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9-13 イレーヌの相談(2)

「既得権益は煙たがられるというのは世の常でございます。しかし我々商会が青の傭兵を独占してきたなどと言われるのは遺憾でございます」


 珍しく語気を強めたイレーヌに、チラリと隣の青の傭兵団副団長を見ると、彼も深く頷いてそれに同意した。


「我々は我々の腕を買ってくれた商会長の目利きで、商会に雇われているのです。そもそも現商会長は長年専属であった傭兵団を切って、まだ新興の若手集団であった我々を雇い入れてくれた恩人です。癒着扱いされるのは我々にとっても望まぬことです」

「それは他の商会もそうなのかしら?」

「いえ……確かに、一部の商会が青の傭兵を独占していると言われるのも致し方ないとは思います」


 素直にそう言ったイレーヌは、「しかし」と再び語気を強めた。


「契約している傭兵団が新しい人材を入れ、その人材と再び契約をする。こうして契約を結んできたのは、互いにメリットがあったからです。竜狩りは何のノウハウもできるものではございません。若手は商会の専属として経験を積んできた先達に学び、若手の頃に支援と採取品の売買で協力関係を得て来た商会にそのまま専属として所属するようになる……私には、なんら不思議もないことであると思っております」

「それはそうね。青の傭兵達が駆け出しの頃、商会所属の先達から学ぶ機会があることがどれほど有意義であるのか。商会との繋がりを得られることがその後の傭兵団の安定にも繋がることは団長のバレルからも聞いたことがあるわ」

「我々傭兵側の意見も同じです。傭兵などというものは総じて商売のことなど何ら分かりませんから、折角採取してきたものを買い叩かれ、落ちぶれて食いつぶし野盗になり下がるなどということも珍しくはありません。それを助けてくれるのが商会であり、護衛という職で竜狩り以外の安定の手段を得られることも我々にとってはメリットです」


 問題は既存の傭兵団がほとんどどこかしらの既存の商会の専属になっていて、他の商会が竜の飛び交う北部東西大街道を横断する貿易に新規参入できないことだ。

 だがそれは結局、新規商会が青の傭兵達をいかに口説けるかという手腕次第なのであって、行政的な圧力をかけるのはやはり()(かが)なものかと思わなくもない。


「その辺、プロスペリー伯の具体的な策では何と?」

「そもそもの専属契約制度の解体です」

「……あぁ」


 なるほど。それはイレーヌが激怒するのも仕方がない。

 青の傭兵を育てるには、とにかくお金と根気がかかる。名無しの傭兵がいきなり竜の山に挑むことはまず不可能で、それ相応の装備と準備、そして何より経験が必要だ。それを投資するのが商会であり、青の傭兵達は大商会の後ろ盾のおかげで準備を万端に調え、山に登るのだ。そして山に登らない期間を商会の護衛という形で援助してもらう。商会側は投資した傭兵団が山で得て来た竜品の独占販売権を得て、その見返りを受け取る。そういう関係だ。

 しかしそこに専属契約が無くなり傭兵団がフリーになってしまえば、元々商業に弱い彼らが投資の見返りをちゃんと払える保証もなく、商会も彼らに生活の保障を与えることはできない。いざ北部東西街道に交易に出ようとしても信頼できる傭兵団を護衛に付けられずに商機を逃してしまうこともあるかもしれない。そうなると実質、専属という名前ではない専属的な癒着は出来るはずで、だがそこには専属が確約されていないという不安定さと不信感が残ることになる。竜の住む山という命を掛けねばならない貿易路の護衛にそんな不確かなものを伴わねばならなくなるとなれば、商会側も不安だろう。


「プロスペリー伯の狙いは分かっております。東西の貿易路の停滞は許容するところであり、むしろ海路貿易を活性化させ、クロイツェンとの販路を拡大すること。これは明らかな南部優遇政策です」


 そしてそれによって打撃を被るのは、リンテンを中心とした北部貿易の恩恵にあずかってきた北方の国々で、つまりヴァレンティンやカクトゥーラ、北方諸国群などがそれにあたる。元々クロイツェン系の皇帝に懐疑的な国々である。この貿易路の停滞は、国を最も富ませる竜産業が滞るばかりか、農産業が乏しいこれらの国にとっての死活問題にもなる。


「プロスペリー伯爵様が併せて進めているのが領内自由貿易の活性化でございます。リンテンでは産業別の組合が市場の物流を管理しておりますが、この組合制度を解体して自由交易を認める法案の制定が進んでおります。それからリンテン所属の商会にだけ認められていた免税を外部商会にも認め、市場を活性化させる……と。幸い今はルゼノール伯爵様と領主大司教様が反対して下さっていますが……」

「一見悪くなく聞こえるけれど、一般的な物品と違って竜品はいずれも高額な上に国宝級として市場には出ないまま取引されるものもあるわ。それを管理する団体は必須よ。そうでなければたちまち闇取引の温床となるわ」

「仰る通りでございます。もしも竜品が組合の審査無しに出回るようになればたちまち値崩れをおこし、もはや庶民の目には入らぬものになります。竜の密猟が激増することも恐れております。竜取引は北方諸国の独占するところでしたが、リンテンを通じて帝国中に広がる可能性もあり、そこに生じる問題は考えただけでも発狂しそうなほどに数多ございます」

「我々青の傭兵も密猟を恐れています。いつどこの馬鹿が我々の不文律を破って竜の逆鱗を(こうむ)るとも知れませんから」

「そもそも組合に属さぬフォンクラーク王室御用達の幟を立てた商会が密輸入で問題を起こしたばかりなのでございます。なのに組合の解体など、話になりません」


 珍しく怒りの言葉を重ねるイレーヌ達を見れば、リンテンの傭兵や商会長達の不満と不安がどれほどのものなのかが伝わってくる。ルゼノール家当主アレクサンドラ女伯も皇帝戦という折の重要な直臣家門の当主として皇宮に来ているが、縁戚のリディアーヌ達でさえほとんど姿を見かけないほど頻繁にリンテンと皇宮とを行き来しているらしい。それだけリンテンは今、酷い混乱状態にあるのだろう。


「こほんっ。申し訳ありません。少々、私見が過ぎてしまいましたが……」

「いいえ。貴方達の不満が良く伝わってきたわ」

「お恥ずかしい……ですが公女殿下。殿下にお伝えすべきは、それではないのです」

「何かしら?」


 今の話題も十分に伝えられるべき内容だったと思ったのだが、と首を傾げたリディアーヌに、イレーヌは酷く神妙な顔で一度固く口を引き結んだ。


「殿下……恐れながら、私は西大陸の品を扱う一介の商人でございますから、帝国国家間の関係などというものには無知でございます。しかし殿下がクロイツェンをご警戒なさっていること、特に皇太子妃殿下の動向に注意を払われていることは間違いないでしょうか?」

「ええ。そうよ」


 何だろうか。何やらすでに嫌な予感がしているのだが。


「今回のプロスペロー伯爵様の案は、公的な書類において“楽市楽座法”と称されております。その辺りを少々探りましたところ、この法の発案者としてクロイツェンの皇太子妃殿下の御名と同じ“ヴィオレット様”というお名前があるとの情報を得ております」

「あんのっ……問題妃ッ」


 思わず頭を抱えて天井を振り仰いだリディアーヌに、イレーヌも少し困った顔で一度口を噤んだ。このリディアーヌの反応だけで、色々と察せられたようである。


「なるほど。そのように殿下が仰られる御方なわけですね」

「この突飛な出来事の元凶を見た気分よ」


 となるとこれは間違いない。ヴィオレットの“落ち星”としての記憶にある、我が帝国の情勢など一切鑑みない身勝手な発想によって起きた事案である。

 おそらくプロスペロー伯はただのクロイツェンの(かい)(らい)、それもヴィオレットの(かい)(らい)だ。ヴィオレットにそんな計画を立てる手腕があるとは思わないが、しかしヴィオレットの出した案に彼女の肝煎りである商会が賛同し、この機に自分達もリンテンという大商業都市の商業に参入しようとヴィオレットを利用しているのだろう。そんな構図が一気に見えた。

 聖女聖地問題が一応片付いたところで、今度はこれだ。まったく、今すぐにでもヴィオレットから政権、商業権すべて奪い去って教会にぶち込んでしまいたい気分である。真面目にプロスペロー伯の手腕について考察していた自分が恥ずかしいではないか。


「フィリック、リベルテ商会の動向は確認させているわよね?」

「勿論です。すぐにクロイツェンから鳩を飛ばさせます」

「大急ぎでよ。ククにもしばらくそちらの鳩を優先するよう伝えてちょうだい」


 そう口にしたら、トントン、とどこからか壁を叩く音がした。どうやら今日も今日とて、どこかの使用人通路の裏にククが控えているようだ。


「公女殿下、今“リベルテ商会”と仰いましたか?」


 そこに口を挟んだセーラに、「ええ、言ったけれど」というと、セーラは副団長と視線を合わせ、顔色を濁した。


「私共が知っている商会とその商会が同一かは分かりませんが、昨年末よりリンテンに出入りし始め、方々の青の傭兵団にかなり強引な引き抜きをかけている商会がいくつかあります。そのうちの一つが、リベルテ商会という名であったように記憶しています」

「何ですって」

「ただ、商会の所属国がフォンクラークでしたから、もしかしたらただの同名商会ということも……」

「ふぅぅ……」


 まったく、あの妃殿下はどこまで帝国を掻き乱してくれれば気が済むのか。


「リベルテ商会はクロイツェンの皇太子妃ヴィオレットが昔ベルテセーヌで起こした商会よ。けれど妃殿下の国外追放でその手を離れ、その後ベルテセーヌでの国家転覆に加担したとして、商会は解体され、責任者達は処刑や強制労役などの断罪を受けているわ」

「まぁっ」


 思わずセーラが声をあげた。どうやら存じていなかったようだ。


「妃殿下は国外追放後フォンクラークに一時滞在して、その後クロイツェンで皇太子妃になったから、今、リベルテ商会の本店はクロイツェンにあるわ。ベルテセーヌで謀反に加担したのはリベルテ商会移転後に名を引き継いだ偽物ということになっていて、関係性はないと公言されているけれど」

「そんな言葉で納得するとでも?」


 イレーヌはそう目を瞬かせたが、生憎と、納得させられてしまっているのだ。

 何しろクロイツェンのリベルテ商会はヴィオレットという皇太子妃が後ろ盾になっている商会だ。元々クロイツェンとは敵対的な国であるベルテセーヌで何をしでかそうがクロイツェン人にとっては関係ない。皇太子妃がお墨付きを与えている商会というだけで信頼するには十分なのだ。


「妃殿下はフォンクラークにも独特な商品を広めた功績があるから、リベルテ商会がクロイツェンで再起したあとフォンクラークに進出していてもおかしくは無いわ。リンテンではクロイツェン系を標榜すると立ち回りにくいからと、あえてフォンクラーク系を称しているのではないかしら。まず間違いなくクロイツェン系の商会よ」

「これはすぐにでもルゼノール女伯様にお伝えすべき案件ですね」


 神妙に頷いたイレーヌに、「女伯もご存じなかったのね」と驚き、すぐに女伯に伝えるようフィリックに指示した。できれば早い内に女伯とも顔を合わせたいものである。

 これまではいかにルゼノール家と縁があるとはいえ、ヴァレンティンという一国の公女として教会直轄地であるリンテンの内政に口を挟むのはお(かど)(ちが)いだと線を引いてきた。それでも度々イレーヌが口添えを求めるから先の竜の卵の褒賞として話を聞いただけのことだったのだが、もしこれがリンテンの内政ではなく北方諸国とクロイツェンとの政治的な駆け引きに関与してくるとなると無視はできない。

 もっと早くその名が聞けていたら早く掛け合っただろうに……いや、イレーヌはやり手の商人だが政治家ではない。これはこちら側から察っしてやるべきだったか。


「パトリック、早めに北方諸国の大使達と繋ぎを取って、場を設けてちょうだい。できる事ならリヴァイアン王子も巻き込みたいわ。竜を抱える国、竜との付き合い方を弁えている国として情報を共有し、味方につけて事に当たりたいわ」

「すぐに調整いたします。ダグナブリクはいかがいたしますか?」

「……」


 一応、北部東西街道の東の執着地点はダグナブリクだ。だがダグナブリクの竜産業にリンテンは関係なく、関係あるのはせいぜいカクトゥーラくらいまでだと思うのだが……。


「正直ダグナブリク公が出てくるとやりにくいのだけれど……」

「姫様が何かをするとなればすぐにでも食いついてきそうですが」


 フィリックの言葉には、つい唸ってしまった。


「リヴァイアン殿下のご判断に任せましょう……殿下の考えとご手腕を見てみたいわ」


 取って付けたような理由だったが、フィリックは「まぁそういうことにしておきましょう」と頷いてくれた。

 さてさて、ただでさえ考えることが沢山あるというのに、益々面倒なことになってきた。


「直臣の配分と任免は皇帝陛下の権限の内です。この問題は、何ならベルテセーヌから皇帝陛下が立ちさえすれば簡単に解決するかもしれませんよ」

「それは同感ね。だからこそ、この問題を北方諸国からカクトゥーラにまで周知しておきたいわ。その……ついでにダグナブリクにも」

「むしろ選帝侯家であるダグナブリクこそが重要では?」


 まぁそうなのだけれど。


「逆に南部の国にとってはリンテン参入が可能かもしれないなどと夢を見てクロイツェンに加担し始めるかもしれない諸刃の剣だわ」

「特に昨今、フォンクラークに代わりリンテンへの入港許可数の拡大という恩恵を受けているヘイツブルグが加担しては厄介です」

「そうね。だから情報の共有と対策は北部の国のみで完結させたいわ。フィリック、セリヌエール公には昨今フォンクラークの商会と称して方々で暗躍しているリベルテ商会というクロイツェンの息のかかった商会がいるらしいが把握しているのかどうか、という内容のみ流して様子を探っておいてちょうだい」

「かしこまりました。自由取引の件は触れずに、ということで宜しいのですね?」

「致し方ないわ。ナディアに恨まれるのは怖いけれど」


 確かに昨今のフォンクラークとは既知を得ているが、しかしフォンクラークだって南部の国であり、一時はクロイツェンと組んでヴァレンティンやベルテセーヌを悩ませてくれた、“そういう手段”もある国だ。既知だからといって常に味方であれるわけではない。

 フォンクラーク含め、ヘイツブルグやセトーナ、エプトラなど内海側に商船と貿易航路を持つ国々は、もしリンテンに自分達の息のかかった商会を参入させて竜品を国に持ち込めたならと甘い夢を見かねない。それは絶対に阻止せねばならない。


「リンテンにクロイツェンが介入していることが南部に周知される前に、北部で団結して飛竜に関する権益を守る形でリンテンの守りを固めたいわ。アレクサンドラ女伯にも協力を得て、極力リンテンの中心が今なおルゼノール家にあって、北部各国、そしてヴァレンティンがリンテンを庇護していることを明確に誇示しておきたいわね」

「まるで悪役ですね、姫様」


 それをここで言う? と胡乱な視線を向けたのだが、これにはイレーヌが「我々にとっては希望の悪役でございます」と満面の笑みを浮かべて見せた。まったく……。


「何とでも言いなさい。竜産業の打撃と北部交易路の停滞はヴァレンティンの死活問題よ。どんな手を使ってでもプロスペロー伯爵とやらを“潰す”のが、私の仕事よ」

「頼もしいですわ、姫様」


 セーラがニコニコと賛同してくれたところで、コンコンコンと扉を叩く音がした。

 顔を出したのはこの離宮の執事で、話し中に失礼することを丁寧に断ってから、もうすぐ催事の開催式典であることを知らせてくれた。式典には商会長であるイレーヌも出席せねばならない。


「ひとまずこの話はここまでにしましょう。こちらでもすぐに応対を考えるから、イレーヌはこの四日間、催事に集中してちょうだい」

「まことに感謝の至りでございます、公女殿下。このイレーヌ、殿下からの信を得て贔屓にしていただけたことを生涯の宝と思い、商会の未来にこの御恩を伝えてゆく所存です」

「大げさよ、イレーヌ。それにそういう言葉はこの問題がきちんと片付いて……私達の王が皇帝の地位に登った時に、聞かせてちょうだい」


 ニコリと微笑んだイレーヌは深い感謝の一礼でそれに答えた。


 今はまだ、いくらでも情勢が移ろう時期だ。それでも着々と、材料は集まり始めている。

 一度飛び立った飛竜から飛び降りることはできない。もはやひたすらに前へ前へと進むばかりである。






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