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1-32 リンテンの港町

 大聖堂の食堂に誂えられた宴の席は、新たな聖女の誕生に賑わっていた。

 上座にしつらえられた王侯の座に座るアンジェリカの顔にも今ばかりは不安はなく、隣であれやこれやと世話を焼きちょっかいを出しているクロードの様子は実に嬉しそうである。少々腑抜けすぎな気はしないではないが……まぁいい。

 国王の表情は良く読めないが、献杯に向かったオリオール候と話す様子には安堵が見えるだろうか。対するアンジェリカ嬢の父エメローラ伯爵は、どうやら脇目もふらずに調子に乗っているようだ。周りの貴族達が周囲を気にしてチラチラと顔を引きつらせている。

 そうやってじぃっと全員の様子を見分していたら、「やはり宴の席で冷静に情報収集をしている王侯は姫様だけみたいですよ」だなんて言うフィリックが、後ろから歩み寄り杯を差し入れてくれた。相変わらず、筆頭文官だというのに侍従みたいなことをして……。


「ブランディーヌ夫人はいないわね」

「早々と帰国準備を始めているようです。先に戻って、何か企む予定なのでしょうか」

「ベルテセーヌに戻ってからの事は私の預かり知らぬことよ。あとはアンジェリカ自身が何とかしないといけない事。それに今回の一件でアルナルディ正司教は少なからず面目を潰されたわ。これを機に教区長が主導権を握りなおせば、いいアンジェリカの後ろ盾になって下さるでしょう」

「預かり知らぬというわりに、気にかけておいでのようですね」

「ごほんっ」


 だってあの子……本当に、頼りないというのか何というのか。王太子もろとも、不安でしかないのだもの。


「それより姫様。先ほどマクスから、“例の招待状”が届いたとの報告が有りました」


 ピクリと果物をつついていた手を止める。

 数日は忙しいと言ったはずだが、フォンクラークの王太子め。手が早いではないか。


「いかがなさいますか?」

「日時は?」

「近いうちに、としか」

「随分と思わせぶりね」

「それから、イレーヌ商会長がリンテンに戻ったとのご報告も」

「そちらはいい話題だわ」


 コロリ、コロリと指先で葡萄をつつきまわしていたら、見かねたのか、フィリックが隣から手を伸ばして奪っていった。こいつめ。


「いかがなさいますか?」

「フランカに伝えて、明日の内に出立の準備をさせておいて。面倒な王太子はおいておいて、先に商会長と面会しましょう。明後日の午後にヴァレンティンの別邸に来るよう返事を」

「かしこまりました」


 そう答えながら、ずい、と差し出されたのは綺麗に皮の剥かれた葡萄粒だ。


「……」

「……食べないんですか?」

「食べるわ」


 ねぇ、フィリック。あちらのクロレンス姉様からの視線がものすごく痛いんだけど。

 貴方、本当に人目というのを気にしないのね。尊敬するわ。


「とにかく、面倒事はとっとと終わらせて、早く帰りましょう」

「えぇ、そうしましょう」


 穏やかなヴァレンティンが恋しくなっているのだろうか。珍しく顔をほころばせたフィリックに、ついにガタンッ! とクロレンスが立ち上がったのが見えた。

 これはもう、さらなる面倒事の予感しかしない。

 私もそろそろ、可愛らしいフレデリクの“おかえりなさい”に癒されたいものである。



  ◇◇◇



 翌日、賓客たちの帰国の見送りに忙しくなる前の早朝よりルゼノール女伯に面会し、今後の予定についてを話した。

 別件で港町の方へ赴くこと。うまくいけば、そのまま皇帝陛下に謁見すべく、直轄領に向かうことになること。いずれにしてもヴァレンティンに戻る時には再びこのリンテン領都を通ることになるから、荷を置いておかせて欲しいこと。

 女伯からは、港へは明後日にも本山からの聖職者達が船で聖都ベザリオンに戻ることになるため、アルセールとエイデン、一度本山に同行することになったテシエ、そして護衛を引率するクロレンスが向かうであろうことを聞いた。

 明後日ということはすでにリディアーヌが港町でひと働きした後ということになるが、あまり心配をかけるようなことは言わず、何かあれば小伯爵であるクロレンスを頼りとさせていただく旨を伝えた。

 それから親しい者達と身内だけの晩餐を楽しんで、翌日、早朝より竜車で領都を出た。


 ヴァレンティンやベルテセーヌに向かうには西門が用いられるが、今日リディアーヌが向かうのはリンテン領内の港町なので、南門だ。朝も早く、ベルテセーヌへ帰る貴族達の馬車にもまれる必要もなかったため、出都はスムーズだった。

 リンテンの港は本来、貿易拠点として大きな港ではない。しかし皇帝直轄領の港に入るには必ずリンテンの港を経由することになるため、帝国議会シーズンには多くの王侯貴族がリンテンの港に寄港するし、唯一直轄領に直接船を付ける権利を持っているクロイツェンの大型船も頻繁に出入りしている。また教会領らしく、聖都ベザリオンや同じ海沿いのドレンツィン大司教領などへの定期船も出ているから巡礼者も行き交い、交通の要衝として相応の規模の港町を形成している。

 そこに昨今はフォンクラークの商船も行き来し出したわけだが、なるほど、かつては見かけなかった西大陸風の装飾の中型商船がちらほらと見えた。雰囲気が変わった気がするのは、ルゼノール家の一極支配ではなくブルッスナー伯が支配権を取り戻そうとしていることも関係するのかもしれない。


「あまり商業で栄えている港、という雰囲気ではありませんね。建物の作りもどこも上品で、リンテンの領都がそのまま海沿いにあるような雰囲気です」


 この辺りに来たことのないらしいフランカの言葉は中々に新鮮で、竜車から見る豪奢な街並みがそういう感想を抱かせたらしい。


「それは、この辺りは貴族街だからよ」

「貴族街? リンテンにはこんな立派な建物を次々と建てるような貴族が三伯家以外にもいるんですか?」

「そんなわけないだろう」


 呆れた顔をするのはフィリックで、「だって知らないんですもの」とフランカは頬を膨らませた。

 ヴァレンティンの貴族階級は上位階級なら聖都にある皇立ベレッティーノ寄宿学校に行くが、それ以外は国内の学校か、近隣のベルテセーヌの学校に行くことが多い。優秀な人材は領主が援助して皇立学校に行かせることもあるが、多くは国内を出ることも稀だ。皇立学校出身のフィリックと違いフランカは大公国内の学校出身なので、リンテンに馴染みがないのだ。

 一方、護衛に徹しているエリオットは大公国内の騎士学校出身ながら、リディアーヌの護衛としてベレッティーノ寄宿学校にも、皇帝直轄領に行く時にも常に同道してきた。そのためこの辺りにも馴染みがある。彼にもフランカの反応は新鮮なようで、苦笑をこぼしていた。


「港町は三区画に分かれていて、漁師町や職人街が並ぶ下町、商会が軒を連ね交易船や客船が寄港する中町、そして貴族をもてなすための劇場や迎賓館などが揃う上町に分かれているのよ。この辺りは上町だから、王侯家の別荘や三伯家が管理している迎賓館、貴族向けの宿が多くて、道も竜車が通っても壊れないような丈夫な石畳が敷かれているの」

「ではここはリンテンの港町のほんの一部なんですね」

「今向かっているのはヴァレンティン家の別荘よ。私はいつもルゼノール家に滞在するから船の待ち時間くらいでしか使ったこと無かったけれど、お養父様はリンテンの港を用いる際はいつも数日余暇を楽しまれると聞いているわ」


 そう言っている内にも、上町の中でもかなり中町に近い辺りに見慣れた堅固な塀が見え始めた。

 周囲にはもっと立派なお屋敷も多いけれど、大通りより奥まったところにあるヴァレンティン家の別荘はいかにも人付き合いの悪い大公家の性格を体現したような立地だ。

 敷地はそれなりに広く、奥にはヴァレンティン貴族らが宿泊できる別邸も何棟かあるのだが、大公自身の別荘はきわめてこじんまりとしたもので、白と青の港町の要素をふんだんに取り入れた開放的な作りになっている。

 竜車が敷地に入ると、建物の表にはすでにこの別荘を管理している老紳士と老婦人、それに一人の従僕と二人のメイドという五人が出迎えに出ていた。常に滞在しているのはこの五人と、あとは地下にコックとキッチンメイド。邸内の護衛が数人いるだけだ。


「ようこそお出で下さいました、姫様。お待ちしておりました」

「さぁさぁ、まずはゆるりとお寛ぎくださいませ」


 城の堅苦しい雰囲気とは打って変わったアットホームな出迎えに、フランカが少しびっくりとしている。確かにこれは、“国主”の別荘ではない。いち貴族の別荘と言われた方がしっくりくる。だがこれが大公様の好みらしいのだ。


「こんなことを言っては何ですが、お城より大公様の雰囲気に合っていますね」

「私もそう思っているわ」


 クスクスとフランカと囁きながら馬車を降りたところで、今日はいつもの面々の後ろに控えめに立つ客人たちがいることに気が付いた。

 中背中年のニコニコと微笑む小柄な男性と、その後ろに大きながたいの鋼鎧の男性と黒づくめの薄着な男性に、いささかこの場には不釣り合いな露出の服にローブを(かず)いた女性の三人組だ。奇妙な面子であるが、リディアーヌにとってはよく知る顔である。


「イレーヌ。もう来ていたのね」

「お会いできるのを楽しみに、早く参りすぎてしまいました。長旅のこと、お疲れ様でございます」

「貴方こそ。帰路を急がせてしまったんじゃないかしら?」

「いいえ、とんでもございません。彼らもおりますから、今回も安全迅速な旅でした」


 そう後ろを振り返ったイレーヌ氏に、大柄な男が「旦那の仕事が商品を届ける事なら、その旦那を無事に届けるのが俺らの仕事ですからね」と、ニカッと歯を見せて笑った。

 彼らは“青の傭兵”と呼ばれるもので、およそ北方諸国群を抜け長距離貿易を行う商人は、護衛としてこれらの傭兵団と専属契約を結んでいる。イレーヌ商会が専属としている“竜の足跡”はそんな傭兵団の中でもとりわけ著名な一団で、ヴァレンティン家がイレーヌ商会を贔屓にしている一因にもなっている。彼らの護衛を受けているイレーヌほど、安全迅速な行商は無い。


「今日は三人だけなの?」

「あまり大勢で大公様のご別邸に押し掛けるわけにはまいりませんわ。本当ならバレル団長は置いてきたかったのですけれど、これでも一応団長ですから仕方が無く」


 お色気たっぷりのお姉さんがそうガサツな団長を憂えるように言うものだから、その団長の顔がへにゃりと歪んだ。王侯貴族社会とはかけ離れたその他愛のない一幕が、旅の疲れを癒してくれるようだ。


「イレーヌ、昼食はもう済んでいるかしら?」

「いえ、まだ」

「では招かれてちょうだい。食事がてら、これまでとこれからの話をすることにしましょう」

「有難き幸せでございます」


 定型句的にそう答えて恭しく礼を尽くしたイレーヌに、「貴方達もね」と少し茶目っ気の有る様子で竜の足跡の三人にも声をかけた。「やったぁ」と素直に喜んでくれる反応がなんとも物珍しくて楽しい。主人であるイレーヌの方は困ったように肩をすくめているけれど。


「ハニア、彼らを食堂に案内してちょうだい。私は着替えさせていただくわ」


 あとはメイド長に任せ、自分は玄関をくぐると正面の階段を上がった。

 建物はおよそ二階建てで、一部が三階建てになっている。こういう時、普通女性の部屋は三階にあるものだけれど、リディアーヌがいつも使っているのは二階の奥の庭に面した部屋だ。庭を眺める景色がとりわけよくて、気に入っている。

 その部屋でフランカの手を借り、竜車疲れしないよう着ていた楽なドレスを脱ぎ、さっと身を清め、シンプルだが仕立ての良いものへと着替える。下ろしていた髪を簡単に結わえてもらっている内にも、荷を解いていたマクスや、一階の客室で同じく身を改めたフィリックなどが集まってきた。

 相も変わらず、彼らは主が身支度の途中であろうがなかろうが気にする素振りもない。むしろこの別邸のメイドの方が、突然入ってきた異性にびっくりしているようだった。


「ちょっとは遠慮なさいな、フィリック」

「今更でしょう。それより先んじてこの別邸に届いていたイレーヌ商会長の手紙を受け取りました。本人が先に来てしまいましたけれど、一応御覧になりますか?」

「ええ、見せてちょうだい」


 そう手を伸ばす自分も、ちょっとこの状況に慣れすぎな気がしないではない。


「今回の交易のことと……それからウォルマン商会? フォンクラーク系の店舗の中でも紅の旗を掲げている店ですって? いかにも怪しいけれど、イレーヌはここへの紹介状が欲しいと?」

「ええ。フォンクラーク王室の認める直売店となると、リンテン有数の商会とはいえ紹介もなしには取り引きできないでしょう。姫様に口利きをいただきたいようですね」

「意図が気になる所だけれど、イレーヌのことよ。何か理由があってのことでしょう」


 ちょうどフランカが髪を結い終え、「よろしいですよ」と動く許可をくれたので、手紙を置いて立ち上がった。


「フィリック、貴方も同席なさい。昼食は久しぶりのヴァレンティン料理だそうよ」

「それは楽しみです」

「フランカ達も後で堪能なさいね」

「久しぶりのヴァレンティンの味ですか。郷愁が募りそうです」


 そうすでにうっとりとしているフランカに苦笑しながら、そういうリディアーヌも食堂に向かう足取りを軽やかにした。

 せっかくのリンテンの港町だけれど、やはりそろそろ故郷の味が恋しい頃である。

 それは皆同じだったらしい。自然と足は早かった。






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