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10-23 ヘイツブルグの糾弾(3)

「この問題は、果たしてフォンクラーク王のみの責任か? 先帝クロイツェン七世陛下はまことに無関係であったのか?」


 正直、クロイツェン七世がどこまでそれを存じていたのかは分からない。だが元々ギュスターブ王に後ろ暗いところがある事を知っていながら、利用していた皇帝だ。自国を腐敗させながらも莫大な権益を上げ贅を尽くしていたギュスターブ王から甘い汁を巻き上げていた……だなんて。何の確固たる証拠もない言いがかりなのに、思わず『有り得なくはない』などと思ってしまった。

 それはリディアーヌだけの感想ではないだろう。


 何よりもたちが悪いのは、もはや進退窮まり冷や汗を流して苦い顔をしていたギュスターブ王が、活路を見出したかのようににやりと顔を歪めたことである。発言を求められれば今すぐにでもすべての罪を亡き皇帝にかけかねない。

 クロイツェン七世はすでに死人となった過去の皇帝ではあるが、それも関係ない。もしも先帝に罪状が貼られたならば、先の皇帝を選んだすべての選帝侯、そしてそれを見逃し帝国議会を構成してきたすべての王達、そして最も有力な皇帝候補などといわれ皇宮の古参達から信を集めているアルトゥールに大きな傷を負わせることになる。

 そう。つまりこの場はもはや、ギュスターブ王の弾劾という名を借りた先帝クロイツェン七世に対する弾劾の場であり、この場にいるすべての貴顕達への断罪の場と化したのだ。

 思わず騒然となった議場に、オランジェル候も顔を歪めてしばらく対処もできぬままに沈黙していたようだが、やがて顔をあげると、「静粛に」と促した。


「なるほど、これは閣下の申し上げる通り、私共の吟味が至らぬものでございました。ただ今回の議題はあくまでも、フォンクラーク国王陛下の帝国法違憲に関する議題であると認知しております。すでに身罷られた先帝陛下の意図を探るものではございませんし、また我々が認知していない問題であったことを申し上げるとともに、この件はまた改めて、我々に調査する時間をいただきたく存じます」


 うむ。その返答が妥当なところだろう。

 だが当然ヘイツブルグ大公は切り札として出してきたであろう案件をそんな言葉で鎮静化させる気など毛頭ないようで、「その間に無関係の証拠でも(ねつ)(ぞう)するのか?」と挑発した。

 挑発と分かっているオランジェル候は「とんでもない」と言って口を引き結んだが、しかし何しろ今日のこの場には人が多すぎる。代々三候としての地位を盤石にして皇帝から寵臣として遇されて来た彼らに対して不満を抱いている直臣貴族達もいるわけで、そんな彼らから「否、追及すべきだ!」「時間など与えるべきではない!」という反論が洪水のようにどっと押し寄せてくると、さすがにオランジェル候の顔も歪んだ。


「お言葉だが、ヘイツブルグ大公。であれば貴殿は何故、先帝陛下存命中にその議題を告発しなかった」


 そこに切り込んでいったのは、この件にもっとも危機感を抱かねばならない先帝の実孫であるアルトゥールだ。

 他の選帝侯達がまったく口を開かず、後見たるザクセオン大公すら関与をしない様子を見せたことにしびれを切らせたのだろうか。


「フォンクラークにおいて王叔殿下派が威を取り返したからこそ手に入れられた証拠なのだ。先帝陛下存命中に間に合わなかったことは私の罪ではない」

「証拠がなくとも告発自体は可能だろう。調べるよう進言することもまた選帝侯閣下の帝国議会における権限であり職務ではないのか?」

「先帝陛下に(しょう)(あい)されていた貴殿はそうなのだろう。だが私はそうではない。直臣として、証拠もなく皇帝陛下に訴えなど起こせはせんよ」

「だが我々にさえ情報を共有しなかったのは事実だ」


 そこにザクセオン大公が重たい口を開いたが、それにもヘイツブルグ大公は平然と「同じ選帝侯であっても、一体どれほど貴殿らを信じられるというのか」と言うと、くしくもヘイツブルグ大公に不信感を抱くリディアーヌさえ、『そりゃあそうだ』という感想を覚えた。

 ザクセオン大公はかつて皇帝戦において状況に流されクロイツェン七世を擁立した人物ではあるが、それがむしろ大きなしこりとなっているせいか、職務の上では実に誠実かつ真面目な人物であると思っている。だがクロイツェン七世擁立家門であったことは確かで、その筆頭の地位にあるザクセオン大公が元々ヴァレンティンと並んでベルテセーヌのクリストフ二世派だったヘイツブルグ大公から不信感を覚えられているとしても、周囲は納得しかしないだろう。

 だがそれでもリディアーヌが抱くのは、やはりどうして今こんな場所でそんな案件を引っ張り出してきたのだという不信感と憤りだ。


 リディアーヌとて、クロイツェン七世には思う所がある。いや、むしろこの場では最も先帝に深い恨みを抱いていい立場である。だがそれでも、それを理由に今回の皇帝戦を掻き乱す気なんて毛頭なかった。

 無論、いかに友人と呼ぶ関係になったとはいえ、クロイツェンから再びアルトゥールという先帝の実孫を皇帝になどさせてたまるかという個人的な、あるいはヴァレンティンとしての意志はある。

 だがそれを決めるのはその資格を持った選議卿達であり、少なくとも真正面から、誰かの子だとか誰かの孫だとかは関係なく勝ち取るべきものなのだと認識していた。だからヘイツブルグ大公のこのやり方はどうにも気に入らないのだ。

 しかしそんな感情さえ飲み込んだように、ヘイツブルグ大公は平然と、そして淡々と、この皇帝戦自体を貶める。この混乱はなんなのか……こんな皇帝戦の最中、皇宮自体をひっくり返すような不審の種を植え付けて、どういうつもりなのか。


「では逆に問う。ヘイツブルグ大公は自ら糾弾するような者を、何故皇帝候補として推薦したのか。それ自体が茶番ではないか」


 堂々と反論するアルトゥールに、周りも「確かに」「それはそうだ」とざわめくが、ヘイツブルグ大公もこれには最初から返答を用意していたのだろう。なんら躊躇もなく、「それがどうした」と言い放った。


「皇帝の資格がないのは誰もかれも同じだ。その通り、この断罪の場に引き出すためだけに皇帝候補として名をあげた。そう言えば満足か? だったら逆に言わせてもらおう。ザクセオン、貴殿はなぜ“ベルテセーヌ王殺し”の孫を皇帝候補に連れてきた」

「ッ」


 これにはただシンッと緊張感に場が静まり返った。

 ベルテセーヌ王殺し……誰もが察していて、けれど誰もが固く口を閉ざしてきた先帝最大の罪。それをこんな場で口にするだなんて、どういうつもりなのか。


「それこそ今更だ。貴殿にそんなことを言われる筋合いはないぞ」


 あまりに重たい沈黙に、日頃議会で発言なんてしない養父が口を開いたせいで、余計に空気は重たくなった。

 先の皇帝戦で亡くなったベルテセーヌ王はヴァレンティン大公の義兄だ。十五年間口を閉ざし続けてきた彼らはみな自分達が加害者であることを知っているから、誰も口を開けないのだ。

 だがヘイツブルグ大公はそれにすら躊躇する様子はなく、むしろ鼻で笑い飛ばして今度は養父に標的を向ける。


「そういうお前はどうなんだ、ヴァレンティン。貴殿が皇帝候補に連れてきたのはクリストフ二世陛下の王子女から王位を簒奪したクロイツェン七世派の反逆者の息子だぞ。一体どういう神経をしている」

「ッ」


 言いたいことは多々ある。だが到底簡単には説明できない言葉に養父が思わず口を噤んだものだから、ヘイツブルグ大公は調子を得たように間髪入れずに声を張った。


「見渡してみろ、そこに並ぶ連中を。隣の顔を、己の顔を。何が皇帝候補か。あっちもこっちも、見渡す限りが罪人ではないか! 貴殿らに問う。己に屈さぬものを殺してしまえなどと罪を犯したクロイツェンから再び皇帝を立てて良いのか?! かつて誰よりも絶大な支持を集めた先々王陛下を弑した反逆の王統であり反逆の子である現王を皇帝に立てて良いのか?! それで貴殿らは、真に正義を以て皇帝を選んだと言えるのか?!」


 あぁ、そうか……と。リディアーヌの中でいまいち分からずにこんがらがっていたヘイツブルグ大公に対するピースがカチリと符合した。

 淡々とした声色とは打って変わった激情、あるいは妄執とも言えそうなじっとりと暗くて重たい感情。すべての状況を掻き乱すような静かな暴虐性を帯びたこの場での議題の提出。そして一人は断罪を求められ、一人は毒に倒れ、一人は祖父による王殺しという拭い去れない傷を持ち出され……。

 これが、ヘイツブルグ大公が望んでいたことなのだとしたら、それはもう皇帝戦の、どの皇帝候補が云々という話ではない。これはただの、皇帝候補と皇帝戦というすべてに対する失望であり反逆だ。


 以前から時折感じていた、ひどくさめざめとしたヘイツブルグ大公の自分への視線が思い起こされる。

 何を言うわけでもなく、かといって見定められているというのとも違う、なんとも奇妙な視線だった。

 今最もこの場でヘイツブルグ大公のように声を荒げるべき人物が、罪人達に心を許し、その中に溶け込み、時に擁護すらする……そんなリディアーヌに対する、非難とも落胆とも違う、ただ冷たい、見放したような視線だった。


『分からんな……そのような貴殿が何故、自ら皇帝候補として立たなかったのか』


 ふと、大晩餐会の夜に呟かれた言葉が脳裏に過ぎった。

 あの時は話の脈絡にもあわない突然の言葉に、この人は何を馬鹿げたことを言っているのだろうと思っていた。だが今思い返してみると、あの淡々とした視線の奥で試されていたのだと分かり、おもわず心臓がぞわりと逆撫でられたような心地を覚える。


 つまりこの人の目的は、“復讐”だ――。


「貴殿らに問う。十四年前の今日、この議場の中央に立っていたのはクロイツェン七世、その人だった。議題は何であったか。覚えておろう、ヴァレンティン」

「……」


 むすっとしたままお養父様は黙りこくったが、すぐにヘイツブルグ大公が自ら「議題は(くに)(もと)で急死されたクリストフ二世陛下の死の真相についてだった」と告げる。

 今まで意識していなかったが、そうか……アンジェリカのいるあの場所は、かつての父の定位置だった。きっとその後ろに母がいて、ペステロープ候やアンザス候、見知った顔が並んでいた。お養父様も今と同じ席にいて、ザクセオン大公も、そしてヘイツブルグ大公もここにいた。フォンクラークの席は多分空席で、今中央に罪状を並べ立たされているギュスターブ王のいるその場所に、父に刺客を放ったかつてのフォンクラーク王がいた。

 ここは父が死に、その原因を追究した場であって、そしてこの議場の真ん中で大手を振り上げながらフォンクラーク先王をつるし上げたクロイツェン七世が、白々しくも愚かしい大演説をかまし、帝位に上り詰める決定打を与えた場なのだ。

 あぁ、嫌だ。ごろごろと胸の奥深くに押し込めている感情が暴れそうになる。


「ここにはあの時と同じ顔がいくつもある。懐かしいな。ヴァレンティン、貴殿はあの時、フォンクラーク先王を弾劾するクロイツェン七世に何と言ったのだったかな」

「……知らん」

「知らん? だったら後程、議事録を見返せば……いや、駄目だな。きっと議事録はそこに居並ぶ内皇庁の連中によって書き換えられている」

「……」


 リディアーヌはその時の議場で何があったのかを知らない。だが周囲の顔を見れば察しは付いた。きっとお養父様はただ一人、『ベルテセーヌ王が死んで得をしたのは誰だ』とクロイツェン七世を糾弾したのではなかろうか。

 だが誰も、その声を取り上げる者はいなかった。

 クロイツェン七世への不信感は皆が知っていた。だがクリストフ二世亡き現状、他の誰にも皇位を任せられないことを、彼らはよく分かっていたのだ。

 そして一人、また一人と口を噤み、そして養父はついに皇帝選挙の神聖なる儀式に破り割いた白紙を放り投げ、春の帝国議会にも参加せずそのまま帰国した。

 ヴァレンティンとベルテセーヌが不在のまま、そうしてクロイツェン七世は戴冠したのである。

 あの時の選議卿達による投票の内訳は公開されていない。

 だがかつてベルテセーヌ王派であった者達の多くがその死によりクロイツェン七世に媚び、票を投じたはずである。


「だが人の記憶は消せはしない。私は一人残らず覚えているぞ。あの日、この場で保身のために忠義を誓った相手を貶めてみせた者。すべての罪をフォンクラーク先王に着せんと、有る事無い事ほざきまわった者。悼む言葉の一つも言わず、ここぞと王妃陛下の死にまで聞くに堪えない誹謗を着せた者もいた。そして貴殿らがヴァレンティン大公に何を言い、何と侮蔑したのか。私はすべて覚えている」

「……」


 しんと静まり返り、この場にいる古参の者達を窺う視線がおどおどと惑う。

 高まって行く憤激と中傷を誘うような空気が、じりじりとリディアーヌの胸をも焦がすようだった。

 これは駄目だ。とても駄目な傾向だ。

 我を保とうときつく握りしめた拳に、ふと、上から大きな掌がそれを包み込んだ。

 その手の持ち主を窺ってみれば、このギスギスとした空気の中にあって一人どうしようもなく悲し気に顔を歪めているマクシミリアンがいて、思わずリディアーヌもその手をぎゅっと握り返した。

 そう。この感情は憤怒なんかじゃない。

 これは悲しみなのだ。

 実の父の死にまつわる彼らの反応が悲しかったのではない。その中で一人声を上げ、なすすべもなく口を引き結ばねばならなかったかつての養父の孤独と、今またその話で養父に悲劇を思い起こさせているヘイツブルグ大公に悲嘆しているのである。

 そんなものは誰も望んでいない。クリストフ二世の実の娘ですら、望んでいない。

 なのに何故あの人はあたかも正義のように、私達の胸を抉るのであろうか。

 そんなにも……リディアーヌを、怒らせたいのだろうか。


「リディ、怒ってる?」


 そっと問うた静かな声色に、リディアーヌは冷たい指先にじんとしみる温もりを噛みしめながら、ゆっくりと首を横に振った。

 怒りはしない。いや、怒ってはならない。ここで怒りをあらわに、『そうか、お前達がお父様を殺したクロイツェン七世を持ち上げたのか』だなんて口にしてしまえば、それは完全にヘイツブルグ大公の望み通りになってしまう。そうはさせない。

 だから代わりに、この怒りをひたすら悲しみに変換するしかない。

 誰も声を上げてくれなかった悲しみに。養父が口を閉ざした悲しみに。きっとクロイツェン七世を擁護しながら、その胸の奥深くで血の涙を流していたであろう当時のザクセオン大公の後ろ姿を思いながら、皆が叫び出したいほどの感情をこの議場の奥深くへ押し込め、血塗られた皇帝を推挙したことの憐みを。


 仕方がなかったのだ。彼らにとっては正義よりも帝国の安泰と皇帝権力の盤石さの方が大切だった。

 たとえ罪を知っていようとも、クロイツェン七世の他に彼らが選ぶべき王がいなかった。彼らは皆、怒りも悲しみもすべて飲み下して、血の滲む思いをしながら頭を地にこすりつけ、新帝即位を言祝いだ。

 彼らは裏切り者なんかじゃない――自分の意志すらも封じ込め国と王に尽くせる、尊敬すべき憐れな帝国の忠臣達である。


「だから私は、彼らの行いを非難はしないわ」


 まるで自分に言い聞かせるように呟きながらカタンと席を立つと、たちまち周囲からの視線が集まって来た。

 背を向けているヘイツブルグ大公はまだ気が付いていない。






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