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8-63 イレーヌの届け物

 帝国晩餐会については日々昼餐会などで忙しくしている間にもシュルトに情報を集めてもらい、養父に頼まれていた手土産についても準備を整えていた。なのでアンジェリカの所からヴァレンティンの離宮に帰ってきたところで、見慣れた商人が玄関でニコニコと出迎えてくれたとしても驚きはしなかった。


「間に合ったわね、イレーヌ」

「はい。お待たせいたしました、公女殿下。ご注文の品、確かにお届けに上がりました」


 いつにない満面の笑顔をしているから、どうやらいい取引ができる確信があるらしい。

 マーサが「ゆっくりしているお暇はございませんよ」と言うので、マクスにイレーヌの持て成しを任せて一度部屋に下がると、侍女達の手で為されるままに湯を浴び、肌を整え、喜々としてやってきたマダムの広げたドレスに着せ替えられた。

 今日はこれまでの昼餐会以上に格式高い正餐会の場なので、ドレスラインはとてもシンプルで着慣れてたマーメイドラインにして、大公様のパートナーとして見劣りしない大人っぽさと格式の高い装いを選んだ。昨今ヴァレンティンのスタイルとして推しているケープが肩に縫い付けられたタイプの白いドレスだ。

 正餐会の正装は王族相当の階級だと裾を多少引きずるくらいが良いので、裾とマントスリーブは床に余る長さで、そこにきらきらと輝くシルク糸の繊細な刺繍に、水晶が縫い付けてある。おかげでただシンプルなだけではない気品高さがある。

 その上に正式な場でのみ身に着ける青い綬と、キリリと結わえた頭上には選帝侯家の象徴石であるブルーサファイアよりも淡く透明度の高いアクアマリンをダイヤモンドと共にあしらった豪奢な銀のティアラを乗せる。昼餐会やただの夜会程度にはいちいち持ち出さないものだけれど、今回は何しろ最盛装が求められる場なので、久方ぶりに身に着けた。これはティアラが許されている身分といえども慣れないものだ。

 綬には選帝伯の身分を示すブローチを付け、宝飾類はティアラに合わせてブルーサファイアにアクアマリンが添えられたものを選んだ。ドレスが白で髪も銀色に近いので、深い紺色の綬や宝飾類はよく映える。マダムが白いドレスを選んだのもそれが理由だろう。


「ふぅ……これなら文句なしに、アンジェリカ様もご満足してくださいますわ」

「マーサ、私はアンジェリカのために着飾っているわけではないわよ?」


 思わずそう突っ込んでしまったのだが、そうと聞いてもカラカラ笑うだけのマーサは、どうやらそんな冗談でげんなりしているリディアーヌの気を紛らわせようとしてくれているらしく、「青い羽の扇なんかを広げて見せると女王様のようで素敵ですよ」などと余分なオプションを持たせようとしてきた。

 何を言っているのかと呆れた顔をしたのだが、確かに我ながらこれはしっくり似合っており、つい手に持ったまま部屋を出てしまった。


 そうして仕度を終えて応接間へ向かったら、先に仕度を終えていたらしい養父と先にこちらに寄越していたハンナがイレーヌの並べた品々を熱心に手に取りながら何やら話していた。

 養父は折角の選帝侯閣下としての最盛装をなさっているのに、だらしのない顔でふかふかの毛皮を抱きしめているせいで色々と台無しなご様子だ。


「お養父様……大切な青綬に白い毛皮が着いたら台無しですわよ……」

「姫様、もっときつくご注意をお願いします」


 どうやらすでに周りが注意した後だったらしい。パトリックの真剣な言葉に、呆れた顔で養父の手から毛皮を取り上げた。幸い、深い紫紺の綬にもきりっとした立派なジュストコールにも毛は付いていなかったが、そのことにイレーヌは嬉々として「この通り、抜け落ちるなんてこともありません」と宣伝したものだから、養父がすかさず「もらおう」と言った。

 何でこの人達はこのタイミング、この状況で呑気に商談をしているのだろうか。


「リディ、この毛皮を羽織っていくと良い。女性の盛装は冬場だと寒いだろう?」


 しかもリディアーヌのための買い物だったらしい。心配せずとも会場までの防寒具にはマーサが青いベルベットのロングケープを用意してくれていたのだが、養父の好意であるから、「有難うございます」と呆れた顔で苦笑して受け取っておいた。


「さぁ、そろそろ片付けて。イレーヌ、本題はこれではないでしょう?」

「いえいえ、これも大事な本題ですよ、公女殿下。なおこちらはお心ばかりの品でございます。どうぞお納めください」

「貴方……こんなところを誰かに見られたら、また賄賂だ贔屓だ癒着だのとうるさく言われるのではなくって?」


 そう言いながらもイレーヌが差し出してきた随分と美しい螺鈿の施された細工箱を開ける。思った通り、リディアーヌ好みな華美ではないが上品な宝飾品や、城の針子達が大喜びしそうな美しい発色をしたハンカチサイズの布が沢山入っていた。いいセンスをしている。


「珍しい物を持ってきたわね。どこ産かしら? アルテンのものに似ているけれど、イレーヌは流石にアルテンとは取引はしていないわよね?」

「いやはや、さすがにお目が高い。実はフォンクラークとの貿易で偶然見つけたアルテンの品を買い占めて参ったのです。アルテンを介してフォンクラークに持ち込まれ、フォンクラークで細工されていたものを、さらにリンテンで帝国風にアレンジいたしました。布の方はリンドウーブのシルクをエトリカ島の技術で染色したものでございます。珍しい物なので殿下のお針子様方がお喜びになるのではないかと、見繕ってまいりました」


 それは確かに珍しいものだ。どうやらイレーヌはフォンクラークとの海上貿易の縁を得たのを機に一気に事業を拡大しようとしているらしい。それをさっそく披露して反応を確かめてくるのだから、これを受け取ったらもう癒着では済まない話である。

 とはいえ受け取らない理由もない。こういう珍しい物は常に新しいものを求められる王侯にとって必要なものであるし、御用商人たるものこのくらいの腕前を見せてしかるべきであって、この手腕こそがイレーヌ商会を贔屓にしてきた理由でもあるのだ。


「いいわ、受け取りましょう。まったく、断れない品を選んでくる手腕は大したものね」

「お褒めに預かり光栄でございます」


 相も変わらず温厚な顔がほこほことこの上なく嬉しそうに緩んでいる。この顔がなんとも曲者で、憎めないのである。


「それで、頼んでいた品はどこなのかしら?」

「はい。こちらが公女殿下よりご注文のございました“竜の卵”でございます」


 散々引き延ばしてたっぷりとじらしてから、机にベルベットを広げ、一つ一つ丁寧に並べ置かれたのはシンプルに整った桐箱で、そこにヴァレンティン大公国国主の依頼品であることを示す焼き印が捺されていた。御用商会であるイレーヌに渡してある焼き印だ。


「竜の卵か! しかも三つだと?!」


 養父が驚いて身を乗り出したのも当然だ。依頼を出したリディアーヌさえ、もし三つ揃わないようだったら別のものをという代替案を出しておくほどだった。

 竜の卵といっても本物の竜の卵なのではない。竜は(なき)(がら)以外には手を出してはならないという不文律が存在する生き物であるから、よもや本物の竜の卵を盗み出すだなんて馬鹿なことはしない。ただこれはそういう名前で呼ばれるほど稀少な実なのだ。

 イレーヌが確認のためにと一つ一つ木箱の蓋を開けると、たちまち青々とした濃い香りが漂う。シルクの白い布に包まれたかけ布を取ると、透き通るように白い大きな花弁に金色の花芯の花と、その下につややかな金色の楕円型の卵みたいな実がついていた。間違いなく、竜の卵という名で呼ばれることのあるものだ。


「この真冬に、よく入手できたわね」

「久しぶりに竜の足跡の皆がやりがいのある仕事だと頑張ってくれまして。私も同時に三つも目にするのは初めてです」


 それはそうだろう。この実は険しい山に住む飛竜達が好むことでも有名で、飛竜はお気に入りの木を見つけると傍で大事に大事に見守り、そんな竜の吐息と熱で実をつけると言われているものだ。何故か竜の傍でしか育たないため、正式名称もつけられぬまま幻の果実として北方諸国で知られている。

 よく実態が分からない植物なので旬というのも分からないが、竜達は春の恋の季節や秋の出産の季節の滋養のための食糧として実を育てて食すらしい。春には橙色、秋には真っ赤な色の物が見られると聞く。

 なので真冬というのは竜達が育てている時期には早すぎる時期なのだが、そもそも一年で最も厳しい大雪の季節に飛竜の住まう山に登ろうだなんていう青の傭兵は早々いないので、今まで見つかっていなかっただけなのかもしれない。


 リディアーヌは昔、春の初めの季節にイレーヌが仕入れてきたものを少しだけ食べたことがあるのだが、見た目や大きさは大陸の南の方で採れるマンゴーという果物によく似ていて、だがマンゴーほどに甘くて柔らかいわけでもない、健康に良さそうな味だったと記憶している。その記憶はどうやらあまり間違いでもないようで、これは美味しいから幻なのではなく、ひたすらに栄養価が高い“万病の薬”として知られているものなのだ。

 前にイレーヌにこれを頼んだのは、出産を控えた義姉アンリエットの体調が悪く、何か滋養のある物が無いかと頼んだ時だった。おかげでフレデリクは無事に生まれてくれたけれど、そのまま弱って亡くなってしまったアンリエットのことを思うと、万病の薬だなんて嘘だと長らく目にも耳にも入れることを(いと)うていたものだ。


「当然、色々と値を吹っ掛けるつもりで持ってきたのでしょうね」

「とんでもございません。良心的なお値段ですとも。これからもどうぞ末永くイレーヌ商会を宜しくお願いいたしますという、我々の誠意の品でございます」


 珍しく直接的な言葉でいうイレーヌを見るに、最近リンテンで新しい商業担当の伯爵が既存の商会に対して抑圧をかけているとかいう問題が随分と腹に据えかねている様子が窺える。これを手土産に、リンテンをどうにかしてくださいという下心がすけすけである。もっとも、知見あるイレーヌがあえてそうするわけだから、すけすけにせねばならないほどの状況であるということなのだろう。


「月末に皇宮で開かれる御用商会の特別出店には貴方も参入するのでしょう?」

「勿論でございます。ヴァレンティン御用達の(のぼり)を立てさせていただく所存でございます」

「ええ、構わなくってよ。でもそれは店の者に任せて、私達はその期間中、ちょっとリンテンの件について突き詰めてお話を致しましょうか」

「そのお言葉を待っておりました! 有難うございます!」


 ぎゅっと手を組んで目を輝かせた前のめりのイレーヌに、様子を見ていた養父が「お前に任せる」と苦笑を浮かべた。元々商業関連はすでに養父の手を離れてリディアーヌが管轄している。受け持つことは(やぶさ)かではない。

 それにイレーヌが持って来てくれたこの手土産は、商会のために存分に時間を割いて差し上げるに足るだけのそういう品だ。お金があれば手に入れられるだなんて品ではない。優秀なトップクラスの竜の足跡を専属として雇っているからこそ得られた品だ。


「ちなみに先んじてお知らせしておきますと、ベルテセーヌは“竜の乳”を皇宮に届けさせたようでございますよ」

「……なんですって」


 これまた随分なものの名前がでてきた。竜の乳は温暖な山岳地帯にすむ地竜の生息地に自生する白くてつるりとした実の果汁だ。こちらは竜の卵ほど入手困難なものではないのだが、生息地が限られれている上ベルテセーヌでは百薬の長としても知られたものなので、その採取量は王室が管理している規制品である。竜の卵に竜の乳、あとは竜の鱗が揃えば、ありとあらゆる病を退ける、だなんて言われている。

 勿論、必ずしもそうでないことはすでに歴史が証明しているのだが、帝国においてそういう扱いを受けている品であるのは間違いない。


「竜の鱗が出て来るとしたら、カクトゥーラかしら」

「あったとしてもダグナブリクではないだろうからな。アレがそんな貴重な品を手に入れていたとして、晩餐会の手土産に持ってくるはずがない」

「何という説得力でしょう」


 養父の言葉に思わず納得しながら、リディアーヌは確認した果実の蓋を閉め、用意していた青いかけ布と封蝋を施させた。ヴァレンティンの家紋入りの、一目でそうと分かるかけ布である。封蝋は万が一にも誰かが開けてすり替えたりしないようにとの念押しだ。


「ちなみに公女殿下、竜の卵が手に入らなかった場合にとご注文されていた氷樹梨(ポワール・ジブレ)も持ってきておりますが、(いか)()いたしましょう」

「買い取るわ。私が個人的に」


 即答したら、もれなく養父が「私にも譲ってくれていいんだぞ」と口を挟んだ。

 氷樹梨(ポワール・ジブレ)はヴァレンティンの名産で、普通の梨よりも遅い季節、雪が降り積もるような極寒の中で旬を迎える、ぎゅっと甘味を詰め込んだ最高級の梨だ。ヴァレンティンの冬の贅沢品でもあり、今年はあれが食べられないのかとがっかりしていた。だから手土産の候補にかこつけてイレーヌにヴァレンティンからの配達を任せていたのだ。

 収穫してからあまり長くは持たず熱に弱い果物なのだが、今は飛竜を飛ばせるおかげで良い状態のまま直轄地に持ち込めた。こちらを贈り物にすると直轄領に種が流出する危険性もあったので、手土産として出さずに済んだのは嬉しい事である。


「そう仰るかと思い、箱一杯に持ってまいりました」

「でかした、イレーヌ。報酬は弾んでやるから期待しておけ」

「有難うございます、大公殿下。是非ともこれからもご贔屓に」

「無論だ」


 すっかりと養父からも気に入られたイレーヌがほくほくとした顔で、これ以上長居して邪魔をしないようにと席を立った。


「それでは我々はこれにて。もし宜しければハンナ様と先程の商談の続きをさせていただいてもよろしいでしょうか」

「まぁ、ハンナ。一体何を買いだめようとしていたのかしら」


 そういうとハンナが少し恥ずかしそうに肩をすくめたけれど、「きっと明日にでも姫様が喜んでくださるものです」というので、「好きになさい」と手を振っておいた。

 多分、他にもヴァレンティンの品を色々と持って来てくれていたのだろう。思いがけないところで減ってきていたものを補充できるとあって、ハンナも奮発していたようだ。さすがは商売上手である。


「イレーヌ、皇宮への滞在中はうちの離れを使うといい。竜の足跡の連中も来ているんだろう? 今夜はご馳走を出せと言ってあるから、ゆっくりしていけ」

「光栄の極みでございます」


 恭しく礼を尽くすイレーヌに、リディアーヌも「きっと小竜の尻尾肉のラグーがあるわよ」と言ってイレーヌを喜ばせつつ、養父と共に部屋を出た。


「当代のイレーヌは益々油断ならない商売上手だな」

「ええ、全くですわ。一つでもあれば上々と思っていたものを三つも用意してくるだなんて、さすがに私も驚きました。ですがどうでしょう? 手土産として貴重過ぎますか?」

「いや、今回はそれでいい。むしろどれだけすごい物を並べられるかの見栄張り大会が今日の晩餐会の趣旨だからな」

「お養父様が言うと、なんだか身も蓋もなく聞こえますわね」

「身も蓋もない、そういう催しなんだよ」


 あぁ、なるほど。

 思わず納得しつつ階段に差し掛かったところで、すぐに養父がエスコートの手を差し伸べてくれる。今日は裾が長くて足に絡むので有難い。


「そういえば遅くなったが、今日もとても綺麗だ、リディ」

「有難うございます。お養父様も素敵ですわよ」


 こんな時でもきちんと誉め言葉を忘れない紳士な養父に苦笑しつつ、誉め返す。

 養父は見た目によらずこういう所は実にきっちりとしているのだが、誰がそんな風に養父に教えたのだろうか。何となく、母であったような気がする。

 なんてことのないいつも通りの言葉ではあるのだけれど、今日は我ながら盛装しているなぁと思う恰好なので、素直に誉め言葉を喜んでおいた。






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