり出て来るなんておかしいだろ!」
そういえば昔から、話の道理が分かる相手にはじっくりじっとりしつこいほど議論を求める癖に、道理のない相手にはきわめて短気であったように記憶している。リディアーヌにいわれのない暴言を吐いた学生を問答無用に蹴り飛ばした事件もあった気がする。
「まさか聖職者に手をあげたりなんて……」
「ちっ。席が遠かったことを神に感謝している頃だろうな」
「貴方、そんなにこらえ性のない人だったかしら」
「……」
まぁ分からなくもないか。
誰も知らないだけで、アルトゥールはすでに祖父の事を自らの手で清算し、その罪を背負った。なのに今更それを理由にチクチク言われ、心を許している友の事までいいように言われて、堪忍袋の緒が持たなかったらしい。
まったく……妙なところだけ、情が深いのだから。
「ただ、まぁ……なんだ。多分、ヘイツブルグ大公にとってはそれも予定通りなんだろうな。あぁ、くそっ……思い出しても腹が立つ。まったくしてやられた。どうせこれも最初から狙いだったんだろうッ」
ぶつぶつと呟いて頭を抱えるアルトゥールに代わり、その後のことはマクシミリアンが詳しく教えてくれた。
「ヘイツブルグ大公はよりにもよって、ベルテセーヌ王によって両親親族を処刑され恨みを抱いているであろうヴィオレット妃が今回のベルテセーヌ王欠席の理由に関与しているのでは、なんて反論をしてね。これは流石に聖下も窘めたけど、そもそもヴィオレット妃は今日の議会に来ていなかったからトゥーリも反論のさせようがなかった」
「そういえばいなかったわね。どうしたの?」
「知らん」
アルトゥールはすっかりと思い出した出来事で不機嫌になってしまったようで、子供みたいに仏頂面のまま言い捨てた。
仮にも自分の妻のことだ。知らん、ってことはないと思うのだが。
「家出中らしいよ」
「……家出?」
呆れてものも言えないリディアーヌに、「だろう?! そうなるよな?!」とアルトゥールが同意を求めてきた。
ということは、アルトゥールが追い出したとか、あえて国許に置いて来たとか、そういう話ではないということだ。まさか本当にヴィオレット妃が自分の意思で家出していて、今日のこの大事な議会に来なかったのもそのせいだと?
「……ふぅ」
年の瀬の帝国議会の内容を思えば家出したくなる気持ちも分からないではないが、だからって本当に家出をしていいはずがない。
結局彼女はどこまでも皇太子妃としての自覚が足りず、何一つとしてアルトゥールの役に立っていないのだ。中々の悲劇である。
「取り敢えずヴィオレットはすでに帝位を得たとしても皇后にはせず教会所属とすることを教会と合意している、と反論した。そう言われれば流石のアンジェッロ司教も自分の失言には気が付くだろうからな。だがヘイツブルグは……」
顔からすでに怒気が滲みだしており、その先は聞かずとも察しがついた。
元々ヴィオレットは脛に傷を持つ立場だ。たとえベルテセーヌ先王から追放処分に処され実家とも縁が切れているとはいえ罪人の子であることに違いはなく、それこそリディアーヌとは浅からぬ因縁を持つ。
アルトゥールは政治的な才覚とそうした脛の傷も理由として皇后とはせず、しかし聖女という肩書きを重んじて教会に託すことで政教並列を強調し、教会を味方につけて行こうとしていた。だがヘイツブルグ大公からしてみれば、クロイツェンが匿い教会が諸手を挙げて歓迎するヴィオレットを皇太子妃にしたこと自体がアルトゥールを追求する手段になる。
アルトゥールにはアルトゥールなりのその時ののっぴきならない事情があったのだということを今のリディアーヌは存じているが、どちらにしてもヴィオレットの“未来を知っている”だなんて馬鹿げた、かつ危険な事情を周知させることはできないのだから説明もできない。アルトゥールにとってヴィオレットの存在はすでに大きな重荷なのだ。
「空気の読めないアンジェッロ司教がこれにまた怒鳴り上げて、ヴィオレット妃をあれもこれもと持て囃し続けたものだから余計に性質が悪くてね。ヘイツブルグ大公はここぞとばかりに、教会に根回しして自分の妻さえ道具にして利用する……これが非情にして極悪なクロイツェン七世の孫のやり方だ、って……く、くくっ。いや、ちょっとね。非情にして極悪という点はまったく反論する気はないんだけど」
「……おい、ミリム。ちょっとは真面目に話せないのか?」
「ごめんっ。だって……くくっ。いや、何しろ面白くて。皆、トゥーリのことよく分かってるじゃないかって。あー、でも誰々の孫だからとか子だからとかじゃなくって、トゥーリ自身の性格ですよって言ってあげたくてたまらなかったんだけどねっ」
うん。とりあえずマクシミリアン一人だけは緊張感迸るはずの議場で一人状況を楽しんでいたらしいことがよく分かった。
「ハァ……まぁ、つまり、そういうことだ。この辺りでいい加減にザクセオン大公が重い腰をあげて事態を収拾させたが、結局後半になっても本来の議題だったはずのギュスターブ王弾劾に関する審理は全く進まないまま終わった」
「あぁ……だからこんなに早々と貴方達がこんなところにいたのね」
「もう何が何やら、混乱が酷くてね。とりあえず特定の皇帝候補に対する中傷は選帝侯家のすることではない、って他の選帝侯達が諫めて、ヘイツブルグ大公も『もとより、特定の人物だけを対象にしたわけではないが』なんて言いながら引いたことで、オランジェル候が早々と閉会を宣言した。もう最初の議題の収集もつかない状況だったし」
「日を改めての議会再開の告知もなかったの?」
「無かった。とりあえず罪状は明らかにされたから、多分このまま今度は選帝侯と国王達の集まる春以降の正式な議会で追及するつもりじゃないかな」
「喫緊の罪状もあるでしょうに、それでは日和見が過ぎるのではなくて?」
「まったくだよ。でも皇帝不在のまま間に挟まれてどうしようもないオランジェル候のその気持ちも分からないではないけどね」
でもきっと他の選帝侯や王達はそのままでは済まさないだろう。少なくともギュスターブは早々と皇帝候補から外したい。そして叶うことならギュスターブを擁立したこと自体の罪をヘイツブルグ大公に問いたいのだが。
「そういえばヘイツブルグ大公への糾弾はどうなったの?」
「いやぁ、見事にはぐらかされたね。せっかくリディがいい感じに問題を放り投げてくれたんだけど」
放り投げた、って……ちょ、言い方。
「取り付く島もなかった。こっちが追求すれば、だったら十五年前はどうなんだと言われる、その繰り返しだった。そのまま皇帝戦制度自体への批難になって、それどころでもなくなったしな。今思えばあれも大公の掌の上ということだろう。くそっ……益々腹が立って来た」
なるほど。それだけヘイツブルグ大公が今日のこの日の議会のために、誰よりも入念に流れをシュミレートしてきていたということなのだろう。
何しろ相手は十五年、この帝国議会で選帝侯として君臨してきた相手だ。元より軽々しく口を開かないうちのお養父様や、ドレンツィン大司教とダグナブリク公、そして十五年前の件では最も深い悔恨を抱いているザクセオン大公が黙らされてしまえば、若輩ばかりが居並んでいた七王家の面々ではどうしようもなかっただろう。
よくもまぁこのタイミングを選んでくれたものである。
だがだからこそ疑いは深まった。
もしもこの今日の議会にもう一人、リュシアンがいたらどうだっただろう。十五年前の件を知り、自らベルテセーヌでクリストフ二世暗殺の共謀犯を裁き、簒奪者である自分の父を退位に追い込んだリュシアンがいたら……そしたらここまでヘイツブルグ大公の思うが儘にはならなかったのではないか。
「ヘイツブルグ大公には、リュスとトゥーリを狙って得をする理由があったということね……」
「リディ……」
心配そうにこちらを見るマクシミリアンに一つ苦笑を浮かべて見せてから、まだはっきりとはしない疑いに蓋をし、口を閉ざした。それはまた後で、じっくりと考えよう。
「いずれにせよヘイツブルグの思惑はよく分かった。想定しているのはリディ……いや、リディアーヌ元王女の推戴か、あるいはそれを利用しての、皇帝制度全体に対する断罪だ。もはや言うまでもないことだろうが……お前達も気を付けろ」
特にじっとリディアーヌを見つめたアルトゥールの視線に、リディアーヌもゆっくりと息を吐きながら小さく頷いて見せた。
リディアーヌ元王女の推戴、か。そういえば十五年前の復讐を果さんとする、あるいは美談にでもできそうな話に聞こえるが、実態はそんな仁義ある話じゃない。
大公にとってのリディアーヌは都合よく生き残っていた自分の行動の“名分”であり、本人の意思など知ったことも無く、それを悲劇であると強調することで自分の恨みを晴らそうとしているだけの迷惑な話だ。
その証拠に、前半戦でのリディアーヌの主張はまったく後半戦に生かされていない。そもそもクリストフ二世の王女なんてものがもういないのだと、何をどう言葉を尽くしても理解されてくれない。
所詮は自分に都合のいいものだけを受け入れ、それを利用して意を通すのが為政者だ。結果さえ伴えば動機も経緯もどうでもいい。そうであることを知っているがゆえに、リディアーヌも何度も言葉を尽くしていてなお、そこに一抹の諦めのような感情も抱いている。
「言葉より、明確な証拠が必要なのでしょうね」
「だがそんなものは存在しない。祖父は祖父だ。君もまた君だ。そんなものはどうしようもないんだからな」
「……ええ」
まったく。大人というのは勝手な人達ばかりである。
あれもこれもそれもどれも、すべて、彼ら大人達が私達に課したものだというのに。




