表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
402/428

10-15 紫頭毒事件(2)

「まずはこのような状況を、お詫びいたします……妹が考えも無しに殿下を……」

「詫びていただく必要は無いわ。それより情報は端的に、速やかに」

「はい。陛下がお倒れになられたのはこの王の棟内の応接間でした。妹が殿下とのご面会から戻り、報告のためにこちらで会っている最中……このような事態に」

「他に人は?」

「私がおりました」


 そう口を挟んだのは王の筆頭侍従の立場にあるバルテオン伯だ。元々亡きユリシーヌ妃に仕え、その後メディナ妃に匿われていた侍従であり、リュシアンにとっても最も信頼のおける昔からの既知だ。


「文官や騎士は同席していなかったの?」

「いつもそうです。護衛は部屋の外に。私は陛下に同席することもありますが、今日は別件で出ておりました……」


 リュシアンが他人を遠ざけがちであることは察していた。生い立ちのせいで一人の方が慣れているせいでもあろうが、あまり他人に信を置けないのだ。


「その時まで、毒に接触したと思われる者は?」

「茶器を運び入れたメイドは拘束してあります。使用された湯、茶器、用具、すべてそのままに保管し、部屋への立ち入りも禁じてあります。ただ殿(てん)()の見立てでは、毒は……その」


 妙に言い辛そうにするダリエルに、アンジェリカが「リディアーヌ様は無関係です!」と声をあげた。

 そのおかしな状況に、どういうことなのかと目を瞬かせる。一体、何がどうして自分の名前が出てきたのか。


「毒は、ラジェンナが持ち帰った花茶の中に」

「花茶?」


 すぐには意味が分からなかった。

 花茶とやらにも色々とあるが、ラジェンナが持ち帰ったと言われるということは、先程、青苑で会ったアンジェリカが欲しがっていたベルブラウの蜂蜜漬けのことだろうか? だがそれはおかしい。


 それは先程の席において、マーサが皆の目の前で蓋を開け、器に置き、湯を注いだものだった。いつもの砂糖漬けではなくこの冬にヴァレンティンの料理長が冬の新作だといって持たせてくれたもので、たっぷりの甘さに少しの生姜の辛味と林檎の風味が効いた、まだ肌寒い今の季節に心地よい仕上がりの特製品である。

 三瓶ほど持って来ているのだが、アンジェリカがとても気に入って三杯もお変わりするほどだったので、リディアーヌがその場でマーサに『後でアンジェリカに一つ差し上げましょう』と言ったものだ。

 だが、たとえ気心の知れた相手であってもアンジェリカはベルテセーヌの王弟夫人だ。一度蓋を開けた使いかけをその場で下げ渡すような真似をしていいはずもなく、離宮にあるまだ開けていない一つを後ほど贈るという意味合いでの言葉であって、当然、帰路にルゼノール家に立ち寄っていたリディアーヌはまだその差配をしていない。

 そもそも甘いものをまったく受け付けないリュシアンがそんなものを口にするはずもない。

 そう困惑していたリディアーヌに、アンジェリカがきゅっと拳を握り締めて瞼に一杯に涙をこらえながら、「私がお勧めしてしまったんです」と声を震わせた。


「まって、よく状況が分からないわ。どういうこと? 花茶なら私も貴女もアルセール先生も口にしたし、それに私、まだ……」

「いえ、そっちじゃありません。帰りしなに下さったもう一つのお土産(みやげ)の方です」

「お土産?」


 何の事だかわからない。

 花茶と同様にアンジェリカが幸せそうな顔で沢山頬張っていたお茶菓子のクッキーについても、マーサが気をきかせて、『そんなにお気に召したようでしたらまだ離宮に沢山ありますから、花茶と一緒にお贈りしますよ』なんて言っていた。

 よもやマーサに限って有り得ないと思うが、青苑での席で出したクッキーの余りをその場で包んでお土産にさせた、だなんてこと……いや、やはりないと思う。

 いかにアンジェリカがヴァレンティン滞在時に一番好きだったからと手ずから焼いてあげたものであったとしても、マーサはアンジェリカ可愛さに礼儀と常識を有耶無耶にしてしまったりする人ではない。


「マーサも言っていたでしょう? クッキーは離宮から送る、と。花茶だってそうよ」

「……?」


 変な顔をしているアンジェリカに困ったように首を傾げていると、ダリエルも何故か妙な顔で、「毒は、手土産にいただいた塩漬けのベルブラウに混じっておりました」と言うものだから、眉をしかめて首を傾げた。


「どういうこと? ダリエル卿」

「アンジェリカが馬車に乗り込む寸前、公女殿下からだといって駆けつけてきたヴァレンティンのお仕着せのメイドから受け取ったと聞いていますが」


 すぐにフィリックを振り返ったが、フィリックは迷いもなく首を横に振った。そんなことはしていないという意味だろう。

 確かに、青苑は選帝侯家の管轄になるので、今日の話し合いの席はヴァレンティンが用意した。そのためにメイド達も何人か連れて行ったが、皆公女府に仕える見知った顔であったし、彼女達のことはマーサがしっかり監督してくれていたはずである。その動向だって把握していたはずだ。


「ではやっぱり……あれは、リディアーヌ様のお使いではなかったんですね」

「やっぱりもなにも、アンジェリカ、良く思い出して。そもそも蜂蜜漬けだって、『まだ開けていないものがあるから後で贈るわ』と、そう言ったはずよ」

「はい。だから、帰り、馬車に乗る直前に届けてくださったのかと」

「いくら青苑がヴァレンティン離宮のすぐ傍だからって、そんなに早く持ってこさせたり出来ないわよ。青苑で出したものもそのまま私がルゼノール家に持ち込んで振舞っているから、開封済みのものを渡したなんてことも無いわよ」


 チラリと見た先で、アルセール先生が「私もいただきましたから間違いありません」と頷いた。


「それに蜂蜜漬けは公女府の公用品ではなくて私の私物よ。離宮にいるハンナだって、私の直接の許可なく持ち出しを許したりはしないわ。もしも大急ぎで離宮に取りにやらせたのだとしても、だったらマーサが貴女に約束していたクッキーも蜂蜜漬けと一緒に持ってきたはずでしょう? なのにそれがどうしてベルブラウの塩漬けに変わっているの?」

「あ……」

「アンジェリカ……つまり貴女は、私の名を出した人物から、ベルブラウの蜂蜜漬けと塩漬けの両方を受け取ったのね?」

「はい。蜂蜜漬けでは陛下は楽しめないでしょうから、塩漬けもお持ちください、と言われて。でも確かに……」

「それは貴女の知らない顔だった?」

「……分からないんです。私もラジェンナ様も、呼び止められてから瓶を受け取るまで、笑顔で会話していた記憶はあるんですが、どんな顔だったのかといわれると思い出せなくて」


 それを(いぶか)しんでいたら、殿(てん)()の先生が「そういう作用をもたらす香はいくつもございます」と口を挟んだ。

 つまりヴァレンティンを(かた)った誰かが、アンジェリカ達を朦朧とさせつつ、毒入りの塩漬け瓶を持たせた可能性があるということだ。


「それで、一体それがどうしてリュスの口に?」

「わ、私のせいですっ……私、調子に乗って……陛下との会話で、今日の報告をしている途中でいただいた蜂蜜漬けの話になって、それで、『陛下にもお土産をいただいて来ました』と……」

「それを聞いていたラジェンナが、持ち帰ったばかりであったその塩漬けを湯に溶いてお出ししたそうです」


 状況が見えてきた。本来であればどんな物でも間に毒味を挟まないことはないはずだが、それはベルテセーヌと(じっ)(こん)のヴァレンティンの公女からの贈り物で、かつリュシアンの身内枠となるアンジェリカが持って来たものであったから、間に毒味が入らなかった。

 あるいは普通はお茶も菓子も持って来たものがまず毒味がてらに一口食べ飲みして見せるのが茶会の礼儀だが、その場は茶会ではなく、ただリュシアンが義妹の報告を聞いているだけの砕けた席だった。アンジェリカは二つのお土産のうち蜂蜜漬けの方を手に取り、それが曖昧に毒味替わりの雰囲気を呈し、くしくも塩漬けは王本人が最初の一口に手を付けることになってしまったのだ。


「でも、始めはおかしな様子なんて何も……陛下は『甘くないから飲みやすい』などと仰られて。でも段々と陛下のご様子が……」


 思い出してしまったようにぞっと震えたアンジェリカに、控えていた侍女がさっと寄り添って背中を撫でた。

 目の前で人が死に近づき、息を切らして倒れ込む姿はトラウマになる。リディアーヌにもそれは実感として分かる事で、それと同じ経験をアンジェリカがしてしまったことが憐れでならなかった。


「そんな状況でよく私に使いを寄越したわね。ヴァレンティンから渡されたものだと思っていたなら、私を疑うところでしょうに」

「リディアーヌ様を疑うなんて万に一つもありません! 勿論、お兄様にはヴァレンティンの名を(かた)った者がいたのなら、リディアーヌ様を呼び寄せてしまってはご迷惑をかけるかもしれないと言われました。でも私……リディアーヌ様しか頼れなくてっ」

「……」

「申し訳ありません、公女殿下。もっと強く止めるべきかとは思ったのですが……」


 だがダリエルも、一人ではあちらもこちらもと手を回すことはできず、アンジェリカがラジェンナを送り出すのを見過ごすことを選んだのだ。

 勿論、ヴァレンティンからの土産だと称したのはアンジェリカとラジェンナであるから、実際にそれを王に出した二人もまた疑いを向けられる立場だ。アンジェリカがラジェンナを離宮の外に出したこと、並びにダリエルがそれを見逃したことは、ラジェンナをこの場から遠ざける意図もあったのであろう。

 そのラジェンナはルゼノール家から辻馬車を呼んでもらい、ヴァレンティン離宮に送り届けてもらっている。やはりこちらに連れてこなくて良かったようだ。


「勿論、毒がどのルートであったのかや何に含まれていたのかなど、ここにいる者以外にはすべて隠してあります。ヴァレンティンに御迷惑はおかけいたしません」

「それはひとまず感謝するけれど、少なくともヴァレンティンのメイドを騙る者がいたのは確かだわ。フィリック……」

「必ずあぶり出し、恐れ多くも姫様の使用人を騙ったド阿呆には相応の報いを受けさせます」


 いや、その……そこまでは言っていないのだが。まぁいい。


「即効性ではなく徐々に毒が回ったのだとしたら、やはり植物性でしょうか」


 そんな中、診察に集中していたアルセールがそう言いながら身を起こしたのを見て、ぱっとリディアーヌも振り返った。


「どうですか? 先生」

「塩漬けというくらいですから、塩が助けになったのか、初期治療が効いているようですね。お聞きした初期症状と現在見られる痺れや混濁だけなら多く該当するものが思い当たりますが、混濁より昏倒に至っていること、冷えが強い事、それにこの独特な花の匂い……それにベルブラウの塩漬けと見違えたとなると、()(とう)が入っていたかもしれません」


 アルセールの言葉には「紫頭?」と殿医が首を傾げた。聞きなれない言葉だったらしい。


「恐れ入りますが、実際に毒が盛られていたという花茶の器か瓶はありますか?」

「ございます」


 頷いたダリエルが視線を向けた先で、頷いた騎士がぱっと隣の部屋に飛び込んでいった。


「あの場にあった物はすべてそのまま部屋に残して立ち入りを禁じているのですが、花茶の瓶だけはこちらに持ち出してあります」


 そう言ってトレイに乗せて運び込まれたものに、アルセールは病人には近づけないよう扉横の棚に置くよう指示し、自ら手に取った。

 同じようにリディアーヌも隣に立ったところで、見慣れた青い花びらが詰まった濁りのないガラス瓶を見る。この濁りなさはヴァレンティンでも使うような高価な品だが、料理長が好んで使う上膨らみのガラス瓶とは形が違う。それにヴァレンティンのものには刻印が入っているはずだが、これにはない。偽物だ。


「塩漬けはこちらですね」


 蜂蜜色に染まった瓶ではなく塩漬けと思われる瓶を手に取り、蓋を開けてクンと匂いを嗅いだアルセールは、ピンセットを取り、一つ、二つ、三つとお皿に並べ置いて行った。

 何かあるのだろうかとリディアーヌも鼻を寄せようとしたところで、「いけませんよ」とアルセールに止められた。


「先生。何か?」

「なるほど……これとこれは、ベルブラウではありませんね」

「えっ!?」


 飛んできたアンジェリカもまた花びらを見やったが、正直見た目からはよく分からない。


「塩漬けにされて花びらの形が分かりにくくなっていますが、ベルブラウより細長くて分厚い……念入りに、花びらを半分に割いてベルブラウの大きさに似せる工夫までされていますが、この二つはどちらもベルブラウではなく紫頭花です」


 先程も出てきた名前に首を傾げる。


「紫頭花の原種は金頭花と呼ばれるブトン・ドール系の野花ですが、わずかに触れるだけでも強いかぶれを起こすため農村部の獣除けの垣にすら使われません。花は黄色から、夏にかけて白く染まり、竜の頭のような形をしていることから金頭花、夏には銀頭花と名前を変えます。しかし毒と薬は紙一重で、非常に強い嘔吐剤や鎮痛薬にもなるんです。そのため毒性を和らげさせた改良種があり、そちらではなぜか花びらが藍色に染まることから紫頭花と呼ばれています。そしてこの改良種を生み出したのは……」

「聖都の、薬園……?」


 呟いたリディアーヌに、アルセールは神妙な顔で頷いた。

 思わず広がったざわめきに、「静粛に願います」とアルセールがすぐに側近らを窘める。まだ、その可能性が高いというだけである。


「この通り、色合いがベルブラウと瓜二つで、夏に色を変えるのも同じです。原種より薬効を弱めてあるといっても、紫頭も薬として処理しなければひと噛みで死に至りかねない猛毒です。ただ甘い匂いとは裏腹に強い苦みがあって、口にすればすぐにわかります」

「でも先生……リュスは、味覚障害が……」

「程度はどれほどでしょう?」

「甘味は感じているようです。しかし苦味や酸味には随分と鈍くなっておられます」


 ダリエルの返答に、「それは……」と、アルセールも困ったように眉根を寄せた。

 この塩漬けの瓶には、本物のベルブラウの塩漬けも混じっている。塩漬けは紅茶や青茶に風味付け程度加える砂糖漬けと違って、二、三輪を器に入れて白湯を注いで味わう。風味に本物のベルブラウと塩気が混じり、味に誤魔化しがきいてしまったのだろうか。


「それでも気付かぬほどではない強い苦みではあるはずですが……苦みを感じないというその程度が分からないことには何も言えませんね。グレイシス侯爵夫人、陛下は何か匂いや味のことは仰っていませんでしたか?」

「陛下は、強い花の香りがする、と。ただ少し塩が効き過ぎているようだから、もう少しお湯をと、湯を継ぎ足されていましたが……」

「花の香りが勝っていて、かつ思わず吐き出すほどの違和感でなかったのなら、幸い器に取られた花はベルブラウばかりだったのかもしれません。しかし毒花と一緒に漬かっていたものです。毒性は移っていたでしょう。それも……意図的に」


 盛られたのはどこぞに無作為に生えている毒草ではない、教会の管理する薬園で栽培された、聖都の固有種だ。そんなものをわざわざ混ぜたのだから、この塩漬けの瓶は明らかに狙って作られたものだ。それも、教会の薬園に出入りできる者の手によって。

 そのことにぞっと背筋が凍るようだった。


「もし器に置かれたのが紫頭で、万に一つもそれを直接飲み下してしまっていたとしたら御命も危うかったことでしょう。明らかに死を想定して手渡されたものです」

「先生、解毒は……」

「教会が出所なら、私の専門分野です。特定の解毒薬があるわけではありませんが、これらを薬草として使う際に用いられる中和剤は聖都の薬園にあるもので十分に作ることができます。ただそれには時間が……」


 きゅっと眉根を寄せるアルセール先生の言いたいことは分かる。毒というのは結局時間との勝負で、特に命に関わる毒の多くは四半日、長くとも一日以内には影響がはっきりする。ここが教会領であればまだしも、元より持ち出しも持ち込みも厳格化されている植物がこの直轄領で簡単に手に入るとは思えない。

 だがそうと聞くや否や、リディアーヌはパッといつも腰に下げていた飾り帯の鎖を乱暴に引きちぎるようにして取り、その瀟洒な飾りを模していた金属の円盤をガシャガシャと震える指先で開いてアルセールに突き付けた。


「先生っ、この中に使えるものは?!」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ