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10-3 新年の鐘(3)

「そんなことより……折角集まったのだから、春からの対処について話しましょう」


 皇宮への出立は三日後、正月五日からである。後期選帝議会は二十日からなのでやや早めの出立になるが、どの国も後期は早めに集まって根回しを始めるようで、この日程もごねる養父を余所にアセルマン候とサリニャック候らが決めた日程である。

 側近達の一部は一日早く出立するので、実質明日一日が残していく仕事を片付けられる日である。

 すでに側近達には皇宮行きの人員の割り振りを通達している。メイドや下仕えは一部入れ替え、近侍の者としては本人の希望通りケーリックを同行者の中に加えた。多くの仕事を任せているククが連絡役に人手が欲しいですと言っていたので、情報収集に忙しいシュルトの元で書類整理などに邁進してもらうことになるだろう。

 侍女や侍従、騎士達は以前と同じである。そうと聞いて以来、マーサとハンナはすでに前回の反省から、皇宮に持って行く品をたっぷりと買い込み、厳選していると聞く。


「ミリムは私達と一緒に皇宮に入るのではなく別便と聞いているけれど、間違いないかしら? リンテンから聖都経由で皇宮に向かうのだとか」

「無駄なアリバイ作りだけど、一応年末年始は聖都にいたという名目を作るつもりだ。とっとと立場を明確にして寝返ったことを表明してしまいたいものの、今回の出奔は国許の内情より教会への牽制を優先してしまったからね……さすがに国許の方の根回しの準備が万全じゃない。早めにこっちも片をつけるから、少し待って欲しい」

「対ザクセオンの方向性は貴方に従うべきだからそれは構わないけれど……大丈夫なの?」

「一応、フィレンツにも口裏を合わせてもらっている」

「信用なるかしら……」

「何しろフィレンツだからなぁ」


 自分達の友人を信じない物言いでしばし苦笑してから、ひとまずその具体的な行程についても確認し合った。


「それで、皇宮に着いた後の対処だけれど」

「その指輪は、外さないで欲しい」


 ぎゅっと握られた手の甲に、少しのむず痒さを感じてきゅっと口を引き結びつつ、こくりと頷く。側近達の前でこういうのは、ちょっと恥ずかしい。


「まず早急に片付けたいのはナディのことね」

「……別れ方が良くなかったのかな。君がそこまでナディに疑いを抱くだなんてね」

「疑いたいわけではないけれど、あまり贔屓にして目を背けていると、うちの文官様が(うるさ)いのよ」


 こそこそと話していたら、ごほんっとフィリックに窘められた。相変わらずお厳しい。


「我々とて無駄に姫様のご友人に不信感を持ちたくはありませんが、ヘイツブルグ大公との接触があったこととフォンクラーク内の内情の融通に手を貸していたことはもはや疑いようもありません。その上で、どのような意図で前期皇帝戦中、姫様に接していたのか。何の思惑があって動かれていたのかを知ることは必須です」

「分かっているわ」


 リディアーヌとて言葉では不本意であることを繰り返しているが、フィリックが何を警戒しているのかが分からないほど馬鹿ではない。いや、むしろ認め得る友人のナディアだからこそ、行動に思惑がありましたと言われた方がしっくりくるのであり、その意図はどうしても図らねばならないのである。


「ナディアがヴィオレットに接触する理由だなんて……考えれば考えるほど、いい意味を思いつけなくて困っているわ」

「フォンクラークに聖女を取り込む意図だとか?」


 そう。それが最も悩ましいのである。

 ヘイツブルグ大公も、結局はベルテセーヌにばかり聖女が生まれることを(いと)うている一人だ。同じだけの歴史と伝統を持ちながらヴァレンティンだけがベルテセーヌに深く結びつき聖女に関わってきたことも納得いかないのだろう。元々フォンクラークも、それを理由に幾度もベルテセーヌと衝突してきた国である。

 特に今のフォンクラークは先のリンテンでの一件以来、内海と外海に面した良好な立地でありながら、リンテンへの出入りが制限され、輸出品にも多大な税が課され、しかもその件に教会が規制をかける薬物が関係していたせいなのか、聖都からの信頼も失っている状態である。クロイツェンや皇太子との関係に揺らぎを見せたヴィオレットを自陣に取り込み利用するというのは、実に大胆だが、しかし唸らざるを得ない目の付け所である。

 くしくもフォンクラークには、バルティーニュ公という次期王に最も近しい独身の()()()()もいらっしゃるし、しかもリディアーヌの知るバルティーニュ公はただの政略で再婚相手を選べる、そういう人だ。


「はぁ……参ったわ。私はヴィオレットを好きにはなれないし、いかに利害ゆえだと言われても、友人がそれに加担することに笑顔で理解をしてあげることもできないわ」

「理解していらっしゃるのに、何故それでもセリヌエール夫人をお庇いになるのか。私にはその意図の方が分かりません」

「悪かったわね、フィリック。でもそのくらい……ナディは大事な友人なのよ」

「その大事なご友人である皇太子殿下にはあれほど強気に喧嘩を売られるのに?」

「トゥーリはいいのよ、トゥーリは」

「うん、まぁトゥーリはね」


 思わずマクシミリアンも深く頷いたところで、フィリックには再び呆れた顔をされてた。

 まぁ、友人なんてもののいないフィリックさんには分からないでしょうよ。


「ナディの(したた)かさは好きよ。そういう所が好きで友人になったのだもの。だから何をしでかそうと否定はしないけれど……気持ち的には、そう簡単に受け入れられることではないのよ。察してちょうだい、フィリック」

「その気持ちは分かりかねますが、まぁ、心には留めておきましょう。つまり私は情というものになびいて手が甘くなりそうな姫様を叱咤し、常に警戒させる役割を務めればよいわけですね?」

「……」

「……」


 いや、まぁ。そう、なんだけどさ。せめてそこは敢えて口を閉ざして言葉を濁し、胸の内だけにその理解を留めてもらいたかった。フィリックにそんな優しさを求めては駄目なことは知っているのだけれど。


「ごほんっ。別の話にしましょう。えっと……教会の動きへの対応についてだけれど」

「教皇聖下の目的が私にはよく分からないのだけれど、リディはどう思っているの?」


 話の方向転換にすぐに乗ってくれたマクシミリアンのおかげで、うちの鬼畜な文官の意識もそちらに逸れてくれた。人間の心情というものを慮れる優しい婿殿で助かる。


「そういえばミリムにまだ話していなかった気がするけれど、教皇聖下が以前から執拗に気にかけているものがあるの」

「執拗に?」


 スリ、とドレスに隠れている聖痕をひと撫でし、息を吐く。


「ミリムも、七王家と皇宮、聖都にある九つの正聖典は知っているでしょう?」

「神々に通ずる聖なる典籍、だっけ? 前にリディが聖下と話題にしていたものだね」

「ええ。教会には十の正聖典があると記録されているけれど、最初の一つは行方不明で、聖下はその最初の一つである“原典”に執着しているらしいわ。理由はよく分からないけれど、神々の存在を感じることも無くただひたすらに修練を積み教皇という地位に至ったことを思えば、奇跡を求めるというのもおかしくはないのかしらね」

「原典……正聖典の、最初の一つ?」

「で、その原典だけれど、実は私が持っているわ」

「……いきなりまた……ふぅ。何で君はそう軽くとんでもない発言をするんだろう」

「あら、情報を共有してもいいと思ったから開示している、聖女の秘すべき情報よ。聞かない方が良かった?」

「……いや、聞く」


 一度腰を据えなおしたマクシミリアンにコクリと頷く。

 彼もすでに、自分もまた聖女の血統に深くかかわる存在となったこと、それを考えねばならない場所に取り込まれることを選んだことを自覚してくれているのだ。


「それで、“持っている”ってどういうこと? それはベルテセーヌに受け継がれていたということ?」


 だったら教皇や教会がいつぞやの議場でベルテセーヌの聖地を教会が管理しようと危うい発言をしたことにも納得がいく、とマクシミリアンとライナルト卿が頷いたけれど、「少し違うわ」とリディアーヌはそれを否定した。


「聖下がそう思って探りを入れてきた可能性はあると思っているわ。でも正しく言うと、原典は“私の中”にあって、そもそも私しか開くことができない……形がある物ではないの」

「あぁ……あの時は何の話か分からなかったけど、つまり大議会の夜に君が聖下と話していたのは正聖典ではなく、その原典とやらのことなのか」

「ええ。聖下にもはっきりと、それは譲渡できるものではないことをお伝えしたわ」

「それで聖下は君に、だったらやっぱり皇后として取り込むしかないなんてことを……」


 教皇にしてもヘイツブルグ大公にしても、彼らが一様に抱いている不満は、聖女という存在がベルテセーヌ一国に閉ざされ宗教的な不平等を生んでいること、あるいは聖女自身が帝国に対して関心を遠ざけていることへの憤りにあるのだと思う。

 かつて、聖女が皇后として立っていた時代は良かった。聖女は目に見えて分かる帝国の聖女であり、宗教、ひいては精神的な支柱で有り、教会もまた聖女の管轄として帝国全土に威を放ってきた。

 だがその慣習が(すた)れて長い今、聖女に対する信仰すら失われ、教会も象徴をえられぬまま閉塞的な状況に陥っている。同時に古き良き帝国時代を知る国々からしてみると、この風潮は他でもない聖女の母国たるベルテセーヌが聖女を囲い込み、ベルテセーヌだけが聖国としての正統性を持つよう秘匿しているかのような印象を与えるのだろう。

 聖女を皇后として利用していた時代はズルいといわれ、聖女を利用せず秘匿したらしたでそれもまたズルいといわれる。聖女という存在をベルテセーヌ一国から引きはがしたいと思う人々の思惑も、別に為政者的には理解できないものではないのだ。


「けれど生憎と聖女は生きた人間であって意思があり、ついでに周りがどう画策したところでそう簡単にベルテセーヌの王女……あるいはこのヴァレンティン以外に聖女が生まれることはない」

「だから教会や他国がいくら聖女をベルテセーヌから引きはがした存在にしたいとしても、それは実現しなくて、下手をすればベルテセーヌの解体を誘発する危険な思想というわけだ」

「なのに一体どうして誰もかれも、それを理解しないのかしら。私が“否”と言った以上、実現しないのに。何故私はそんなに周囲に(あなど)られているのかしら」


 不満だわ、とため息を吐いたところで、「彼らは自分が正義だと疑わないからさ」との返答があった。


「君は理性的な人間だから、理性で落とせると思われている。そして自分達の理性こそが正しいと思っているから、君がそれを理解できないなんて有り得ないと思っている」

「……あぁ。心当たりがあるわ」

「私はそれを姉上を見て学んだ。姉上は姉上の正義が私の正義でないだなんて、理解どころか想像すらできないんだろう。どんなに聡明であっても、目の前を暗くさせるものはある」

「とても身に沁みる言葉だわ」


 自分とて、正しさなどという言葉にフィルターをかけ自分の可能性を自ら狭めていることの自覚がある。ベルテセーヌの王女である自分を捨てたことは自分にとっての正義であり正しい選択だけれど、そうではない人にとってはリディアーヌが目の前の事実を覆い隠して都合よく周りの言葉から耳を閉ざした人間に見えるのだろう。

 勿論、だからって周りの声を汲み取ってあげる気なんて毛頭ないし、ベルテセーヌの王女と名乗るどころか、皇后、ましてや皇帝などという可能性を受け入れる気は皆無だが。


「つまりあの人達には何を言っても無駄ってことね」

「その唐突に思考が投げやりになるところ、君の所の大公閣下に似てるよね」

「えっ?!」


 何それ。心外なんですが。


「ふふっ。まぁ、いいんじゃない。リディとか閣下のそういう『他人の感情なんて知ったことか』っていう周り全員ぺんぺん草的な思考回路、すごく好きだ」

「……」


 多分……いや、絶対に誉め言葉ではない気がするのだが。ごほん、ごほんっっ。


「も、問題はカラマーイよ。未だに私には彼の思惑がちっともつかめずにいるわ」

「カラマーイ司教か。私もこの二日間見ていたけれど、ごく普通にヴァレンティンに愛着のある庶民派でお調子者な良い聖職者にしか見えなかった」

「……えぇ、そうね」


 リディアーヌだってそう思っていた。今も、そう思いたい気持ちでいっぱいである。でもそうではない。

 カラマーイが周囲とどう絡み合ってどう考えているのかは分からないが、少なくとも教皇から指示を受けているのは間違いないし、かと思えばいつぞやの議場で呟いていたように、国が、教会が、聖女について議論すること自体に嫌悪感を抱いている様子を窺わせたこともある。リディアーヌに対する態度を見ても、リディアーヌが聖女だからと何かの計略を練っているようにも見えず、むしろ愛情と憎悪との両方を感じることがあり、その方向性というのが皆目見えてこない。

 母が原因で地位と恋人を失い、なのにその母の愛した故郷に聖職者としてやってきて、第二位の地位にまでついた人物だ。一体何を思っているのか。


「教皇聖下に指示を受けていることは間違いないけれど、その意図は聖下とは別の所にあるのではないかと感じることが多々あるわ」

「聖女の利用というものに嫌悪があるのは間違いないと思います」


 教会含め情報収集に当たっていたシュルトの言葉に、リディアーヌも神妙に頷いた。それはリディアーヌも感じていたことである。


「かといって聖女を貴ぶつもりもないでしょうけれど」

「カラマーイ司教は、あんなにも姫様を可愛がってくださっていらした方なのに……」


 思わずそうか細く囁いたマーサに、リディアーヌもきゅっと口を引き結んだ。

 まったく、本当に。その通りである。


「まだ敵と決まったわけでもないわ……シュルト、引き続きカラマーイ司教の動きには注視を」

「かしこまりました。ただ教会内部の動きは我々では掴みがたいところが多いです。教会側からも情報を融通してもらえる繋がりが得られると有難いのですが」

「そうね。私も教会内の地盤をより堅固にして行くようにしましょう」


 ひとまず前半戦の中で既知を得られたエティエンヌ猊下やサンチェーリ司教との繋がりは大事にしたい。教皇聖下が現状クロイツェン派として暗躍している以上、各国の教会枠についてもこれからクロイツェンと奪い合いが激化するはずだ。


「テスティーノ猊下はマシェロン伯が仰っていた通り、クロイツェンから引きはがせそうな様子を見せているわ。ミリム、何度か接触していたようだけれど、どうだった?」

「随分と慎重にこっちを様子見しているという感想かな。それよりも取り込めそうなのはうちのトレファーノ司教だ。元々セトーナ派だけど、ジャンが随分とセトーナ系に対する皇帝候補のやる気のなさを吹聴して揺さぶりをかけている」


 なんと。クロイツェン派として堅固なザクセオン票を切り崩せるとなると、それは願ってもない話である。枢機卿という地位にあるテスティーノ猊下を教皇の手の中から引きはがせるとしたら旨味が強いが、セトーナ派からの切り崩しは今後も進めていきたい所だ。


「コランティーヌ夫人が動いてくださると大きいのだけれど……」

「感情では動いてくれなさそうな夫人だからなぁ」


 けれどそこから切り崩せるものがあれば願ってもない。フィリックには、「後半戦でもコランティーヌ夫人からの誘いは極力断らない方針で」とスケジュールの指示をしておいた。

 さて、こうして大事な二つの方向性が定まったところで、最後の問題は……。


「あとは、ザクセオンだけれど……」


 このすっかりとヴァレンティンに寝返ってしまっている公子様の、ご実家である。


「この大事な時期にヴァレンティンに来てしまったことは、いくら誤魔化したところで誤魔化せたものでもないでしょう? 少し時間をとは言っていたけれど、具体的にどうするつもりなの? 確か、考えはあると言っていたわよね?」

「うん、まぁそこは君達を見習って、堂々としてれば何とかなるかな、って」

「……」

「……」

「……」


 それはつまり、無策というのではなかろうか。

 ほら、もうライナルト卿とクラウス卿が手で顔を覆って天井を仰ぎ、今にも崩れ落ちそうではないか。


「いや、前にも言ったけど、内部での根回しはちゃんと進めているんだよ?」

「……で、ペトロネッラ様の追求はどう(かわ)すつもりなの?」

「それに関しては、もういっそ開き直って堂々と外堀を埋めて裏切ろうかと思っている」

「……」


 再び言葉を失ったリディアーヌに対し、マクシミリアンは困った様子で肩をすくめた。


「言葉で説明したところで理解を得られないなら、ショック療法も有りでしょう?」

「ショック療法……」

「別に無策で投げやりになってあえてそれを選んだわけじゃない。何度も試行錯誤した末に出した結論だ。勿論、父上や家臣達に関してはどうにかするし、どうにかできる策もある。でも姉上に関してはもう、一度目の前に大きな事実を突きつけて心の底から怒らせるくらいしないとその目の前は開けない……それしか自分を伝える術がないんだ」

「……」


 つまり考えた末の無謀、悩んだ末のショック療法ということか……その結果にどれほどの不安を抱いたとしても、結局はペトロネッラ様という人を良く知らないリディアーヌがとやかく言うこともできない。あるいはいつぞやの大議会でマクシミリアンが『一度だけ姉上から守って』だなんていう駆け引きを持ちかけたことを思うと、その時からこの構想があったのではないかと思う。

 中々複雑な心境ではあるが、でもきっと今彼に必要なのは口やかましくいい(さと)すことでも、説教をすることでもないのだろう。

 かけるべき言葉は……。


「仕方がないわね……ちゃんと見守っているから、危ないと思ったらすぐに逃げいていらっしゃい。私が守って差し上げます」

「……だからリディ。何で君はそう急に、男前になるのかな」

「あら、不満があって?」


 余裕たっぷりに微笑んで見せたところで、突然がしりと抱きすくめられてしまった。

 あぁもうっ。相変わらず東大陸人というやつは!


「ちょっと、ミリム……」

「はぁ……元気が出た」

「……」


 そんなことを言われたら、引きはがせないじゃないか。

 しかも側近達が皆生暖かい様子でそそくさと背中を向けて去って行く。約一名、フィリックさんには何やら睨まれた気がしないでもないが、それでも公子様を引きはがしてくれなかった。あ、あいつらめ……。


 でもすっかりと人目が無くなってしまえば、少なくとも羞恥心は和らいでくれる。

 座ったまま腰を抱いてごろごろと膝に甘える大きな狼さんに、仕方がないわね、と手を伸ばし、仮面の紐を解く。

 チラリとこちらを見上げた彼の、少し悪戯で、妙に蠱惑的な、そのグリーンの瞳がとても好きだ。

 さらさらと指先が埋もれ、肌をくすぐる金の髪が、どうしようもなく愛おしい。


「まったく、なんて甘え上手な狼さんなのかしら」

「君が甘やかし上手なんだ」

「まぁ。私のせいにするのね、困った人」


 でもそうかもしれない。こうしていると、甘やかされる以上に甘やかな心地になる。

 これは何というか……。


「母性本能かしら?」

「……」

「……」

「君を母親だと思ったことは一度も、微塵もないからね?」

「ごほんっ」


 私も、彼を子供だと思ったことはない。子狼さんに見えることはよくあるけれど。


「皇宮に出立する前に、貴方を裏の森に連れて行くことにしましょう。貴方がいかにあの森の狼さん達にそっくりなのかを教えて差し上げたいわ」

「リディ、もしかして私の事ペット扱いしてる?」

「ちょっと、うちの神聖な狼さんをペットと一緒にしないちょうだい」

「え、突っ込むところそこ?」


 そう言いながらもすっかりリディアーヌの膝に寛いだその人は、「困ったなぁ」なんて言いながらも身を起こすことはなく、実に楽しそうにリディアーヌの肩に零れる髪を指先で弄んだ。

 まったく……困った狼さんである。でもそんなこの人が愛おしくなってしまったのだから、仕方がない。

 そっと身を屈め、じゃれついているその人に狼にはしないようなキスをしたら、もれなくぎゅっと首に回された手がより深いキスをねだって来た。

 困った……とてもとても困ってしまった。けれど困る以上に溢れ返った胸いっぱいの愛おしさに、困惑すらも許してしまえそうになるのだから。まったく、恋というのは何と恐ろしい物なのだろう。


 遠く、どこかで深夜を告げる鐘が鳴った。

 深く、低く、遠い山の果てまで空気を震わせ鳴り響く。

 新たな年と新たな未来への希望を思わせる、美しい鐘の音色であった。

 けれどその音が長く、儚く、遠くへ消え行っていくのを耳にすると、同じほどに、失ってしまった時の恐怖を抱かせた。


 この人は何よりの支えであり希望になった。

 それと同じだけ、絶対に失えない弱点にもなったのだ。






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