8-60 コランティーヌのお茶会
小聖堂を出ると、目立たぬようアンジェリカと共にベルテセーヌの離宮を経由し、かつリュシアンを伴いヴァレンティンの離宮へと移動した。そこで養父やフィリック達に聖職者達の思惑の話をしたところ、皆が皆ため息をついて黙りこくった。
教会内の動きが知れたことはこの上ない幸いであり、ましてやエティエンヌ猊下という教会本山でも相当の影響力を持つ御仁を味方にできたことは喜ぶべきことであったが、明らかになり始めた背後関係には悩ましさも覚えたのだろう。まったく同じ気持ちであった。
それから夜遅くまであれやこれやと話し合うことはいつもの通りで、結局ろくに休む間もなく迎えた翌朝の晴れ晴れとした空模様には、むしろげんなりとしてしまいそうだった。
それでも何とか身を起こし、まずは予定通り、選議卿ではなく選帝侯家の公女としての務めを果たすべく書架棟に向かった。ようやく、国史編纂の仕事の続きである。
ただし今日は午後一からコランティーヌ夫人のお茶会に招かれているので、仕事は早めに切り上げた。あちらもリディアーヌが連日忙しくなるであろうことは弁えているようで、無理のないスケジュールを組んでくれていたのが助かった。
一度離宮に帰って身支度を整えたら、今日のお茶会場である茶議棟に向かう。
ドレスコードは最低限にしか定められていなかったので無難な青とコランティーヌ夫人の雰囲気に合わせた明るめの黄茶のドレスを選び、いつも公女としてリディアーヌを立ててくださることを考慮し、髪はすっきりと高く結い上げて気品のあるシルエットに仕上げてもらった。
皇帝戦の間は茶議棟の中の各国保有棟が使われることも多いが、コランティーヌ夫人は王家ではなく選帝侯家の夫人なので使用されるのは保有棟ではない茶議棟の本棟だ。本棟にはそれにふさわしい部屋が複数あり、特に中央奥の広々とした部屋はゆったりとした雰囲気と室内にも多くの植物が置かれた冬の寒々しさを払拭する部屋で、社交初日から夫人はしっかりとその部屋を押さえていたようである。さすがである。
こういう茶会の類は、最初から高貴な人間が声をかけるより、二番手、三番手ほどの熟練の夫人が声をかけて集めるのが良いとされている。コランティーヌ夫人はそれにうってつけの人物で、しかし集まった面々を見れば、自ずとすでに派閥が出来上がっていることが分かる。
というのも、今日この時の同日同時刻、クロイツェンの保有棟でもヴィオレットが茶会を開いているのだ。そちらはペトロネッラ様が仕切っている茶会だ。
「今回集まって下さった皆様の中にはぎりぎりまで考えておられた方々もいらしたようですけれど、後悔はさせませんわよ」
なのでコランティーヌ夫人が茶会の最初にそういうと、どうやら二つの招待状を手に悩んでいたらしい人達が気まずそうに視線をさ迷わせた。だがコランティーヌ夫人は味方をする者には大らかな方だから、後悔をさせないという言葉に偽りはないだろう。
リディアーヌはアンジェリカやシャリンナのヘルミーナ妃、ナディアと共に一番夫人から近い席へと招かれ、夫人に主催者側を求められているらしいアンナベル妃の傍にはパラメア妃やダウレリア、それにどことなくコランティーヌ夫人の面影を感じさせる三十代ほどの女性が補助についていた。どうやらコランティーヌ夫人の所の嫁でありウィクトル公子の姉に当たる元公女、マルレーヌ公爵息夫人でいらっしゃるらしい。
他にも選議卿の夫人達も多く呼ばれており、その面々を見れば、ヴィオレットの茶会よりもより身分の高い女性達が多く集まっていることが分かる。特にコランティーヌ夫人に庇護されているアンナベル妃やパラメア妃、ダウレリア夫人などが集まったことは大きく、シャリンナのヘルミーナ妃がいらっしゃるのも、先日のクロイツェンの昼餐会の一件が大きく影響を与えているはずだ。
つまりヴィオレットの方には、クロイツェンとザクセオンという身内と、ダグナブリクのカーシアン女伯あたりしか選議卿関連は集まっていないのではないだろうか。
とはいえコランティーヌ夫人は本来セトーナ保守伝統派。完全にアルトゥール支持派しか集まっていないあちらと違って、ここに集まっているのはいわゆる“それ以外の派閥”と言ってもよく、決して一枚岩ではないのが特徴だ。それでも同日同時刻に開催してどれほど女性達の求心力を得られたのかは目に見えて分かる影響力の表れでもあり、コランティーヌ夫人が大層機嫌良くなさっている理由も察せられるものだった。
この手のお茶会には二つの種類があり、一つは主催者が完全に賓客達を持て成す少人数のもの。もう一つは客が自ら手土産を持参し主催に招待の感謝を伝えるより外交的な大人数のものだ。主催者の身分や立場によっても変わるが、コランティーヌ夫人のお茶会は親しい皆様をお招きします、という招待状ではなく、皆様にお互いを語り合う良い時間を設けられましたら、という招待状だったので、各々が手土産などを持ち寄って対等な立場で話し合う後者の席であった。こういうタイプはお茶会というよりサロンという名で呼ばれることも多い。
ただしサロンではなくお茶会と称する以上、沢山の作法が存在している。例えば、主催者よりも身分の高い者は手土産は持参しない。代わりに会が終わった後で、良いお茶会でした、という意を込めた贈り物を主催者に対してのみする。
主催者と対等の身分の者は少量の手土産を持参するだけのこともあるが、年齢や立場によっては下手に出て、サロン全体に行き渡らせるだけの手土産を用意することもある。身分の低い者はそうした身分の高い者の手土産とは被らない、できれば少し格を落としたものを少しずつ用意する。主催者が用意するのは茶菓子よりもお茶で、一種類ほど菓子を添えることもある。
コランティーヌ夫人は正確には前公爵夫人であり、元ヘイツブルグ大公家の公女であったという高い身分だ。選帝侯妃のパラメアや大公家後継者であり選帝伯という立場を持つ第一公女リディアーヌ、次いでウィクトル公子妃のアンナベルがこの場で最も高い身分になるが、コランティーヌ夫人もナディアやアンジェリカといった他の王族傍系の公爵夫人達よりは抜きんでた立場となり、これと比肩する立場なのがシャリンナの元王女であり王弟妃であるヘルミーナである。
なのでリディアーヌは手土産を持参しなかったが、ヘルミーナははるかに年齢が上で経験の豊富なコランティーヌ夫人に対して下手に振舞うことにしたようで、「代わり映えのしない物で恐縮ですが」といって、昼餐会の時にも振舞われていたパイ生地の菓子を持参した。同じものであることに恐縮していたが、リディアーヌはとても気に入っていた菓子なので嬉しい。
ただその菓子の出し方についてはコランティーヌ夫人が「妃殿下は尊いご身分なのですから、先にお出ししてしまっては皆が恐縮してしまいます」と教え諭した。その言葉に『では私も』とそわそわしていたアンジェリカもぱっと頬を染め、ヘルミーナ妃と視線を合わせて肩をすくめた。
アンジェリカのおかげでヘルミーナ妃も恥ずかしい思いをすることなく、『しまった』と苦笑することができたようだ。
「帝国式のお茶会にはとても多くの仕来りがあると……そういえば私もリディアーヌ様のところで沢山学んだはずでしたのに」
「私もです。気がはやってしまいました」
「それはきっと、ヘルミーナ妃殿下の侍女が随分と期待させる覚えある香りを漂わせていて、私の視線が釘付けになってしまっていたせいですわね」
リディアーヌがそうフォローすると、自然と回りにも笑顔が広がった。
「公女殿下、甘やかしてはなりませんよ。今日は若いお客様も多いですから、私、しっかりと帝国の作法を叩き込む所存でお招きしておりますから」
「それはお手柔らかにお願いしますね、コランティーヌ夫人」
「まぁっ! 公女殿下に言ったのではありませんくてよ?!」
夫人もそう言って笑い声をあげたので、いつも怖い伯母様しか知らないらしいアンナベル妃が不思議そうな顔になっている。
「エレイーズ夫人、ヴァレンティンはこれに匹敵するような良い物を用意できたかしら?」
早めに手土産を披露するべき下座の夫人達の中でも既知であるパトリックの夫人に声をかけると、手土産を出すタイミングを計っていたらしいエレイーズがすぐに「私からはこちらを」と侍女に持たせた硝子の器を置かせた。
決して豪華すぎはせず、しかし帝国内でも良く知られたヴァレンティンの芳醇な青果をたっぷりと盛り、飾り切りの林檎と粉砂糖をふりかけ上品に整えた物だ。一見素朴であるが、甘い菓子が沢山並ぶであろう中では皆にも口休めとしても嬉しいだろう。
「まぁ、ヴァレンティンの果物!」
とりわけその甘さが他国とは比べ物にならないことを知っているアンジェリカは嬉しそうである。
それから同じ階級の夫人達がそれぞれに配慮し合った簡単なものを出して行き、やがて上座まで回ってきたところでアンジェリカがベルテセーヌのたっぷりこってりと心地よいクロテッドクリームとジャムを添えたスコーンという少し重めのものを出すと、次いでナディアが「甘すぎるくらい甘いものがお好きな方に」とマドレーヌを出した。
帝国風のマドレーヌというチョイスであることには突っ込まざるにいられなかったのだが、「マドレーヌは甘ければ甘いほどいい……だなんていうお恥ずかしい話題に関心を寄せられた方が沢山いらしたようですから」と言っていた。
つまりこのマドレーヌ……見た目以上に甘いのではなかろうか。
そんなことを言っている内に改めてヘルミーナ妃がひし形の菓子を出し、最後にコランティーヌ夫人が皆にとっておきのお茶と、それに純帝国風の最も著名な菓子の一つであるカヌレを小ぶりに作ったものを添えて出した。
その出し方や選び方の一つ一つをアンジェリカが熱心に質問して学ぼうとしているものだから、自然と回りの若い夫人達もそんな雰囲気になり、コランティーヌ夫人も予期していなかった状況に困った顔で笑いながらリディアーヌを窺った。
「これは公女殿下のご指導なのですか? まるで可愛らしく鳴く雛鳥達のようで、すっかりと毒気を抜かれてしまいます」
「いいえ、夫人。これはアンジェリカの天性の才能なのです。私はもう一年以上も前に毒気を抜かれて、骨抜きにされてしまった後ですわ」
「それでは仕方がありませんね」
「も、申し訳ありません。あまり王弟妃らしからぬ振る舞いはしないようにと陛下からも念を押されていたのですが、つい」
「国王陛下とは良好なご関係なのですね。ご夫君は陛下の即位以前、元王太子殿下でいらした御方と聞いているのですが」
少し憚らないことを問うたのはオリアンヌ夫人マルレーヌ元公女だ。ヘイツブルグはそれなりにベルテセーヌと近く、それも混乱の大きかった南部に近いので、まだベルテセーヌに対する不信感は深いのだろう。
けれどそういう嫌味に全く気が付かない純朴さもアンジェリカならではで、「お義兄様は私にも夫にもとってもお優しいです」と満面の笑みを浮かべた。
「私と夫、クロイツェンの妃殿下は、かつて未熟により国に迷惑をかけたことがあります。その上、夫は母を罪人として処されております。なので私達はもっと陛下に冷遇されて、あるいは処分を受けたっておかしくないくらいなのです。なのに陛下は私達を咎めるどころか、気遣い、慰めてくださいました。今も弟妹として手厚く庇護し、学びの機会を与えててくださっています。陛下はとても情の深い御方なんですよ」
「まぁ……」
「なんだか冷たい印象の御方でしたけれど、そうではないのですね」
アンナベルの言葉にはコランティーヌ夫人が「これっ」と窘める声を上げた。
確かに多少口を憚らない場がサロン風茶会であるが、他国の、しかも皇帝候補である国王陛下に対して冷たい印象などというのは度が過ぎると思ったのだろう。推戴家門であるヴァレンティンに慮ったものでもあると思う。
だがリディアーヌもアンジェリカも、そんなことで怒る人間ではない。いや、むしろ随分と深い影を落とした重苦しい雰囲気を纏うリュシアンを見て、冷たい印象、だなんて可愛らしい言葉で評したアンナベル妃は中々肝が据わっている。あれはもう、極寒とか豪雪とか大雨洪水警報だとか、そういう雰囲気だと思うのだが。
「ユリウス一世陛下は、見た目が中々怖いでしょう? 所作も妙に老練感があって」
「あ、そのっ……すみません。私」
「いえ、本人もご自覚なさっていて、よく弟君達にそのことで揶揄われていらっしゃるわ。ね、アンジェリカ」
「はい。特にすぐ下のジュード殿下に、子供が見たら怖がって泣き出すからそういう場には出ないでくれ、だなんて言われて困っていらっしゃいました。ご本人はとっても子供好きでいらっしゃるんですよ。何しろ弟君が四人もいるご長男ですもの」
「まぁ」
「勿論、優しいだけの方ではありませんが……あ、でも弟達とリディアーヌ様には無条件に甘いです」
「ごほんっ」
リュシアンのあの雰囲気は決してわざとではなく、長い間の虜囚としての生活のせいだ。だから若いと侮られない雰囲気であることはメリットでも、虜囚時代をを感じさせることはデメリットであった。だがアンジェリカがこうして話して広めてくれるだけでも随分と印象が変わるのではないかと思う。
ただしアンジェリカの言葉がうっかり度を越してしまったものだから、リディアーヌは慌てて咳払いで窘めることになってしまった。まったく……放っておくとすぐにこれだ。
周りが少しおろおろと、触れていいのかいけないのか、とリディアーヌを見るのは、すでに彼女達が皆、リディアーヌの本来の経歴を知っているからなのだろう。あんなにも頑なに秘めてきたことが、今では皇宮中で公然の事実となっているのだから驚く。
「アンジェリカ、何でも事実を口にすればいいというものではなくってよ」
「ふふっ、でないと嫉妬した面倒な……こほんっ。厄介な公子様がどこからともなく乱入してきかねませんものね」
「ナディ、そこは言い換える必要性があったの? どちらもあまり変わらないと思うのだけれど」
上手く逸らしたところで、人妻とはいえそういう話に関心の深い年頃なのか、ヘルミーナ妃が期待たっぷりの眼差しをしながら、「そういえば公女殿下はまだ未婚でいらっしゃるのですよね?」と話題を振りかけてきた。あまり振って欲しくなかった話題だ。
というか、もしかしたらヘルミーナ妃だけはリディアーヌの詳しい過去を知らないのかもしれない。知っていれば、かつてリディアーヌがベルテセーヌ王と夫婦であったという暗黙の了解の中でその話題は選ばないはずだ。
だがその話題がどれほど気まずいものなのかは、アンジェリカが一番よく分かっていたようだ。
「あ、いけませんよ、ヘルミーナ様。その話題はご法度なんです。何しろ公女殿下にはナイトが沢山いて、話題にしようものならとんでもないことになるんですから」
「とんでもないこと?」
「誰がリディアーヌ様の本命かと、殿方達が大変な睨み合いになるんです」
「特にヴァレンティン大公閣下が一番の厄介なナイトでいらっしゃるのではないかしら」
さらにコランティーヌ夫人が追い打ちをかけると、もれなく全員がぱっと口を噤んだものだから、逆にリディアーヌの方が恥ずかしくなった。
「お養父様の娘離れにはあと何年かかるのか……私も気がかりですわ」
「困ったことですが、それはこの王侯社会において稀有なこと。それだけ愛されていらっしゃるのは羨ましい事ですわよ」
「ええ、コランティーヌ夫人。私もそう思っております」
まぁ、と声を華やがせたヘルミーナ妃は、「私もそんな家庭が築きたいですわ」と話の方向性を変えたので、周りもそれに合わせて話の矛先を変えていった。
「公女殿下も随分と苦労をなさったはずです。貴女が今そういって微笑んでいらっしゃる環境があることを、わがことのように嬉しく思ってしまいますね」
「王侯社会には何もない方が珍しいのですから、わざわざ苦労などと申すものではありませんわ。それに私はむしろ、恵まれている方だと思っておりますから」
「……いけませんね。年のせいか、そういう話には目頭が熱くなってしまうわ」
「それはきっと甘いものが足りていないせいですわ。コランティーヌ夫人、ナディアのマドレーヌを試してみることをお勧めします。おそらく想像の五倍は甘いでしょう」
「まぁ!」
「いやですわ、リディアーヌ様、五倍だなんて。それは流石に皆様の前にお出しするものではありません。せいぜい二倍ほどです」
「つまり自分のテーブルには出てくるのね?」
「おほほ」
リディアーヌには全く信じられない話だが、二倍甘いらしいマドレーヌはアンジェリカやヘルミーナ妃に大好評であった。
***
今日は上座に若い人が多いせいでおよそ和やかな話ばかりが続いていたが、段々と時間が経ってくると、お茶会は堅苦しさを無くし、サロンのように好きに席を移ったり窓際のソファーで一休みしたりと席が乱れて来る。
すると必然的に集まりも二つに分かれて行き、小休止がてら窓辺に立っていたリディアーヌの周りにはコランティーヌ夫人とナディアやロイタネン伯爵夫人など、政治に片足を突っ込んでいる夫人達が集まってきた。
「昼餐会の間のヴィオレット妃のお振舞いをどう思われましたか? 公女殿下」
そう問うてきたのはロイタネン夫人だったが、下手なことを口にしてダグナブリク陣営に妙な伝わり方をしても困るので、「相変わらずなことですね、としか思いませんでしたわ」と笑顔で誤魔化した。
勿論そんなはずはないが、話題を避けたことには気が付いただろう。
「私はそれよりもヘイツブルグ大公閣下のことの方が気になっていますわ、コランティーヌ夫人」
「ええ、まったく。それは私も、“相変わらず”と言うしかございませんわね」
「奇妙なことに、大公閣下がギュスターブ王に接触されている様子を私は全く見ておりません。一体何を思ってご推戴なされたのか」
ナディアが一つ切り込んでコランティーヌ夫人に真意を問うが、やはり夫人もその理由は分かっていないようで、「それは私が聞きたいほどですよ」と言う。
「しかしこの件は頑なに大公閣下もはぐらかしてばかりで、『見ていれば分かる』などとしか言わないのですから……真意が分からねば私達もヘイツブルグとしてどう対処すればいいのかが分かりません。さすがに私も参っておりますわ」
「まぁ……そのようなご様子なのですね」
ロイタネン夫人は神妙に頷いているが、正直コランティーヌ夫人がどれほど本気でそう言っているのかは分からない。なんだかんだ言って選議卿となるほどに大公から信頼のある姉なのだ。本当はもっと何か、掴んでいるのではないだろうかと疑ってしまう。
だがそれは察しているのか、夫人もすぐに話題の方向性を変えることを選んだようだ。
「ギュスターブ王と言えば、先だってのフォンクラークの昼餐会で、『刺激が足りない、パヴォを持て』などというお発言をなさったと聞きましたよ」
「何ですって……」
それは養父からも聞いていなかった情報だ。
パヴォはフォンクラーク国内ではいまだ合法扱いだが、他国では麻薬として知られる禁制品。しかもそれが原因で元王太子グーデリックが先帝に処刑されたほどの問題のある品だ。それを自国の昼餐会の最中、口にしたと? さすがに眩暈がしそうだ。養父がそれをリディアーヌに話さなかったのは、リディアーヌを慮ってくれてのことなのだろう。
抱いた感想はナディアも同じだったようで、「まったく、我が国の品性を疑われる所業です」と、何ら憚らない批難を口にした。
ナディアやバルティーニュ公は国内でもパヴォを禁制化しようと取り組んでいる立場だ。国王の発言にはさぞかし頭が痛い思いをしたことだろう。それにナディアはリディアーヌとグーデリックの一件のことも心から憂えてくれているし、この場でもすぐにリディアーヌの顔色を窺ったようだった。
しかしリディアーヌが気になるのは、そういう帝国の風潮を知っていながらまったく口を慎む気配のないギュスターブ王の堂々とした態度の方である。
「少なくともこれまで王としてやってきたのですから、いくら口さがないとはいえ理性はお持ちのはず。なのにそれほどのお振舞いで慎む様子もないのは、よほどの後ろ盾でもあるのかしら?」
「リディアーヌ様はギュスターブ王の後ろに、ヘイツブルグ大公閣下以外の誰かがいらっしゃるとお考えですか?」
「ええ。有り得ないかしら?」
「……」
じっと考え込んだナディアは、やがてそっと首を横に振り、「分かりませんね」と答えた。
「私達も王の監視は徹底しておりますが、その上で誰かと接触したとか、不審な行動をとっているとか、そういう所は確認できていないのです。むしろ何かあるのであれば、私達こそ知りたいところです」
「それもそうね」
どのみちこんな人目の多い場所で突っ込んだ話は出来ない。これ以上のその話題は軽く流しておいた。ただそれに続けてまたコランティーヌ夫人があれこれと皇帝戦にも関わりのありそうな昼餐会中の出来事や情報などをポツポツと漏らして下さるものだから、関心深く聞いている内にも段々と奇妙な感覚を覚え始めた。
確かに夫人はヘイツブルグ大公周辺のことはあまり漏らして下さらなかったが、それ以外についてはあまりにも容易く情報を融通してくれている気がする。
「コランティーヌ夫人はセトーナ保守伝統派でいらっしゃるのではありませんでしたか?」
思わずそう問うてしまったのは、そう問わざるを得ないほどに夫人がリディアーヌにとって有益な情報を次々と下さったせいだ。
ギュスターブ王の振る舞い、カクトゥーラの内情、シャリンナとクロイツェンの確執、あるいはヘイツブルグの選議卿の一部の内情まで。まるでベルテセーヌ派としてどうぞご自由に引き抜いてくださいとでも言われているようではないか。あまり率直な派閥の問い方は良くないのは分かっているが、ついそう聞きたくなるのも仕方がないほどだ。
だがそれにはコランティーヌ夫人はただニコリと微笑んだだけではっきりとは答えず、ただ少しだけ周囲に聞こえぬよう気遣いながら、「私にも、立場と本音というものがございます」と呟いた。
まぁ、仰る通りである。
「私は決してどちらか一方への加担など致しませんわよ。私とて元公女、選帝侯家の一員としての矜持と、セトーナに対する義理というものがございますから。しかし色々と、思う所はあるのです。例えば、もしも私が貴女のように公女として家督を受け継いでいたなら、私はヘイツブルグをどう率いたのかなど……貴女を見ていると、ついそんなことを考えてしまいます」
「……」
ヘイツブルグ含む南部はヴァレンティンなんかと違い、女性の家督相続が難しい風潮が強い国が多い。特にヘイツブルグやセトーナは顕著だと聞いたことがあるが……夫人はそれで、なにやら葛藤を抱えたことがおありなのだろうか。
「ですから公女殿下を見ていると、思わず嫉妬が募る事がございます」
「今のヘイツブルグ大公も大層怖いのですが、コランティーヌ夫人が大公でいらしたなら、もっと怖い思いをしていたかもしれませんわ。だから私には、夫人が夫人でいてくださることに安堵しかありません」
「まぁ、ほほっ」
これは単なる本心だ。
「正直なところ、貴女がザクセオン、ましてやクロイツェンに嫁されるのではなどという噂が皇宮にあった頃には、貴女に少しの関心も抱いておりませんでした。けれど今は大公の姉である前公爵夫人ではなく、オリアンヌ・クリュフ・ド・ヘイツブルグ個人として……貴女様が大公の名を冠して帝国議会にいらっしゃるその日をこの目で見たいと願っています。私は深い嫉妬にかられる傍らで、貴女が誰にも侮られることのない次期大公としてその威をお示しになることを、きっと誰よりも切望しているのです」
「私は誰かの願いを叶えるための偶像ではありませんわよ」
「ええ、そうでございますね。ですからこれは一人の老婆の戯言と思い、聞き流してくださいませ。ただ私は貴女に、公女であっても何ら遜色なくできるのだと証明していただきたいと……そう、願ってしまうのです。口惜しいことに、私がそうあって欲しいと願った私の身内に、それができる者は誰一人としていませんでしたから」
力強い声色に、彼女が時折見せる甥のウィクトル公子や頼りないアンナベル妃に対するしかめ面には何ら憚りない本心があったことが垣間見えた。
自分が他人の理想などという空虚なものに落ちぶれる気は毛頭ないけれど、きっとこのコランティーヌ夫人の横顔を忘れることは永劫ないだろう。
自分もいい加減、認めねばならない。フレデリクではなくリディアーヌを跡継ぎにと望む臣下達の期待を。それを当たり前のように受け入れてくれている養父とヴァレンティンの環境を。自分がどれほど他人から見ると羨ましがられるような環境に身を置いているのかを。
その羨ましい環境もリディアーヌにとっては重圧であり悩みの種でしかなかったのだけれど、しかし自分が今ここに選帝伯、そして公女として敬われているのは、養父が常に徹底してそうリディアーヌを扱ってきてくれたおかげだ。そのことは分かっている。
ただそれと、フレデリクをベルテセーヌにだなんていう恐ろしい話とはまた別の問題だが。
あぁ、目先のことだけでもいっぱいいっぱいなのに、世の中というのはなぜこうもすべてが円滑にとはいかないものなのか。
「コランティーヌ夫人。年を重ねれば、悩みとは減るものなのでしょうか?」
「いいえ、リディアーヌ様。自分の身の振り方が片が付いたところで、今度は子や孫、家や身内という新たな悩みに頭を抱えることになります。その心労はきっと死ぬまで絶えることはありませんわよ」
「今から気の重い話です」
「だからこそ、それを支えてくれる良き方をお見つけなさいませ。もっとも、それはもう私などが言わずとも分かっておいでのことでしょうが」
「それがまた随分と困難なのです。どうしたものでしょう。私にはずっと女家族というものがありませんでしたから、対処に困っています」
「ラルカンジュ侯爵夫人は中々のお姑様になりそうですからね」
「次期大公などという肩書きよりよほど荷が重いですわ」
思わずついたため息に、コランティーヌ夫人は自分の欲しかったもののすべてを持っているはずの公女の不幸に、「存分にお困りなさいませ」と微笑んだ。




