9-5 ダグナブリク公という人
それからはまた、怒涛のように日々が過ぎて行った。
コランティーヌ夫人にはアンナベル妃主催の親しい女性達だけを集めたお茶会でお会いし、ここ数日円形議場に通っていることを口にすると、夫人にも選帝伯として自ら議題を出すべきとの助言をされた。
その夜には養父と共にサリニャック夫妻、パトリック夫妻、レヴェイヨン夫妻を晩餐に招き、あれから養父達が対処に当たっていたカクトゥーラ内の問題についての情報共有を行った。
リディアーヌがそちらに関わっていない間にもリヴァイアン殿下はきっちりと離宮内の人員整理を行ったようで、まだ油断はできないものの一通り大規模な取り締まりが実施されたという。
さらにレヴェイヨン候は、前回の鹿肉事件に義弟の王子が関与していたことも追及してゆく所存だそうで、その語り口を聞くに、やはりリヴァイアン殿下は皇帝戦というよりカクトゥーラ王位を狙って動いている様子が察せられた。
そのリヴァイアン殿下からの『明日は是非お待ちしております』という手紙を受け取ったところでその日の晩餐は終わり、翌日は少し長めに書架棟での仕事をこなした後、招待を受けていた茶議棟のカクトゥーラ保有棟へ向かった。
リヴァイアン殿下に招かれたお茶会にはレヴェイヨン候やダリュッセル候に加え、ダグナブリク公とロイタネン伯なども呼ばれていた。何気にこういう催しでダグナブリク公と一緒になったのは初めてである。
「調子はどうだい、公女」
「ごく普通ですわ、閣下。閣下は一体何を期待していらっしゃるの?」
相変わらず軽い口調のダグナブリク公は、カクトゥーラ保有棟の応接間に慣れ親しんだ様子で座っていらっしゃり、おもわず部屋の主人を勘違いしてしまいそうな様子だった。
えぇっと……ダグナブリク公とリヴァイアン王子はハトコ同士にあたるのだったか。あまり似てはいないが、こうしてカクトゥーラとダグナブリクの面々が並んでいるところを見ると、確かにリヴァイアン殿下はダグナブリク系の面影が強い。
ただそうまじまじと観察する時間も与えずに、リディアーヌは主催者であるリヴァイアン殿下ではなくダグナブリク公によって、「こっちだこっち、こっちに座りなさい」と近くの席に座らされた。
一応殿下に『宜しいんですか?』という視線を投げかけたが、その殿下が慣れた様子で苦笑しながら頷くので、ダグナブリク公の言うままにすぐ近くの席に座った。ロイタネン伯もダリュッセル候もニコニコとしているばかりなので、おそらくカクトゥーラ派の皆さんにとってこれは日常的な光景なのだろう。
それから別の催しで席を外していたダグナブリクのタイアネン伯とうちのレヴェイヨン候、ダグナブリクのペラトーニ司教がやってくると、今日のメンバーが揃った。
おそらくこの面々がカクトゥーラ派の全員であろう。三票の選出権を持つ選帝侯がいることを考えても、中々馬鹿にできない勢力規模である。
「うちの目標は、ひとまずセトーナに比肩することでしょうか」
「セトーナは推戴家門の選帝侯であるドレンツィン大司教閣下がそもそも支持しておりませんわよね。すでに優位なのではありませんか?」
「ただヘイツブルグ大公がどういうつもりかにもよるんだよねぇ」
最初の話題は順当な皇帝戦の話題であって、リディアーヌの前でも言葉を噤むつもりは無いらしい彼らの会話でカクトゥーラの目標は知れた。
リヴァイアン殿下は皇帝戦に皇帝候補として名を連ねることで、これまで縁を持てなかった他の王家選帝侯家との縁を着実に築いていっている。今日リディアーヌが呼ばれたのも、カクトゥーラの王族として北方でダグナブリクと並んで威を持つヴァレンティン大公家と繋がりを得て、国内での自分の支持を厚くすることが目的であろう。
だがどれほど繋がりを太くしたところで、最終的な皇帝戦で一票も集まらないような求心力のなさを露出してしまったのでは意味がない。さすがに帝位を望むほどのつもりはないようだが、ベザの伝統王族であるセトーナの王子と並んで遜色ないだけの支持は集めたいのだろう。
「まったく、カクトゥーラにこのような野心ある殿下がいらっしゃるだなんて、私、半月前までまったく存じておりませんでしたわよ」
「半月でそれをヴァレンティンに知らしめられたのだとしたら、私のこの方針は間違いではなかったということですね」
ぎらぎらと野心を隠すことも無く述べるリヴァイアン殿下に、まったく、今までよく表に出てこずにいたものだと改めて感心する。それだけこれまでカクトゥーラが帝国の表舞台に出てこない国であったからでもあろうが、シャリンナにしてもカクトゥーラにしても、皇帝戦を一つの機会と思っているのは間違いない。
「だというのに、公女、君の所は随分とのんびりさんじゃないか。あちらこちらで今日もまた誰かが誰かに計略を仕掛けて騒いでいるというのに、ヴァレンティンの静かなこと。一体何を考えているんだい?」
いつもの飄々とした様子の中に少しの凄味を孕んだ様子で問うダグナブリク公に、チラと視線をやって思案する。さて、ダグナブリク公はこう見えても選帝侯閣下である。どう話すべきか。
「そんなに見つめられると照れるな!」
「……」
うむ……まぁ、その。こういう所はやはりダグナブリク公なのだが。
「そういうダグナブリク公こそ、日和見ではありませんか」
「うちはいいんだよ、うちは。誰も私から票を得ようだなんて思っていないだろうから」
「選帝侯閣下が何を仰っておいでですか……」
思わず呆れたように口にしたけれど、しかし確かに、どこの皇帝候補もあまり積極的にダグナブリク公を取り込もうなどと計略をかけていないのは事実だ。リディアーヌさえ、なんとなくこの人はカクトゥーラ派で動きようがないのだろうなどと思っていた。いや、むしろそれ以外の煩わしい票の奪い合いすべてに無縁のような存在に感じていた。これもこの人の策なのだろうか。
「リヴァイアン殿下、この人、こんなことを仰っていますわよ。私が引き抜きをかけても良ろしいのかしら?」
「もしそうなったところで、私に止められる気は致しませんね」
肩をすくめながら答えたリヴァイアン殿下の様子を見ても、この選帝侯閣下を操るなんて土台無理な話なのだとカクトゥーラ派の皆が認識していることが見て取れた。まぁ確かに、そんな感じだ。
「ダグナブリク公とヘイツブルグ大公は、どちらがより意図不明のよく分からない御方か、いい勝負ですわね」
「おや、嬉しいね。私からしてみればヴァレンティン大公ほどに分からない人はいないのだが」
「お養父様がですか?」
そんなことはないだろう。確かにおかしな人ではあるがヴァレンティン大公はベルテセーヌ派で一貫しており、ザクセオン大公と並んで大変分かりやすい方針の人物だと思う。それを不思議の塊みたいなダグナブリク公が分からないなどというのは不自然極まりない。
ただダグナブリク公の言うところの“分からない”は少し意味が違っていたようで。
「言っては何だが、ヴァレンティン大公は一番腹の底が読めない人だと思っている。それが毎日毎日、ザクセオン大公に叱られながら嫌そうに黙々と執務をこなすばかり。公女、君から見て君の父君は一体、何を腹の底に隠しているのだろうか? あの日和見な顔の下で一体どう暗躍しているのか……全く見えてこなくて恐ろしい」
ニィと意味ありげに笑ったダグナブリク公に、自然と他の皆もごくりと息を呑んで真剣な眼差しでリディアーヌを見る。
その視線の中、ただ一人レヴェイヨン候だけが少し困ったようにあせあせと皆を見回しているが……はぁ、そうか。そういうことか。
「何てこと。レヴェイヨン候、これは一体どういうことかしら……?」
「申し訳ありません、公女殿下……私も説明する努力はしたのですが」
「……」
思わず頭を抱え、ハァァとため息をついてしまった。
まぁ確かに今はあちらこちら、誰しもが息をひそめ探り合い、あわよくばと選議卿達の票を狙って暗躍する駆け引きの真っただ中だ。まさかいつも通りに一切の社交を拒否して選帝侯議会棟で黙々と仕事をこなしている養父が、本気で社交をしていないだなんて有り得ないと思われているらしい。
だが探れども探れども、ヴァレンティン大公がどこかで誰かに会って暗躍している情報は出てこない。出てくるはずがない。それが彼らにはゾクゾクと恐ろしいもののように感じられているらしい。
らしい……が。
「お言葉ですが辺境公閣下……うちのお養父様は本気で、“何もしていません”」
「……?」
「ですから、何もしていません」
「……?」
リヴァイアン殿下までキョトンと首を傾げるものだから、まさかそんな誤解を受けていただなんて、と、再び吐息を吐いた。
「嘘でも方便でも何でもありませんわよ。事実、うちのお養父様は社交も駆け引きも、何もしていないんです。まぁうちの大使夫妻と食事をしたり、うちのまったく顔を見せない司教様を叱りつけるために呼び出したり、それと閣下と殿下に呼び出されて一度お出かけになりましたけれど、社交らしい社交はそのくらいではないでしょうか。あぁ、あと仕事関係ではあるものの、一度エッフェル候にも呼び出されましたね。随分とごねていましたが、うちの文官に背中を蹴り出されてお出かけになっていました。レヴェイヨン候も見ていらしたわよね?」
「はい……見ておりました」
ちょっと恥ずかしそうに答えるのは、蹴り出すとは言わずともフィリックとパトリック二人がかりで腕を引っ張られ馬車に放り込まれる大公様を見ていたからだ。養父を外に連れ出すのがどれほど大変なのかをレヴェイヨン候はすでに知っている。
「……つまり……本当に、ヴァレンティン大公は社交をしていない?」
「ええ、そうですわ、ダグナブリク公。お仕事はきちんとこなして下さっていますけれど、面倒はすべて部下と私に押し付けて、ご本人はお部屋に籠ってばかりですわよ。何しろそれがヴァレンティン大公ですから」
「……」
「……」
おぉ、さすがお養父様。この場にいずしてダグナブリク公を放心させている。
「噂には聞いていましたが……まさか本当に社交嫌いなのですね」
そうポツリと呟いたロイタネン伯には、まぁ社交嫌いという理由だけではないのだけれどと思いつつもニコリと微笑んで見せておいた。
実際は少し違う。まず養父は確かに自分から社交に出かける人間ではないが、そのかわりサリニャック候やパトリック、リディアーヌやフィリックを実によく動かし、方々から情報を仕入れていて、その情報共有に手抜かりは決してしない。いや、むしろここにいるレヴェイヨン候やダリュッセル候すら、彼らはその日の出来事をそうと意識もせぬまま養父に報告するはずである。ヴァレンティンにはそういう雰囲気が出来上がっている。
それに本人が出かけていないだけで、リュシアンの所からはダリエルが、アンジェリカの所からはユリタスが毎日やって来て報告をしているし、リディアーヌを通じてベルテセーヌにはこまめに合う相手や出方についての細かい調整も行っている。
それはヴァレンティンの臣下層の厚さがあってこのことであり、すでに二十年以上の治世の実績のある養父が優秀な文官を育てる下地をしっかりと国内に築いた内政手腕によるものであって、またそんな臣下達に慕われる養父の求心力あってのことである。そういうものは一朝一夕に真似できるものではない。
それが分かっているのかいないのか、「まったく、羨ましいねぇ……」と呟いたダグナブルク公の言葉には、深い実感が籠っているようだった。
「だが情報を集めているだけでは得られるものも得られないだろう。その辺はどうなんだい? 公女」
それはダグナブリク公の仰る通りである。だからリディアーヌが既に積極的に暗躍して、教会関係者やらザクセオンやらにどんどんと味方を得て行っているのだが……マクシミリアンはともかくそれ以外の動きがダグナブリク公にもれていないのだとしたら、これまでの行動はそれなりに上手くやれていたようである。
「何もしていないわけではありせんわ。ユリウス一世陛下やアンジェリカ夫人には自ら頑張ってもらっておりますし」
「だがどちらも当たり障りのないような面会ばかりだろう?」
まぁまぁ、よくご把握なさっていることで。
「まぁ閣下が不思議に思うのも無理はないのかもしれませんけれど……ただうちのお養父様は冷静で、理性的で、そしてほんの少し面倒くさがりなだけで、何も考えていない人ではありませんから」
「ほぅ。つまり何かするつもりである、と!」
何でそんなに嬉しそうなんだろう。だが取り敢えず、このままずっと注目され続けるというのも居心地が悪いし、変に探られるのもやめていただきたい所であるか。
「何もしませんわよ」
「そんなことはないだろう?」
「何もしません。少なくとも今は」
「ほぅ?」
「皇帝戦はまだ三ヶ月もあるのですよ。今切り崩して問題を起こしたところで何になります。本当に大切なのは最後のひと月だけです」
ニィと嬉しそうに笑うダグナブリク公に、やれやれおっかない、とリディアーヌは肩をすくめた。
「つまり最後のひと月には面白い物が見られるだろう、と。いやぁ、楽しみだ」
「何故ダグナブリク公がうちのお養父様のあれこれを楽しみになさっているのか、ちょっと分からないのですが」
「むっ。誤解だ! 私はヴァレンティン大公ではなく、貴殿の手腕を楽しみにしているんだぞ!」
「え……」
私の話だったの? え、どの辺から?
「ダグナブリク公、この世にタダで楽しめる観劇なんてものは存在していませんくてよ。楽しみたいなら見返りを払ってくださいませ」
「いいとも!」
「いいんですか?!」
びっくりしすぎて思わず素で答えてしまった。
慣れているのか、リヴァイアン殿下は「また勝手なことを」と頭を抱えていらっしゃる。あれはいいのだろうか?
「はっはっはっ。なんでも要求したまえ! 芝居の出来次第によって大奮発してやろう!」
「……」
ふむ。ふむむ。
「それは、閣下の“三票”でも?」
これは少しの賭けである。
ここにはダグナブリク選帝侯の三票を確実に得る予定であるリヴァイアン殿下もいるわけで、そんな敵陣といってもいい場所に招かれた立場にしては挑発的な要求であることは理解している。
だがそう言われたところで、ダグナブリク公は一体どんな反応を……。
「あぁ、いいとも!」
「いいんですか?!?!」
またしても叫んでしまった横で、リヴァイアン殿下とその臣下達が揃って頭を抱えてため息を吐いた。
な、なんなんだろう、この人は……。
「うちのお養父様も大概ですが、閣下も相当ですわよね……」
「嬉しいな! 私はこれでもヴァレンティン大公を非常に尊敬しているんだ!」
「そ、そうですか……」
本当にこれで大丈夫なんですか? と思わずロイタネン伯を見たところで、仕方がなさそうに頭を抱える伯爵は、むしろ「お守りを引き受けてくださるなら歓迎します」という冷めた声色をおこぼしになった。
どうしよう……この人は、果たして私の手に負えるのだろうか?
だがダグナブリク公の三票は大きい……とんでもなく、大きい。おもわずごくりと喉が鳴ってしまうほどに欲しい票だ。
「閣下のご要求は?」
「他には何もない。私はただ面白いものが見たいだけだ」
「私が閣下を楽しませれば楽しませるほど、その分多くのダグナブリク票を引き連れてきてくださるんですか?」
「いいぞっ、任せてくれ!」
「……ふぅ。こんな享楽的な選帝侯閣下、他には知りませんわよ。宜しいのですか? リヴァイアン殿下」
「正直私にもこの人はどうしようもないのでな」
あ、はい……殿下すらもそういうアレなんですね。
「セトーナには比肩しておきたい立場柄、閣下を失うのはこちらとしても痛い。だがヴァレンティンにはすでに二人のとても優秀な選議卿閣下をいただいている。こちらを手放すつもりは無い」
「さすがに私も、お返しくださいとは言いにくい状況ですわ……」
そうと聞いたレヴェイヨン候とダリュッセル候も、ちょっと困ったように肩をすくめた。
「ダグナブリク公のことはさておき、うちの優秀な侯爵達がこの場で公女の私に取り繕うことも無く殿下の派閥を貫いているのです。その意を汲んで、私も殿下のためにお役に立てることがあるようでしたら力をお貸しすることを約束いたしましょう」
「そうか! いや、すみません。つい。それは何よりも嬉しいお言葉です」
「ただお気を付けくださいませ。私は忠実なる臣下達を信じて、リヴァイアン殿下に期待をかけたにすぎません。それは殿下の今後の行い如何でいかようにも変わる可能性がある物でございます」
「えぇ、心得ています。これから三ヶ月、どうぞとくとお見定め下さい」
やる気に満ち溢れた王子殿下の言葉に頷いて見せたところで、「さぁさぁそっちの話が済んだならこっちだ!」と再びダグナブリク公に声をかけられた。
「それで、公女。どんな計画なんだ? 何をする気なんだ? 予告は長ければ長いほど期待値が高まるぞっ!」
「……」
え、どうしよう。面倒くさい……。
「うちの票が欲しいのだろう? だったら、さぁ! さぁ! さあっ!!」
結局それからお茶会が終わるその時間まで、リディアーヌはダグナブリク公から解放されることはなかった。
こちらにチラリとも視線を寄越さない殿下ならびにカクトゥーラ派の皆様の、「いやぁ、今日は格別にお茶がおいしいですね」「いつもこんなに平和なら願ってもないですね」だなんて呑気な会話を耳にしながら、「これは行動如何に大きな減点ですわよ」とリヴァイアン殿下を一度睨んだのだが、殿下はさっと口をもごもごさせながら視線を逸らしただけで助けてくれなかった。
大人の男性としての魅力、大大大減点である。
マクシミリアンがフォレドゥネージュの大きくてふわふわで止まるということを知らない甘えん坊の狼さんなら、ダグナブリク公はこちらから近づいたらじゃれつくつもりで手を噛むくせに、放っておいたらおいたで足にまとわりついてきてキャンキャン駆け回る困った小型犬である。
ぐったりとした帰路、「どうして私はあんな変な人にばかり目を付けられるのかしら」とこぼしたら、一部始終を黙って見ていたフィリックに、「いつものことではありませんか」と突っ込まれた。
そう言えばそうだった。
“変”の三本指に入るフィリックにぼやく言葉ではなかったことを反省した。




