1-31 聖別の終わり
side リディアーヌ
び……び……。
びっくりしたぁぁぁぁッッッ!
ガサゴソと宝物庫を通り抜けて裏口を抜け出し、壁に手をついて深呼吸した。
何だあれ。何であの子、驚いてないわけ?! いきなり神様が話しかけてくるとか。冗談じゃない。
神? え、何それ! は? 神?!
「歴代聖女の誰一人、そんなこと書いてなかったじゃない……いや、もしかして全員、誰一人として聖別以来、神問の間で神問をしなかったってこと?」
それもそうだよね。聖女は終身制。前の聖女が亡くなると、新たに生まれる王女の中の誰かが聖痕を受け継ぐ。だから聖女の聖別はすべて物心がつくかつかないかのような幼い頃に受けている。つまりリディアーヌ同様、歴代聖女の誰一人として、神問の間の聖典が話しかけてきていただなんて知らなかったのだ。
それに、聖女といえども皆王女。成長してからも、本気の神官のように極寒の石畳に跪いて祈るような苦行はしない。結果、神問の間の聖典の秘密には誰一人気が付かなかった、と。
いや、歴代何十人もの聖女達の中に、一人くらいものすごく信心深い人がいたっていいはずじゃない! 誰か試しておいてよ!
スーハーと何とか呼吸を整えながら、がさごそと庭をかき分ける。
いつの間にやらすっかりと日が傾いていた。神問の間は真っ暗だから、逆にまだ日が落ちていない事の方が不思議に感じてしまうけれど。
「あ、公女殿下」
塔まで戻ってきたところで、どうやら“リディアーヌが鍵を開けた扉”から、無事にアンジェリカも出てきたようだ。
ここの扉は内と外の鍵が繋がっていて、両方から開けられる仕様になっている。神問でははじめ部屋の外からこの部屋の鍵を持つ聖堂主が鍵をかけるが、本来聖女は“鍵”を持っているはずなので、自ら鍵を開けて出てくることができる。勿論、歴代聖女は子供の頃に神問を受けているので、実際は外から鍵も扉も開けてもらっていたのだろうが、すでに自ら扉を開け閉めできる年齢のアンジェリカの場合は自分で内側から扉を開けるべきである。
だがアンジェリカは鍵を持っていないため、リディアーヌが自らの鍵で解錠し、少し待ってから外に出るようにと指示していた。その間にリディアーヌも裏口からコソコソと出て、ちゃんと裏口にも鍵をかけてここまで戻ってきたというわけだ。
とはいえ、今後はリディアーヌが毎度鍵係を務めてあげられるわけじゃない。アンジェリカがこれから聖女と偽り続けるには、自分の鍵を持っていなければならないだろう。
「アンジェリカ嬢、こちらに」
手にぎゅっと何かを握ったような形で呼び寄せると、アンジェリカは飛ぶようにしてこちらの前に立った。察したように、トレモントロ大司教らはさりげなく背を向けてくれている。
「聖女アンジェリカに、私、リディアーヌの鍵の所持と使用を認めます。私と違って貴女は本当の意味でこれを所持することができないわ。だからくれぐれも肌身離さず、誰にも触られぬよう、大事に持っていなさい」
「は、はい……」
「私が自ら貴女に譲ったものだから貴女にも使えると思うけれど……ベルテセーヌに戻ったらまず、聖女書庫を訪ねなさい。他の誰にも言って駄目よ。ただ一人、教区長様にそうお願いなさい。そしたら教区長様が連れて行って下さるわ。そこには貴女と同じように、偽の聖女として過ごした王女の手記もあるわ」
「え……わ、私以外にもいるんですかッ?!」
「残念ながら、楽しい話ではないわ」
「ッ……」
鍵を握りしめたアンジェリカは少し怯えた顔を見せたけれど、やがてギュッと口を引き結んで頷いた。
「先ほどは突き放すようなことを言ったけれど。それでも貴女の未来に幸が多からんことを、祈っているわ」
「公女殿下にも」
中々気の利いた受け答えができるじゃないか。
もうオドオドと怯えた様子もない。まだ不安そうではあるけれど、それは時間に頼むしかないだろう。
さっと自分の身の回りを見渡した中から額飾りを外すと、アンジェリカの手から取った鍵をその鎖に通して、その腕に巻き付けてやった。この額飾りは幼い頃に教区長様にいただいた先代聖女の遺品だから、見れば教区長様もリディアーヌの意思を理解するだろう。
「聖女殿下、そろそろ宜しいですかな」
「ええ。無事に神問を終え、神々との対話が行われたようです。改めて、皆にその目で確かめてもらいましょう」
「では聖女殿下。そして“アンジェリカ聖女”。参りましょう」
そう先導して歩きだしたトレモントロに、アンジェリカが一瞬立ちすくんだ。
なのでその背をポンと叩いて、後を追った。
励ましなんかじゃない。これはきっと、脅しだ。
***
戻ってきた大聖堂は、周囲をぐるりと騎士に囲まれているせいか物々しさがあって、会話も憚られるかのような緊張感に張りつめられていた。
神問は長い時間がかかっていたはずだけれど、見たところ一人として欠けた者はなく、誰かが暴れたりわめいたりした様子もない。よく統率が取れている。
「アンジー!」
戻るや否や、早速王太子が飛んできた。
なにやらアンジェリカの想いを聞いてしまったせいか、おままごとのようだと思っていた二人の関係が微笑ましく感じてしまう。あぁ、いけない。ごほんごほん。
アルナルディの手の者としてふるまっているテシエがすぐにこそこそとそちらに向かい、すまし顔で後ろに控える。意味ありげにコクリと頷いて見せているあたり、きっとアルナルディは今頃油断しきっていることだろう。
「祭壇は清められたようですね。大司教様、幸いにして昨夜、私とアンジェリカ嬢が聖水を汲みおき、大司教様にお渡ししておりました。そちらをいただけますか?」
「ええ。ここに」
先んじてエイデン助祭の持つ布に恭しく並べ置かれていた小瓶が持ち込まれる。
青い小瓶と少し薄い蒼の小瓶。瓶の色に特に意味はないのだけれど、昨夜は濃い瓶にリディアーヌが。薄い瓶にアンジェリカが聖水を汲んだ。であればお互いに、お互いが汲んだ聖水を用いるのが公平だろう。
「まずはこの聖水が真の聖水であるのか、試してみましょう」
そう自ら肩衣のブローチを外すリディアーヌに、すかさずアルセールが手を貸してくれた。先に塗っていた光らなくするインクは、アルナルディが細工していた聖水で落ちている。なのでトレモントロ大司教が恭しく定型句を述べながらパシャと薄い蒼の小瓶の水を振りまくと、まぎれもなく、聖痕は淡い銀色へと光り輝いた。
部屋で試した時よりも光が強い。やはり聖堂できちんとした儀式として行うと、効果が違うのだろうか。
濡れた聖痕はすぐに差し出されたタオルで拭ったけれど、今度こそ明らかに光輝いた聖痕には聖職者たちがこぞって手を組んで奇跡に頭を垂れ、リディアーヌに否定的な者も多いはずの下座もざわつかざるを得なかった。確かに、実に不思議な光景である。
「真の聖水ですわね。それではアンジェリカ嬢」
手を差し伸べると、もう何の迷いもなくアンジェリカが祭壇の前に進み出てきた。
表情にはまだ不安はあるようだが、リディアーヌを信じているようだ。
王太子がぴったりとアンジェリカの後ろにくっついて肩を握っているのが頗る邪魔なのだが……ごほんっ。まぁいい。
再びトレモントロ大司教が定型句を述べる。傍らではアルナルディが今にもにやつきそうに張り付けた温厚な顔を浮かべていて、アルナルディを騙すことになったテシエが緊張した面差しで小さくなっている。
下座の誰もが緊張しているのが分かる。空気はピリピリと張りつめて、そんな中でただ一人平静でいる大司教様が、パシャンと濃い青の小瓶から聖水を撒いた。
たちまち、パァと光輝いた青い光に、もれなくアルナルディがガタンッ! と音を立てて席を立った。
「ッ、アンジー! よくやったッ。アンジェリカ!」
「……はい」
ぎゅうとアンジェリカを抱きしめる王太子に、「先にタオルを」とアルセールがタオルを差し込む。リディアーヌがどんな細工をしているのかは知らないだろうが、細工をしたこと自体は知っている。“光るインク”は油で拭かねば溶けないが、念のためにも急ぎ拭っておいた方がいい。アンジェリカも察したのか、慌てて自分の胸元を拭った。
聖水を拭えば、光は消える。本物の場合はしっかりとその成分が消えるまで光り続けてしまうのだけれど、その違いは見せぬよう、リディアーヌの方はさっさと肩衣を纏っておいた。
「皆さま、御覧あれ。ここに聖女の聖痕は神々によって証立てられた。新たなる聖女の誕生である」
大司教の宣言にあわせ、膝をついたアルセールが恭しく「言祝ぎ申し上げます」と礼を尽くす。さすればそれに合わせて、本山やリンテンの聖職者たちが次々と膝をつき、覚悟を決めたようにテシエ司祭も膝をついて言祝ぎを述べた。その姿に、ギロンッ! とアルナルディが視線を寄越す。
きっとテシエはこのまま大人しくベルテセーヌ教会には帰れないだろう。無論そのことは配慮して、リンテンの教会が引き取ってくれることで大司教様とも合意している。別教区への移動は本山の命でしか行えない決まりだが、そこは教皇聖下に次ぐ権限を持つ枢機卿猊下の懐刀であるアルセール司祭がいる。彼がよしなに取り計らってくれることだろう。
衆目がある以上、アルナルディもこの場でどうこうできるはずがなく、苦渋の様子で膝をつき言祝ぎを述べれば、もう誰にも文句は言えない。下座の者達も皆が膝をつき首を垂れた。
ただ一人……祭壇を睨みつけるブランディーヌにとっては、何もかもが予定外なのだろう。取り繕う様子すら見えず、ブンッと振り返り、一人高らかなヒール音をならして扉に向かっている。
エリオットがひそかに跡を付けるべきかと視線を送ってきたが、そこは他の者に任せておけばいい。そっと首を横に振った。どうせもう、彼女には今更アンジェリカをどうこうは出来ない。大聖堂の主が、そう宣言したのだから。
さて……あと問題は、もう一つ。
じぃっと下座からこちらを見る、表情筋の死んだ男――皇帝陛下の回し者の、その男だけである。




