10-24 リディアーヌの反論
「すべてが咎人である。ギュスターブ王の弾劾? そうじゃない。私はここに貴殿らに問うているのだ。お前達に皇帝を選ぶ権利はあるのか? ここに居並ぶ者達に、皇帝たる資格があるのか? 否! 私はここに、いかに皇帝候補達の罪が重いのかを知らしめに来た。何故だ。何故誰も声を上げない。十五年も前から、皆が知っている。名を挙げるべきは……」
「お話しにならないわ」
ぱっと言葉を断ち切るように後列から階段を下りたリディアーヌが養父の傍に歩み寄ると、気が付いた養父と、高らかに演説していたヘイツブルグ大公の視線もようやくリディアーヌを見た。
すぐにヘイツブルグ大公が眉をしかめ何かを口にしようとしたが、その先を口に出させるわけにはいかない。すぐに上座を向いて「議長」と発言を求める声をかけると、はっとしたオランジェル候が卓上で槌を打った。
ヘイツブルグ大公の勢いに飲み込まれ、この場はすっかりと議会としての形式がおざなりになっていた。だが本来の議会では、議長が槌を打つことで一人一人に発言権が巡り、許可なく発言することは出来ないのが慣例だ。案の定、正しい議会の作法に慣れているヘイツブルグ大公も槌の音とともに自分の発言がそこまでだと議長に制されたと判断してしまったのだろう。口を開けなくなった。
チラリと養父が心配そうに隣に並んだリディアーヌを見やったが、心配はいらない。そっと背に手を添えて議席に立つ。
「ヴァレンティン公女リディアーヌ、発言を許可していただけますか?」
「え、ええ、許可します」
オランジェル候は、あるいはリディアーヌが重ねて自分達を罪に問いたいとでも言い出すと思っているのだろうか。しどろもどろな様子でか細い槌を打ったけれど、槌が打たれた以上は音量など関係ない。
「まったく。良いお年をした選帝侯閣下方がここにはあと四人も並んでいらっしゃるのに、みなお行儀よく口を噤んでちっとも反論しないのですから。一体どういうおつもりですか? お養父様も、こういう時くらい娘にかっこいい姿を見せてくれて宜しいのですよ?」
重苦しい空気の中で、やれやれとため息をついて見せながら軽やかに発言するリディアーヌに、まず真っ先に養父の顔が崩れた。続けて本件からは一番関係性の遠い先の皇帝戦より後に選帝侯となったダグナブリク公がカラカラと笑い声をあげ、「怖い怖い大公様に私のようなしがない辺境公は歯向かえないんだよ、公女」などと揶揄う。
おかげで緊張感が随分とほどけたけれど、それに比例するようにヘイツブルグ大公の顔は険しくなった。
「さて、ヘイツブルグ大公閣下。まったく、困った御方ですね。まさか今更、皇帝候補にケチをつけ始めるだなんて」
「これはお遊びではないんだぞ、公女」
「お遊び? まぁっ、私はひどく真剣なのに、なんて失礼なのでしょう」
養父の隣から階段を下りて、真ん中の議場へ歩を進める。ここからの方がヘイツブルグ大公の顔が見やすいし、周囲の視線と感情もよく分かる。
「一体何が目的なのやら存じませんけれど、私も選帝侯家の一員として、また選議卿として、今更私共が立てた皇帝候補にケチをつけるような真似をされて黙っていられるわけがないではありません」
「私共が立てた? 片腹痛い。ただの急場凌ぎであろう。もし世が世なれば……」
「もし? 遊んでおいでなのは閣下の方なのかしら。この場に“もし”なんてものは存在しませんわよ」
クスと嘲笑して見せると、たちまちきゅっとヘイツブルグ大公が口を噤んだ。
大公が何を言いたいのかは察している。だがそれを口に出させるわけにはいかないのだ。
「議長、ならびにご列席の皆々様に申し上げます。今日の議題はフォンクラーク国王陛下が帝国憲章に違反し帝国に害をなしたことへの裁断の議と認識しておりました。なのにヘイツブルグ大公閣下は議題を逸らそうとなさっている。そうではありませんか?」
どうせ脛に傷を持つような面々が間髪入れずに「そうだ」「その通りです」と調子に乗るが、一方でそうした老害を煙たがる若い連中から「否、真相は明らかにするべきです」などと言う声も上がる。まったく、空気が読めなくて困る。
だが関係ない。この場は臨時と雖も帝国議会。発言権も決定権も、議会の決定権を持つのは皇帝の他に選帝侯家と王家の十二人だけだ。その中に、ヘイツブルグ大公の言う十四、五年前の罪状を掘り返したい人間なんて大公当人と、あとはせいぜいギュスターブ王くらいしかいない。
それに元より、リディアーヌをおいて他に誰がこの件を口にできようか。
「黙りなさい。貴方達には聞いていないわ」
中央からぎろりと周囲を見回したリディアーヌにびくりと若い連中も口を噤む。
「閣下は十五年前のこの議場で、誰も声をあげなかったことを糾弾なさいましたね。では閣下は? 貴方はその時、どうなさったんですか?」
「……」
確かにあの時議場で何があったかはリディアーヌの知らないことだ。だがヘイツブルグ大公は自分で言ったではないか。養父の他に、誰一人としてクロイツェン七世を糾弾する声をあげなかったのだと。
それはつまり、ヘイツブルグ大公もまた、ヴァレンティンに次ぐベルテセーヌ推戴派家門でありながらその急死の原因を追究しないことを選び、口を噤み、皇帝クロイツェン七世治世下での安寧を選んだということだ。そんな人物に、何を糾弾する権利があるというのか。
「もしも貴方達が十五年前に声をあげていたのなら、私はそれを支持し、貴方が望む言葉を言っていたかもしれません。でも十五年です。年を取った貴方達にとってはわずか十五年かもしれませんが、私の中では六歳の物知らぬただの子供が二十一歳の意志ある一人の大人として成長するだけの時間が流れています。子供の十五年を馬鹿にしないでください」
思わず険しくなった視線と声色に、ぎゅうっとヘイツブルグ大公が固く拳を握ったのを見た。
リディアーヌが何を言いたいのか、すでに分かったようだ。
「閣下は罪深い者達に皇帝候補としての資格がないと仰いましたね。ない? 誰がです? もう一度、この選帝伯ヴァレンティン公女リディアーヌの目を見ながら、同じことを仰ってくださいませ」
トンと胸を叩いて睨んだリディアーヌに、ヘイツブルグ大公は一瞬言葉に躊躇を生み、そのシンと静まり返った場の空気がさらに大公の口を重くさせた。
リディアーヌはその空気のついでに一人、また一人と、議場をぐるりと見渡し、誰一人口を開かない様子を見渡す。
「選帝侯が、何も考えずに皇帝候補を選んでいるのだと思っているのであれば、それは大きな勘違いですわよ。利害であれ、損得であれ、擁立したからには責任を持つつもりで擁立しています。ヘイツブルグ大公閣下がそうではないからといって、私達まで一緒にしないでいただきたいわ」
「……」
「ヴァレンティンがベルテセーヌ王ユリウス一世陛下を皇帝候補に立てたのは、私がそうと推薦し、ヴァレンティン大公がそれを受け入れてくださったからです。宜しいこと? ベルテセーヌ王は私が自ら頭を垂れ『帝位を望んで欲しい』と願った、我が王なのです」
わずかにざわりと一部がざわめいたが、今更どうしてそんなことにざわめかれねばならないのだろう。こんなのは言わずとも分かりきっていることではないか。
「もう一度言います。ヘイツブルグ大公閣下……私にとって十五年は、十分に長い人生の大半です。何も知らずに居場所を無くした幼い王女が、亡き父の面影に呪われて十一歳で結婚し、悲劇により兄と夫を失い、“ベルテセーヌの王女”を殺すまで五年。その日から十年間、私はヴァレンティンの公女として生きてきました。その間、恨みが無かったとは言いません。でもこの十五年、貴方が私を担ぎ出す時間は十分にあったんです。なのに今更そのことを蒸し返すんですか? 片腹痛いですわ」
だったら十五年前に。せめて十年前に、声をあげてくれたらよかった。クリストフ二世の嫡男であった兄が亡くなる前に。リディアーヌがリディアーヌ王女を殺してしまう前に。そしたらまだ、悲劇のままに死んだ父の恨みという幻影に呪われたまま、帝位を望んであげていたかもしれない。
だが今更もう遅い。遅すぎるのだ。
「ヘイツブルグ大公閣下。先程貴方が言いかけた言葉を言って差し上げましょうか? 誰もかれも、咎人であって資格がない。じゃあ誰なら資格があるのか。それは先の皇帝たるべきであったベルテセーヌ王クリストフ二世の血と遺志を継ぐ者、“リディアーヌ王女”であるべきだと、そう仰るのでしょう? はっっ、ちゃんちゃらおかしいわ!」
先程までは揚々と話していたヘイツブルグ大公が、今はぐっと眉根を寄せている。
リディアーヌによるこのくらいの反発、想定していただろうに。どうしてこんな愚かなことをしたのか。
「遅すぎるのよ。馬鹿なことを言う前に禁書庫で王籍簿をご閲覧なさい。クリストフ二世の王子女は、もう十年も前に死んでいるわ。遺志を継ぐ人なんてこの世にいないのよ」
「……」
重く落ちた沈黙に、リディアーヌも一つ細く長い吐息をこぼし、ゆるゆると議場を歩き、ここにはいないリュシアンの代わりにアルトゥールに視線を寄越して足を止めた。
「クロイツェン七世の孫、クロイツェン皇太子アルトゥール。私は初めて貴方に出会った時から、貴方が父の仇であり自分の命をも脅かしかねない人の鍾愛の孫であると知っていたわ。でも貴方は知らなかったわね」
「……あぁ。情けないことにな」
「貴方と直接知り合って、そろそろ八年かしら。発言は過激だし思想も極端だし、かと思えば真面目だし素直だし賢いし。貴方は出会ってすぐ、困った私の悪友になったわ」
「こっちのセリフだ」
クスと笑うアルトゥールに少しばかり笑い返し、それからくるりと振り返ってザクセオン大公を見やる。
「ザクセオン大公閣下には今更言葉なんて必要ありませんわね。去年、私はわざわざ自分からお願いして、先のザクセオン大公閣下のお墓を詣でさせていたのですもの。その時にすでに恨みなどない、尊敬しかないと、亡き王女の遺志と私の心をお伝えしたわ」
「……公女……」
そしてその隣。今もまた愛娘が矢面に立っていることが気に入らないのか、それともパパを頼ってくれないのが気に入らないのか、むっすりとしているお養父様は、顔を見ただけでも苦笑が零れてしまう。
「お養父様……リュシアンを皇帝候補にと望んだのは私です。お養父様とは何度も話し合いましたし、何度も私の感情を慮って下さったわ。でも最後には私の決定を尊重してくださって、ご自分にだって思う所はあったでしょうに、私の意思を支えてくださいました」
「ふんっ。まぁ、うちの娘の言葉に説得力があったからなっ」
それでも複雑ではあっただろうに。でも一言だって真正面から否定なんてされなかった。
「オランジェル候。もはやヘイツブルグ大公閣下が仰るような人物なんて存在しません。けれどその人物とやらを良く知る私が、亡き王女に代わって申し上げます」
最後に議長席を向くと、肩に纏った選帝侯家の色である紫紺のマントを広げ、誰も座らぬ皇帝の椅子へと礼を尽くす。
「選帝侯家が擁立した以上、そこに帝位に相応しくない人物なんていません。いたとすれば、それはその選帝侯家の罪でしょう。私は、私達が立てた王にその資格がないとは思っていません。ザクセオンが立てた皇帝候補を自分達の王にする気はありませんけれど、それでも争うべき皇帝候補であると認知しています。リヴァイアン殿下も、アブラーン殿下も、皆等しく選帝侯に推挙された皇帝候補であり、それ以外の何者でもありません。まったく不本意ではあるものの、今ここで罪に問われてるギュスターブ陛下、その人も」
ただそれが皇帝足り得るのかどうかは、選議卿達が明らかにするだろう。
皇帝戦とはそういうものだ。
「十五年前、誰しもが口を噤み、疑いの目すら閉ざし、貴方達は一人の皇帝陛下を擁立した……えぇ、まったく、悲劇ですわね。腹も立つわ。でもクリストフ二世の娘の名のもとに、私が貴方達を許します。汚名よりも安寧を、不義理よりも鎮静を選んだ貴方達を、卑怯者とは呼びません。だってこの十五年で、帝国は亡びなかったではありませんか」
きゅうっと唇を引き結んだオランジェル候が、涙をこらえるかのように瞼を押し閉ざして打ち震えた。
誰もかれもが後悔してくれているとは限らないだろうけれど、きっとその顔が見られただけで、父は報われたはずだ。
それに……きっと十五年前、もし父が死んでいなかったとしても、クロイツェン王を選ぶ皇宮の直臣達を父が責めることは無かったと思う。
きっと、そういう人だったはずだ。
「だからヘイツブルグ大公」
最早完全に口を噤む大公を正面から見やる。
言葉はなくとも大公の眼差しはまだ鋭く、何を考えているのか分からない。だがこれだけははっきりとさせておきたい。
「私が悲劇に憤り旗を振り上げると思ったら大間違いです。勝手に私の人生を悲劇にしないでください」
そしてその言葉はヘイツブルグ大公だけじゃない。貴賓傍聴席のカーテンの向こうでずっと視線を寄越している教皇、その人に対する言葉でもある。
「私はヴァレンティンの公女です。いずれヴァレンティンの名を冠し、皇帝ではなく皇帝を選ぶ者となることを望む、ヴァレンティン大公の愛娘です」
「うむっ!」
すかさず口を挟んだ養父に、くすと呆れた顔で笑う。
「その上で、改めて申し上げます。もし本当に皇帝候補にそうと相応しくないものを立てた者がいたとして、それは選帝侯家の罪です」
だからそれはつまり……。
「この場の議題はフォンクラーク王ギュスターブ陛下の帝国憲章違反と帝国への反逆の罪について。ヘイツブルグ大公閣下、私はまだ、罪の片鱗を知りながらその王を皇帝候補に立てた貴殿の言い訳を聞いておりません」
「貴様……」
ヘイツブルグ大公が小さく唸ったが、気になどするものか。
先に矛を抜いたのはそっちだ。だったら抜き返される覚悟をしておくべきである。
「閣下のご持論、まことに結構。私、感銘を受けました。ゆえにここに、ギュスターブ陛下の弾劾に並列して、その資格のない王を立てた選帝侯に対する弾劾を申し立てます」
どよっと戦慄いた議場の中で、一つ深々と一礼し、くるりと振り返ると何事もなかったように自分のあるべき席へと歩を進める。
通り過ぎざま、うちのお養父様が「言い捨てとは酷いぞ」と恨み言を言っていたが、まぁそれも、あとは選帝侯閣下さまに頑張っていただきたい。
だからそう満足げに席に戻ろうと階段に足をかけたのだけれど。
「だが死者にその資格はあるまい。十五年前と同じになれば、誰が誰をどうするのか」
ぽそりと呟いたヘイツブルグ大公の言葉に、ふと足が止まった。
今、何と言っただろうか。
死者? 皇帝戦の最中に倒れた父クリストフ二世のこと?
いや……それとも。
「お静かに。お静かに!」
ざわめきを制するオランジェル候の声に、ふと視線が引き寄せられる。
だが誰もかれもが思い思いに熱く思いを語っているのか、ちっとも静まらない。
「っ、お静かに!」
カーンと強く槌が叩かれたが、それでもまだざわめきが止まない様子に、やがてオランジェル候はほとほと困った様子で頭を抱えて息を吐いたようだった。
それから仕方なさげに両手を挙げて、どうか頼むと鎮静化を促す。
「十五分の休憩を挟みましょう! 議論の続きは十五分後に。なお現状を鑑み、フォンクラーク国王陛下とフォンクラーク籍の皆様、ならびに恐れながらヘイツブルグ大公閣下にはご離席なきよう、お願い申し上げます」
鎮静化のために間を置くことにしたらしい。
その宣言とともにどっと張りつめていた緊張感がほどけると、一斉に皆が思い思いに腰を上げ、集まって議論を交わし始めた。
前半戦はここまで、ということだ。




