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10-9 宣戦布告(2)

 鐘が鳴り、段々と客人が入り始めると、相変わらずアンジェリカはいち早くやってきて、早々、「おめでとうございます!」だなんて言って花束をプレゼントしてきた。なので「何がおめでたいのかしら?」ととぼけて額を小突いておいた。

 別に、お茶会で婚約発表するわけではない。これはあくまでも、ただのお茶会なのである。


「ごめんなさい。だって、いてもたってもいられなくて。お兄様にも怒られたのですが」


 そういうアンジェリカはリディアーヌに花束を押し付けると、「ようやく公子殿下がお報われになったのかと思うと、涙が出ます」としみじみとマクシミリアンを見て深く頷き、彼を笑わせた。これにはダリエルも呆れた顔をした。


「おめでとうと言うのであれば、それはこちらの方ね。ダリエル卿、ラジェンナ嬢、婚約おめでとう」

「……っ」

「ま、まぁ。私、そんなお話し……」


 パッとラジェンナが頬を染め、ダリエルが気恥ずかしそうにもごつく。それをクスクスと見守るアンジェリカの様子は何とも微笑ましい。


「ダリエル卿は、クロードとアンジェリカを通じて私にとっても身内にもなるわ。ダリー、式を挙げる前にはきちんと連絡をしてちょうだい。贈り物をさせていただきますからね」

「恐縮です、公女殿下」


 身内を理由にしたけれど、これはほんの少しの恩返しだ。昔を冷静に顧みることができるようになった今、ほんの短い時間ではあったものの、ダリエルは確かに“リディアーヌ王女”にとっての学友だった。学年は違っていたが、ジュードとダリエルがいたベルテセーヌでの学院生活は、それほど悲観する時間ではなかったと思う。その幸せを喜ばない理由はなかった。

 それからも続々と客人はやって来た。ヘルミーネ妃は相変わらず可愛らしい十代の女の子の反応で「一体どんな報告があるのでしょう」と期待をしている様子で、逆にウィクトル公子と一緒にやって来たアンナベル妃は夫から何を聞いているのか知らないが、対立派閥であるはずの二人が並んで出迎える様子にいたく混乱した様子で、「別に公子公女様方のただの集まりというわけではないのですね」と他の客人達を見回していた。

 コランティーヌ夫人は相変わらずの落ち着いた様子で、「私は去年の今頃から、こうなると思っていましたよ」と余裕たっぷりに二人を(から)()いながら席に向かった。確かに去年の今頃、クロイツェンの皇城で顔を合わせた時から、夫人にはリディアーヌとマクシミリアンが友人と言うには近すぎる関係であった様子を見られている。あの時はまだあくまでも友人と言い切る関係だったが、夫人の目にはすでにそうは見えていなかったようである。

 なお、続々とやって来たルゼノール家の御三方には揃いにも揃って、「何故よりにもよって私達を並べたんですか?」というまったく同じ言葉を聞かされた。別の場所で別の生活をしながらまったく同じ顔でまったく同じことを言うものだから、マクシミリアンと二人、密かに肩を揺らして笑ったことは秘密である。


「さて、今日はこのような急な呼びかけで会ったにもかかわらず、沢山の方においでいただけまして……えぇえぇ、予想だにしないほど多く集まっていただきまして、感謝を申し上げます」


 お客様が全員揃ったところで始めた挨拶の言葉には、夫の無茶ぶりで急遽参加することになったパラメア妃を含め数人がもれなく肩をすくめた。心配なさらずとも、悪いのはパラメア妃ではない。ダグナブリク選帝侯閣下、ならびにそのほかの図々しい皆様方である。


「ただ予定外のお客様が増えてしまったせいか、このお茶会の意図がどうにも正しく伝わっていないようなので申し上げておきますけれど、別に、ここで何やら重大な報告や発表をしようと思ってお招きしたわけではありませんわよ? ただこの会期後半の始まりを機に、落ち着いて親しい皆様と親交を持てましたらと思っただけですからね」


 そう微笑み一つで皆を言いくるめてはみたものの、彼らの視線がリディアーヌの隣とその薬指を見ていることは分かっている。ただそれはあくまでも暗黙の了解というやつで、まだそれをはっきりさせる意図はないのだと窘めたものだ。


「ヴァレンティンより稀少な氷樹梨や越冬林檎をお持ちしましたの。楽しんでいただけましたら幸いです」


 そう締めくくるとともに、侍女や侍従達がてきぱきと客人達にお茶を注いでいった。その中にさりげなくクラウス卿が混じっていることに察しの良い数人の視線が飛んだが、あえて突っ込みはしない。よくできたお客様方である。


「私には一体何が何やら……」


 暗黙の了解というものから遠ざけられていたらしいウィクトル公子はそう言ってマクシミリアンに今少し突っ込んだ説明を求めたが、逆に政治的な云々より素直な目線で物事を見ていたヘルミーネ妃達は何がおかしいのか分からないといったようなあっけらかんとした様子で素直にお茶を楽しんでくださった。この二極化した状況を面白そうに見ているのはコランティーヌ夫人である。


「そんな私でも、お二人の間には決して壊れ得ない分厚い壁があるものだと思っておりました。そのやるせなさが悲劇でありながらも美しかったのですが。一体いつの間にその壁が溶けてしまったのでしょう」

「いいえ、夫人。まったく溶けてなどいないのですよ。ただこの人は奔放と自由気儘という言葉をほしいままにしていますから、驚いたことに、その分厚い壁をひょんと飛び越えて転がり込んできてしまったのです」

「いや、間違ってはいないんだけど……リディ、言い方」

「それ以外にいい表現があって?」

「うーん……うーん……ない、なぁ。確かにまったく、その言葉の通りだからなぁ」


 実際にひょんと手すりを飛び越えたり、三階から二階の屋根に飛び降りたり。これ以上の言い得て妙な言葉はないはずである。そんな公子様の様子に、夫人は相変わらずのカラカラと明るい笑みをおこぼしになった。


「つまり、ザクセオン大公閣下のお許しはないわけですね。どうりで、このお茶会がただの親睦会だと仰るわけですわ」

「転がり込んできた方とのんびりと笑い話をしながら紅茶を飲んでいたはずが、なぜかヴァレンティンがザクセオンの公子を誘拐して監禁しただなんておかしな噂がおきているのですもの。びっくりして、急いで皆様をお集めした次第ですわ」

「あら、私はそんな噂は信じておりませんでしたよ。逆ならともかく」

「おっと、コランティーヌ夫人。その言葉は心外です」

「あら公子様、決して有り得ないと言えて?」

「……」

「ちょっとミリム、そこは『ない』って即答しなさいよ」


 思わずペチンと足を叩いたところで、どっと笑い声が上がった。

 ふぅ。この調子なら、ちゃんと噂は払拭されてくれそうである。軽い口調で揶揄ってくださるコランティーヌ夫人のおかげが大きい。やはりお招きして良かった。


「とはいえ私も人の親、年頃の孫もいる身ですから、若いお二人の幸せを喜ぶ傍ら頭を抱えていらっしゃるお身内もいらっしゃることを思うと、ただ手放しに笑っているというわけには参りませんわね」

「ええ、夫人。それは私達も思っていることです」

「そう……その覚悟でいらっしゃるのね」

「お言葉は分かりますが、すでに私は七年悩み、四年間尽力しました。その結果が今の状況なのだと、理解していただけるといいのですが」

「公子様がそうおっしゃるのでしたら、そうなのでしょう。私がとやかく言うことではありませんでしたね」

「いえ。夫人のお言葉は身に染みる言葉です」


 コクリと頷く夫人とは裏腹に、驚いた顔で目を瞬かせているウィクトル公子は、何度か口を開きかけ、しかしそのたびにきゅっと口を(つぐ)んだようだった。彼にはきっと、親に逆らって、国を捨ててまで何かをするということが想像つかないのだろう。

 ウィクトル公子にとってザクセオンの公子とヴァレンティンの公女は、一回り年下とはいえ世代が近く共感しやすいい同じ立場のはずの相手だ。二人が派閥的に正反対でありながら悪友のように親しく接しているところは前半戦中もずっと見ていたはずで、何よりリディアーヌはマクシミリアンどころかアルトゥールとさえ親しく話していたから、決して不仲などと勘違いしていたわけではないだろう。だがそれでも派閥を越えて、大公の意図に沿わぬ選択をするだなんて、微塵も思ってもみなかったのではないかと思う。

 これを機にウィクトル公子も自分の意思を持ち、一部セトーナ派以外に動向がさっぱりつかめないヘイツブルグ票を揺るがす原因になればと期待するが、さて、ウィクトル公子にどれほどの影響を与えられるかはまだ分からない。


 今日のお茶会は、ただの友人を招いただけのお茶会のようでもあり、だがザクセオンの公子であり選帝伯という二票を持ったクロイツェン派閥の重要人物がヴァレンティンに加担したということを知らしめる、極めて重要な意味を持つ茶会だ。おそらく選帝卿であるコランティーヌ夫人は自分がその茶会に出席することで与える影響を理解した上で、それでも構わないからと参加してくださった。だがきっとウィクトル公子はそこまで考えていなかったのではないかと思う。くしくも父大公のなすが儘であったがゆえに、彼は自分が選帝伯という存在であることの自覚が希薄なのだ。

 一体いつその重要性に気が付くのか。それは時折じっと推し測るように甥っ子の様子を窺っているコランティーヌ夫人の視線からも明らかで、いともたやすくリディアーヌ達に利用されている甥っ子へのがっかりとした感情も含んでいるのではないかと思う。

 こちらにとってはただ都合がいいばかりなのだが。


「親に、国主に逆らうことを推奨するわけではありませんが……けれどウィクトル殿下、貴方はもう少し公女様方を見習って、自分の意思と行動責任を知るべきですわね」

「難しいことを言わないでください、伯母上」

「何が難しいものですか。まったく、貴方は一体いつまで父親(ヘルメス)の影に脅えるのでしょう」


 ウィクトル公子は父親ばかりでなく伯母にも頭が上がらないのか、しゅんと小さくなって口を噤んだ。ヘイツブルグではそれほどに大公の存在が圧力として重きを為しているのだろう。


「確かに、選帝侯家たるもの、ちょっと傲慢で奔放なくらいがちょうどいいですわよね。ウィクトル公子は私達というよりダグナブリク閣下を見習ってみるのはどうでしょう。幸い、とても気に入られていらっしゃるようですし」

「ははは……ご勘弁ください。私も、何が気に入られているのかよく分からなくて困っているのです」

「辺境公閣下は誰にとっても不思議で想像がつかない方でいらっしゃいますものね」

「お恥ずかしいですわ」


 流れ球を受けたパラメア妃がそう恥ずかし気に呟くと、ウィクトル公子もあたふたと「あ、いえ、そういうつもりではないのですがっ」と必死に取り繕った。そこで冗談の一つでも言って笑い飛ばせれば上出来なのだが、根が真面目なウィクトル公子にはそれも難しいようである。

 決して悪いとは思わないけれど……選帝侯家の未来を託すという意味では、コランティーヌ夫人が不安になるのも分からなくはない。この様子では、今はよくともいずれ大公として選帝侯議会でやって行けるか心配だ。

 敵に塩を送る気はないが、本当に、一度ダグナブリク公に弟子入りしてみることを心の底からお勧めしたい。足して二で割れば中々いい具合になるのではないかと思うのだが。

 ただ冗談交じりにそんなことを言ったらパラメア妃に大変真面目な顔で「半分は宜しくありません。三分の一……六分の一ほどで十分かと思います」と力説され、再びコランティーヌ夫人が明るい笑い声を響かせることになった。


  ***


 かくしてお茶会は、およそコランティーヌ夫人のおかげもあって穏やかに終えることができた。だが本当に大変なのはこの後。特に、この茶議棟から出る瞬間である。

 招待状はあくまでも細々と回し、一部思いがけない場所にまで広まりはしたものの、実際にお茶会が開かれるその時までは完全に知れ渡ったものではなかったはずだ。またお茶会は招待を受けていないものが参加することは極めて非礼なことであるので、主催者の身分を考えてもこのお茶会に招待もされず怒鳴り込んでくるような無作法な人もいるはずがない。

 だがお茶会が終わってしまえばそれらの縛りは一切なくなる。すでにお茶会が開かれたことと、その部屋に出入りした人の情報は皇宮中に知れ渡っているだろう。

 そしてお茶会が終わってしまえば、離宮に引っ込むまでの道中、人目に付かないことは無理であり、どこで誰に呼び止められるとも知れず、それを簡単に無下にできるとも限らない。大変なのはこの後だ。


 幸い今回は客人を厳選したため、コランティーヌ夫人が興味津々な夫人達、アルセール先生が教会関連、クロヴィス卿が皇宮関係者に対する抑止力になってくれているはずである。アンジェリカやヘルミーネといった王国の重要な女性が一緒に茶会室から出たことで、他の王家への牽制にもなる。

 いかにリディアーヌとマクシミリアンに事の真相を問いただしたくても、このお茶会に招かれていたラインナップに、後から詰め寄せて何事なのかを()(しつけ)に問うような真似は早々出来まい。

 だから茶会室を出たところで集まってきたのは、あくまでも不躾な“視線”だけだ。続々と出て来る客人が揃いも揃って高貴な身分なので、そこに割って入れるよう案人は早々いない。それでも近づいてこれたのはほんのごく一部。それが許される……あるいはそれに物怖じしなくてもよい人だけだ。

 そう、例えば化粧に覆い隠された赤い目で、きりきりと手を震わせこちらを睨みつけた、彼のお姉様であったりとか。


「マクシム……やってくれましたわね」

「……姉上」


 ほとばしった緊張感に、別れの挨拶を交わしたばかりのコランティーヌ夫人が足を止め、チラリとこちらを窺う。同じようにウィクトル公子や他の客人達も気になるように足を止め、遠巻きに様子を窺っていた人々の視線も無遠慮なほどにこちらを注視した。

 いつものペトロネッラ様であればこんな目立つ真似をするはずがない。なのにお茶会室から出てすぐのこの場所を選んだというのは、外聞を捨ててまで弟を引っ捕まえる必要性を優先したのか、あるいは外聞を気にする余裕もないほどに追い詰められているかだ。もしも後者であったならどうしようかと、思わずマクシミリアンの面差しに罪悪感が過るのも仕方のない事であった。

 だが先に冷静さを取り戻したのはマクシミリアンの方で、一つ息を吐いたかと思うと、きゅっとリディアーヌの手を握り締めてきた。

 少々人目は気になるが、今はその手を振りほどく気には微塵もなれない。そしてその行為はもれなく、ペトロネッラの眉間に深い縦皺を刻ませた。


「先に言っておきますが、一切、少しとしてヴァレンティンのせいだとかリディのせいだとか、そういうことはありません。すべて私の意思と独断で、むしろヴァレンティンに迷惑をかける形で、私が自ら転がり込んだんです」

「……分かっているわ。だからこんなにも腹を立てているのでしょう?」


 別にマクシミリアンのせいばかりではない。そう思って強く手を握り返したのだが、チラリとこちらを見たマクシミリアンがホコリと口元を緩めるのを見て、手の力を緩めた。

 言わなくても分かっているけれど、そう言わせてほしいということなのだろう。

 そんな弟の機微に気が付いたらしいペトロネッラは、おもむろに深いため息をつくと、ブンブンと頭を振り払い、目の前を通り過ぎようと歩を進めた。

 冷静に、やはりこの場所でこれ以上内輪の話をすることではないと判断したのだろうか。心情としてはそれどころではないだろうに、やはりペトロネッラ様はよくできた御方である。

 ただ通り過ぎざま、「姉上」と声をかけて止めたのはマクシミリアンの方だった。


「謝罪なんて聞きたくないわよ。許したつもりは無いのだから」

「謝罪など必要のないものをする気はありません。ただ顔色が優れないようなので……」

「誰のせいだと思っているのかしら」


 それはそうですが、と苦笑する困った弟に今一度息を吐いたペトロネッラは、チラリと弟を見上げてから、さらに深い息を吐いた。


「貴方……ちゃんと、ベッドで眠れているの?」

「ええ。大公閣下にチクチクと文句を言われつつ、けれどそれ以上に手厚く扱っていただいています。身内として」

「……まったく、人の気も知らないで。憎らしい子」


 言葉ではそう言いながらも、そのやつれた横顔にきゅっとリディアーヌが唇を噛みしめたのは、仕方のない事だった。

 言葉では理解していたけれど、やはり心に咎めるものは感じざるを得ない。だからと言って手放す気もないけれど、自分達が彼女を傷つけたことは紛れもない事実なのだ。


「ペトロネッラ様」


 だから思わず口を開いたリディアーヌに、ペトロネッラの視線が冷たく忌まわし気であったとしても、それは当然のことである。

 ただ一言。これだけは、言わせてほしい。


「貴女もいずれ、『仕方がないわね』と呆れた顔で微笑む日が来ます。そうなるよう、ミリムは私がこの上なく幸せにして見せますので、どうぞご心配なく」

「……」

「……」


 ん? 何かしら、その姉弟そっくりなお顔は。


「お義姉様?」


 首を傾げた瞬間、「はぁぁぁっっ、もうっっ」と、なぜかその場にマクシミリアンがしゃがみこんで(もだ)えだした。その様子に、頭を抱えたペトロネッラ様の深くて長いため息が零れ落ちる。

 なんだ、これ。


 顔を隠して沈黙した姉弟のおかげで、それからしばらく、その場の空気は硬直した。

 そしてそれは程なく頭を抱えながら顔をあげたペトロネッラ様に、『もうどこにでも行ってしまいなさい』とばかりにヒラヒラと手を振られたことでようやく解けた。

 妙な空気になったせいか、それから茶議棟を出て馬車に乗り込むまで、ヒシッとリディアーヌを抱きすくめるマクシミリアンとリディアーヌに声をかける()()は現れなかった。

 一体、今の間は何だったのだろう。

 ゴロゴロと肩に額を擦り付け甘える狼さんモードのマクシミリアンさんを宥めるのに手いっぱいだったリディアーヌは、その真偽を問うこともできぬまま、こうしてお茶会は無事に(?)終わった。






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