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10-11 猊下と密約(2)

「そもそも聖下にとっての帝国の聖女とは、皇后である聖女という歴史上の存在そのものなのかもしれませんな」

「それはつまり、聖女の権能を教会にどうこうしたいという具体的な話ではなく、ただブラウ妃をはじめとする皇后達が(さい)()を牽引していた過去の栄華を実現したいだけだと?」

「ええ。確か先ほど挙げた三つ目の問題として、聖下は公女殿下に“原典”の存在を求めていらっしゃるとか。そう仰っておいででしたな?」

「はい。私もその胸の内をすべて知っているわけではありませんが、どうやら真に神々と対話し得る神問と、その手段としての聖女と聖典に随分と執着しているらしいことは感じています。だから私も、神問で神々を降ろしたいだけならヴィオレット妃と、各地の正聖典だけで事足りるでしょうに、と気を逸らさせるつもりだったのですが……」


 そもそもなぜそんなにも神問に執着するのか、それ自体もリディアーヌにとっては不思議に思う点である。だが(げい)()はそうではなかったらしい。


「聖都大聖堂の大書庫には、歴代聖女様方が神々しく神問をなさっておられた帝国初期の栄華の時代を書いた書籍が多くあります。後世の編纂物もございますから、内容の是非は分かりませんが、すべての聖職者達が祈りを捧げる中、皇后陛下が神々を降ろし、神秘の光の中で託宣を請うた、などという逸話はどんな本にも書かれていることです。そのような奇跡を一度でも目にできたならと焦がれない聖職者はいないでしょう」

「……なんですって」


 知らなかった。そんなことがあるのか。だがそんな過去の歴史書の内容を実現したいなどと夢のようなことを、大の大人が考えるものだろうか? うぅむ……それを聞いて“そんなことで”と呆れるばかりなのは、自分の共感力が足りないせいなのだろうか。

 確かに、そんな過去の栄華の実現とそれを教皇として復活させることに焦がれた人物がいたとしたら、そのための必須のアイテムとなる“原典”と“聖女”に執着する理由もあると言えるのかもしれない。

 だがリディアーヌはそうとは知らず、聖下に対し、原典は譲渡できるものではないと告げてしまった。あの時はただ神問を求めているだけだと思っていたから、こちらへの視線を回避するために行った発言だったのだが、もしかするとそれは逆効果だったのかもしれない。


「その……これは、その……とても、言っていいものかどうなのか、迷うものなのですが」


 この辺りを説明するには、どうしても彼らに原典の事実についてを知ってもらわねばならない。それは決して広めたいものではないのでどうにも説明し辛い。そんな様子を漂わせたリディアーヌに、アルセール先生は「どうぞ話してください」とせっついた。


「先生……」

「我々は秘すべきことを不用意に触れ回るような信用ならない相手ですか?」

「……そういう言い方はズルいですわ、先生」

「ええ。ですが今のこの問題の大半は、聖女の知る秘匿された情報が教会に共有されていなかったがゆえに起きているものです。まぁ教会が知らないからこそ聖女の自由が認められていたという意味で、その方針が悪いとは言いません。しかし語ることで守りを得る方法もあります」


 私達を信じて話してはくれませんか、と言うその言葉は、昔のような好奇心による情報収集とは違う、極めて真剣なものだった。少なくとも今ここにいる彼らは皆、この問題を共に解決しようとしてくれている味方なのだ。そのことにリディアーヌも一つ息を吐き、頬にこもっていた力を抜いた。


「私は聖女の秘事がどれほど教会に伝わり共有されているのかを知りません。だから聖下が何を知り、何を知らないのかも分かりません。その上で私が今ここで語っても良いと思うものだけを明かします」


 こくりと頷いた聖職者達に、同意を得られたものとしてリディアーヌも頷く。


「聖女と使徒の違いの類は以前にも説明した通りです。ただ両者の違いで最も重要なのは、“鍵”の持ち主が本来聖女ただ一人であることと、そして貴方方が正聖典と呼ぶ物の最初の一つであり“原典”に当たる物を、代々の聖女が受け継いでいることです」

「原典?」


 それについては、先日マクシミリアンにも語ったところである。

 今この帝国には十の正聖典がありこの内一番最初の一つが行方不明だとされているが、それはリディアーヌが持っていること。そしてそれは誰かに譲渡したり形として示せるものではなく、聖女が生まれながらに身の内に引き継いでいるものであること。そして聖女は己の鍵により原典だけでなくすべての正聖典を通じて神々に神問しうるが、自分の鍵を持っているわけではないヴィオレットには正聖典すらも開けないであろうこと。


「正聖典が、開けない……?」

「つまり使徒様では、神問は出来ないのですか?」

「そうです。それにそもそも神々は聖女様の声にしか答えることはありません」


 リディアーヌの代わりにアンジェリカが答えると、聖職者達の間に何とも言えない微妙な空気が漂った。

 その反応は何だろう、と思っている内にも、ほどなくフィレンツィオが「なのに教皇聖下には、神問したいだけならヴィオレット妃でいいではないか、なんて仰られたんですか?」と言ったことで理解した。どうやら皆もその件をすでに知っているらしい。

 マクシミリアンはそれを聞いてただカラカラと笑っていたが、教皇聖下に近しい聖職者達にとっては到底笑い飛ばせないレベルの話だったようだ。


「冬の終わりの大夜会の日、確かに私は聖下にヴィオレット妃で満足するようにと仄めかしました。なのに聖下は重ねて原典への執着を見せて、私の言を聞き入れてはくれませんでした。そのことに、もしかしたらと思うことがあって……」

「聖下はヴィオレット妃殿下では神問ができないことを疑っておられる?」

「ええ」


 確かにヴィオレットはこれまで、教皇聖下の期待を裏切る行動を何度か取った。

 いつぞやの鹿肉事件ではドレンツィン大司教の期待を裏切りその場で聖水を作って見せるという奇跡を為し得なかったし、円形議場での討論会では今この場で神々を降ろして見せれば証明になると挑発したリディアーヌに、取り付く島もなく拒絶した。

 どちらも理由があってのことと上手くごまかしてはいたけれど、それが不信感となったことは拭い去れない事実だ。


「それにすべての正聖典の中でも原典だけが特別であると知っている可能性もあります」

「実際のところ、違うのですか?」

「まったく違うものですよ。例えば正聖典は各国の神問の間に安置されており、持ち出すことはできません。それに正聖典でできるのはただの対話です」

「?」


 聖職者達にはよく分からなかったようだが、リディアーヌは改めて、「神々と対話をするだけなら聖典とは言いませんよね?」と言った。


「それはまぁ、そうかもしれませんが。神々の言葉が語られるのであれば、聖典なのでは?」

「いえ。本来の聖典は、歴代聖女が神々に神問したそのすべての言葉が納められている、聖女達による“対話の記録”です。それはおそらく現帝国時代だけではない、旧神聖帝国時代含め、神々がこの世界に聖女をもたらした時代からすべての」

「なっっ……」

「聖女が聖典を開くたびに神々と交わされた対話は、その都度、聖典の一文として原典に刻まれ、永遠に書き(つづ)られ続けてゆく。それが聖典なんです」


 想像がつかなかったのか、ポカンと抜けた面差しをしている聖職者達に対し、原典が開かれた場に居合わせたことのあるアンジェリカはよく理解している様子だ。あれは実際に見てみなければ中々説明のできないものである。

 だからこそ、その特異性が他の人に知られている可能性なんてものも考えたことが無かったのだが、もしも聖下がそれを知って執着しているとなれば、こればかりは他に替えのきかないものであり、リディアーヌでなければならないものということになる。


「ただ……アンジェリカは見たから知っているでしょうけれど、この原典というのは、その……別に、何か有難い教えが書いてあるわけでもなければ、教訓が書かれているわけでもない。本当に、ただの聖女と神々の対話の記録なんです」

「ふふっ」


 何を思い出したのか、思わず肩を揺らしたアンジェリカにリディアーヌも肩をすくめる。


「勿論、歴代聖女が神々に問い、神々が答えた世界の節理に関する内容も多く残されています。でも大半は他愛のない神々との雑談です。九つの正聖典をはじめ今我々が聖典と称している本はすべて、過去の聖女がこの原典の中から我々に必要とされるものを抜き出して形にしたものです。つまり、皆さんが日頃用いている聖典は……」

「遥か過去に人為的に抽出された、原典のほんの一部でしかない……」


 さすがに聖職者達にはショックが大きすぎたのか、しばし皆呆然としたように口を噤んだ。

 リディアーヌにとってはまったく神聖なものなんかではない神々との雑談の記録でしかないのだが、彼らの反応を見ると、聖下が原典にこだわる理由を感じないでもなかった。


「……ふぅ。まったく……これはどうしたことでしょうか」

「先生……」

「公女殿下、正直私は今貴女に、『聖女などという肩書きを気にせず自由になさい』などと教師らしいことを言うことができずにいます。その理由は言うまでもありませんよね?」

「ええ。だから私も、歴代の聖女も、これを秘事としてきたんでしょう。私は必要があってこれらのことを調べましたけれど、ここ数代は原典を開く方法さえ次の聖女に伝えなくなっていました。“王国の聖女”として、聖女をより特異なものとしないために」

「……そうですね。先程口を(つぐ)んだ理由も理解できました。そのどこまでを聖下がご存じなのかは分かりませんが、ただ全く知らないというわけではないのは確かでしょう」


 第三者の目から見ればやはりそうだろうか。リディアーヌにとっては自分さえ最近まで知らなかったような秘事なのだ。そのせいか誰かがそれを知っているだなんて、まったくピンとこない。


「公女殿下。確かにこの一つだけでも、聖女が口を閉ざすべきことが多々あり、聖女の()(わざ)の大半はそういうものなのだろうと察せられます。私はいっそ、そんな存在を帝国の聖女として出すべきではないと、むしろそちらの方に心惹かれます」


 それはリディアーヌにとっては都合のいい方の意見だが、これにはエティエンヌ猊下もサンチェーリ司教も神妙な顔で頷いた。


「ただ教皇聖下にとっての聖女が我々が思っていた以上に特異な結果をもたらすものであった以上、その骨を折るには相応の、それに相応しいだけの理由が必要です。いつまでもすべてを隠したままにはぐらかす方針では、きっと(らち)が明かないでしょう」

「ええ……」

「やはり何かしら、聖女として聖下の望みを打ち砕く力を誇示することはできませんか?」


 思わず眉根が寄ってしまったのは、長い間、聖女である自分をひたすらに押し殺し、閉じ込めてきた反動のせいだろうか。今更聖女として大々的に表舞台に立つことには抵抗がある。それにそれは自分の思う聖女の在り方から外れかねない。


「聖女としての権能が知られていないことが、聖下が殿下の個を蔑ろにする原因であると思うのです。ですがそれが聖職者ごときが触れてはならぬものだと示せるのであれば……」

「先生、私は聖女を特別なものとして顕示する気はないんです。それは私だけではない、今後生まれて来るであろうすべての“王国の聖女”のためにも。今はリュシアンという理解ある王とお養父様という理解ある大公のおかげで、聖女は時勢に利用されずにいられます。でもいつの時代もそうとは限らないんです。私は聖女を為政者にとって都合のいい“力を持つ存在”にしたくありません。それは今後の帝国のためにも」

「つまり聖女の権能は、今明かしたものどころではないほどにまだまだあるのですね」

「……」


 口を噤んだリディアーヌに、アルセール先生も一度深く考え込むそぶりを見せた。沈黙により、自分自身に冷静を敷いているようでもあった。


「帝国民の多くが宗教上重要なはずの聖女に関心を持たないことは、私にとって長年の疑問でした。けれど聖女という存在に抱く人々の曖昧な認識が、歴代聖女達によって自分達を守るためにあえて築かれたものであったのだとしたら……くしくもこんなところで、知見を得たような気がします」

「私も歴代聖女のすべての心の内を知っているわけではありませんから、それには何とも言えませんわ。ただ“元王女”の考えで言えば、あるいは歴代のベルテセーヌ王こそが聖女をそういう存在にしようと計ったのではないかと、そう思っています」

「なるほど……」


 じっと考え込んだアルセール先生はしばらく黙り込んでいたが、ほどなく深く頷いてから顔をあげた。そちらの問題は今必要な問題ではない。頭の片隅に畳んでおくことにしたのだろう。


「ですが今や、聖女様をそうして守っておられたクリストフ二世陛下はいらっしゃいません。くしくも公女殿下は今のこの時代を左右するすべての鍵になっていて、ただ黙って曖昧に濁すには大きすぎる存在になってしまっています」


 きっと父クリストフ二世は、リディアーヌを王国から出す気はなかっただろう。皇帝戦において聖女の父として教会に注目されたことは必要なことで、だがそれを利用したがゆえに、自分が皇帝となった暁には堅固に聖女をベルテセーヌに秘め、帝国とその制度全てから隠すつもりだったのではなかろうか。

 国内で結婚させ、国内で聖女として生涯を終えさせ、そして次も、その次も。


 あぁ……父は一体、どうして皇帝戦に臨んだのか。

 ベルテセーヌが帝国の一部として再起する必要があったから? いや……それとも皇帝として、帝国全土に睨みを利かせる力を得なければならない、そんなどうしようもない理由があったのだとしたら?

 分からない。やはり父に関する記憶は多くは無くて、それを知ることは出来ないままだ。

 だが現教皇は前回の皇帝戦時からすでに聖女の父として知られていた父に、何らかの接触を起こしていたはずだ。今これほどまでに聖女のもたらす物に関心を持っている聖下が、当時は何一つ関心を持たなかったなどということもなかろう。

 一体二人は、どんな会話を交わしたのであろうか?


「私は……選帝伯などという立場で、皇宮に来ていい存在ではなかったのかもしれないわ」


 思わずポツリと呟いた言葉に、「殿下」とアルセールが何とも言いたげな視線を向けたが、それには軽く首を横に振って、この話は止めようと合図した。

 今更それを後悔なんてしていない。ただ本当に思わず、口からこぼれてしまっただけの言葉だ。






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