10-25 隠し事(1)
自分のあるべき席へ戻ったリディアーヌは、「お疲れ様。惚れ直したよ」だなんて余計なことを付け加えて労うマクシミリアンに、「そんなことより自分の心配をしたら?」と小突いておいた。
休憩時間なんてものが生まれたのは想定外だ。これまでザクセオン方の人間と直接対面するのを避けてきたマクシミリアンにとって、あまり油断していていい空間ではないはずである。ひとまずぴったりと隣に寄り添ってリディアーヌが腰を下ろせば、ザクセオン避けになるとは思うが。
だがどうしたことか、ゆっくりと腰を落ち着ける間もなくアンジェリカの補佐としてベルテセーヌ側の家門席にいたはずのシュルトが飛んできてこそりとフィリックに何かを耳打ちするものだから、すでに胸の中に生じていた不安にぼっと火が付いた。
「シュルト、何があったの」
すぐに直接報告するよう求めたが、先んじて耳に入れたフィリックがたちまち苦い顔でこちらを見やる。これは多分、聞かせるべきだが聞かせたくない情報だったということだ。
「ベルテセーヌで、何かあったのかしら」
先程のヘイツブルグ大公の不穏な言葉……十五年前と同じになったならばという呟きに、くしくもリディアーヌの脳裏には最悪の状況が過ってしまったのだ。
十五年前は、もはや帝位も揺るぎないと思われた皇帝候補クリストフ二世の急死により、他に立てるべき皇帝もいないからと誰もが目と耳を閉ざし、クロイツェン七世を擁立した。
そして今また、理由も目的も分からぬままにリュシアンが、そしてアルトゥールが狙われた。南北問題に爆弾を抱えている現状、セトーナのアブラーン王子を立てることを皇宮の直臣達や選帝侯達が良しとするはずはない。元々異民族の国であるカクトゥーラの、しかも国内の王位を狙っているようなリヴァイアン殿下を擁立する者もいなかろう。そしてギュスターブ王も売国の汚名を議題に挙げられた以上、帝位は望めない。
皇帝候補の中に誰一人としてそうとなれる者がいなくなった時……誰よりも皇帝に望まれていながら非業の死を遂げた人物の呪いに足を掴まれているリディアーヌは、果たしてどうしただろうか?
我がことながら、心を曲げ、すべてを捨て、帝座に膝を屈する自分の姿が見えるようで、そのことにリディアーヌはぞっと背中を震えさせた。
先程、自分で言ったのだ。向けられる汚名や不義理と口を閉ざすことへの罪の意識、そのすべてを飲み込みながら、それでも帝国すべての安寧を選んだ彼らを責めはしないと。
ヘイツブルグ大公はすでに知っている。リディアーヌは、私情よりも国のための判断を下せる人物なのだと。それこそ、親の仇に膝をつけるほどに。
もしも今のこの場で、帝位を望むべき相応しい皇帝候補が誰一人いなくなってしまったら、彼らは何を望むだろうか?
それがヘイツブルグ大公の掌の上だったとして、それ以外に選ぶ選択肢があるだろうか?
もしもそれが狙いなのだとしたら……リュシアンの命を狙ったのは、ヘイツブルグ大公なのではなかろうか?
「答えなさい、シュルト。ベルテセーヌ離宮で、何かあったのね?」
思わず席を立ったリディアーヌに、落ち着いてくださいと言わんばかりにフィリックが手で制した。だが落ち着いてなんていられない。まさか議会の最中を狙ったというのか。
「フィリッ……」
「リディ、行っていいぞ」
問い詰めようとした途端、議席から淡々とした養父の声がして、思わず皆そろってぱっと視線を向けてしまった。
「お養父様……」
「こっちで言いたいことはもう全部言ったんだろう? だったら行っていい。今日は珍しく機嫌がいいからな。後は久しぶりに、パパがきちんと仕事をしてあげよう」
「いや、それはいつもちゃんとしてください」
思わず突っ込んでしまったが、これには家門席の皆が揃って深く頷いた。
「困った。困ったな……」
ただそんな養父とは裏腹に頭を抱えて唸るマクシミリアンは席に着いたまま、恨みがましい様子でリディアーヌを見上げる。
「こっちは大丈夫、後半は私がよく聞いておくからと送り出してあげるべきなのだろうが、如何せん、嫉妬で気が狂いそうなのと、ついでに今君にいなくなられると非常に身の危険を感じる」
「……ミリムったら」
何を言っているのよと呆れていたら、ふいに手を取られ、すりと手の甲を頬で撫でられた。
ま、まったくっ、東大陸男と言うのはッ! 人目!
「仕方がないわね。フィリックを貸してあげるわ」
「え」
「……」
あれ。何で二人ともそんな顔?
「楯としても強靭だし、矛としても優秀よ?」
「……う、うん。いや、その……うん」
「ごほんっ。あー……ミリム君、こっちにきなさい。休憩時間が開けるまで私の雑談に付き合うといい。リディは色々と危険だからフィリックを傍から放さないように」
何故かお養父様が口を挟んだ。はて。何故だろう。
「感謝します、閣下」
おかしいな?
でもリディアーヌが首を傾げている内にも、リディアーヌの手の甲に一つキスをしたマクシミリアンは平然と「あとで迎えに行くからね」と言いながら養父の元へ下りて行った。
先程の議題の内容も内容だったせいで、クリストフ二世と縁のあった養父の元にやってきて話をしようだなんていう猛者は誰もいない。ザクセオンなんて猶更だ。だから確かに安全といえば安全だろうが。
「では参りましょう、姫様」
「……ええ」
そう促すフィリックに首を傾げつつ、けれどすぐにも意識はベルテセーヌに移り、リディアーヌは足早に議場を後にした。
***
足早に人気の少ないツンと冷たい議事棟の廊下を駆け抜けわざわざ選帝侯議会棟を経由して馬車に乗り込んだところで、「わざわざ退席されるほどの事でもないのですが」とフィリックが呟いた。
だったらもっと早く言えばいいものを、そうしなかったのは、退席が養父の許可のもとに行われたからだろう。
あぁみえて、うちの大公様は一応頭の中で色々と考えていらっしゃるのだ。あの場ではリディアーヌを退席させておくべきと判断したのだと思う。この後の議論も勿論傍聴したい所ではあったが、ベルテセーヌ王も不在のあの場でこれ以上リディアーヌが注目の的として視線を集めることを避けたかったのだと思う。それには同意するところだ。
「それで、ベルテセーヌで今度は何があったと?」
「……ふぅ」
「もう馬車は向かっているのだから、口を噤んだところで意味は無いわよ?」
「……離宮に暗殺者が侵入したそうですよ」
「……」
なんですって。いや、とんでもない大事なのでは?
「……リュスは、無事なのね?」
「国王陛下が負傷したとの情報は今のところ入っておりません」
今のところ、だなんて言い方は不安しかないではないか。
思わず黙り込んだリディアーヌに、「まったく、こうして余計なことを考えさせるからとシュルトに口を噤ませたというのに」とフィリックはため息を吐いた。一応、主のことを思って、情報を精査してからとの配慮のつもりだったらしい。
幸い今は大規模な議会が開催中とあって、道に馬車もなく、王国の離宮区域が近づいたところで人目もなかった。それでも用心して、ベルテセーヌ離宮の裏手にある狭い街路樹を通り、裏門からベルテセーヌの区域に入った。
どちらかというと表門よりもこちらの裏門の方がよく利用しているせいで馴染みがある。王の棟もこちらからの方が近いし、家紋と旗は掲げ得ていないもののヴァレンティンの馬車が門に着くと門番もすぐにリディアーヌを見て門を開けてくれた。
見たところ、先日の紫頭毒事件の時のような騒ぎにはなっていない。だが庭を横切る騎士達の一団を見れば警戒心が高まっているのは間違いなく、馬車を降りて王の棟の前で待ち構えていると、少し間をおいてから慌ただしくバルテオン侍従長が飛び出してきた。
予告もなく訪ねてきてしまったし、そうでなくとも内部が少しごたついているのは間違いないらしい。
「お出迎えができず、申し訳ございません。公女殿下」
「いいわ。それよりリュスには会えるかしら?」
「……」
「襲撃があったことは聞いたわ。警戒すべきであれば入らないわよ」
「いえっ、とんでもございません。ただホールの清掃が済んでおりませんで」
そう聞いたところですぐ、「なんてこと」と呟いて息を吐いた。
つまり暗殺者とやらはこの王の棟の中にまで侵入したということだ。随分と警備がざるではないか。
「まさか未だにリュスが騎士達を遠ざけているわけではないでしょうね?」
「いえ、警備はいつも以上に万全としておりましたし、陛下もご無事です。ただ……」
侵入者の中に相当の手練れでもいたと?
「捕縛は?」
「できておりません……」
重ね重ねため息が出てしまいそうなところを堪えていると、後ろから顔を出した侍従が「お待たせいたしました。ひとまず、問題ございません」と口にする。その言葉に合わせて、侍従長の案内で棟内に足を踏み入れれば、確かにカーペットが剥ぎ取られ脇の灯りが落とされており、襲撃の痕跡を思わせた。
「被害は?」
「こちらの騎士が数人、負傷しております。うち一名は……」
言葉にしなかった訃報を心で悼みながら三階の王の寝室に向かったところで、侍従長が一度入室を請いにリュシアンの元に向かうのを見送り、窓から外を見下ろした。
「どう思う? フィリック」
「あんなに仰々しく警備していては何かあったと言っているようなものですね」
「……」
聞きたかったのはそこではなかったのだが、相変わらず、他国の王の寝室の前にいながら実に口さがない物言いである。すぐそこで寝室の扉を守っている騎士達が困った顔になっているではないか。
そのうちすぐにも「お待たせいたしました」と侍従長が中へと促したので、あまり大勢は付いてこないよう側近達を制し、フィリックだけを連れて中へ入った。




