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1-34 ウォルマン商会(1)

「フランカ……確かに私と分からないように、とは言ったけれど、さすがにこれはどうかと思うのよ」

「これなら絶対に大公家の公女殿下だなんて気が付かれない自信があります」


 そう胸を張るうちの侍女に、鏡の前で足を止めたリディアーヌはじっと自分の姿を見つめ、顔を引きつらせ、それから深い吐息をこぼした。

 長い髪は色が目立つので、結い上げて帽子の中に隠してある。その帽子がちょっと派手でリボンやレースがワサワサしているのはまぁいいとして、問題はその帽子と同じ色のリボンとレースに包まれた、この“可愛らしいドレス”である。


 王侯家の淑女が着るには短かすぎる膝下丈のスカートに、胸の下から腰までをぎゅっと覆い幅のあるリボンで飾り立てながら結んだ皮のコルセットは、このリンテンの港町で時折見かける若い女性達に流行りのスタイルだ。胸元の布と短いパフスリーブは柔らかい麻布で、ベストとスカートには黄色と薄紅色の細かな花柄がびっしりとあしらわれ、同じデザインのグローブに、あとは日傘でも持てば完全にいい所の商家のお嬢様だ。確かに変装という意味では、間違いない。

 だが何が問題かって、その服がこの別邸のリディアーヌの部屋のクローゼットルームから発掘された“五年前のお忍び服”であることだ。

 そう。つまり、うら若き十四歳という時分、お忍び用として用立ててもらった服である。

 もうすぐ二十歳を迎えようかという今、こんな年齢錯誤も甚だしい少女風な格好は、顔から火が出るほどに恥ずかしい。それに多少なりとも体格が変わっているせいで、微妙に丈が短いような、胸元が苦しいような、重ね重ね恥ずかしさがこみあげて来る格好である。


「フランカ……私、やっぱり侍女にでも扮した方がマシな気がして……」

「とぅってもお似合いですよ、姫様! 本当は下ろし髪にしてヘッドドレスなんかにするのが最高だと思うんですけど、長い銀髪では公女殿下だと喧伝しているようなものですから仕方がありません。その代わりお化粧は明るい薄桃色で、可愛らしさを強調してみました。ピアスは黄色い小花。爪紅は淡い薄桃色に。ブレスレットのお守りは外せませんから、可憐なレースを結んで隠しました。完璧です!」

「……そうね」


 もう何を言っても無駄だろう。せめて誰にも公女だとバレないことを祈るばかりである。

 そうしぶしぶと部屋を出て階段を降りていたら、一応地味な服に身を包んでいるフィリックがこちらを見上げ、忽ちスンと顔色を失った。

 あぁ、ほら。あの顔。引きまくってると思うのよ……。


「いかがですか、フィリック様。どこからどう見ても可愛らしいリンテンの豪商のお嬢様です!」

「ええ……よくやりました、フランカ。さすがに“これ”がヴァレンティン大公家の気高い公女殿下だとは誰も思わないでしょう」

「フィリック、多少外見が違っても中身が私であることに違いは無くってよ」

「侍女よりお似合いだと褒めているのですよ」


 やれやれ、まったく。

 不本意ながらフィリックのお墨付きが得られたところで、コツコツといつもより低いヒールのかかとを鳴らしながら扉に向かう。

 先にこちらで待っていたイレーヌがびっくりしているのはいいとして、“竜の足跡”の面々ときたら、わき目もふらずにお腹を抱えて笑っているではないか。彼らには後できつい脅しが必要なようである。


「ちょっと、笑いすぎよ、バレル」

「す、すまんっ、姫様。だがおかしすぎるっ。どこからどう見ても、十四、五の可愛らしいお姫様じゃないですかっ」

「その表現のどこがおかしいのかまったく分からないんだけど?」


 日頃の私は可愛らしいお姫様じゃないとでも? 心外である。


「あの……殿下。恐れながら、彼らが笑うのはご恰好と歩き方がまるでそぐわないせいかと存じます。ご威厳ある風格というものは、やはりそう隠しきれるものではないかと」


 唯一まともなアドバイスをくれたのはイレーヌだ。ふむ、確かに。折角お忍び風の恰好をしているのだから、いつもみたく公女然と風を切って歩くとチグハグで妙に見えるのも納得である。


「それもそうね。お忍び歩きは久しぶりなのだけれど……」


 でも思えば昔、学生時代の頃にはアルトゥールやマクシミリアンと、身分も立場も忘れてこそこそと聖都の町を忍び歩いたものである。あの頃は制服を着ていることがほとんどで果たしてお忍びと言えたのかどうかは分からないが、歩き方という意味ではちっとも公女らしくなかった気がする。

 思えばこの服もそんな頃に用立てたものなのだ。このリンテンの港町を、ふらふらと散策するために。結局、その意図で着ることは一度もなかった服だけれど。


「では態度も改めることにするわ。だからそのつもりで貴方達も接してね、イレーヌおじさま」


 そうニコッと微笑んで見せると、忽ちバレルが壁を叩いて笑い転げた。

 くそぅ……協力の見返りに何か結婚祝いになりそうな褒美でも、とか考えていたけれどやめよう。うん、やめよう。絶対に助けてなんてやるものか。

 しかもこんなにも恥を忍んで頑張ったというのに……。


「フィリック卿……やはり、無理がございませんか……?」

「ええ、無理ですね。どう考えても町娘には見えません」

「町で見かけたらまず目を付けて警戒すると思います」

「見た目だけなら完璧なんですけどねぇ」


 なぜか全員から酷評を食らった。



  ◇◇◇



 ウォルマン商会は、中町の港からもほど近いそこそこの良い土地の、ことさら真新しい風貌をした商会だった。

 建物はこの港町特有の作りをしており、港側には大きな倉庫。反対の商業通り側は客を出迎えるための卸売店舗となっている。この辺りの店はどこもそうだから、このウォルマン商会も元々あった建物を買い取り、改装したものなのだろう。店舗側の扉の横で煌びやかに風に揺れているフォンクラーク王室御用達の赤い旗がことのほか派手である。

 卸売店に出入りするのは観光客ではなく商人ばかりであるから、店舗自体に大勢が詰めかけている様子はない。しかし商業通り側は一部一般客にも開放されているらしく、多少なりとも綺麗な身なりの紳士淑女が出入りしている様子だった。


 そんな門前にシンプルだがよい仕立てのイレーヌ商会の馬車が停まると、先触れを受けていた商会の丁稚が待っていましたとばかりに飛び出してきた。やはりウォルマン商会も、このリンテンで名の知れた行商一座であるイレーヌのことは存じていたようである。一体これからどんな大規模な商談が行われるのかと、早くも緊張感を漂わせているようだ。

 護衛として馬車に付き従っていたバレルが周囲を一通り確認したところで、従者に扮しているうちのマクスが馬車の扉を開ける。イレーヌが馬車を降りると、やはり馬車に付き従っていた護衛騎士のイザベラが馬を下りて、リディアーヌに手を差し伸べる。

 イザベラも、大公家の騎士には見えない傭兵風の変装をさせている。リディアーヌはそんなイザベラの手を借りながら馬車を降り、次いで一人で馬車を降りた商会の使用人に扮するフランカが、ささっとリディアーヌのドレスの(ひだ)を整えた。行動の端々が完全に護衛とメイドを連れた貴族のお嬢様の図である。


 ウォルマン商会はイレーヌ以外に客人が来ることを知らなかったのだろう。現れたお嬢様に驚いている様子だったけれど、そこはイレーヌがすかさず「我々と取引のある御恩ある御方のお嬢様なのですが、ご一緒に宜しいですか?」と問うてくれた。こう言われては、ウォルマンも受け入れざるを得ない。

 最初はイレーヌの縁戚のお嬢様か何かを装うつもりだったのだが、町娘風を装ってみたところで、フィリックやイレーヌ達からことごとく『どう頑張っても町娘には見えません』との評価を受けてしまった。そのため開き直って、“町娘を装っているリンテン貴族のお嬢さんのお忍び”を装うことにしたのだ。こうすれば、護衛やメイドとしてイザベラとフランカを連れて行く名目にもなる。


 こと、王侯貴族の“お忍び”には暗黙の作法がある。大きな町ではいらぬ(いさか)いを避けるためにも貴族が出歩く場所と平民が出歩く場所に境界的な雰囲気があるものだが、その境界を越えて貴族が平民地区を出歩く場合は、邪魔しない程度に街に溶け込む格好をする。煌びやかに着飾って威張り散らしたければお忍びである必要はない。溶け込む努力をしていますよ、という形作りが必要なのである。さすれば平民達もまたそれに配慮し、わざわざ足を止めて深々と頭を垂れ貴族様が通り過ぎるまで固まる必要はないし、面倒ごとを避けたいなら近づかなければいい。お互いにお互いを見過ごすことが暗黙の作法というやつである。

 そしてそれがわざわざ“暗黙の作法”だなどと仰々しく呼ばれているのは、王侯貴族たるもの、いかに姿形を真似たところで平民にはなれないからだ。

 姿勢、歩き方、話す言葉のイントネーション。服装も形だけ真似たところで質や匂いが違う。それに髪の艶や手入れの行き届いた白い肌。特に指先は視線の次に多くの物言う部分で、水仕事を知らない綺麗な掌と形の整ったまっさらな爪は勿論、その指使いの仕草の端々が最も分かりやすい。環境と生活習慣というのはやはり如何ともしがたいものである。


 なので“いかにもお忍びである”と開き直ってしまえば、ウォルマン商会も、ではどこの誰ですかと直接尋ねることはできない。それが暗黙のルールというやつである。

 さすがに赤い旗を掲げているだけあって、その辺のマナーについては(わきま)えているらしい。少し気にしているそぶりは見せたものの、彼らがリディアーヌのことを突っ込んでいぶかしむ様子は無く、「歓迎いたします」と嘘くさい笑顔を向けた。


「リンテンにいつの間にかフォンクラークの直営店が出来ているだなんて、知らなかったわ。早く案内してちょうだい」


 私は我儘な貴族のお嬢様。そう自分に言い聞かせながら勝手に店に足を踏み入れたところで、あせあせとイレーヌが追ってくる。それが演技に拍車をかけたようで、ウォルマン商会長もいそいそと「お二階へどうぞ」と促した。


 店舗自体は特別大きいわけではないが、新規商会ということもあってかとても整頓されていて綺麗だ。壁一面の小さな引き出しのついた大棚は香辛料の棚だろうか。右のガラス扉の中に飾られている美しい布は見たことのない質感をしている。机に所狭しと並べられた貴金属類はフォンクラーク伝統の繊細な宝飾類だ。どれも赤い旗を掲げるにふさわしい品揃えである。あとはお香に茶葉に、菓子類など……。

 実に多様だが、これらがすべて同じ空間に置かれているという意味では実に奇妙な光景である。何かしらの専門店ではなく、まさにフォンクラークの品を“一手に”請け負う店なのだ。

 その光景はイレーヌにとっても不思議なものだったようで、「多彩に取り扱っておいでなのですね」とウォルマンに話しかけていた。

 脇目もふらず奔放に下の店舗を見て回っている中、商会長は何度も頻りに「さぁお二階へ」「さぁさぁ」と促し続けた。

 どうやら店舗奥の階段を上った先の一階店舗を見下ろす中二階が、特別な品を揃えた賓客用のスペースになっているらしい。誰ともよく分らない貴族っぽい客に、ひとまず他の客から噂が広まらぬよう人目につかない場所に促したいのだろう。もう遅いと思うけれど。


「あの……お嬢様。帽子はお脱ぎにならないので?」


 ええ、確かに。普通のお嬢様なら、店に入るだけならまだしも腰を下ろすとなると帽子くらい脱ぐだろう。だがリディアーヌは逆に帽子のつばを掴んでぎゅっと自分の頭に押し付けると、「いやよ」と我儘お嬢様を装って拒絶した。


「お父様が買ってくださったお気に入りなのよ」


 そうツンと言い放ちながら堂々と上座に腰を下ろしたところで、イザベラが手をかし、フランカがワンピースの(ひだ)を整える。あぁ、恥ずかしい。

 どうやらウォルマンは誰とも知らない客が何者か、探ろうとしているようだ。帽子の影に隠れていてなお垣間見える銀の髪に、それが“リディアーヌ公女”である可能性も疑っているかもしれない。

 バレるのは不都合であるし、何より今はそれ以上に、こんな我儘娘が公女だなんて知られたくない。自分のプライドにかけて。


「申し訳ありません、商会長。その……とても重要なご令嬢でして」

「いえ、構いませんとも。お知り合いに慣れて光栄です。いかがでしょう? お嬢様に当店の自慢の品々をご覧いただいても?」

「ええ、是非とも」


 うまくイレーヌが間に入って取り持ってくれるおかげで、ウォルマン商会長も探りを入れるより商談の方に気が回って来たのか、パンパンと手を叩いて丁稚(でっち)らを呼び寄せた。

 元々はイレーヌとの商談のために準備していた品々なのだろう。最初に机にずらりと並んだのはお嬢様へ見せるには不似合いな香辛料類だった。

 リディアーヌ的には非常に興味深いのだが、そんな素振りは見せず、つまらないとばかりに一瞥(いちべつ)だけする。


「ほぅ。これは見事な品揃えです。こちらはクローブ。こちらはアニス。おや、これは赤のポワブルですか? フォンクラークの王室専売品ではございませんか、お珍しい」


 イレーヌの声を頼りにチラリと机を窺う。赤のポワブル? なんだろう、それは。


「何? それ」


 お嬢様が興味を持ったことに飛びついたウォルマン商会長が、ここぞとばかりに「お目が高い!」と飛びついた。

 机に並ぶ凝った装飾のセダーの木箱も工芸品の類だろうか。二段の引き出しと金具が付いたもので、一方には見覚えのある黒のと白のポワブルが。隣の列の引き出しには見たことのない緑と赤の粒が納められていた。


「これらすべて、ポワブルの一種ございます。ポワブルはイレーヌ商会長の仰る通り王室の専売品で、他国に流通することは非常に稀な品です。特に緑と赤のポワブルは希少でして、緑のポワブルには強い辛みと爽やかな風味が。赤のポワブルにはほのかな甘みが。こちらはフォンクラークでは菓子にも用いられます」

「ポワブルを菓子にするの?」


 聞いたこと無いわと興味を窺わせるや否や、「お茶菓子をどうぞ」とフォンクラーク風美人の女性商会員がテーブルにお茶とお菓子を置いた。シンプルなクッキーに、なるほど、赤のプワブルが花びらを象るようにあしらわれている。こうしてみると胡椒には見えない。

 だが毒見もされていない物に手を伸ばせるほど不用心な性格でもない。


「あら、素敵じゃない。イレーヌ、私これをお土産に持ち帰りたいわ」


 仕方がないから見た目だけでそう口にしてみせるが、「お嬢様……」と、イレーヌはそれに困惑気な顔をして見せた。理由は聞かずとも分かっている。これらは“王室専売品”だ。ウォルマン商会の掲げる赤い旗に疑いが有る、という情報はつい先ほどリディアーヌ自身がもたらした情報であり、それを入手することへの商人としての躊躇いなのだろう。

 だがウォルマン商会長の方はそれを別の意味で取ったらしい。買い物をしに来たわけではないイレーヌがただ困惑しているように見えたようである。その上で仰々しく手を広げながら、「お嬢様、大変申し訳ありません」と演技がかった謝罪をした。


「実はこれらは皇帝陛下への献上品なのでございます。お気に召したというのであれば是非とも我が商会からお贈りいたしたいのですが、生憎と“こちら”はお譲りできないのです」


 じゃあなんで出した。とか突っ込みたい気持ちをぐっとこらえながら、多分ウォルマン商会長が望んでいる言葉を探り出す。えーっと。ウォルマンにとっては素性のよく分らない我儘少女より、イレーヌを取り込む方を優先しているはず。つまり、ウォルマンに商会の良さをアピールし、ついでに恩も売りたいはずだ。


「まぁ、皇帝陛下にご献上なさる品を取り扱っておられるの?」


 だったらリディアーヌがすべきは、望む通りにウォルマン商会に箔を付けてあげることだ。もれなくきらっきらの関心の笑みで身を乗り出せば、ウォルマンは満足そうに「えぇ、そうでございます」と胸を張った。

 王室専売品を、皇帝陛下に献上……これも王太子の独断だろうか。それともウォルマン商会の企図だろうか。ナディアの手紙いわく専売品をリンテンに卸すことは王太子の独断なのだが、あるいはウォルマン商会はそのことを存じていないのかもしれない。


「だったら仕方がないけれど……」


 そのあたりをもう少し突っ込んで調べてみたい……なんて思いつつ、他にネタになりそうなものを物色すべく机の上を一覧して……一覧して……。



「気の利かないことを言うな、ウォルマン。“公女殿下”が所望しているのだぞ」



 どうしたことか。

 一覧していたら、気の利かない客がやって来てしまった……。






ポワブル…コショウ科コショウ属に属する蔓性植物。またはその果実を原料とする香辛料。

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