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10-18 金の髪の美婦(1)

 うとうと、うとうとと、薄暗闇に船をこぎながら、はらと肩から何かが滑り落ちるような感覚を得て、寝ぼけ眼に手を伸ばす。だがそれよりも早く重みは遠ざかり、ふわりと柔らかな毛布に包まれると、さらにうとうと、うとうとと眠気が募る。でも一度ゆらりと舟をこいだところで我に返り、あぁ、寝ている場合じゃなかったと目を開ける。

 随分と静かだが、もう夜は明けてしまっただろうか。リュシアンはどうだろう。ちゃんと息をしているだろうか。

 目を閉じてしまったことを後悔してすぐに目を開け身を乗り出そうとしたけれど、椅子から立とうとした眠気半分の体がぐらりと揺らぐ。それを「おっと」という言葉と伸びてきた手が抱き留めるものだから、突然の予期せぬ他人の気配にたちまち意識が浮上してきたリディアーヌはゆるりと顔を跳ね上げた。

 跳ね上げて……。


「ぶふぉッっ……」


 たまらず噴き出した。


「リディ、その反応、ちょっとひどくない?」

「っっっ……ッお、起き抜けから何を見せるのよっ、ミリム!」

「昔の男の部屋に入り浸って朝帰りどころか朝まで寝過ごしてしまいそうだったうちの人を迎えに来たんだよ。リディ、今のこの状況、分かってる?」


 そう言われてようやくふと周りを見渡し、それから再び自分を支えている人……何故か、豪華な金色の長い波打ち髪のウィッグに体をすっぽりと覆う可憐なローブを着ているマクシミリアンさんに目を止め、再び吹き出しそうになるのをぐっと(こら)えた。

 起き抜けにこれは、さすがにインパクトがでかすぎた。しかもなんてことだ。顔立ちが端正な上にローブですっぽりと体格も隠れているせいか、ただの絶世に美女にしか見えない。


「ミ、ミリム……貴方、似合いすぎではなくて?」

「我ながら中々イケてると思う。ルゼノール小伯爵が送って来たんだよ。変装用だって。色々試したけど、純情ストレート系は全然似合わなくてライナーに『気持ち悪い』扱いされた。それに比べるとこれは中々似合ってるよね」


 元々金髪で癖のある髪質だから、ただ髪が伸びただけのように見えなくもない。しかも調子に乗ったのがどこの誰なのか知らないが、薄く紅やアイカラーも引かれているんじゃなかろうか。下手をすればどこぞの貴族の貴婦人か、はたまたベルテセーヌ王の寝室に侵入した高級娼婦(クルチザンヌ)にでも間違われそうである。


「この部屋に来るの、止められなかったの?」

「フィリック卿がスンとした顔で通してくれたけど」


 その顔、見たいような見たくないような。

 そうコソコソと会話を続けていたら、「病人の枕元で何をひそひそしているんです?」と言いながら、そのフィリックがレアンドロ卿と共に顔を出した。

 アルセール先生は教会を長く不在にして目立つわけにもいかないからと昨晩の内に薬を作りおいて退席したが、フィリックは何しろリディアーヌがびくりとも動かなかったものだから、一緒にこちらに留まっていたらしい。代わりにエリオットの姿が無くなっているから、今頃シュルトと共に今回の一件の調査に当たっているはずだ。


「それでフィリック卿、リディは連れて帰っていいのかな?」

「ご本人にどうぞ」

「だそうだけど」


 だそうだと言われても、と再び振り返ったところで、リュシアンの呼吸が非常に落ち着いているのを見てほっと安堵した。昨夜アルセール先生が、紫頭毒は四半日が勝負と言っていた。すでに服毒から十二時間近く経つ。初期の適切な対処に加え、薬がよく効いたのだろう。

 思わず一晩中握りしめていたらしい薬入れの存在を思い出して持ち上げたところで、「まさかこんな形で役に立つとはね」とマクシミリアンが囁いた。まったく、その通りである。


「トゥーリが聞いたら恨みに思うかしら」

「そうかもね」


 珍しく優しくはない返答だ。それに少しの違和感を感じて見上げたリディアーヌに、マクシミリアンが突然スリと髪を首筋に擦りつけてきたものだから、自然と口を噤まされてしまった。


「ちょっとっ、ミリム……」

「こんな格好をしているせいで締まりがないけれど、今、すごく怒っているからね」

「……えぇ?」

「たとえ君がどれほどそんな関係じゃないと言ったところで、私にとってベルテセーヌ王は恋敵だから。ほんとっ、その寝室で一晩明かすとか有り得ないから」

「……ごめんなさい」


 これは素直に謝った方がいいのだろうかと謝ってみたところで、「本当に思ってる?」とため息を吐かれた。

 何しろ昨晩、この人は兄の代わりのようなものだという自覚を濃くしたばかりなのだ。色恋方面に持って行かれてもちっともぴんと来ない。

 だがそれは逆に安心に繋がったようで、「まったく、嫉妬のし損ないだよ」と突っ込まれた。


「それで、いつまでここにいるつもり?」

「……ミリム」


 どうしよう。せめてリュシアンの目が覚めるまではここにいたい。ちゃんと無事であることを確認しないと、少しとして落ち着かない。そんな焦燥は透けて見えたのか、ほどなく「仕方がないなぁ」という苦笑が返って来た。

 私はこの人の優しさに甘え過ぎである。そう自覚しているから素直に御礼を言えなかったのだけれど、ポンポンと頭を撫でて抱きすくめられると、それだけで言いくるめられてしまったかのような心地になった。

 ズルい。


「ごめんなさい、ミリム。どうすべきか、分かってはいるのだけれど……」

「でも私もここにいるからね。二人きりは許さないから」

「二人きりじゃないわよ? イザベラもいるし、先生方もいらしたし」

「だからいいって話じゃないよ。同性の護衛騎士がいるとはいえ、人の出入りがある場所で(うたた)()だなんて、()(かつ)にもほどがある」

「ハイ」


 仰る通りでございます。


「ここにいてもいいから、少しだけでも仮眠は取って。あぁ、その前に朝食が必要かな」

「食事なんて喉を通らないわ」

「それでも」


 そう手を引かれて部屋を出ることを促されているのを感じ、ピクリと力を込めて足を止める。けれど何も言わずにこちらを見るマクシミリアンとその奥のフィリックの様子を見て、ふっと息を吐いて足を踏み出した。

 これは多分、休息も本心である一方、ベルテセーヌ側の目と耳がない場所で報告したことがあるという意図なのではないだろうか。


「分かったわ。少しだけ」

「ヴァレンティンから君の侍女がたっぷりと果物やら生菓子やらを持たせてくれたよ。それなら喉を通る?」

「ええ。レアンドロ卿、先生、しばらくここをお願いします」

「お任せください、公女殿下。お目が覚めそうでしたらすぐにお知らせいたします」

「下にお部屋を用意しておりますので」


 どうやらレアンドロ卿はリディアーヌが休めるようにと部屋も整えていてくれたらしい。メイドが案内をしてくれたので有難くその部屋をお借りすることにして、マクシミリアンとフィリック、イザベラと共にそちらに向かうことにした。


「ところで、公子殿下はいつまでその恰好のままでいらっしゃるので?」


 階段を下りながらふいにフィリックがそんな、まさに気になっていたことを突っ込んでくれたのだけれど、それにマクシミリアンは胸を張り、「いかに婚約したとはいえ夜明け前に女性と寝室にいるのは外聞が悪い」と言う。

 はて。何かと奔放かつ緩めな東大陸男の言葉とは思えない。そう首を傾げたら、もれなくフィリックが、「と、うちの大公様に何か言われましたか?」という。なるほど……この変装は出入りを誤魔化すためである反面、うちのお養父様のせいでもあるらしい。

 だからってそれを離宮の中に入ってなお律儀に守るとはとも思ったのだが。


「それもある。でもそれ以上に……リディの侍女に化粧されたんだよ。今ウィッグを取るとどうなると思う?」

「……」

「……」


 よし。この話について突っ込むのはもうやめよう。

 やがて案内された部屋に入ると、どうやらマクシミリアンがマーサも連れてきてくれていたようで、すでにマーサがお皿を並べ、温かい青茶を淹れて待ってくれていた。いつもの紅茶寄りの青茶ではなく、もう少し淡い白茶寄りの青茶だ。ほぼ夜通し看病に当たっていた疲れた体に沁みる、心地よい香りである。

 マーサもリディアーヌの侍女の一人だが……うむ、さすがにふざけて公子に化粧を施すような侍女達の中には含まれていないはずだ。


「姫様、ご苦労様でございました。お疲れでございましょう」


 (いたわ)るように席を勧めるマーサに「こんなに早くから悪かったわね」と声をかけながら椅子に腰かける。馴染みの顔に囲まれて安心したせいか、何やらすぐにでも眠気が襲ってきそうだった。それにマクシミリアンが、「すぐにでも休ませてあげたい所だけど、少しだけ待ってもらえる?」と真面目な面差しで言いながら目の前に腰かけた。

 女装のせいで色々と雰囲気が台無しなのだが……いや、頑張って集中しよう。


「急いで周りの目を遠ざけないといけないようなことが?」

「あった。まだはっきりとした情報ではないけれど、おそらく昨日こちらで事件があったのと同じ頃、クロイツェンの離宮でも騒ぎが起きている」

「何ですって」


 一瞬にして目が覚めた。それはもう完全に覚めた。

 実際の所、今回の事件には首を傾げるようなことがいくつもあった。その一つが、一体どこの誰がこのタイミングでリュシアンを狙わねばならなかったのかだ。


 今リディアーヌが警戒すべき最も大きな相手は二つ。教皇聖下とヘイツブルグ大公だ。

 後者についてはまだ意図も思惑もよく分からないが、少なくとも前者に関しては、過去の教会が権勢を持っていた時代を懐古しているらしい聖下の目的が帝国の聖女制の実現、ひいては皇帝の皇后として聖女を据えることなのではと推察している。

 教皇はヴィオレットを皇后ではなく教会自体に取り込む策も巡らせていたが、はなからそれとは別件で、リディアーヌを皇后として据えたい野望はあったのかもしれない。だがその場合、皇后には必ず夫となる“皇帝”が必要になる。それがリュシアンであれアルトゥールであれあるいはそれ以外であれ、教皇聖下には皇帝候補を無意味に狙う理由がないのだ。

 だからこそリュシアンの周りに、そんな警戒心は抱いていなかった。

 それがどうしたことか。同日、もう一人の有力な皇帝候補がいるクロイツェンでも似たような事件があったということか?

 だとしたら、狙われたのは……。


「ッ、トゥーリはっ?!」


 思わず軽くなった薬入れを握り締めて身を乗り出したリディアーヌに、「大丈夫、落ち着いて」とマクシミリアンがそれを制した。


「トゥーリは何ともない。まだ全貌は分かっていないけれど、少なくともトゥーリが指揮をとって何らかの出来事に対処している様子が見えているようだから」

「……でも、このタイミング……」

「あぁ。狙われたのはトゥーリである可能性が高いだろうね」


 きゅっと口を引き結んだところで、フィリックが昨夜の内に集めたであろう情報を目の前に並べていった。






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