10-19 金の髪の美婦(2)
クロイツェンの件はまだ騒ぎがあったことの証明程度の情報しかないようだが、ベルテセーヌの事件については随分と文字数が多い。
使用された毒や考え得る入手ルート、目撃されたメイドのこと、アンジェリカ達が使われた興奮剤の痕跡、使用されたガラス瓶の出所、はては瓶の中の花を一つ一つ調べた結果、北部の小ぶりなものと違って花弁が丸く大きめで、特に蜂蜜漬けの方にはわずかに南部や東大陸のベルブラウに見える薄い起毛が混じっていたなどという細かな点にまで手が及んでいるようだ。
「ベルブラウは国によって少しずつ違うというけれど……これを見ると、南部か東大陸か、少なくとも北部のものではないということね?」
「ええ。紫頭花も基本的に聖都でしか栽培していない人工勾配種とのことですから、ベルブラウもそのあたりの品種でしょう。ヴァレンティンの疑いは十分に否定できます」
やはり気になるのはこの毒の出所だろうか。もしもこちらにアルセール先生が味方してくれていなければ、毒の原因が塩漬けの中ということは分かっても、その中に交じっている紫頭花のせいということまでは分からなかったはずだ。
だとしたら紫頭花がベルブラウと似ていることを知り、かつ入手が可能な人物ということで、やはり教会の人間が怪しいということになるが……。
「分からないわ。今ここで教会がリュスやトゥーリを狙う理由があって?」
皆も一通りそれを考えた後なのだろう。訪れた沈黙が、リディアーヌの感じているのと同じ違和感を皆に与えていることを思わせた。
「私がベルブラウの蜂蜜漬けを振舞うという情報はどこから出たのかは分かったのかしら?」
「それは私から報告するよ」
口を開いたのはマクシミリアンで、いつの間にやらフィリックと情報を共有し、そちらもそちらで動いていたらしいことが察せられた。
「まず塩漬け、砂糖漬け、蜂蜜漬け、どれもヴァレンティンでは珍しくもない、市場にも出回っているものである、というのはいい?」
「ええ。城の物は自家製の特製品だけれど、品物自体はどれも珍しいものではないわ」
「そのあたりから辺りを付けたことも考えられなくはないけれど、蜂蜜漬けに関する話題なら、すでに選帝侯議会棟で出ている。私はここ二三日、大公閣下と行動を共にしていたでしょう? そこで……その。詳細は、割愛するけれど……まぁ閣下とあれやこれやと、リディのことをどれだけ知っているかの自慢大会になったというか……」
「何やってるの? 貴方達」
てっきり真面目に働いているかと思いきや……。
「こほんっ。まぁそれで新作の蜂蜜漬けをリディに沢山もらったことを自慢したせいで、閣下に一つ取り上げられてしまってね。しかもあてつけるように下の議場での会議中に閣下が飲んでいた。私ともそのことで色々と……うん、まぁ色々と恨み言を言っていたから、ダグナブリク公が食いついてきてね。今のリディの一押し、みたいな形で話をした」
「つまり選帝侯議会棟に出入りする人達、ないしダグナブリク公経由で広まる可能性はあったということね」
「でもすぐに作れるものでもないし、いくらなんでも昨日今日でそれを使ってくるだなんていうのはやっぱり変かな?」
「いえ。蜂蜜漬けは後から急ごしらえで用意された可能性があるの。塩漬けを洗って適当に蜂蜜に漬けただけのような小細工じゃないかと思うわ」
「蜂蜜漬けに対する度しがたい冒涜だね」
何を言っているの? とか思ったのだが、まぁいい。
とにかく、リディアーヌが皇宮にベルブラウの蜂蜜漬けを今一番のおすすめとして持ち込んでいたという情報は外へ出ていた可能性があるわけだ。
「でもだとしたら情報源は……選帝侯家?」
頭をよぎったのはヘイツブルグ大公だ。だがいかに動きが読めずに訝しんでいる相手とはいえ、自分が立てた王であるギュスターブを密かに内部告発するような行動を起こしている人物が、他の皇帝候補、しかも有力な皇帝候補を揃って狙う理由はピンとこない。
それにナディアが接触していた相手だ。皇帝殺しを企んでいるような相手にナディアが平然と関与したりするだろうか?
「あるいは教皇派でもない、教会の第三派がいるとか?」
「クロイツェンの騒動の方は詳細が分からないけれど、こっちの騒動を見ただけでも相当手が込んでるよ。毒花入りの塩漬け瓶を用意したのも、目くらましの薬を持たせたメイドを用意したのも、それなりの後ろ盾や協力者がなくしては出来ないことだ」
「そうね。でもそんなことをしそうな聖職者は……」
一瞬脳裏にヴァレンティンのお調子者な司教の顔が過ったが、それこそ考えすぎだろうか。
そもそもカラマーイが犯人なら下手に偽物を用意せずともヴァレンティンでいくらでも本物の、それも大公家の刻印入りのガラス瓶に入った塩漬けや蜂蜜漬けを手に入れられる。毎年作ったものを甘いものが好きな教区長様にも差し上げているから、カラマーイだって手に入れられるはずなのだ。
それともあえてヴァレンティンへの追及は躱されるよう、手を抜いたとか?
だがカラマーイが皇帝候補達を狙う理由はまったく思い当たらない。
「いずれにしても、今皇帝候補を狙う理由が分からないわ」
「同感だ。でもそれは私達が“真っ当”だからだよ。えてしてこういうことの犯人は、真っ当な思考回路は持ち合わせていない」
「それは……クリストフ二世を殺せと言った人も?」
「……あぁ。到底、まともな思考回路ではなかったんだろう」
ゆるゆると息を吐きながら、いつしか無意識にアルトゥールの薬入れを指先が撫でていたことに気が付き、ぱっと手を離した。
クロイツェンで何が起きたのかは分からないが、もしかするとこれを欲するような何かが起きていたとも限らない。さすがにこんなものを二つも三つもは用意できなかったであろうから、これがリディアーヌの手元にあったことは、まったくなんという幸運な出来事だったのか。リュシアンはこれによって助けられたと言っても過言ではないのだから。
「確か明日……ヘイツブルグ大公の大晩餐会の手土産に起因して、内皇庁から議会が招集されていたわよね?」
「あぁ。いよいよギュスターブ王弾劾かと、今から騒々しいほどだ」
ふむ。ギュスターブ……追い詰められたあの王が、なりふり構わずにほかの皇帝候補を手にかけ始めたというのも有り得ないことではないのだろうか。だがあのギュスターブ王が今回のような手の込んだ毒の仕込み方をするとは思えない。あるいは誰かが手助けしたとか?
「何か、分かるかしら」
「少なくとも動向の意図が全く読めないヘイツブルグ大公のことは今より分かるんじゃないかと期待するね」
同感だ。今回の件に関与しているのかしていないのかも、探れると良いのだが。
ただ一つ問題があるとしたら、今のリュシアンの状況だ。
「まいったわ……さすがに明日では、リュスは議会に出席できないでしょうね」
「内皇庁議会に皇帝候補である以前に一国の全権を持っている国王陛下が欠席というのは確かに良くないね。ベルテセーヌはどうするつもりか、聞いていない?」
「昨日はまだそんな話もできる状況ではなかったから。でも代理を出すとしたら、アンジェリカか、王族傍系でもあるレアンドロ卿でしょうね」
どちらも議会には不慣れで頼りない。いっそ三世王女の義弟だからとフィリックを出した方が安心だが、ヴァレンティンの有能な文官として知られているフィリックを代理にするのは流石に無理だろう。パトリックも同様だ。
「まだ何度かは議会の経験があるアンジェリカを推薦しましょう。ダリエルとレアンドロ卿を補佐に付けて……」
「シュルトもつけておきましょう。あまり対外的に顔が知られているわけではありませんから」
フィリックの言葉に、確かにその手はあるかと頷いた。本来ならシュルトには情報収集という仕事に専念してもらいたいのだが、致し方ない。ベルテセーヌにもっと使える経験豊富な人材がいてくれればよかったものを……先の大粛清の悪い余波である。
「本当はこれ以上、アンジェリカに余計な注目が集まるのも望ましくないのだけれど」
「相変わらず姫様はアンジェリカ様に甘いですね」
自覚はしている。だが今回の事件でもアンジェリカの青苑からの帰り道が狙われている。リディアーヌの周りは情報が漏れないよう徹底していたし、猊下方もアルセール先生がいる以上、動向には気を付けていたはずだ。だとしたら青苑での密談はアンジェリカの傍から漏れた可能性もあり、それは誰かがアンジェリカの傍に目と耳を置いて行動を監視していることの表れでもあるのではなかろうか。
アンジェリカ関連で一番ちょっかいをかけてきそうなのは教会教皇派だが、昨今ナディアが同じ使徒の立場のヴィオレット妃に接触したり、そのナディアがヘイツブルグ大公にも会っていたりすることを思えば、ヘイツブルグ大公方面からの監視であった可能性もある。
いずれにせよ、すでにアンジェリカの存在は周囲からの注目を集めてしまっている。
「とにかく、様子を見ましょう」
「黙って次の出方を待つ?」
「ひとまず明日次第だけれど、予定通り、エティエンヌ猊下と聖女との共同声明の提出はしましょう。昨夜の件のせいで完全に為すべきであった仕事が後回しになってしまったわ……でも明日のヘイツブルグ大公やギュスターブ王と合わせて教皇派の“様子を見る”のに、こちらも後回しには出来ないわ」
「言葉を端折りすぎじゃない?」
クスクスと苦笑しつつ、結局マクシミリアンというのもリディアーヌの暴挙を笑って楽しめるおかしな人だから、すっかり「いいね、やろう」と乗り気である。
そうと決まれば、うかうかと船をこいでいる暇もない。
「本当はリュスに……歴代のベルテセーヌ王が聖女を秘匿してきた理由を知らないのかと、聞きたかったのだけれど……」
生憎とそれを聞くことは出来そうもない。あるいはお養父様と話す時間を持つべきかとも思ったが、そのお養父様は出かけたっきり帰ってこない娘の非行にぷんすかと腹をたてつつ目くらましのために離宮でじっとしてくれているそうだから呼び付けるわけにもいかないし、かといってまだ帰る気にもならない。せめてアルセール先生とは顔を合わせ、猊下との仲介を頼みたい所である。
「フィリック、クロイツェン側の事件の事、キリアンに情報を求められないかしら?」
「どうでしょう。ククにも何度か繋ぎを取らせましたが、昨年末からこの方、連絡がつきにくくなっています。そもそもどれほど信じられるものか」
「……」
フィリックのキリアン嫌いは相変わらずだ。だが正直リディアーヌも、すっかりと手綱の外れてしまったようなキリアンをどう見做すべきなのかには困っている。
今もヴィオレットの近くにいるのだろうか? だがそれにしては、もうここのところずっとあちらの情報を寄越してくれてはいないし、今回のような大事件についてさえ、一言もないのは不審だ。
元々、何か条件を付けて引き止めていた相手ではない。クロイツェンに残ることを選んだのはキリアン自身であるし、リディアーヌはただペステロープ家の恨みを晴らすことを誓っただけで、それはすでに昨秋までに果たされた過去の出来事だ。その後、キリアンが何を思い、何をしているのかはリディアーヌも干渉しえないことだ。
「ところで姫様。マグキリアンは、そういえば赤い髪をしていますね」
「……」
突然のフィリックの呟きに、それが一体何なのかと訝し気に顔をあげる。
だが今目の前にいる女装したマクシミリアンと赤い髪というワードに、思いがけない場所でカチリと符号が着いた。まさか、アンジェリカに毒を渡した赤髪短髪のメイドがキリアンだとでも言うのだろうか?
「……いや、いくら何でもキリアンだったらアンジェリカは気付くわよね? それに赤い髪のメイドというのなら、禁事棟のヴァレンティン付きのメイドのリオの方がまだ有り得るわよ」
「ですがリオにはクロイツェンに手を出す理由はありませんよ」
「だからって誰もかれも好き好んでわざわざ女装するとでも?」
「……」
思わず視線を向けた先で、マクシミリアンが『これが好き好んでに見える?』と言わんばかりのニコニコとしたひんやりする笑みを浮かべた。
うん、だよね。普通はしない。
それにキリアンは昔こそ文官向きのなよっとした可愛い顔をした少年だったが、今はそんな面影などどこにもない偉丈夫だ。顔立ちも体つきも、アルセールやマクシミリアンと違って容易く女装できる容姿ではない。たとえ薬が効いたアンジェリカが目をくらまされていたとしても、ちらりと見たはずの御者が違和感を覚えないということはないだろう。
「だからその考えは流石にどうかと思うわ」
「そうですか」
「まぁ……でも私も。昔ほどに、キリアンを庇いはしないけれど……」
「それはようございました」
まったく良くなんてない。なのにちっとも配慮なんてしてくれないのだから、いっそすがすがしいというべきか。
「フィリックはキリアンを疑うの?」
「私は昔から、あの男は気に食いません」
「私怨ではなくて?」
「まぁ半分くらいは、被害者面してうちの主にベタ甘やかされているくせに大した恩返しもできない体たらくで無性に腹が立つという私怨なのですが」
何でそんなに具体的なのだろう。むしろフィリックにかかると大半がそういう私怨を被っていそうで不安になる。
「ですが現状、役に立たないどころか何の益にもなっていないことは確かです」
「確かに……益になるならないで判断しているわけではないけれど、敵か味方かなどと判断できない立場にあるのは確かね。でもそれこそ、リュスやトゥーリを狙う理由は分からなくってよ」
「そうですか? 今はともかく、私もほんの半年ほど前まではどちらもうちの姫様に迷惑をかける厄介者なので、いっそいなくなってしまえばせいせいすると思っておりましたが」
「……」
「……」
さすがに皆が真顔で押し黙ってしまったせいだろうか。フィリックはチラリとそれを横目に見やると、「“昔は”ですよ?」と強調した。だが生憎と、まったく何の弁明にもなっていない。
まぁ、いい……フィリックはそういう人だ。そうと分かって傍に置いているのだから、今更そのことにあれこれというつもりは無い。だがやはりこの男は、外向きに出すには問題が大きすぎる気がしないでもない。
「フィル、お利口さんだから貴方は黙って指示を出すだけに徹して、私の傍でじっとしていなさい」
「おや。突然の“デレ”でございますか?」
「……」
「……」
「デレなの?」
マクシミリアンさん、どうかその言葉は聞き流して、それ以上突っ込まないで欲しい。
この男の言葉は半分くらい聞き流すくらいが、精神衛生上望ましいのだから。




