10-27 三人と旧懐の苑(1)
リュシアンの元を離れて王の棟を出ようとしたところで、ふと、後ほどマクシミリアンが迎えに行くとかなんとか言っていたのを思い出した。
こちらに来てまだそんなに時間は経っていないが、議会はとっくに再開して、それなりに進んだはずだ。まだ終わってはいないだろうか。
「そういえばここの南は王家の庭苑よね?」
選帝侯家の離宮の傍に青苑と呼ばれる選帝侯家のための庭があるように、この七王家の離宮が立ち並ぶ一角にも赤苑という庭があったはずだ。大きなものはベルテセーヌ離宮の西側、大通りを挟んだ向こうにあって人の出入りも多いと聞くが、南の小さな方の庭はただ離宮からの遠望をよくするためだけの空閑地に植林して建物を置いただけの場所だと聞く。
時間を潰すのにはいいのではと思ったが、さすがに昨今の情勢を鑑みるとふらふらと庭で息抜きしたいとは言えないだろうか。
案の定フィリックには『寝ぼけてるんですか?』とでも言わんばかりの胡乱な目を向けられたが、何故か護衛騎士として同行しているはずのイザベラが「いいですね。青苑と違って赤苑は華やかと聞きますよ」なんて乗り気なものだから、もれなくフィリックがため息を吐いた。
「貴女は護衛の自覚は無いんですか?」
「ありますけど。私が付いてるなら大丈夫ですよ」
「……」
イザベラさん……なんて頼もしいの、私の側近。
まぁリディアーヌとて自分が命を狙われたばかりなら考えなくもないが、どうやら今のところ利害的にリディアーヌに死なれて喜ぶ人よりは死なれると困る人の方が多いらしいと分かっている。むしろ何度もベルテセーヌ離宮に出入りしていることをこの周辺を嗅ぎまわっている連中に見せつけて、いざとなればこっちにまで害が及ぶぞ、それでもいいのか、と脅したいくらいである。
「有効ではなくて?」
「本心なのか、息抜きしたいだけなのか……判断しかねますが」
そんなことを言いながらもフィリックは御者に「南の赤苑に」と指示するのだから、言葉に行動が伴わないいけずっぷりである。
先程感じたベルテセーヌ側の違和感に関する話などをしている内にも馬車はすぐそこにある赤苑に入り、噂通りの背の高い木々が並んだ小道を走って行く。
整然と整えられた皇宮の庭にしては珍しいタイプで、やがて馬車止まりが見えてきたところで適当に馬車を降りて舗装された道をゆるゆると歩いた。
ヴァレンティンと違ってすでに春の花々が芽吹いており、大きな噴水にも水が入っている。人気は無いが手入れは良くされていて、石畳を明るい方へと行くとぱっと視界が開けた。
周りは高い木々に囲まれていたが、内側はわりと開けているらしい。遠くにいくつかの建物もあるが、大半は良く整えられた庭だ。
七王家の人間ではない自分が建物に近づくのはどうかと思うので庭の奥の方へと歩を向けていると、白いガゼボの屋根が見えてきた。周りも開けていて危険もなく、ちょっと腰を落ち着けるにはちょうどいい。
そう思って生け垣をぐるりと回って近づこうとしたら、思いがけず、がさがさと飛び出してきた赤いペリースの騎士達が飛び出してきて立ちはだかった。
そのことにびっくりとして立ち止まったところで、「リディ?」などと耳慣れた悪友の声までする。
どうしたことか、こんな共用の庭の真ん中で、最近命を狙われたばかりかもしれないアルトゥールさんがうちのマクシミリアンさんと並んで呑気にガゼボで談笑していたようである。驚きよりも呆れが勝ってしまったのは仕方がない。
「呑気なものね、皇子様」
「そういうお前達こそ、呑気なんじゃないか?」
ひらひらと手を振って騎士達を引かせたアルトゥールに、自然とリディアーヌの足もガゼボに向いた。
「もう議会は終わったの? 早かったわね」
「そういうリディも、早かったね。使いを出したのはつい今なんだけど」
「使い?」
どうやらマクシミリアンはつい今したがベルテセーヌ離宮にいるはずのリディアーヌにあてて、赤苑にいるとの使いを送ったばかりだったらしい。リディアーヌもベルテセーヌの門番にマクシミリアンからの連絡が来たらそう伝えるよう伝言したが、どうやら行き違ってしまったようだ。ただの思い付きのおかげですれ違わずに済んだ。
「それにしたって、今のこの情勢でよく呑気に二人でお茶なんて出来たわね」
「そういうリディも当たり前みたいに座っているがな」
言われて初めて自分が当たり前のように彼らと同じ席につこうとしていることに気が付き「確かに」と躊躇したのだが、もう椅子を引いてもらってしまった。今更である。
それにクロイツェンがお茶の準備までしてくれているではないか。春先とはいえまだ風は冷たいので、温かいお茶は恋しい。そうと察したようにあちらの侍従がティーカップを用意してくれるものだから、有難く頂戴した。勿論、毒味は徹底してもらう。
「それで、二人ともどうしてここに?」
「帰りしな、リディを迎えに行こうとこっち方面に向かっているのを見咎められて拉致されたんだよ。まったく、横暴だよね、この皇子様は」
「なにが横暴だ。クロイツェンの馬車なら目立たなくていい、などといってむしろ図々しいくらい嬉々として強引に乗り込んできたのはどこのどいつだ」
「後ろに姉上がいるのが見えちゃったんだよね。どっちがマシかと言えばトゥーリの方がマシかなって」
「お前、ペトロネッラ夫人に何されたんだ?」
昔と寸分違わず呑気に会話をする二人を見ていると、どうにも気が抜ける。
マクシミリアンはヴァレンティンに転がり込んだ時点でクロイツェンにとっては推戴家門ザクセオンの裏切り者になったはずなのだが、そんな様子は微塵も感じさせない。いや、それどころかまるで出会った頃のままのようではないか。最近の皇帝候補らしいアルトゥールの険しい顔つきはどこへ行ったのか、襟を緩めているせいもあって幼く見えるのも原因だろうか。
ただ二人もいつまでも無意味に雑談する気はないようで、温かいお茶にひと息を吐いたところで「それで」とマクシミリアンが切り出した。
「聞きたいのは二日前の件なんだけど。まどろっこしい駆け引きとか面倒だから、とりあえず全部話してもらえない?」
「……お前、卒業してからこの方、色々と雑じゃないか?」
「君に対して限定でね」
「そうなのか?!」
久しぶりに友人と気負わず会話で来ているのが楽しいのか、アルトゥールの方こそ随分と砕けた雰囲気だ。だが取り敢えず、どちらも無意味にここで椅子を並べているわけではなかったことは察せられた。
「とにかく、その件を話すなら交換条件だ。そっちもベルテセーヌで起きたことの詳細は分かっているんだろう? さっきの議会で、どうやらベルテセーヌ王に変事があったらしいことは聞いたが」
「何ですって」
何をどうしてそんな話になったのかと思わず口を挟んだら、マクシミリアンが困り顔でリディアーヌに「そうなんだよね」と、事情を簡単に説明してくれた。
どうやら事情を知るベルテセーヌ内部やヴァレンティンとは関係なく、ヘイツブルグ大公にアルトゥールと並んで罪深いと言われたベルテセーヌ王の欠席について突いた者がいたらしい。アンジェリカは堂々と『体調不良につき』と説明したが、納得しない者達が騒ぎ立て、何かあったのだということが察せられるような雰囲気にさせられたようだ。
アンジェリカもそれに堂々と知らんぷりをしていられれば良かったが、二日前の夕にヴァレンティンの公女が入っていったきりちっとも出てこなかったそうじゃないか、みたいな話をされるとついむきになってしまい、『私とお泊りしていたんです! 仲良しなんです!』と反論したのがいっそう違和感を振りまいてしまったらしい。
まぁなんというか、アンジェリカらしいというか。どのみちあの日のことはリディアーヌもそれが望まれない行動であることは自覚していたので、あまりアンジェリカを責める気にはならなかった。
「うちでもその日、離宮内で騒動があった。だから察しは付いているが」
どうやらアルトゥールはそれらの情報の中から実際にベルテセーヌ王に何かあったと察したらしい。
「そっちの情報が先よ、トゥーリ」
「構わん。大したことじゃない。うちの侍従が毒味で一人倒れただけだ。それ自体は大騒ぎするほどの非日常でもないからな」
「……毒」
「生憎とルートは分からん。毒味させたのが毒を持ち込んだ張本人でな。挙動が怪しいからと出された茶をそのまま無理やり飲ませやったらそのまま息絶えた」
「君のそういう所ってさ……まぁ相変わらずなんだけど、ちょっとどうかと思うよ」
「出されたものを自分で飲めと言っただけだぞ? 拒否するなんて怪しいだろう。おかげでどこの誰からの指示なのか聞き損じてしまったことは失策だったと思うが」
「いや、うん。そうじゃなくて」
わかる。わかるわ、マクシミリアン。十分知った顔であったはずの侍従を容易く疑えたこともそうなのだが、怪しいからって本当に飲ませるなよ、ってことですよね。
でも人情なんてもののないアルトゥールに言っても無駄である。
「呆れたけれど、さすがの警戒心だと思うわ」
「その様子だとベルテセーヌ王の元にも毒が届いたか」
「ええ。しかもヴァレンティンからの贈り物と称してアンジェリカに届けさせるという実に手の込んだやり口で。それに比べると貴方の所は随分と杜撰ではなくて?」
「十八年傍に仕えた侍従だった」
「……なるほど」
それでは杜撰とは言えないか。
いつからその侍従が反心を抱いていたのかは知らないが、であれば今の淡々とした口調とは裏腹に、それなりにショックな出来事だったのかもしれない。
くしくも根っからの王族育ちであるアルトゥールはそれを外に出さないことに長けているから、どうせ人情なんてないものねと判断してしまったことについては多少反省した。
だからといって毒と疑って飲ませたのはアルトゥール自身なのでちっとも慰める気なんて起きないけれど。
「正直、方々から恨まれている自覚はある。シャリンナやリンドウーブなんかとは相変わらずだし、うちの祖父がそれこそ積年の恨みを抱かれる人間だったらしいことももう知っているからな。皇帝を志すならそれらを全部、切っても切れない血縁として引き受けねばならないのだということも理解している」
「……ええ」
「だがベルテセーヌでも同様の事件が起きたとなると、腑に落ちないな。あぁ、言っておくが、俺じゃないからな」
「疑ってないわよ」
まぁアルトゥール以外のクロイツェンのどこかしらからの手の者では、だなんてことは思わなくもなかったのだが。しかしやはりクロイツェンがそんなことをしたところで、十五年前の記憶のある面々にとって悪手であることは間違いない。それを塗り重ねてもより反感を得るだけであろう。
「むしろ……貴方には、助けられてしまったわ」
「俺に?」
心当たりがないといった様子のアルトゥールに、リディアーヌはすっかりと軽くなった薬入れをテーブルにおいて見せた。だがそれを見ると、たちまちアルトゥールはその視線を険しくした。
リディアーヌのために自分からだと隠して渡したものだ。自分のものだとバレていることに対しての顰め面だったのか、それともそれをベルテセーヌ王に使ったことを察して顔を歪めたのか。だがどうやらそのどちらでもなかったらしい。
「そこに入れてあったのは、随分と特殊な毒に対する解毒薬ばかりだったはずだが……」
「ええ。アルセール先生も言っていたわ」
「なるほど、先生なら知っている類のものばかり……おい。なんでアルセール先生が出てきた。まさかそれの出所が俺だと言っていないだろうな?」
「えーっと……」
「……勘弁してくれ。教会の禁制品が混じっているんだぞ。あの人は怒ると怖いんだ」
だったら何の説明も無しにそんなものを寄越さないでよと言いたい。だがおかげさまで、リュシアンは助かった。
しかしアルトゥールが常からそれだけの備えをしていたことは、十八年来の側近さえ軽々しく疑える警戒心含め、やはり慎重で堅実だ。それに対するリュシアンの今回の行動を思うと、こういうところがリュシアンは足りない所だなと実感せざるを得ない。
長い間虜囚として、毒なんて盛られて当たり前で、いっそ自分など死んでしまえばいいなどと思っていた弊害か。あるいは周囲に人がいなかったが故の警戒心の薄さか。悩ましいところである。
「とにかく。使われた毒は教会の禁制品だったわ。聖都でも緑の襟の薬師くらいしか採取できない入手困難なものだと先生は言っていたけれど」
「教会関係者がベルテセーヌ王を狙う理由があるか? あそこの目的はリディを皇后にすることなんだろう? ベルテセーヌ王にいなくなられてはむしろ困るだろう」
当たり前のようにそんなことをアルトゥールが知っているのは何故だろう。元々教会とは裏であれこれやっている人ではあるが、筒抜けかよと頭を抱える思いだ。
「私も教会を疑ってはいないけれど、入手ルートについては気になっているわ。そっちの毒は?」
「何しろ全部飲み干させたからな。よく分からん」
「……何してるの? 大魔王様」
思わず突っ込んだマクシミリアンに「変なあだ名をつけるな」とか言っているが、誰がどう見ても大魔王様だと思う。
「えーっと……とりあえずリディ、さっきの議会後半の報告をしていい?」
「関係あるの?」
「直接は無いけど、教会がしゃしゃり出てきてね」
はて。帝国議会において教会は傍聴権はあるが発言権は無かったはずだ。それが一体どうしてと目を瞬かせつつ、続きを促した。
どのみち随分と早々と終わったらしい後半戦については気になっていた。




