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9-14 雪の日の遊び方(1)

 催事中は養父にも様々な商会や何やらからの招きが殺到しているようで、さすがに引きこもってはいられずサリニャック候やモードリヨン伯に連れまわされていた。選帝侯議会棟の仕事も他の選帝侯達が集まらないので半ば休止状態となったらしい。

 初日の昼過ぎから始まった催事は、翌日には円形議場で皇宮の御用商人が登壇し、皇宮での流通傾向や流行に関する特別講演を行った。今は御用商人達も皇宮に入る許可を得ているため議場は大層な人の入りで、リディアーヌもさすがに専用のボックス席でこれを傍聴した。ここ数日、周囲からの視線が(うるさ)すぎるせいでもある。

 翌日は帝国でも指折りの商業都市であるリンテンの商業担当であるプロスペリー伯が登壇し、リンテン交易に関する講演を行った。ここでの講演を聞けば、おそらくイレーヌが必死に介入を求めて来るまでもなく、こちらからイレーヌを呼び出していたことだろう。そう頭を抱えるほどの聞いていられない内容だった。

 くしくもこの講演のせいで、クロイツェンと南部の国の面々にもプロスペロー伯の意図が少なからず知れ渡ってしまった。あまり具体的な内容にまでは触れていなかったが、プロスペロー伯が堂々と「クロイツェンの皇太子妃殿下からの御助言を受けまして」などと口にしたことは大きな問題であり、その日の内にも北部の多くの商会やアレクサンドラ女伯からも「是非お目にかかって」という内容の手紙がどっさり届いた。無理もない。

 北部諸国の領主代官達やリヴァイアン殿下、そして嬉々としてやってきたダグナブリク公にうちのお養父様も交えて、人目に付きにくいヴァレンティン離宮で密かな会議の場が設けられたのは催事最終日の朝であった。

 ただ何が一番思いがけなかったかと言えば、会議が終わってすぐ、忙しいはずのアレクサンドラ女伯に呼び止められ、何故か突然小奇麗だが質素な服を着せられ離宮を連れ出されたことだろうか。


「えーっと……これは一体、何ですの?」

「大公殿下からのお達しでございますよ。なんでも随分と働き詰めでいらっしゃるとか。折角の催事なのですから、少しくらい楽しまれてはいかがですか?」


 女伯はそう言ってリディアーヌを脇門から皇宮の外へ出し、前苑の近くに設けられていた馬車止めに馬車を止めた。どうやら女伯自身はこのまま城下で商人達との会合があるらしく、そのついでにここまで送り届けられたらしい。

 だが一言物申したい。働き詰めなのは、その大公様のせいだと思う。


「それではお帰りは遅くなりませんように。フィリック卿、くれぐれもお願いしましたよ」


 そういって笑顔で馬車で走り去っていった女伯を見送りながら、「え、ナニコレ」と呆気にとられた声を漏らしてしまったのは仕方のない事だった。


「フィリック、これはどういうこと?」

「存じません」


 そんなことを言っている割に、フィリックも庶民に紛れやすいような変装をしているのだから、事前に知らされていたのではなかろうか。追従しているエリオットとイザベラ、フランカも同様だ。なので(いぶか)しむように見ていたら、一つため息を吐いたフィリックが「本当に聞いていなかったんです」と繰り返した。


「その恰好を見て信じろと?」

「無理やり着せられたんですよ。そういう姫様こそ、着替えていらっしゃるではありませんか」

「……無理やり着せられたのよ」


 う、うむ、信じよう。信じるしかない。つい先程リディアーヌも、「素敵なものを用意してきましたの」という笑顔の女伯により、侍女三人がかりで取り押さえられ無理やり着替えさせられたのだ。

 ただしいつぞやのリンテンでのお忍びのような恥ずかしい恰好ではなく、きちんと丈もあるシンプルだが上質な織物を用い裾に繊細な柄をあしらったワンピースドレスに、裏地に毛皮を打ったベストと革紐に貴金属の飾りをあしらった腰帯というリンテン風の落ち着いたお嬢様のお忍び風な装いである。目立つ髪は丁寧に結い上げて防寒具としての帽子に押し込めているから目立たない。一体いつから用意していたものなのやら。

 しかも何故かサイズまでぴったりなのだ。これについては、いつもの侍女の装いではなく商家の使用人のような装いでニコニコしながらリディアーヌの肩にローブを纏わせたフランカあたりが共謀しているに違いない。


「はぁ……まぁいいわ。もう来てしまったものは仕方がないし」

「せめて事前に相談していただけたなら、警備も行程も完璧にご用意したのですが」


 フィリックがちゃっかりお忍びのスタイルで護衛している筆頭護衛騎士エリオットを睨んだものだから、エリオットもあせあせと口ごもって何かを訴えようとした。多分エリオット達もフランカ辺りに丸め込まれたのではなかろうか。あるいはリディアーヌやフィリックがこの予定を把握していなかったなど知らぬまま騙された可能性もある。


「さぁさぁ、姫様、どこを見て回りますか? 私、ある程度ブースの場所は確認してきておりますよ」


 得意気にそう言ってリディアーヌの手を引いたフランカの大胆な行動に、「まったく」とため息を吐きつつも少し顔がほころんだ。

 確かにこの数日、いや、もっと前から、随分と気を張っていたと思う。先程は口うるさいはずのマーサにまで丁寧に見送られてしまったから、これはおそらくお養父様とうちの侍女達の謀り事であり、あくまでもリディアーヌのためを思ってのことなのである。それにこの場所だと皇宮内より視線が煩くなくていい。それだけでもかなり気が抜ける。


「フランカ、“姫様”では駄目よ」

「そうでした。ではお嬢様!」


 はしゃぐフランカに毒気を抜かれたのか、フィリックも仕方がなさそうにリディアーヌの後ろに着いて催事場に促してくれた。

 前苑に用意された催事場は、中央の道沿いは馬車の邪魔にならぬよう開かれていて、それぞれ左右に整然とテントが並べられていた。図面上で見たときは狭苦しく感じたが、実際に足を踏み入れてみるととても広い。

 昨夜は強く雪が降っていたはずだが、積もった雪はすでに綺麗に取り去られ、店舗によってはテント前に捨て布を敷いて滑り止めにしているところもあった。先日は色とりどりに見えた鮮やかな屋根がほとんど真っ白に染まっていて、そこに思ってもみなかったほどの多くの人がひしめき買い物を楽しんでいる。それは粗末な身なりの者から豊かな身なりの者まで。リディアーヌにとってみればまったくの別世界だった。


「こんなに人がいる場所は久しぶりだわ」

「お城の夜会や舞踏会があるではありませんか」

「公女はいつでも上座の特別待遇で、人ごみに揉まれることなんてないのよ」

「あ……なるほど」


 そんな話をしながら戦々恐々と立ちすくんでいると、「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」と苦笑するフランカがリディアーヌの手を引いて店舗の列へと足を踏み入れた。

 確かに、人は大勢いるけれど皆慣れているかのように規則正しい方向で移動しているから不用意にぶつかったりはしない。フランカいわく、大体どこの国にもある市場の暗黙のルールというものだそうで、店舗を覗く人の邪魔にならないように道は真ん中近くを、それも左側通行をして向かいの人とぶつからないようにするのがコツらしい。


「どうしてそんなに詳しいの? 貴女だって貴族でしょう?」

「私くらいの階級なら皆それなりに町をうろうろしていますよ。それに姫様の御用で私やハンナさんは時折町に買い出しに出ますから」

「そうなの?」


 知らなかった。本当だろうかと後ろのフィリックに視線を寄越してみると、呆れた顔で「自ら出かけず商会を呼び付けるようにと指導しているはずですが」と言われた。つまり城下町での買い物はフランカ達の私的な趣味、もとい息抜きを兼ねているのだろう。

 ただおかげ様でフランカはこういう市場での買い物にも慣れているようで、遠慮なくあっちのテントこっちのテントとリディアーヌを連れまわしてくれたため、そういくらもせずにリディアーヌもこの場の雰囲気に慣れた。


「この辺りは直轄領内の店舗の出店だというけれど、さすが、輸入品も多くて種類が豊富ね。まぁ、見て。航路がか細くなっているはずなのに、フォンクラークの香辛料もあるわ」

「こんな仮設の小さなテントでポワブルが売られているなど……」


 夢でも見ているんでしょうか、と悩まし気に頭を抱えたフィリックに、「頭が固いですよ、フィリック様」だなんて笑うフランカが絶好調な様子である。

 だがポワブルは本来一袋が金貨で取引されると言われるほどの高級品だ。さすがにここに置かれているのは質のあまりよくない安物であるようだが、しかし王侯階級や高級店にしか取引されていないようなものが普通に民間の店舗にあるのだから驚く。こういう所は流石帝国の中心、皇帝のお膝元といったところか。


「まぁお嬢様、見てください。色鮮やかな刺繍糸がこんなに沢山」


 フランカが興味を引かれたのは、店舗の壁という壁に沢山の糸がたらされた店だった。フランカは随分と物珍しそうだが、リディアーヌにはそのビビットな発色の糸にどことなく見覚えがあり、足を踏み入れて一番目についた青い糸を手に取ってみて納得した。


「これ、シャリンナの染色かしら。この鮮やかな青に見覚えがあるわ」

「まぁ、よくお分かりに。私共の店でも最も良い品でございますよ」


 店番をしていた婦人が身なりのいい護衛ずれの客に弾んだ声をあげながら飛んできた。店の表で投げ売りにしている糸はよく売れているようだが、やはり雪の中わざわざテントに足を運ぶ上客は少ないようで、奥に並ぶ少しお高い品は売れ行きが良くないようだ。


「言われてみると確かに。先日お嬢様が妃殿下にいただいた(かた)(ぎぬ)に似たような美しい青の刺繍が施されていましたね。銀糸と合わさってとても素敵でした」


 しかし主の服飾に並々ならぬ力を入れている侍女の感想が、すぐに店主をぎょっと引き下がらせることになった。

 フランカったら……本当にお忍び慣れているのだろうか?


「フランカ、こんなところで“妃殿下”はないんじゃないかしら?」

「え? あ、そうですね。ですが私がお名前をお呼びするのは流石に不敬では」

「……」


 そういう意味じゃないんだけど。でもとりあえず手にしていた糸を棚に戻すと、そのままそそくさと店を出た。

 中途半端にシャリンナの王族と関係があるなどと思われあれもこれもと売りつけられては困る。それに確かにこんな店舗で売るには素晴らしい品だったが、公女が使う品には似つかわしくない質のものだ。買うつもりはない。

 そう思いながらそそくさと店舗を離れ、所々に設けられている開けた広間に出ると、ほっと息をついて足を止めた。ふぅ。市場巡りも中々難しいものだ。


「姫様、何かお飲み物でも買ってまいりましょうか? 確かこの辺りにホットワインを出すお店のブースがあったはずです」

「ええ、お願いするわ」


 長らく人ごみにいて少し疲れていたのでちょうどいい。ただ一応フランカも貴族階級の淑女なので、弾む足取りで離れていったフランカにはすぐにエリオットに「着いて行ってちょうだい」と指示を出した。


「まったく。侍女が主人の傍を離れるとは……」

「でもフランカのあのフットワークの軽さには何度も助けられてきたわ」


 フィリックの苦言に一応フランカのフォローをしながら、さっと辺りを見回したイザベラに促され、中央の人気の少ないベンチに促された。近くで子供達が雪遊びに熱中しているため、大人達も彼らのために自然とそれを遠巻きに場所を譲ってあげているようだ。

 はて。周りに保護者達の目が見当たらないのだが、町ではこういうものなのだろうか。


「あの子達は何をしているのかしら?」

「分かりかねます」


 せっせと雪をかき集めて丸めている子供達の行動の意図が分からずに首を傾げたが、所詮は似たような階級育ちのフィリックに答えを求めたところで無駄だったようだ。そんな二人に少し苦笑を浮かべたイザベラが、「あれは雪人形作りですね」と教えてくれた。


「雪人形?」

「ああやって丸めた雪を二段か三段ほど重ねて、目、鼻、口などを付けて飾るんです。冬場に町に出るといろんなところに雪人形が現れますから、風物詩のようなものですね。たまに城の修練場でも見かけます」

「的にして修練でもするのか?」

「そんな可哀想なことは致しません」

「可哀想?」


 フィリックが激しく意味が分からないと言った顔で首を傾げているが、リディアーヌにもちょっとよく分からなかった。あれが楽しいのだろうか?

 見ている内にも子供達がどんどんと雪で可愛らしいものを作って行く。あんな子供のままごとみたいなものを城の修練場で騎士達がせっせと作っていると思うとちょっとぞっとするのだが。


「騎士達の誰が作っているのか気になるわね」

「知らない方が身のためであることもあります」


 確かに。もしも寡黙で優秀な筆頭護衛騎士エリオットがせっせと雪人形作りをして遊んでいたら、色々と見る目が変わってしまいそうである。


「もしかしてリディは雪人形、作ったことないの?」


「……」

「……」


 突然にょきっとベンチの後ろから飛び出してきた頭と声に、適切な言葉が出てこず、思わず硬直してしまった。


「あれ? おーい、リディ。リディだよね?」

「……」


 いつかどこかで見たような青鈍色の質素なマント。ふかふかと柔らかそうな毛皮のマフラー。その上の上品で端正な面差しと、いつもより随分とくしゃくしゃに乱れた金の髪。忍べているのかいないのか不思議極まりない、よく見知った顔。


「……何、しているの? ミリム」

「こっちのセリフじゃない?」

「……驚いた」

「私もね。リディがこういう所を自発的にお忍び歩きするだなんて珍しいね」


 あまりにも淡々と違和感の欠片もなく返事が返ってくるせいで、段々とびっくりしていた心臓の激しい動機が収まってきた。

 ふぅ……確かに、この人がこんな面白い催事でお忍び歩きしていないはずがないか。だがまさか遭遇するとは思わなかった。


「公女殿下にご挨拶を申し上げます」


 会話が一休みしたところで、いつもながらにうちの主が申し訳ありません、という顔で丁寧に頭を下げたのはマクシミリアンの侍従のクラウス卿だった。文官や護衛の姿はないが、どうやら今日は一応の侍従連れらしい。それを見たフィリックも、「公子殿下にご挨拶を」と軽く礼を取る。きちんと礼を尽くさなかったのは回りの目を気にしてのことだろう。


「今日はクラウス卿がご一緒なのね。珍しい」

「完璧な計画だったんだけど、どこで抜け出すのがバレたのか。追いかけて来たんだよ」

「この催事中、よもや抜け出さないことはないだろうといつも以上に目を見張らせておりましたから」


 そう言いながらもやつれた様子のクラウス卿を見るに、よほど神経を張り巡らせていたのだと思う。可哀想に。

 思わず「お座りになりますか?」とベンチを勧めてしまったが、それにはマクシミリアンが「どうしてそうなるの?」とそれを阻んだ。まぁクラウスもさすがに公子様を差し置いて公女の隣に呑気に腰かけるだなんてことは出来ないだろうが。


「それで、リディ。その可愛い恰好は誰の仕業?」

「可愛い……」


 もしかしてやっぱり可愛すぎて似合っていないだろうか。そう思ったのだが、「誉め言葉だよ」と先に口を挟まれた。むむむ。ちょっと恥ずかしい。


「アレクサンドラ女伯よ」

「だからリンテン風の織物なんだね。女伯は意外と大胆だな」

「そうね。私も身ぐるみはがされて馬車に乗せられ、内廷の外に放り出されるとは思わなかったわ」

「……本当に大胆だね」


 さすがにマクシミリアンも目を瞬かせたところで、「あら? 公子様?」と、ちょうど戻ってきたらしいフランカが声をあげた。それからすぐに、手に飲み物を持ったまま「公子殿下にご挨拶を申し上げます」と腰を落とす。


「立って。侍女の姿が無いと思ったら、買い出し中だったのか」

「そういう貴方は侍従以外の側近をどこに置いてきたの?」

「うーん、どこかそこら辺を無駄に探し回っているんじゃないかな?」


 ヒョイとフランカの手から飲み物を取ってリディアーヌに差し出してきたマクシミリアンに、もれなくフランカが「まぁっ」と頬に手を当てて微笑ましそうにはしゃいだ。

 ま、まったく。


「カネルにアニスとオランジュ、新鮮なポムの果実。素材は定番通りだけどほのかな蜂蜜の香りとそのパン・デピスはこの直轄領城下の中央二番通り角にあるムムク・カフェのホットワインだね。城下で地元民に一番人気の隠れた名店だ」


 何で知ってるの? とか思ったのだが、あえて口にはしなかった。

 まぁこの人のことだ。どうせ城下の店のことも知り尽くしているのだろう。たとえそうだとしても何ら不思議ではない。ないが……。


「何で見ただけでそこまで分かるのよ……」


 一度は口を閉ざしたが、でもやっぱり突っ込まざるを得なかった。


「ホットワインは東大陸の文化だと思ってたんだけど、よく知ってたね」

「あらかじめ、元皇宮騎士でいらしたルゼノールの小伯爵様からお勧めの一覧をいただいていましたので」


 どやっと懐から一覧表を取り出したフランカに、「おぉ。見せて」と興味津々なマクシミリアンが受け取るのを横目に、そんなものがあったなんてと思いつつカップに口をつける。

 ほんのりと甘くてポカポカと暖かい。ヴァレンティンで冬場の体を温める飲み物と言えば紅茶に蜂蜜とブランデーを入れたり温めた林檎酒に蜂蜜と生姜を加えたりするもので、葡萄酒を温めるという発想はなかった。でもこれはこれでこってりと味わい深くて中々良い物だ。

 それに体も少し温まってきた。


 そうほっこりと温まっている内にも子供達の雪人形作りは終盤に差し掛かったようで、段々に積み上がった雪玉の周りで地面に這いつくばりながらべちゃべちゃと何やら探し物を始めた。

 それを思わずきゅっと眉をしかめて見てしまうけれど、そうしているとふとこちらを見た女の子が隣の男の子に声をかけ、再びじぃっとこちらを見た。

 一体何だろうか?






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