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9-20 大議会―後半(3)

「どうやらこれ以上議論することは無意味なようですので、私の発言は以上といたします。妃殿下がこのまま大人しく議題を取り下げてくださるといいのですが」

「その時はリディの代わりに私が受け持つよ」


 もう負けが決まったからか、マクシミリアンがそう諦めがちに言葉を続けると、さすがにヴィオレットもぎゅっと口を引き結び、そのままストンと席に着いた。

 少々腑に落ちない点も残ったが、ひとまず賭けには勝利したということでいいだろう。


「……ん? そもそもなんで賭けに勝たないといけなかったのかしら?」


 勝ったところで結局マクシミリアンにはびっくりどっきりさせられるだけなのだから、これはあるいは負けた方が良かったのではないのか?


「とっておきのびっくりどっきりを用意して持って行くから、楽しみに待っていてね」

「ま、待った。もう一度賭けの条件を見直さない?」

「見直さない」


 もれなく隣でカラカラとウィクトル公子が笑ったせいで、大公様達からもまとめて睨まれてしまった。あぁ……きっと後でお養父様にも根掘り葉掘り聞かれるのだろうな。聞かれたところで大した話はしていなかったのだが、ちょっと話すには恥ずかしすぎる()(さん)な内容である。どうしたものだろうか。

 そんな一幕がありつつ、それからまた討論会はしばらく穏やかなままに過ぎた。むしろ先程のインパクトが強すぎて、皆ビクビクとリディアーヌを見ながら言葉を選んでいて、とにかく居心地が悪かった。そこまで悪役っぷりを披露したつもりは無いのだが。


「私、普通のことしか言わなかったわよね?」

「うん、普通の事だったね。でも中々鋭い切り味の普通だったと思うよ」

「鋭い普通とは?」

「リディのそういうとこ、好きなんだよね。もっとやってくれていいくらいだよ」


 きゃっと色めくアンジェリカ以下女性陣には、是非ここがまだ議場の、討論会の真っ最中であることを思い出してほしいと切に願う。他人のことを言えた義理ではないが。


 その内、直轄領の教区長にして国教局局長でもあるバルテレント大司教が発言の場に立ったので、少しだけ集中した。ただ幸か不幸か、バルテレント大司教の語ったところは予想していた域を出ないものだった。

 そういえばバルテレントは先日の円形議場には来ていなかった。内容くらいは誰かから伝え聞いていてもおかしくないが、自信満々に帝国聖女制の素晴らしさを語る様子には冷めた感情しか抱けなかった。周りにもちらほら、『もうその議論はもう古いのでは?』という顔が見受けられる。

 だがそれでもまだクロイツェン、もといヴィオレットを聖女として教会にいただく構想を夢見る聖職者は多いようで、一部の聖職者から歓声と拍手が上がり、あるいは皇宮関係者の中にも興味深そうにしている顔があったことは遺憾であった。致し方なかったとはいえ、先日の円形議場での内容はより大勢が参会しているこの場でやりたかったものである。

 一方でエティエンヌ猊下をはじめとする枢機卿達が揃いも揃って冷静であったのは良い話であった。特にエティエンヌ猊下はすでにヴィオレットの聖女としての脆弱性に気が付いている。全体的な雰囲気こそまだヴィオレット聖女派が見受けられるものの、実態としては随分と切り崩せているのではないだろうか。


 ただバルテレント大司教の言葉に仰々しく賛同してヴィオレットをはやし立てるアンジェッロ司教といった選議卿もおり、あるいは皇宮直臣の聖女制について(にわ)か知識しか持っていない者は、何であれ聖女が帝国のものになるのならとよく理解もせぬまま甘い夢を見てしまっているのだろう。その白熱ぶりには思わずアンジェリカが「本人の人権を無視した議論にはいい加減嫌気を感じます」とぼやいたほどだった。

 挙手をしたわけではないただの私語だったのだが、聖女という議論の中で皆もアンジェリカに注目していたせいか、その言葉は議場内を静まらせるには十分だったようである。


「グレイシス侯爵夫人、そのお言葉はどうかと思います。そもそも聞く耳を持たないのであれば、議論にならないではありませんか」


 すぐに反論したヴィオレットに、『どの口が?!』と驚いたのはリディアーヌばかりではないと思う。しかも帝国聖女制に積極的なヴィオレットのせいで、長年ベルテセーヌの聖女独占してきたことに“思う所”があるらしいギュスターブ王が妙に活気づいてしまい、ふんぞり返ったまま怒涛のベルテセーヌ批判をしてくれたせいで益々気分が悪くなった。

 もうそれについては先日散々語った。議論するくらいならちゃんと先日の円形議場の内容も正しく勉強してから発言してもらいたいものである。


「なぜこうも皆が皆、不勉強なのかしら」

「むしろどうしてリディアーヌ公女はあれもこれもに精通していらっしゃるんですか? 聖女制はまだ分かりますが、先程は裁判制度に歴史のお話、その前は商業関連でも発言されていましたよね?」

「すべてだなんてとんでもない、ウィクトル公子。ヴァレンティンは政務を担える成人がお養父様と私しかいないせいで、受け持たないといけない分担が多いだけです。不勉強である方面については普通にいらぬ口を挟まずにいますし、知らないことばかりですよ」

「はぁ……」


 ピンとこない顔をされたが、どうしてだろう。ヘイツブルグだって政務を担える直系はそう多くないはずである。だがこの様子では、ウィクトル公子はあまり国内で実務を担わされていないのかもしれない。


「カラマーイ司教、貴殿も“聖女”を要する国の聖職者でしょう? 何か思う所はないのですか?」


 雑談にかまけている内にふと気になる言葉が耳に届いた。カラマーイにそんなことを聞いてくれたのは誰だろう。お隣のペラトーニ司教だろうか。

 ほどなくチラリとカラマーイの視線がこちらを向くいたが、一体彼は、この公の場でどう述べるつもりなのか。


「まぁ、私のような放蕩者が制度について語るなどおこがましいのですが。しかし聖女のベルテセーヌからの解放には賛同いたしますよ」


 ヴァレンティンに聖女を有している立場として当たり障りなくも聞こえるし、あるいはベルテセーヌの聖女を実現するために別れた昔の恋人のことを思えば恨みがこもっているかのように感じなくもない。こんな言葉では何も探れない。


「ですが王国の聖女と帝国の聖女に一体どれほどの違いがあるというのでしょうか」


 しかしそう続けられた言葉には、初めて聞くカラマーイの帝国聖女制に対する意見に、おのずと心臓が早鐘を打った。


「私はすべての聖女に対する“強制”を嫌悪いたします。王国だ帝国だと論じることも忌まわしい。いっそすべての聖女は教会で、俗世の闘争から身を置き、真に清らかなまま神にお仕えすることが自然ではないでしょうか。さすれば聖女は政略にも、皇帝戦にも巻き込まれずに済むのですから」


 違う……何かがおかしい。

 確かに本心のように聞こえるけれど、しかしどこかで妙に引っかかる違和感がある。


「つまり貴殿は皇后としての聖女ではなく、教会の聖女として“帝国の聖女”であるべきだと?」

「その言い方は気に入りませんが、まぁつまりはそういうことでしょうか」


 アルトゥールの言葉におくびもなく答えるカラマーイに、たちまち教皇聖下の微笑が深みを増した。その顔に、ぞくりと背中に冷たいものを感じるのは何故だろう。


「一理ある」

「ッ、アルっ?!」


 だがリディアーヌの感じていた奇妙な感覚は、それが何なのかを考えるよりも早く、別の状況に意識を引き付けられ霧散した。

 どうしたことか。アルトゥールはこれまで、あくまでもヴィオレットを皇后とした上で教会に協力する聖女を構想しているかのように見せかけてきたはずだ。なのに今ここでその構想を解き、ヴィオレット自身にも“皇后としない意向”を知らしめるつもりなのだ。


「ですがカラマーイ司教、仮にも皇后になり得る皇帝候補の妃に対して、教会に入れとはいささか失礼ではありませんか?」

「おやペラトーニ司教、私は別に、どの聖女様が、などと口にしたわけではございませんよ。しかし現状、確かに教会に奉仕したいなどと仰っておられる聖女様がお一人、ございますね。なんと敬虔なことでしょう。見たところ“政治的”な才覚もお持ちではないようですし、皇后は荷が重いでしょう。逆に俗世の()()を不得手とすることは教会にとってなんら障害にはなりません」


 そうか……違和感。これだ。

 すべての聖女と言いながら、カラマーイは最初から的確に、ただ一人、ヴィオレットだけを標的として話をしている。結局彼はここで自分の本心を口にする気など毛頭なく、そしてかつて(つちか)った“俗世”での立ち回りで、極めて政治的な発言をしている。おそらくは……クロイツェンと、教皇の望むがままに。


「なるほど、貴殿の言うことは最もだ」

「アルッ! どうしてっ」


 ヴィオレットが驚嘆の顔でアルトゥールを窺うが、アルトゥールはただ涼しい顔のままそちらにチラリと顔を向ける事さえしない。やはりこれは、すでに決まっていた流れなのだ。


「かつては周囲の反対を押し切り妃とした愛しい妻であるが、立場に見合った行動と賢明さを知らぬ妃であることはもはや周知のことであろう。私はそれでも彼女の魅力が伝わればと私なりに腐心してきたつもりだが、もはや庇いようもないものである」


 アルトゥールの芝居がかった妄言に、マクシミリアンとリディアーヌはどちらからともなく悪友に対する声にならないため息を飲み込んだ。

 なんてことだ。先程の民事裁判制度の提言などという馬鹿げた不勉強な発言をどうしてアルトゥールが許したのか。相変わらず傍観を決め込んでいるだけなのだと思っていたが、そうじゃない。アルトゥールは最初からこの状況を見越して、より一層ヴィオレットの皇太子妃、ひいては皇后としての不適格性を知らしめるために、あえて口を噤んだのだ。

 それは今回ばかりではなくこれまでもそうだったが、しかし今回の民事裁判制度は今までにないほどに王侯からの強い反感を得たはずだ。現にアルトゥールが今そんな発言をしていてなお、ヴィオレットの隣でむすりと腕を組んで座るペトロネッラ様も何一つフォローせず黙りこくっている。あれは相当ヴィオレットの甘ったれさにお怒りであるはずだ。


「私も常々考えていたのだ。妃はこのひと月、随分と貴殿ら聖職者と親しくし、教会神事にも深い関心を抱いたようであった。元々貧しい者や弱い者への深い慈悲の心を持つ妃である。王族などという()いも甘いも噛み分け、時に心に沿わぬ事も決断せねばならぬ立場は清らかなヴィオレットにふさわしくない」


 愛情に満ちているようで、なんと(しん)(らつ)な苦言であろうか。ウィクトル公子は思いがけなかった展開に今もパチパチと目を瞬かせているが、会場内にはちらほらと『あぁ今がそのタイミングなのか』と理解している人の顔も多い。当然、根回しは済んでいるのだろう。


「ならば私も考慮しよう。俗世が清らかな聖女を汚さぬように。そして聖女というものを俗世の権力により縛らぬために。私は私の意を飲み、愛する妃を失う苦しみを(こら)えて……ヴィオレット聖女が皇后でも皇太子妃でもなく、教会の聖女として自由に生きて行くことを支援しよう」

「ッ……!」


 バンと席を立ち、言葉にならない言葉を絞り出そうと空気を食むばかりのヴィオレットに、胡散臭い顔で講説を垂れていたアルトゥールがゆっくりとそちらを振り返った。

 なんという冷たい顔だろう。悲しんでいるようで、憐れんでいるようで、だが(あざけ)ているようでもあって、まったく温かい感情なんてものを持たない顔だ。


「結局、こうなったね」

「……えぇ。よりにもよって最もヴィオレットへの不信感が高まっている所に、苦汁を飲んで皇后とはしないとする宣言……確かに、これ以上のタイミングは無いわ」

「これはこっちも、あまり間を置かない方がいいかな……」

「間?」


 何の話だろうと隣を窺ったら、何やら意味ありげにニコリと微笑まれた。何も聞くなと言わんばかりの有無を言わせぬ笑みである。まったく。甘いふりをして剛情なのだから。


「まぁいいわ。問題はあの発言に対する周囲の見解だけれど」

「姉上は完全にヴィオレットを切って捨てて来たね」

「ザクセオン大公も……動かないわね」


 ペトロネッラ様の表情には“致し方ない”と言わんばかりの憮然とした様子が見えるが、ザクセオン大公の方はそれがどうしたと言わんばかりの涼し気な表情である。あれはあるいは、すでに前もってアルトゥールから聞かされていた可能性がある。


「ちょっと、ザクセオンの公子様。貴方は聞いていなかったの? トゥーリからの信頼を完全に失っているのではなくて?」

「いやぁ、仕方がないよ。私に話せば即リディに筒抜けだってことくらいはバレバレだろうから」


 まったく、ヘラヘラしちゃって。

 見渡す限り、予想外の展開に驚いてそわそわと二人を窺っている人はカーシアン女伯をはじめ他にも数名見受けられたが、それを止めに入る人は誰一人いなかった。後ろの方で一人身を乗り出し今にも何かを言い出しそうな青年がいたけれど、それを隣で抑え込んでいるのはヴェラー卿だ。彼はアルトゥールに側近を外されヴィオレットに引き取られたというから、あの辺りで暴れかかっているのはヴィオレットの側近達なのだろう。

 たとえ皇太子妃の側近でも、彼らの多くは本来その立場に立ちえない身分から取り立てられた者達だ。ヴィオレットの言う身分垣根無く優秀な者を取り立てる構想はとても(みみ)(ざわ)り良く理想的だが、結局は身分が物を言うこういう場面で、彼らは末席にしか座すことが出来ず、手を挙げ皇太子を非難することもできない。所詮はそういうものなのだ。


「せめてあのヴィオレットの側近達がもう少し賢ければ、やり様もあったのでしょうにね」

「リディだったらどうする?」

「どうするもこうするも……私がヴィオレットの立場なら、私が何か言うより早くうちの子達が『公の場で主を貶めるのは皇太子であっても論外です』って、自分の身も(かえり)みず暴言を吐いているところよ。そして私はむしろそのことに頭を悩ませるのでしょうね……」

「あー……うん。君に置き換えるのは一般的な例じゃないから、参考にはならなかったね」


 そんなことをぼやいていたら、すぐ後ろの列にいたその“うちの子”に、「私ならそんな言葉ばかりの甘い対応で済ませたりしませんよ」と呟やかれたものだから、ぞっとしてしまった。

 まぁ確かに、フィリックならそもそもこんな事態になる前に、しっかりこの場で相手を貶める準備も整えてくることだろう。


「まぁ所詮、優秀といったってその程度ということだ」

「うちの子と比べたら可哀想よ」

「え、(のろ)()?」

「おや、(のろ)()なのですか?」

「ごほんっッ」


 失言であった。

 結局、待てど暮らせどヴィオレットを擁護する人は出てこず、むしろ一部聖職者からの歓迎の言葉ばかりが相次ぎヴィオレットも口を開くことが出来ないまま、最終的に教皇聖下が自ら「ご本人がお困りのようですから、この話はひとまずここまでといたしましょう」というフォローで議題を切り上げさせた。

 だがあまりにも衝撃的な展開だったせいか、それ以上は新たな提言が起こることも無くタジタジとした雰囲気のまま沈黙が続いたので、オランジェル候も早々と議題の提出を締め切り、閉会のための木槌を打った。


「それでは大議会はここまでといたしましょう。これにてひと月にわたる帝国議会、ならびに選帝侯議会も一時閉会となります。ご協力いただきました王家、選帝侯家の皆々様に厚く御礼を申し上げます」


 定型句と共に深く腰を折ったオランジェル候に合わせて、皇宮の貴族達がガタガタと席を立ち腰を折る。


「今宵は閉会に先立ちまして、(ねぎら)いの夜会を催します。どうぞお楽しみください」


 バチバチと鳴り響く拍手を耳に入れながら、やれやれと息を吐き席を立つ。すかさずマクシミリアンが差し出してくれた手に手を重ね、エスコートしてもらった。

 随分と人目があるが、今はそんなことも気にしていられないくらい疲労が勝っている。


「もう二度とやりたくない議会だったわ」

「年が明けてからもあるよ」

「せめて次の皇帝陛下には私より長生きして、二度も皇帝戦を経験させないでくれると嬉しいのだけれど」

「うーん……同感ではあるんだけど、それはそれで複雑だなぁ」


 一緒に長生きしようね、と囁いたマクシミリアンに肩をすくめつつ議場の扉に向かったところで、「貴様ら近いッ!」と、安心安定のお養父様が飛んでいらっしゃった。

 いっそのことお養父様を見習って、次は一言も発さず舟をこいでみせるのもいいかもしれない。






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