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10-10 猊下と密約(1)

 お茶会は変な空気のおかげで難なく終わったものの、実質、この出来事が皇帝戦に波紋を呼び、大きな濁流となって打ち寄せたことは間違いない。

 本来はもう少し穏便に流れに巻き込んでいきたかったのだが、くしくも何の躊躇もなく堰を切るような慌ただしさになってしまった。それも、出ずがりで知られたうちの大公様が珍しく社交場に顔を出すほどの激流だ。

 まぁ顔を出しただけで、「そんなことは知らん。娘に聞け」と放言するばかりだったと聞くが……一応、皇宮ではこれも珍事である。


 そんな中、真っ先にフィリックが予定を取り付けてきたリディアーヌの面談相手はエティエンヌ(げい)()だった。

リディアーヌの縁談について、これまでは厄介かつ絶大な権力を持つヴァレンティン大公の怒りを恐れた皆も口を(つぐ)んでヒソヒソするばかりだったが、これからは教皇聖下もこれにどう食らいついてくるとも知れない。その前に、協力関係にある聖職者との今後の方針や、どう教皇派に相対していくのかをはっきりさせたいとのアルセール先生からの要請に応えたものでもある。

 リディアーヌもそれには同意するところであったので、速やかに許可し、即日エティエンヌ猊下やサンチェーリ司教、アルセール先生との会談となった。


 場所は選帝侯家の離宮が並ぶ一角にある(せい)(えん)の中の()()(とう)だ。選帝侯家のための空間であるが、わざわざ離宮を出てこんな場所を使う選帝侯家の人間もおらず、日頃から管理だけされて放置されている、人目に付きにくい場所である。

 選帝侯家の人間であれば出入りが自由な場所ではあるが、招いていない教会関係者を排除し、かつ人目に付きにくい場所で会うとなると中々都合がいい。ここは七王家関係者が立ち入る事も(はばか)られる場所であるが、ただアンジェリカだけは聖職者枠として招いた。


 集まった面々を前に、まずリディアーヌが行ったのはこの状況の説明だ。

 突然の出来事にエティエンヌ猊下らも「何も聞いていなかったので驚きました」と、少しの不愉快さを含めて感想を述べたが、それにはリディアーヌも真正面から応じ、「原因は冬の終わりの夜会の教皇聖下の放言です」と、その事情を説明した。

 さすれば聖下が聖女を自由の利く手駒の(ごと)く利用しようとしていた構図と、ましてやリディアーヌに対して皇后だの何だのと(ほの)めかす危うい思想に、理解ある聖職者達は揃って頭を抱え、「確かにそれでは致し方がありません」と頷いた。そうすることで、自分はその考え方とは違います、ということを印象付ける意図もあっただろう。


「公女殿下、恐れながら私はこの後半戦からの合流組ですから、前半戦での応酬を文面上でしか存じていません。まず前半戦の間、殿下が教会と教皇聖下に対してどういう立場であったのか、またどこまで説明し、何を明らかにしておられるのかをはっきりとさせたいのですが、ご説明願えますか?」


 物事をまずは理路整然とさせようとするのはアルセール先生のいつものパターンだ。アルセールも予め周囲から話は聞いているだろうが、良い機会だからとリディアーヌも現在の状況を整理して言葉にしてみる。


「現在教会との間で問題となっているのは三点。一つは聖女と使徒の問題の取り扱い方と、使徒ヴィオレットを教会に入れるかどうかという問題。次にそれも含めた上で、聖女を王国の聖女のままとするのか、帝国の聖女として切り離すべきなのかの問題。そして最後は、教皇聖下がこだわっているらしい、神問と原典という聖女の持つ特殊性自体に対する問題です。前者二つは全体的な制度上の問題ですが、最後の一つは聖下と私個人の問題ですね」

「議事録などを見る限り、聖女と使徒の違いについてはすでに明らかにされているとか」

「ええ、はっきりと議場で説明し、アンジェリカも自ら自分は使徒であることと、その役割の別についてを語っています。聖女と使徒を混交されてはベルテセーヌの領地問題にまで発展しかねなかったので、苦渋の選択ではありましたが……」

「私はそれでよかったと思いますよ。少なくとも私はいち聖職者として、今の聖女がみだりに乱立する状況を快くは思っておりません。聖女と使徒をはっきりとして下さったことは、すべての聖職者にとって必要な認識だったと思います」


 聖女に関する物事は、可能なら隠せるだけすべて隠したいくらいだ。当然、これまで悲劇の存在であることの多かった使徒についての情報を漏らすことにも躊躇いが大きかった。だからこれはやむを得ない事だったのだということは強調しておいた。


「ただこれにより、結局聖女はただ一人であり、それが私なのだということを印象付けることになってしまいました。それで聖下も……」

()(やす)く手に入りそうなヴィオレット妃殿下に偏っていた関心を、再び公女殿下に引き揺さぶられる原因になってしまったわけですね」

「ええ」

「むしろ私にしてみれば安心しかありませんね。片手で聖下に転がされそうな使徒がふらふらしているより、安心安定の不動の大木である殿下がすべての責を担ってくださっていた方がはるかに安心できますから」

「先生……いかに気心が知れた身内相手とはいえ、年若い淑女を攻撃の的に都合のいい大木扱いだなんて酷すぎやしませんか? これだから西大陸の男はとため息を吐かれても仕方がありませんよ」


 思わず突っ込んだ言葉に、聖職者といえども東大陸の男である猊下が「もっともだ」と膝を打って同意した。アンジェリカも何故か「不動の大木とはなんていい表現でしょう」と感心していたが、これについては後程とくと西大陸の淑女たるものについて言い聞かせよう。


「二つ目の王国の聖女と帝国の聖女の問題は、正直私はさほど重要には思っていません。そもそも聖下や一部の者達が望んでいる“帝国の聖女”、あるいは“教会の聖女”というものについて、私にはその意義が理解できないものですから」

「公女殿下は、歴史の成績も良かったはずですが」


 先生の実に先生らしい物言いには、つい耳を赤くしてコホンと咳払いした。

 確かに今の自分の言い方は投げやり過ぎた。


「失礼しましたわ、先生。確かに、理解はしています。過去の帝国の聖女がベルテセーヌに秘匿された王国の聖女になっていったことにも、理由があるのでしょう。それを私は誰よりも実感しています。ただこの問題に関しては制度がどうのこうのという前に、それが私個人に関する問題だということを失念されていると言わざるを得ません」

「つまり公女殿下は誰が何を言おうとも、そもそもご自身が帝国の聖女として自分の身を置くつもりがないのだから、議論なんて無意味なことだと仰られているわけですね」

「ええ、そうです」


 いつもはそう説明するのが面倒で、言葉をおざなりにしてきた。それで通じていると思ったからなのだが、改めてきちんと説明すると、何故かサンチェーリ司教がパチパチと目を瞬かせながら、「なるほど、そういうことなのですな」というから、こっちの方が驚いた。


「公女殿下にとってはそれこそ昔から何度も聞かされ、何度も考えた内容でしょうから、もう今更という気持ちなのでしょう。ですが説明はいつでも何度でも、きちんと果たすべきですよ」

「……えぇ、その通りなようですね。反省いたしましたわ、アルセール先生」


 先生が今この場でこんな復習と確認みたいなことをさせた原因が分かった気がした。これはただの話の整理だけではなく、正しい理解を共有するための時間でもあるのだ。


「ではその上で、公女殿下個人の意見として、聖女が“帝国の聖女”や“教会の聖女”になり得ないとする理由は何故ですか?」

「あら、だって私、ヴァレンティン大公家の公女ですのよ」


 端的かつ明快に、ただ胸に手を当てて声を張って見せたら、先生の顔をしていたアルセールの表情が一瞬崩れ、「まったく貴女は」と呆れた顔になった。

 でもこれが一番はっきりと伝わるんじゃないかと思う。リディアーヌは聖女などという肩書きを持つ前に、一国の姫であり国を担いうる立場なのだ。それを皆には(ぞん)()しておいてもらいたかった。


「その意思を知らしめるためには、公女殿下はもっと周囲に対して、ご自分がヴァレンティン大公家の跡取りであることを周知するべきですね」

「これまではそうとは言えませんでしたから。ですがもう噤む必要のない話になりましたから、これからはそう致します」


 少なくとも自分はつい昨秋までフレデリクを跡継ぎにするつもりでいたし、自分の今後の事なんて考えてこなかった。だが今やリディアーヌ公女が跡継ぎであることはヴァレンティンの周知の事実となった。これからはこの武器を、躊躇わずに振るうことができる。


「ただ周知したところで反発は大きいでしょうな。公女殿下がどれほど知っておられるかは分かりませんが、皇宮では貴女様こそがクリストフ二世陛下の正統な後継者であり、皇帝としての資格を有する存在として崇める者達が大勢おります」

「大勢……ですか?」


 エティエンヌ猊下の言葉に感じた認識のずれに、小首を傾げる。

 確かにそういう一派がいることは聞き覚えがあり、特にベルテセーヌではそういうことを主張する連中がセザール政権を抑え込むのに利用していることを理解している。最近はフレデリクが顔を出したことで、揺るがぬ意思を見せているリディアーヌよりもフレデリクを担ぎ出したい派閥の方が膨れているようだが、よもや皇宮にまでそういう話が広まっているとは思っていなかった。


「そういう話はほんの一部の妄言ではなく?」

「いいえ、少なくとも教会ではそういう話はよく耳にいたします。特にクリストフ二世陛下は絶大な教会からの支持を得て皇帝候補として台頭なさった御方。ならば公女殿下こそがその後継者であると騒ぎ立てる者が教会に多いのも道理ではあります」

「私も、身近なところでドレンツィン大司教閣下などに若干その傾向を見ております」


 ふむ……つまりそういう声は、教会に近しい側から多く上がっているということなのか。


「私はむしろクロイツェンが随分と教会にすり寄って、ヴィオレット妃なども利用して強い後見を得ているように理解しているのですが」

「クロイツェンと関係を深めているのは教会の中でも教皇聖下寄りの一部の派閥ですね。こういっては何ですが、このクロイツェンのアルトゥール皇太子殿下というは、実はさほど信仰心など持ち合わせていない御方なのでは?」

「……その。申し上げにくいですが、まぁ、そうですね」


 ちょっと困り顔で友人の事実を漏らしたところで、「そういう方は為政者、ましてや東大陸には少なくありますまい」とサンチェーリ司教は苦笑で答えてくれた。たとえアルトゥールの目的が政略であろうと別に問い詰めたりしませんよ、という、選帝侯家の司教らしいフォローである。


「私こそ、ドレンツィンという教会としては異端な場で選帝侯閣下に仕えて来た身です。単純な信仰心だけでひたすらに祈りを捧げておけばよい立場でないことは自覚しております。今こうして公女殿下に密かにお目にかかっていることもまたしかり」

「つまりトゥーリと関係を深めているのはそういう一部の高位聖職者であって、皇帝戦に関係する階級に多いがゆえに私がそれを教会全体の傾向として勘違いしているということですか?」

「勘違いなどとんでもない。ただおそらくクロイツェン親和派は非常に厄介な場所に巣くってはいるもののあくまで限定的な勢力であり、皇帝戦の外では公女殿下を(かつ)ぎたい層の方がはるかに厚いことを御存じないのではないかと」

「……これは私の盲点でしたわ。聖職者を()(せい)(しゃ)と一緒くたにしすぎていたようです。教会に所属する大半の方々が信仰心を深く持ち得ていること。その大半にとっての聖女がどういう存在なのか……忘れていたかもしれません」


 そう息を吐いたところで、控えていたフィレンツィオが「あんなに私がたっぷりと正聖女殿下への信仰心を(あら)わにして差し上げたのにですか?」だなんていう余計な一言を挟んだ。だがあれはなんかこう、ただの悪友の悪ふざけみたいな感があったから……だなんて言ったら、ここにいる敬虔なる皆々様から白い眼をされそうだ。

 ただいずれにせよ、そんな敬虔と名の付く者達にとってさえ、リディアーヌは“教会の支持していた聖君クリストフ二世陛下の娘である聖女”という、ただの偶像に過ぎないのだ。だからこそ、リディアーヌ自身のもとまでそうした傾向や噂が届かなかった。そのことをつくづく実感する。


「教皇聖下は私に、皇帝というよりも皇后となることを仄めかす物言いをしていました。私は今更そんなことをして何の意味があるのかとよく理解できなかったのですが、あるいは猊下方には思い当たることがありますか?」

「ふむ……それは間違いありませんか? 貴女様こそが皇帝に、ではなく?」


 まぁ『皇帝に』であったとしても、すでに皇帝候補が出揃っていて、そこにリディアーヌの名前が無るわけでもないのに何を血迷ったことをと首を傾げるのだが、ひとまず頷いてみせると、少し考えこんでいたエティエンヌ猊下が「もしかしたら」と口を開いた。


「そもそも聖下にとっての帝国の聖女とは、皇后である聖女という歴史上の存在そのものなのかもしれませんな」






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