9-17 大議会―前半
月が改まり、二つの月が美しく輝く夜を越し、遂には大議会の日を迎えた。
今日は朝から夕まで議会を締めくくるための会議と皇帝候補達の公約確認や討論会が催され、そして夜には年内の議会閉会を労う夜会となる。この一日さえ乗り切れば、毎晩のように焦がれ夢にまで見たヴァレンティンへの帰国である。
あぁ、今からすでにフレデリクの『おかえりなさい!』が恋しくてたまらない。
今日は堅苦しい催しであるから、いつも書架棟に行く際に用いているようなシンプルな仕事着のドレスに、催事の間の人の出入りが随分な盛況だったらしくほくほくと上機嫌なマダム・フロレゾンが昨日一日をかけて丹念に仕上げたという上等な選帝侯家の色のマントを被いた。ドレスの肩に縫い付けてある、現在マダムが一押ししているマントスリーブ型で、寒くないようしっとりと美しいベルベットに、上品な程度の白い毛皮があしらわれている。その外側よりも濃い内側の青には冬の森を描いた銀の刺繍がびっしりと入っていて、その気合が垣間見えるほどだった。
いずれも、夜の夜会には外付けのガウンなどで華やかに変形できるよう工夫も凝らされている。それに合わせて、フランカも随分と気合を入れて髪を結ってくれたようだった。白い羽と青い宝石で花を象った小さくて上品な髪飾りは特に随分と手が込んでいる。
「このひと月、盛装ばかりしていていい加減慣れたと思っていたけれど……今回はまた随分と気合を入れたわね」
「皇宮での冬の盛装はこれが最後でございますから。次は新年、そして春の盛装でございますね。今から腕が鳴ります」
お、おう。
そうしていつも通りになされるが儘になされ、今日は書架棟でも選帝侯議会棟でもない、内皇庁奥の議事棟へと向かった。今日の大議会は何しろ沢山の人が傍聴することが分かりきっているので、小さな円形議場などではなく皇宮の正式な議事棟の中央議場で催されるのである。リディアーヌもここには数えるほどしか入ったことがないので、いざ足を踏み入れるとその圧倒的な広さと豪華な設えには驚くばかりである。
一番奥の上座にある席は皇帝陛下の席なので不在であり、代わりに斜め前に用意されている立派な椅子は教皇聖下のための椅子であろう。一番中央から近い段に並ぶのは七王家の代表者達の席で、その隣に選帝侯と公子公女の席。そして二段目に選議卿達の席があり、教皇から近い辺りが聖職者席として設定されている様子が窺えた。
この大議会は一件皇帝戦の延長戦上であるように見えるが、七王家の席が皇帝候補の席ではなく皇帝候補の立っていない国の代官達の為の席も設けられていることや、選帝侯達の席に選帝伯ではなく公子公女の席が併設されていることを見ても、あくまでも皇帝不在時の王家選帝侯家の政務代行期間の情報共有と総括のための場であることが分かる。
ただ実際の所は皇帝候補達の指針表明の場である、というのは養父から聞いた話で、皆もそのつもりでここにいることは間違いないだろう。
やがて帝国を前に教皇聖下がお出ましになると、刻限を知らせる鐘と共に、オランジェル候の仕切りによって大議会は始まった。まずはこのひと月を含む皇宮内での政務状況の報告と確認作業からだ。
王家側からは実際の皇帝不在時の採択権を持っている現役国王であるリュシアンとギュスターブ王が……実質リュシアンが、この間に代行した政務の決議についての報告を行い、選帝侯家側からは相変わらずうちのお養父様が主席の座を厭うたため、二番目に在位年数が高く、また年長でもあるヘイツブルグ大公が報告を担った。
さらに皇宮側からも三侯からそれぞれに各部署の状況に対する報告が行われる。その過程で、春の皇帝戦の終了と新帝即位に向けての準備がはじめられたことと、すでに諸外国から来訪のための親書が届いていることなどが報告された。
こちらとしてはまだまだ皇帝戦も真っただ中といった感覚だが、春になればやがて皇帝が決する。皇宮と直臣達は、すでにその準備を始めているのである。
そうして情報確認が済んだところで、その流れのまま皇帝候補達への外国使節達の持て成しに対する意見聴取なども行われた。先だって南大陸のカプラスとラトビアの二国と帝国の関係に対する南北問題の議論もあったため、その問題を仕切っていたマリジット卿やリディアーヌも所々意見を求められながら、調整が進んでいった。
だが穏やかだったのはその辺りまでであろうか。
「私が求める指針は変わらない。南北問題への断固たる対処の必要性を見れば、皇帝権力を強化することは必須であり、また帝国が一つの帝国としての厚みを増すことは急務である。同時に閉塞的な制度であった聖女制を広く認知させ帝国の国教にふさわしい存在とすべきとの教会本山の考えにも同意するところであり、聖女ヴィオレットとともにそのための努力を惜しまない所存である」
流れが皇帝候補達の所信表明の様相を帯びてくると、まず真っ先に方向性を明言したのはアルトゥールであった。相変わらずこういう時の威勢の良さと見極めの速さに秀でた皇太子様である。
それを機に議場の雰囲気も皇帝戦へと意識が移り変わって行く。
「皇太子の言うことも一理あろうが、七王家の独立性は損なうべきではない。その垣根を崩され同じ帝国内で外患を増やすような真似は御免だ」
「外患とは失礼ですね、ベルテセーヌ王。外薬とすればいいだけのことでしょう」
「もしもそれが可能だというのであれば、春までに貴国はシャリンナ、ダグナブリク、カクトゥーラ三国との関係を外薬として持ってくることだ」
「今の帝国制は無理だと言っているのです」
「だから皇帝として、クロイツェン七世同様に他国の頭を抑え込んでクロイツェンに従えさせるつもりか?」
「お言葉が過ぎますぞ、ベルテセーヌ王」
とげとげとした応酬に口を挟んだドレンツィン大司教に、「ドレンツィンも他人事ではなかろうに」と薄く笑って見せたリュシアンの余裕がなんとも熟練の王感を感じさせる。このひと月で、リュシアンの雰囲気もかなり変わったのではなかろうかと思う。
「私は否定しませんよ。否定したところで陛下とも既知の私の悪友に、胡乱な目をされるだけですから」
チラとこちらを見たアルトゥールに、『こっちに振らないでちょうだい』とヒラヒラ手を振って見せた。
アルトゥール本人にそう言われればドレンツィン大司教も下手なフォローは続けられないだろう。ごほんっと遺憾そうに咳払いをしたが、すぐに口を閉ざしたようだった。
「だが皇帝権力、いや、権限というべきだが、皇帝の持つ権限の引き締めについて再考の余地がある事には同意する。内容については貴殿とは大きく意見が異なっていようが、むしろ今まで旧態依然としたまま変わらずにいたことが多すぎることを帝国議会中に思い知った」
「ふんっ、若造共が知ったように」
すかさず帝国議会中、リュシアンとアルトゥールに随分と振り回されたらしいギュスターブ王が悪態をついたが、それには「どちらに先見の明があるのかはすでに明らかですよ」というリヴァイアン殿下のヒヤリとした声色がギュスターブの口を噤ませた。
何やら随分と空気が悪い。一体七王家側の議会では日々どんな舌戦が起きていたのやら。気になるが、聞きたくはない気がする。
「あちらの議会ではギュスターブ王はあまり威を張れていなかったのでしょうか?」
ただその点は気になったのでコソコソと隣の席の養父に訪ねてみたら、どうやらその辺の様子も聞きかじっていたらしい養父は迷うことなく「そうらしいぞ」と答えた。
「ヘイツブルグの後ろ盾がないギュスターブに喜んで手を貸す愚か者はいないということだ。実質、セリヌエール公が同ほとんどの仕事を肩代わりしていたとも聞いている」
「まぁ。さすがはナディアの旦那様です」
「娘よ……君には“ヘイツブルグの手土産”の件に君の友人が関与しているのではという疑いがあることを情報共有していたはずなのだが。相変わらずぶれない贔屓ぶりだな」
「自分に都合がいいからと贔屓しているわけではありませんわ。それにそちらの件も、何しろナディアですから。むしろそうであったならば一層関心するばかりです」
時に都合がよく、けれど時に苦い思いをさせて来る。それがリディアーヌと友人達との関係なのである。そんな娘の歪んだ友人関係に養父は呆れた顔をしたが、しかし反論はされなかった。
そんな話をしている内にも、議場の話は進む。
「だが聖女の政治利用についてはこれまで長らく聖女の生まれる血筋であるベルテセーヌの王族として断固異を唱え続ける。これは皇帝候補ではなくベルテセーヌの王族、そして聖女の親族として、揺るぐことのないベルテセーヌ王室全体としての総意である」
「確かに、先だっての円形議場での議題は大きくこれまでの想定を揺るがす内容だった。それに合わせた見通しの変更は必要であるが、私は妃ヴィオレットの意思を尊重する所存である。ベルテセーヌ王に問うが、それは如何なものか」
チラとアルトゥールの後ろの傍聴席に座しているヴィオレットを見やったリュシアンは、一つ冷ややかに鼻で笑うとすぐに視線を逸らした。
「勝手にすればいい。賢いそなたならもう分かっていると思うが、“そちら”の話と聖女制度の話はもはや別物である」
「……言ってくれますね」
冷たくかわされた視線の外で、先日の円形議場での議論を知らない者達が知っている者達から事情を窺う声が広がり、にわかに議場が騒がしくなった。しばらくはそのざわめきを享受していたが、いつまでも収まらないまま周りの議論が騒々しくなるにつれ、オランジェル候は木槌を打って周りに静粛を求める。
そんな二人の皇帝候補の睨み合いに一つ閑話を挟んで場を和らげることにしたらしいオランジェル候は、「他に意見は」と他の皇帝候補達を窺った。さすが、長らく面倒な王達の間を取り持ってきた皇宮の重役である。慣れている。
ただ生憎とそこで真っ先に口を開いたのはもっと面倒なギュスターブ王だった。
あまりにも耳障りな装飾語が多かったのであえてその全文を思い出したいとは思わないが、つまるところ、皇帝権力の王家への介入権は抑制すべきとの立場でありながらも、皇帝の直轄領拡大や諸国群併合は視野に入れるべきである、などという、アルトゥールでさえ口を噤んで隠した構想を実に赤裸々に語ってくれた。
当たり前だが、直轄領周辺の国や属国、自治国などのやや不安定な状況にある国々から盛大な批難の声が飛んだ。
「黙っておけばいいものを、余計なことを……」
「正直、併合とまでは言わずとも、トゥーリの構想も似たようなものだと思いますけれど」
「クロイツェンはシャリンナとカッシアでも飲み込むつもりか?」
「……いえ、お養父様。さすがにそれは……でもリンテン、ソレイユ辺りはユーリアまで皇帝直轄地として取り込むかもしれません。あわよくば竜国であるサブトアまで手を伸ばしたいのかもしれませんね」
「さすが、どいつもこいつも、君の悪友はみな悪友だな」
「その評価はとても遺憾です、お養父様」
こそこそと話をしている傍らで、アルトゥールはここぞとばかりにギュスターブ王に「私だってそこまで大それた構想は抱いていないぞ」と、自分の穏健さアピールに利用している。
どの口がと思うのだが、そう思うのはアルトゥールを良く知っている身近な者達くらいなもので、いささかアルトゥールに懐疑的だった諸国群の面々はあからさまにアルトゥールに対しての信頼を回復させている様子を見せている。
ギュスターブ王の余計な発言のせいで、調子づいてしまったではないか。まったく。
「南大陸との関係とて、皇帝権力の脆弱さが問題であることはお前も言っていたことではないか! 余は以前から言っている。皇帝権力の拡張がならぬなら、直接皇帝、ひいては帝国の害意とならぬよう、我がフォンクラークに外交窓口を設け担わせるべきであると!」
ふむ。つまりギュスターブは皇帝になるなら皇帝権力の拡張を。なれないならなれないで、自分が支配するフォンクラークの利益の徴収を目論んでいるわけだ。とはいえあまりにも明け透けすぎる物言いには聞いているこちらもびっくりするほどで、もう少し腹芸の一つでもしてみたらどうなんだろうかと言いたくなるほどだった。
だがギュスターブ王にしてみれば、つい先日までバルティーニュ公が勢いを盛り返してくるなんて思いもしておらず、今なお自分こそがフォンクラークの絶対的な支配者であり、誰も自分に逆らうはずもない“王”なのであろう。王というものが非常に強い権力を持つフォンクラークらしいものである。
一方、そんな王に辟易しているらしい傍聴席のセリヌエール公も、外国に既知の多いナディアも、揃って頭を抱えて天井を仰いでいる。きっと二人は傍聴席にさえいなければ、『それはフォンクラークの総意ではありません』と叫びたいところであったはずだ。まったく同情しかない。
もっともこれまで十年以上、帝国議会でのギュスターブ王の振る舞いという物を見てきたであろうオランジェル候はそんな言葉に振り回されることは無く、「国王陛下のご意見はしかと記録いたしました」などと微笑んで見せながらさらっと流した。
この数十分でオランジェル候への信用がぐんぐんと伸びている気がする。
これに続く形で七王家最大の竜大国として飛竜運用に関する意見を求められたカクトゥーラのリヴァイアン王子は、帝国における飛竜運用の見直しと飛竜乱用に対する懸念、そしてそれに付随する北方独立性の承認が求められることを論じた。
皇帝候補としての意見というより皇帝に対するカクトゥーラからの要求のように聞こえたのはおそらく間違いないだろう。たとえ皇帝にはなり得ないだろうからと見越しているとはいえ、こういう場ではもう少し取り繕ったりするべきなのではなかろうかと思う。だが一方で自分こそがカクトゥーラ王室の代表であると言わんばかりのはっきりした物言いが、周囲にもリヴァイアン王子の印象を強く刻んだのではないかと思う。
またその内容にはつい最近ヴァレンティンとも協議したリンテン問題も絡んでいることで、先にアルトゥール達が議論していた帝国直轄地問題にも関連する。それに対するカクトゥーラの意見をはっきりさせたことは、カクトゥーラにとって良い事である。やはりあくまでも狙いはカクトゥーラの王位なのだろうと思わせる内容だった。
最後に発言をしたセトーナのアブラーン王子も、全体的には皇帝候補というよりセトーナのためといった内容を論じた。ただその中でも、今の皇宮直臣の立場がどういうものなのかを明確にする必要性と、長い時間の中で各国から集められ皇帝政務を補佐するという本来の意義を見失った形骸化があるのではないかという懸念、一方王家傍流の受け皿としての皇宮直臣化の可能性などの案については注目すべきところがあり、むしろどうしてそれを円形議場で大々的に喧伝してくれなかったのかと思うほどに突っ込んだ内容だった。
もっとも、この場にいるほとんどは皇宮所属の帝国直臣達だ。彼らの苦い顔色を見れば、アブラーン王子もあえて批難を受けないであろうこの場を選んだのであろうことが分かる。そしてその意見は今そこで「なるほどな」とニヤニヤしているリュシアンやアルトゥールという有力な皇帝候補達の脳裏にも深く刻まれたはずであり、これはある意味、アブラーン王子の作戦勝ちなのではないかと思わされた。
「中々面白い内容でしたね」
「アブラーン王子はいいな。今まで接点はほとんどなかったが、あれほど気のきいた発言ができる王子だとは知らなかったぞ」
同様にニヤニヤとした顔になっている養父に「選帝侯家も一応直臣なんですから、表情くらい取り繕ってくださいませ」と言っておいたが、内心は全く同じ気持ちであった。
ただそれにせっつかれて、この皇帝戦前半では比較的おとなしかった直臣達が暗躍するようになるのは望ましくない。いらない問題を投下されたと言えなくもないのではなかろうか。




