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9-4 マクシミリアンの秘事(2)

「ミリム……貴方一体いつから、弟に家督を譲る算段をしていたの?」

「うーん……リディと会った頃からかな」

「は?」

「ただあの頃はトゥーリへの遠慮もあったから、実際に根回しを始めたのは最終学年くらいからで、本格化させたのは卒業してからだ。皇宮成人式で酔った君が私に衝撃的な告白をしてからだね。あの時はまさか、君が綺麗さっぱりそのことを完全に忘れ切って、四年もプロポーズを断られ続けるだなんて想定していなかった」

「……」


 は、恥ずかしい。


「だがそのおかげで四年、しっかり根回しできた」

「……な、何なのよ、もう……貴方、この秋散々私を脅したのはなんだったの? あれ、必要あったの? 最初から全部、計画済みなんじゃないっ……」

「言ったでしょう? 本当はもっとぐずぐずに甘やかして私無しじゃ生きていけないと実感させて懇願させるつもりだったんだけど……」

「そんなこと言ってたかしら?!」


 なんか違う気がするんですがッ?!


「まぁ、いいタイミングで皇帝が死んでくれたってことだよね」


 はぁぁぁぁ、と深いため息が(こぼ)れ落ちた。

 不敬だなんだと咎める余裕もない。まったく……どうして私の周りにはこんな、変な男ばかり集まるのだろうか。その中でもマクシミリアンは群を抜いておかしいかもしれない。


「ペトロネッラ様は……まだ気が付いていないの?」

「おそらく。でも父上は察しているだろうね」

「……なんですって」

「そうでなければあのクロイツェンからの帰路、わざわざ人気のないところで私に『お前は好きなようにしろ』などと囁きはしなかっただろうから」

「……あぁ」


 そういえばそんなこともあった。

 訪れた前大公の墓前で、小さく声を潜めたザクセオン大公はかつての(あらが)いようもなかった自分の後悔とそれを機に自ら命を絶った父のことを思いながら、『私はクロイツェンから皇帝を立てねばならないが、お前はお前の好きにしなさい』と説いた。

 あの時ザクセオン大公は、どんなつもりで自身の長男にその言葉をかけたのだろうか。


「私にだって、故郷への愛着はある。ここまで必死に私のために尽くしてきた姉上への恩義もある。アルブレヒトへの忠誠と転身を願うことに反対して必死に引き止めて来る臣下達への罪悪感もある。それなりに何度も、ザクセオンと君を天秤にかけた。だが父上にあぁ言われて察したよ。心残りを残したまま先に進んだところで、永遠に苦しむだけだと。あの日以来、私には何の迷いも後悔もない」

「……ミリム」


 だがそれがそんなに簡単にできた決断だとは思わない。幾度も故郷を失い行き場をさ迷ったリディアーヌにはそれがよく分かった。

 だから思わずぎゅっとその手を握ったところで、「あのぅ、お邪魔ですかね?」というマシェロン伯の言葉が無ければ、我に返ることも無かったと思う。


「野暮だよ、ジャン。リディが自分からこんなことしてくれるのってとんでもなくレアなんだからね」

「はいはい、それは宜しゅうございました」

「……」


 恥ずかしい。


「と、とにかく……マシェロン伯、貴方が説得を諦めて仕方がないとため息を吐かねばならないほど、この公子様が周到に準備をしていたらしいことは理解したわ……」

「あれ、おかしいな。これを聞いたリディには『やるじゃない』と褒められる予定だったんだけど」

「貴方、よほど側近の人柄に恵まれたのね……とてもじゃないけれど我が身に振り替えてみたら、生きて国を出られる気がしないわよ」


 特にフィリックとかフィリックとかフィリックとかが……。


「うん、まぁ……君の所はね。ちょっと異常だと思う」

「異常なの?!」


 やっぱりそうなのか?!

 ちょっと詳しく聞いてみたい所ではあったのだが、目の前にマシェロン伯がいるのを思い出すと、急ぎ咳払いをして自分を窘めておいた。


「ところでリディ、大した爵位はいらないから、クラウスとライナーは同行させてもいいかい? あの二人だけはどうも納得してくれなくて、駄々をこねられているんだ」

「むしろたった二人でいいの? と言いたいところだけれど。それに侍従はともかく文官はどうなの? こっちはいいけれど、そっちが駄目なのではなくて? しかもライナルト卿は侯爵家のご嫡男でしょう?」

「いやぁ、生真面目なライナーが二十三にもなって結婚どころか婚約さえしないのは妙だなと思っていたんだけど、身軽なままでいないと連れて行ってはもらえないだろうからと思っていたらしいよ。驚くよね」

「……ライナルト卿には同情しかないわ」

「え、なんで?」


 でもそれだけ主に苦労しながらも、国や家族、家を棄ててマクシミリアンに同行したいというのだから、相当なものである。まったく……仕方がない。これは早めに、ヴァレンティン内での相応の爵位……と、優しくて可愛い奥方様を用意しておくべきかもしれない。


「いやぁ、羨ましいですな。何でしたら公女殿下、私のことも引き取っていただいても……」

「マシェロン伯、さすがに私、選議卿を務められたザクセオンの現役伯爵を引き抜くほど怖い物知らずではありませんわよ。ミリムだけでも手一杯ですのに」

「そうそう。手一杯」


 何故か機嫌のいいマクシミリアンを小突いたところで、マシェロン伯も当然本気だったわけではないのだろう、「残念です」と笑った。


「まぁ私としては、このままクロイツェンから皇帝陛下が立ち、公女殿下に振られた公子様が後を継いでくださっても、無事にベルテセーヌから皇帝陛下が立ちアルブレヒト第二公子殿下にお仕えすることになっても、どちらでも問題ないわけです」

「あら、つまり私はまだ貴方を口説く努力をしないといけないということかしら」

「え、その表現やめて」


 真剣な顔で突っ込んだマクシミリアンに、マシェロン伯が再びカラカラと声を挙げて笑った。随分と楽しそうである。きっと本国では、マクシミリアンのこんな姿は見たことがないのだろう。


「ジャン、今更そんな話はないだろう? 君がまだそんな駆け引きでリディを試そうというのなら、私も今一度気を引き締めなおして君への態度を改めるよ」


 案の定声色を変えて臣下を脅した公子様に、ぞぞっと肩を震えさせたマシェロン伯は、しかし満足そうに苦笑を浮かべて見せた。


「くくっ。分かっておりますとも。ご安心ください、公女殿下。私はすでにこれでもかというほどの甘い糸を垂らされ、まんまと食いついてしまった後でございます。公子殿下に逆らうことなどございません。というか、もう出来ません」


 ちょっと何をしたのか気になったが、これは聞かない方がいい話だろう。ザクセオンのために。


「貴方も苦労するわね……」

「いえいえ、公女殿下ほどではございません」

「苦労しているのはこっちだよ。心当たりあるでしょう? リディ」

「……こほんっ」


 まぁ、えぇ。一応。


「それで公子殿下、公女殿下。これ以上ザクセオンの票を崩すのは難しいかもしれませんが、他国票でしたら一点、お知らせしておきたい心当たりがございます。お聞きになりますか?」

「勿論聞こう」

「当然お伺いしたいわ」

「どうぞ、テスティーノ司教様をお取込み下さいませ。おそらく可能です」

「テスティーノ司教?」


 ふむと考えふけるマクシミリアンの隣で、リディアーヌもドレンツィンの本山推薦枠である枢機卿猊下のことを思い出した。

 確かにリディアーヌにも温厚に接してくれる司教様だったが、たしかエティエンヌ猊下とは次期教皇を巡るライバルであり、どちらかというと親クロイツェン派の教皇候補だったはずだ。ヴィオレットとは距離を置いているように感じなくもないが、教皇聖下とは最も懇意な次期教皇候補である。


「マシェロン伯、そう思う理由は何かしら? 当然、根拠があるのよね?」

「ございます。まぁベルテセーヌ派となって下さるかは知りませんが、反クロイツェン派に持って行くことは可能であるはずです」

「その語り口だと、もしかしてテスティーノ司教はベルデラウト系の出身だった?」


 マクシミリアンが何ともなしに口にした言葉に、マシェロン伯はニィッと頬の端を吊り上げた。途端、マクシミリアンもびっくりした様子で、「え、本当に?」と問い直した。


「分かりかねます。猊下はかつてザクセオンの前教区長がクロイツェン系のシェルマン伯爵家の遺児を孤児院で見つけて聖職者の道に導いた、なんて言われていますから。ただ私はご本人が自嘲気味に『自らそう名乗った覚えはない』と仰っているのを耳にしております」

「……一体どこで」

「私は他人の口を軽くさせるのがとても得意なのです」

「……はぁ」


 このマクシミリアンの様子だと事実なのだろう。


「それで、ベルデラウト系だとでも自称したのか?」

「いえ、そこまでは。しかしクロイツェン派同士仲良く致しましょう、という語り口で声をかけたところ、随分と聖職者らしからぬ物言いでクロイツェンの正統性を疑う評価をしておいででしたよ。あんなことを言うのはベルデラウトの、しかも旧王族の血を引くような生まれの者だけでしょう」

「……」


 難しい顔で考え込むマクシミリアンをチラリと見てから、東大陸ではベルデラウトの名は未だに歴史の中のものではないことを察した。

 東大陸の人々が聖女信仰に希薄であったように、西大陸ではすでに二百年以上も前に滅んだ王朝に対する関心は薄い。たとえその王家の血が残っていようが、すでに属国やリンドウーブの貴族階級になり下がった旧ベルデラウトなんてものに関心はないし、そもそもベルデラウトのことなど語らずともベルテセーヌとフォンクラークに正当なベザの血筋が残っている以上、関心にならないのは当然だ。むしろ西大陸では大陸の大半がそういう伝統的な国のまま存続してきた。皇位争いからも遠ざかって排他的になってしまったセトーナしか残していない東大陸とは違うのだ。

 逆に東大陸ではかつての正統な大国の血筋に対しての思い入れが強いのだろう。特に、かつてはベルテセーヌと並んで権勢を誇ったベルデラウトの血を引いている者達には。


「ただテスティーノ猊下に声をかけるとなると、折角こちらに付いてくださったエティエンヌ猊下が何と思われるか」

「猊下はリディやヴァレンティンの支持は自分に集めておきたいだろうからね」

「テスティーノ猊下が教皇戦にどのくらいの意欲を持っていらっしゃるのかにもよるわね。ベルデラウト系ということはクロイツェン派のふりをしてセトーナ派になるおつもりかもしれないけれど、あまりセトーナに票が流れすぎるのも考え物よ」

「同感だ。できる事なら引き込んでおきたい」


 ふむ。ふむむ。


「リディ、この件はこっちで引き受ける。リディが直接関与しない方がいいだろうから。まぁフィレンツの手を借りれば探るのは難しくないだろう」

「そうね。頼んでいいかしら」

「君への手土産は多ければ多いほどいい」


 そんなことを言いながら調子に乗って肩を抱き髪にキスをしてくる困った狼さんに、「こら、人目っ」と額を押して距離を取った。


「ひどいよ、リディ。こっちはリディが足りなさすぎて毎日悶絶しているというのに」

「あのねぇ……ミリム、西大陸では男女が三秒見つめ合っただけで破廉恥と言われることを忘れているのではなくて?」

「……そういえばそうだった」


 マシェロン伯は相変わらず気にした様子もなく笑っているが、慣れていないせいで恥ずかしい。マクシミリアンにはそろそろ、東大陸と西大陸では男女の距離感というものが違っていることを思い出してもらいたいものである。


「いっそこの機会に、西大陸にも東大陸の甘き良き伝統を広めるのは()(かが)ですか? 公子様。きっと流行りますよ」

「うーん、でも他人にされるのは腹立つんだよね。その辺、西大陸の文化はすごくいい」

「ごほんっっ」


 そういう相談は()()でやってもらいたい。是非。

 そんな話をしている内に時間が経ち過ぎていたのか、コンコンと小さく扉を叩く音がしたせいで肩を跳ね上げて振り返った。

 誰も中に入らないように言っていたのに、応接間の奥の、この養父がリディアーヌに宛がってくれた個室の扉を叩くだなんて誰であろうか。

 そう警戒したのだが、すぐに小さな声で「公女殿下、宜しいでしょうか」という声がすると、はっとしてリディアーヌは腰を浮かせた。


「入ってちょうだい」

「失礼いたします」


 思った通り、声をかけたのはルゼノール家に婿入ったエミールの弟にしてこの禁事棟付の騎士であるエリジオ・フィンツ伯だった。


「個室に立ち入ることが許されていない身でありながら、お許しください」

「貴方なら構わないわ。それよりどうしてここに? 外に騎士がいたはずでは……」

「少々事情がございまして。まずは殿下、恐れながらそちらのお客様方は応接間の通用路をご利用になってこちらにいらしたということで相違ありませんでしょうか」

「……」


 その通りなのだが、そうと言っていいのかわからずにマクシミリアンを見てしまったところで、「やはりそうでしたか」と言われた。


「入口はさしずめ屋根裏の隠し階段からでしょう」

「……ミリム」

「合っている……何故分かった?」

「あの扉自体は使われなくなって長いですが、屋根裏に向かう階段は我々が屋上の物見塔まで巡回する裏道に通じています。埃が積もっていたはずの道に人の立ち入った形跡がありましたので、その先がヴァレンティンとザクセオンの個室の裏手に通じていることを思い出し確認をさせていただきました」

「待って。ザクセオンにも繋がってるの?」

「はい。いえ、正確には繋がっていました。気が付いた先代のザクセオン大公閣下があちら側の扉を締め切り、開かないようにしたと聞いています。なのでザクセオンにもこの裏道のことが伝わっていたのではありませんか?」

「はぁ……そういうことか。リディ、この道はお祖父様の手記で知った道なんだ」

「今はそれよりもザクセオン大公がそれを知っていてこっちに知らせもせず子孫に伝えていた事実にびっくりしているわよ……」

「あぁ、父上は知らないよ。私が形見分けしてもらった手記だから」


 それは不幸中の幸いだが、やはりこの禁事棟はちょっと危なすぎる気がする。しかも使った形跡のない道でありながら、エリジオ卿はどの道がどこに通じていたのかを知っていた。禁事棟勤めの者には他にも知っている可能性のある人達がいるということだ。


「それより本題でございますが、公子殿下、先程よりそちらの部屋付の侍従が公子様を探し回っておいでです。いずれこちらにも声を掛けに来るかもしれませんので、お伝えに」

「それは困った内容だ」


 仕方がないとため息を吐いたマクシミリアンはスクリと立ち上がると、当たり前のようにリディアーヌの手を取り指先に口付けた。まったく……流れるような所作だった。


「今のままでは碌に情報交換もできないね。早いところ姉上はどうにかしないと」

「そのおかげで役に立っていることもあるわ。“クロイツェン派”なはずの貴方が“クロイツェン派”なはずの猊下と疑われようもなく会えるかもしれないのだもの」

「それは確かにそうなんだけど」


 そう言いつつも少し不満そうなマクシミリアンに、仕方がないなぁと苦笑する。

 遠巻きに見つめるだけの今の日々にもどかしさを感じてしまっているのはリディアーヌも同じなのだ。だから少々人目があることは気恥しいのだが、少しだけ努力して、マクシミリアンの襟首をひっつかんで引き寄せた。

 到底甘い仕草ではないのだけれど、マクシミリアンは一人だけには底抜けに優しいから、ほら案の定、何事だろうという顔をしながらなされるがままに屈んでくれる。だからそんな甘い人の頬に、そっとキスを贈った。


「……リディアーヌさん……これは夢か何かでしょうか」

「何で敬語なのよ……」


 逆に恥ずかしいじゃない。


「ほらっ、もう。早く行って。見つかってしまっては大変よ」

「他の誰よりもヴァレンティン大公に見つかった方が大変なことになりそうだ」

「もういいからっ。ほらほらほらっ」


 恥ずかしさに背中を押すリディアーヌに、クスクスと余裕のある様子で笑うのがなんとも憎い。いや……そうでもないか。ほんのりと赤らんだ目が、なんとも愛おしそうだ。


「ジャン、先に行っておいてくれる?」

「やれやれ、仕方がありませんね。どうぞ見つからぬ内にお願いしますよ、公子様」

「いいから早く行け」


 ひらひらと追い出すそぶりをしたマシェロン伯は、二人分のローブを手に苦笑を浮かべながらエリジオ卿と出て行った。急いでいるはずなのに、なんで残ったのだろう。


「ミリ……」

「リディ、ちょっとだけ」


 口を開こうとした瞬間ぎゅっと抱きすくめられて、困惑にびっくりと身が硬直してしまった。学生時代にはふざけてこんな距離になったこともあった気がしないではないけれど、やっぱりまだ慣れない。


「ふふっ。真っ赤だ」

「あ、当たり前でしょう……私は生粋の西大陸人なのよ」

「夫もいたのに?」

「十歳の子供の頃の話よ。そもそもリュスとはこういう関係じゃなかったと何度も言わなかったかしら?」

「あぁ、良かった。本当に良かった。それだけが救いだよ」


 すりすりと肩に触れる金の髪に、「くすぐったい」と止めるつもりで手を伸ばした。けれど指先に絡みついた髪が心地よくて、ついスリと撫でてしまった。


「リディ……あまり時間がないんだから。誘わないで」

「さ、誘ってない」


 なんだか既視感のあるやり取りにぱっと手を引こうとしたが、すぐに手は掴み止められて、そのまま引き寄せられたかと思うと甘やかな口付けが降ってきた。

 も、もう……油断も隙も無い。

 ただ今や、それを避ける理由もなければ、嫌がって見せる必要性もない。とろりとほどけた心の思うままに、リディアーヌもぎゅっと腕を回して二度目の口付けを求めた。


「……はぁ、もう。君という人は……いきなりデレるんだから」

「え? でれ?」

「折角必死で押さえていたのに……あまりの可愛さに、なんだかまた君に侮言を吐いたどこぞの駄豚を窓から放り投げたくなってきたよ」

「……有難いけど、やめておいてちょうだい。騒ぎは御免よ」


 この様子だと晩餐会の日の噂は届いていたようだ。だがまぁリディアーヌ本人が必死にこらえたことなので、マクシミリアンにも我慢してもらいたいものである。


「分かってるよ。分かってる……でもリディ。私は“最後”まで黙りっぱなしのつもりは無いからね」

「……ミリム」

「君がいいといっても、許しはしない。それは覚えておいて」

「……分かったわ。でも勝手に何かしては駄目よ。私だって黙っている気はないんだから」


 ただ今はそっと、その日のために大人しく息をひそめているだけである。

 ジィとその深い緑の瞳を見つめていると、急かすようなコンコンというノック音がしたのを機に、ぱっとマクシミリアンが踵を返した。それを少しだけ……名残惜しいと、思ってしまう。


「ふふっ。そんな顔をしたら行きずらいよ」

「も、もぅ。ほら、早く行って」

「うん。また」

「えぇ、また」


 名残惜しそうにもう一度振り返って見せてから、ぱっと出て行った後姿を見送りながら、リディアーヌは笑みを浮かべたまま、パタパタという足音と重たい扉の音が耳に届くのをその場で見送った。

 やがてパタリと閉ざされた扉の音を聞きながら……くにゃりと歪んだ表情に、そっと自分で自分の頬に手を当て、恥ずかしさに俯く。

 まさか自分が、こんなにもこらえ性もなく誰かに(すが)るだなんて。自分が自分ではないみたいで気恥ずかしい。しかもどうしたことか、今別れたばかりなのにもうマクシミリアンの顔を見て、声を聞いて、その髪に触れたいと思ってしまっている。一体どうしてしまったのか。


「……お養父様には、早いところ打ち明けてしまいたいわ」


 思わずそう呟いたところで頭に過ぎった惨劇に、頭を抱えてしゃがみこんだ。

 う、うん……やっぱりもう少しだけ、このままでもいいかもしれない。






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