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9-12 イレーヌの相談(1)

 何しろ円形議場で大変大胆なことをしでかした自覚はあったので、その日は議題が閉会となるや否や大急ぎでアンジェリカをひっつかんで帰宅した。翌日も極力人目に付かないよう、早朝から書架棟に飛び込んだ。

 やがてその書架棟にまで用もなさそうな客がちらほらと出てきたので、気を利かせたマリジット卿の協力の元、司書室で仕事をさせてもらった。そのまま夕方まで司書室にこもり続けたおかげで、溜まっていた仕事は随分と片付いた。

 もうそろそろ、この最初の皇帝戦のひと月も終盤となる。国史編纂作業も大詰めなので、いい機会だったかもしれない。


 司書室に籠った翌日からは、皇宮(さい)()(とう)で自由市が開催された。

 これは四日間にわたる商会大集合の催しで、各国の御用達商会から直轄領城下の大店、郊外の屋台に至るまで、審査を通った店が一堂に会し仮設店舗を出すという大規模なものだ。この四日間の催事が済むと最後に王侯貴族が一堂に会する大議会があり前半戦は閉会となるから、この二つの行事が()(とう)の日々の最後を飾る大祭として賑わうのも当然である。

 特にこの商会を集めるこの催しは娯楽色の強いもので、通常、皇帝戦開始から三ヶ月以内に恒例的に催されてきた行事だ。本来はこんな真冬のど真ん中ではなくもっと良い季節に行うべき催しで、先だって内皇庁の会議でも『春、年が明けてから』という話に落ち着いていたはずだった。だが、十二月から年明けまでしばらく王家選帝侯家がみな国許に帰ってしまうことから、きっと十一月中に開催されるはずだと先走った商会がどんどん城下に集まり問い合わせをしてくるようになってしまったため、急遽予定が変更されたものだ。

 通常では皇宮内廷の正門の外、前苑にテントが並び、前苑にある迎賓館が賓客用として用いられるのだが、今回は流石に雪が積もる中外で商会のテントを見て回りたがる貴顕はいないだろうと、下々の商会は前苑にテントを出すが御用達やお墨付きを得た大商会は催事棟を用いることが許された。

 本来は迎賓館も一般庶民が入ることのできる催しなのだが、催事棟は内廷内であるから、入ることができるのは通行証を出された上層領民だけに限定された。一方、前苑の催しは通常通り一般庶民にも開放されている。そのため御用商会も販路拡大を狙って催事棟だけでなく前苑にテントを併設して出しているところもあるらしい。

 ヴァレンティンにおいて商業関連を預かっているリディアーヌにとっても無視はできない催しで、御用達のイレーヌ商会は勿論、こちらに付いてきていたマダム・フロレゾンをはじめとする服飾サロン、稀少な食品を搬入してくれているカンターツ商会など、御用達や専属を認めている商会とは緻密に協議を重ね、出品内容の相談にも乗ってきた。なので初日も朝から催事棟に向かうと、まだ客の入っていない静かな催事棟の中を見て回り激励して回った。これもまた公女の仕事である。


「開会前からご足労頂きありがとうござます、公女殿下」

「当然のことだわ。その顔を見るに、準備は万端のようね」

「手抜かりございません。そういう殿下こそ、どうやら二日ほど前より大層な噂の的になっておいでのようですが、ここまでのお忍びの手順は完璧だったようでございますね」

「イレーヌ……」


 ほくほくと楽しそうな顔で出迎えたイレーヌの言葉に思わず頭を抱えたところで、「自業自得でございます」などとフィリックに突っ込まれた。

 かなり頑張った上に中々いい結果だったはずなのに、何故うちの腹心は面白くなさそうなのか。扱いに困って仕方がない。


「こほんっ……えぇっと? 催事棟の商会の割り振りは国ごとではなくジャンル別で並んでいるのね。催事棟は広い部屋も多いから、狭苦しさは感じないわ」

「はい。この辺りは大ホールを利用し、室内にブースが立てられた区画です。我々は二階に個室をいただいております」


 イレーヌもあまり突っ込んで(から)()う気はなかったようで、説明を求めるとすぐに意を汲んでリディアーヌを案内してくれた。

 二階に上がると上がってすぐの広いホールには内皇庁側が準備したらしい質のいいテーブルと椅子が置かれ、その周りの廊下にずらりと並ぶ扉の横には様々な色と紋様の(のぼり)がかけられていた。ホールは交流の場とし、個々の部屋に各国の御用達商店が入っているようだ。

 また扉の前には商店のサンプルも並べ置かれており、イレーヌ商会のブースでも良く見慣れた商会員が周りに指示を出しながら部屋前の机を整えているところだった。


「これは公女殿下。お忙しい中、わざわざお足を運んでいただき恐縮でございます」

「忙しところをごめんなさいね。気にせず作業を続けてちょうだい」


 さぁさぁと中に促すイレーヌに続いてブースに入ると、部屋の中は商談のスペースが一つと、間仕切りの奥に商会員と物品保管のスペース、そして壁際にはごちゃごちゃしない程度にすっきりとサンプルが並んでいた。部屋の意匠が商会店舗に比べると立派過ぎるので、商品周りは出来るだけごちゃごちゃさせずすっきりと見える工夫をしているようだ。


「私はいつも城に持って来てもらうからイレーヌの店は直接見たことが無かったわね。こうやって見ると布類と食品の店であったことを思い出すわ」

「はははっ。公女殿下のところでは竜品から宝石類、食品服飾関連その他諸々、色々とお届けさせていただいておりますからね。リンテンからヴァレンティンへ、運べるものはなんでも運ぶのがイレーヌ商会でございます」


 ぐるりと見て回ったところで、出されている品のほとんどは布や服飾関連であるのを確認した。それから奥にひときわ美しく立派なガラスケースがあり、そこに竜の鱗が飾られていた。青の傭兵を抱える商団であることのアピールのために置かれているものである。リンテンではこれがあるかないかで商会の格というものが変わるのだ。

 そのまま客の対応をどうするのかや注意しておいてもらいたい客のことなどを接客担当者達と細かに確認してから、ついでに奥の長い廊下の先のもう少し小さな部屋を割り当てられている服飾スペースに向かい、マダム・フロレゾンとも最終確認をした。

 この辺りはイレーヌが扱う布などの原料ではなく、縫製済みの服や加工済みの宝飾品を並べている店舗群である。中でもフロレゾンは中央に近い広めの部屋が与えられていた。どうやら連日リディアーヌが広告塔となって注目を集めてくれたおかげであるらしい。


「祭事中は今回推してまいりましたマントスリーブ系の問い合わせが多いのではないかと見越しております。公女殿下におかれましては御身にお纏いになられたドレスを飾る許可をいただきまして、至上の悦びでございますわ」

「マダムにはここのところ特にお世話になっているもの。当然のことだわ」


 とは口にしたものの、ブースの一番目立つ場所に皇帝戦前夜祭と本夜祭の時に着たドレスが飾られ、はっきり『ヴァレンティン公女殿下のお召し物<実物!>』と標榜されているのはかなり恥ずかしかった。なので最低限の確認だけしてそそくさと部屋を離れた。

 それから三階の食品部門や海外部門なども見て回り、その海外ブースで見かけた顔見知りのアルテン商人と少し社交的かつ外交的な挨拶なども交わしてから催事棟を離れた。

 イレーヌは前苑のテント群にも庶民向けのリンテン商品の出品などをしているらしいが、そちらは特に確認はしなかった。さすがに公女が出店準備をしている庶民達の中に紛れて一つの店舗を見物に行くだなんて目立つことは出来ない。周りも委縮するし、イレーヌが変な目で見られかねない。


「御用達の幟をかけた商会が城下の商会と(のき)を並べて、日頃なら店舗に入れないような人達にも商品を見せるのでしょう? 中々ワクワクする催しだわ。なのにそこへ行けないというのは逆差別を受けているようね」

「日頃一般市民が感じているものの逆バージョンということですね」

「そう言われると実感がわくわ」


 催事棟からは前苑に突き出したバルコニーが存在している。今は客が入らないよう警備の騎士が立っていたが、その騎士に断ってバルコニーに足を踏み入れると、いつもはただ閑散として美しいだけの庭にずらりと色鮮やかなテントが並んで慌ただしく人と馬が行き交っている様子を見降ろした。

 世の中に、お祭りというものが存在していることを知っている。カレッジ時代には例にもれず悪友達に寮から連れ出され、本山の火焚きのお祭りに参加したこともある。ただカレッジ時代のそれはあくまでも神事に付随する厳かなお祭りであったから、こういうわちゃわちゃとした賑わいとは無縁であった。

 あの壁の内側では皇帝というたった一つの位を巡って暗雲立ち込めているというのに、まったく何という賑わい、何という活気であろうか。羨ましい。


「お忍びでお出かけしたいようでしたら、変装グッズをご用意いたしますよ」

「いつぞやのリンテンでの変装みたいなのはもう御免よ」


 ふと思い出したリンテンでの自分の姿に、同じくそれを思い出したらしいイレーヌがからからと声をあげて笑った。まったく、他人事だと思って。


  ***


 そうして遠巻きにお祭りの雰囲気だけ見下ろして、ほどなく段々と人が増え始めたのを見ながらイレーヌを連れて離宮に戻った。祭事の為と理由をつけて仕事や面会の予定を空けたが、本来の目的はイレーヌと昨今のリンテンの商業問題についてを話し合うことである。今はそのいい目くらましになる。

 養父は選帝侯議会棟に仕事に向かったので、部屋にはフィリックと、それに外交的な話に強いパトリックも今日はこちらに借りておいた。勉強させるつもりで今日はアンジェリカの元に派遣してあるユリタス・モードリヨンも書記官として同席させ、その面々で離宮の応接間に座る。

 イレーヌの方は、良く見慣れた竜の足跡の女薬師セーラと、育児に邁進中の団長に代わって副団長ペレスが同席していた。副団長には先だってフォンクラークへ向かうのにイレーヌの手を借りた際、既知を得ている。脳筋系の団長と違って傭兵団の事務方も担う知的なおじ様である。今日の話し合いには団長よりも向いているだろう。


「それで、イレーヌ。ここにはまだ状況をきちんと伝えていない文官もいるから、ざっと問題の在り処と事情を説明してくれるかしら」

「はい、公女殿下。まず今リンテンならびに我が商会が抱えている問題は、去年のブルッスナー元伯爵様没落後に赴任してこられました新たな商業担当伯プロスペリー伯の政策に端を発しております」


 イレーヌが語るには、こうだ。

 プロスペリー伯は元々皇宮所属の直臣で、リンテンとは縁のない出身であった。ブルッスナー伯がグーデリック元王太子と共謀して禁輸品、それも麻薬認定されているものをリンテンに持ち込んだことは皇宮でも大問題とされ厳しい処分が下された事案であったため、時の皇帝クロイツェン七世はリンテンに刷新の風を吹き込むべく、あえて縁のなかった直臣を任じたのである……が、つまるところ、これまできわめて西大陸派として堅固であったリンテンに、クロイツェン七世は自分の息のかかった東大陸派、もっというならばクロイツェン派の直臣を送り込んできたわけだ。

 だがリンテン教会領は三伯爵家によって統治管理されているとはいえ、実質ルゼノール家による一極支配が続いてきた土地だ。ルゼノール家は北方諸国やヴァレンティンとの縁が深く、元々はベルテセーヌから皇帝が立っていた時代に任じられた伝統家門であり、表向きは教会系の家門として忠実な直臣という体裁を保っているが、ヴァレンティンと血縁があることも含め西大陸寄りの家門であり、クロイツェンと縁が希薄あることは間違いない。

 なのでこの両者の間に、問題が起きないはずがない。


 プロスペリー伯はまず行政担当のルゼノール家が商業関連をほとんど掌握している現状に異を唱え、なにかとおざなりだったブルッスナー家のやり方を見直し、リンテンの港湾支配を強めていった。ルゼノール家としてもブルッスナー家が頼りないせいで商業関連に手を出していたのであって、分担を侵すつもりは無いからとこれに譲歩したという。

 だがプロスペリー伯のやり方はこれまでと違うどころか、ルゼノール家にとっても面白くない物だった。理由は明快で、プロスペリー伯はリンテンの大商会が青の傭兵を独占契約的に縛り長距離行商商会の新規参入を阻んでいることと、先のフォンクラークとの問題を理由にフォンクラーク系の貿易船の締め出しを徹底し、より一層クロイツェン系の船を優遇する政策をとった。だが前者については、長年商業都市リンテンを栄えさせてきた伝統ある商会主達にとってひどく面白くない話であり、後者もまた一国からの過ぎたる圧力ともいえる状況がルゼノール家を含む多くのリンテン人からの反発を引き起こした。

 それでもプロスペリー伯には皇帝陛下という強大すぎる後ろ盾があり、リンテンの自治を担うルゼノール家も強くは出られず、伝統的な商会にもなんとか配慮はしつつ、受け入れて欲しいと請うしかなかったのだという。

 そこにきて、ついに皇帝クロイツェン七世が崩御した。プロスペリー伯は今なおその威とクロイツェンの後ろ盾で強硬策を取り続けているが、このままいいようにリンテンを変えられては困ると、リンテンの伝統商会は結束力を高めているという。


「まぁ、はたから聞けばプロスペリー伯が旧体制に針を突き刺した正義よね」

「既得権益は煙たがられるというのは世の常でございます。しかし我々商会が青の傭兵を独占してきたなどと言われるのは()(かん)でございます」






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