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8-54 皇太子の腹の内(1)

side アルトゥール

「いいこと。明日は私、一日部屋から出ないわ。絶対に。何があっても。誰が来ようがどんな大事件が起きようが、絶対に。ついでにベッドから起き上がる気もなければ働く気なんて微塵もないわ。全員立ち入り禁止よ。宜しいわね!」


 リディアーヌが離宮で呆れた顔の側近達にそんな宣言をして養父に拍手されていた頃、冷め冷めとした空気に包まれたクロイツェンの離宮では、皆が息をひっつめさせたまま(あい)(たい)する皇太子夫妻の様子を窺っていた。

 今日はクロイツェンの催しの日であり、まぁ何事もないだろうだなんて思っていた人もいなかっただろうが、それでも剣呑とした雰囲気をここにまで持ち込んだことには皆も緊張しているらしい。しかしこんな雰囲気ももう何日目とも知れない。逃げ出さずに佇んでいるのだから、いっそ慣れてきたのではなかろうか。


「アル、一体どうしてあんな(あお)るようなことを言ったんですか? あれではヴィレーム殿下が気を悪くしてしまいます」

「それがどうした。昼餐会は別に客の機嫌を取る催しではない」

「それでも折角楽しんでいただきたいと用意した物です! それにヘルミーナ様もあのように(あお)()めてしまわれてっ」

「だったらそうならない料理を用意していればよかった」

「それはっ」


 こんな言い合いをするくらいなら他にやりたいこともある。そもそも文句を言われる筋合いなど何一つ思い当たらない。そう思いながら留守の間に机に積み上げられていた書類を手に取ると、「ちゃんと聞いてください!」と言われた。


 ヴィオレットは、随分と特殊な人物である。

 かつて自分で未来を知っていると豪語しただけあって、出会ったその時から今日までピタリと誰かの言動を言い当てることもあれば、誰も知らない物事の裏を知っていたこともあったし、城下で何が流行るのかなどもよく当たる。人材の選び方も独特で、よく知りもしないのに突然名指しして登用し、こっちが驚くほどに慕われたりする。

 時折その未来余地は予期せぬ方向に大きく外れることがあったが、そういう時は大抵、冷静な誰かが予想外の行動をとったせいであることが多かった。とりわけアルトゥールの優秀な友人達や、昨今何かと顔を見せるペトロネッラ夫人などがいる時は顕著だ。それをヴィオレットは、『未来が変わったせいだ』と言った。

 これまで何度か彼女の言動を疑ってみたこともあったが、しかしヴィオレットが突如聖痕などというものを得て来た時は、さすがに彼女が何か“特別である”ということを認めざるを得なかった。


 だが正直その瞬間を以て、アルトゥールは一つのことを心に決めた。

 ヴィオレットの語る未来はすでにその道を外れている。なのに自分がなおもそれを辿らねばならない理由はないのだ。


 それまでは未来を知るヴィオレットを野放しにできないことと経済的なメリットが存在したことを理由に、適当にちやほやといい気にさせて厚遇してきた。だがその態度に少しずつ面倒臭さが滲み出すにつれて、ヴィオレットの性格にも変化が見え始めた。

 かつてはあれもこれもと相談し、事業を起こすにも新しいことを始めるにもきちんと説明をしてくれていた。だから本当に良くないことは止められたし、やり方にもアドバイスができた。だが今やヴィオレットがこの執務室を訪ねて来るのは文句を言いたい時だけで、彼女がアルトゥールを信頼して何かを頼りとすることも無い。

 それもそうだろう。味方のいない心もとなかった頃とは裏腹に、今は自分だけの自分を信奉してくれる側近がいて、すでに腹心の商人もクロイツェンに店を展開し、自分だけの経済基盤と自分だけの味方を得た。そうなればもう、自分に優しくしない夫も、自分の意見にうるさく制限をかけてくる皇太子も必要ないのだ。


 すぐにそうなるであろうことは分かっていた。それでも放置しているのは、ここが情勢を揺るがし王権を弱らせていたベルテセーヌではなく、堅固な王権と支配権を維持するクロイツェンだからだ。

 クロイツェンには、いざとなればヴィオレットから店も腹心も経済も技術も、はては命さえも奪えるアルトゥールがいる。別の言い方をするならば、ヴィオレットは確かに発想こそ常人と異なるが君主制社会における政治的な才覚は無にも等しく、赤子の手を捻るかのように()(やす)く権力を奪えるほどに過失と欠陥の多い皇太子妃なのだ。

 友人達はアルトゥールが妃を放置していることに大層不思議そうに眉をしかめるが、むしろ彼らにこそ、『どうして俺が本気であれを妃として遇すると?』と聞きたいほどだ。

 そもそもヴィオレットとの関係が“契約結婚”であることはすでにリディアーヌも知っているはずなのだから、何を不思議がるのかが分からない。

 そして不思議なのは、その契約結婚……正しくは契約婚約であったが、それを持ちかけた張本人であるヴィオレットの方が、それを忘れているかのような振る舞いであることだ。


「確かに……食べにくさは、私の過失でした。ですがアルが余計なことを言わなければッ」

「はっ。つまり俺のせいだと?」

「だってっ……」


 この世に、その場の出来事を記録する道具が無いことをとても口惜しく思う。もしそんなものがあれば、ヴィオレットには最初から最後まで、どこが過失であったのかをすべて説明してやるというのに。

 だが別に(いら)()ってなどいない。はなからシャリンナといい関係になどなるつもりはなかったのだから、むしろ妙にシャリンナの王弟夫妻に親しみを抱きつつあった他国の者達に対して、良い牽制になったと思っている。現に言い合いをしていた最中の他国の“沈黙”という反応は悪いものではなかった。


「ヴィオレット、一つ真面目な話をしよう」

「っ……私だって、真面目にっ」

「いいから」


 静かに窘めると、かっかしていたヴィオレットも少し迷いを見せてから、ふぅと息を吐き、応接椅子に腰を下ろした。


「君はクロイツェンに来てからこの方、母上の付けた家庭教師に我が国の情勢を学んでいるはずだ。(そう)()ないな?」

「はい。そうですが」

「ではシャリンナと我が国の関係とはなんだ」

「歴史の授業でもなさるつもりですか? それに何の意味があるのかは知りませんが、私を試しておられるのであればお答えします」


 そう言ったヴィオレットはクロイツェンの建国からそれに端を発するカクトゥーラやリンドウーブの起こり、そして元々クロイツェンの建国の祖の生地であった今の両国国境を巡る紛争の歴史を丹念に解説して見せた。

 およそ教科書通り、母の用意した家庭教師が教えたのであろう、“クロイツェンから見た歴史”を、全く疑う様子もなく『私は賢いのです』と言わんばかりにひけらかす。


 ***


『バーレの丘は初代クロイツェン王がその生活を(いと)うて飛び出した故郷なんでしょう? それがどうして国を建国したからといってクロイツェンの支配領域になるのよ。そりゃあ戦争になるに決まってるじゃない。大体これってこの先の鉄鉱山脈の価値に気づいちゃったからでしょう? 別におかしなことでもないんだから、国の歴史書くらいちゃんと書きなさいよね』


『あははっ、クロイツェン側の歴史書、盛りすぎじゃない? “悪政を布いたベルデラウド王”って、そりゃあ過激な王だったし当時のベルデラウトは貴族の腐敗も酷かったようだけど、でも帝国にとっては普通の王朝だったよ。そこに北方放牧民族が貧しい生活から抜け出そうと大量に違法移民としてやってきて、現地民との衝突が激増したから過激にならざるを得なかったのに、“民族弾圧で同胞を処刑台へ送る死者の列を築いた”って。ひどっ!』


『うるさいぞ、お前達。そういうお前達の国の歴史書も出してみろ。相当だろう』

『お生憎様、うちの歴史書なんてベザの孫婿と曾孫が現地民を弾圧して領地開拓を進めた様子をこれでもかってくらい赤裸々に書いた、子孫もドン引きの“侵略記”だよ』

『うちはそういうの無いわよ。ヴァレンティンってそもそも神聖帝国時代からずっと雪深い素朴な土地だもの。でもブラウ妃の出身地として、帝国初期時代には皇帝のために色々とやっていたみたいね。大公家しか入れない書庫に色々と……それはもう色々とあるわよ』

『いや、おかしいだろ。普通子孫には隠すだろ』

『隠さないね』

『ええ、隠さないわね。むしろちゃんと読んで学んで活用しろ、っていう感じかしら』


 ***


 学生時代に友人達と語り合った会話が思い起こされる。

 自国の歴史書に含まれる創作性と主観性なんてものは論じるまでもなく承知しているもので、それでも先入観はあって、クロイツェンの初代国王は偉大な人物なのだと思っていた。

 それを(くつがえ)したのはカレッジの比較歴史学の授業であり、そして何故か嘘偽りない歴史書を残す風潮が強い伝統的なベザ血統の二人の友人達のおかげで、自国の歴史を冷静に見ることができた。

 どうやらそういう風潮はヴァレンティンとザクセオンだけでなくそもそも初代皇帝ベザの教訓であったらしく、クロイツェンがかつて大量に焼き払ったベルデラウト王朝の書籍の中でも、本来真っ先に焼かれそうな歴史書が今にも多く残っているのは、ベルデラウト王が自身の功績と過失を嘘偽りなく書き残していたせいで処分対象にならなかったからだ。それを知るにつれ、クロイツェンは歴史書の作成において悪習を始めてしまったものだと口惜しく思ったものである。


 だからベザの伝統血統の中でも特に直系といわれるベルテセーヌの王族に縁を持つヴィオレットが()()なのは、ベルテセーヌがそれだけ内部を腐敗させていたか、あるいはヴィオレットが異端であったかのどちらかだ。

 どちらにしたって、一方的にクロイツェンを讃えベルデラウト王を貶める歴史書に何の疑いも抱かないというのは不思議でしかない。クロイツェン王室生まれのアルトゥールでさえ、ある程度疑っていたというのに。


「以上です。何か間違えましたか?」

「いや、歴史書通りだ。初代国王の生まれた聖地を侵略されたことが原因で、今に至るまで我が国とシャリンナは一つの土地を巡って争いが絶えずにいる。それを聞いて君はどう考える?」

「それは……」


 ヴィオレットの教師は彼女にその質問をしなかったのだろうか。ヴィオレットは驚いたように呟いてから、暫く黙り込んで深く考えふける様子を見せた。


「私の知る世界にも、それに近い理由で戦争を続ける国がありました。どれほど外から介入があっても戦争に解決の兆しは見えず、互いが互いに同じ場所を自分達の土地だといって争い続けていました。けれどそのせいで犠牲になるのはいつもただそこに住んでいるだけの罪のない民達です」

「だから戦うべきではないと?」

「そうです。平和的な対話によって解決するべきです。その土地を共有財産とできないか、両国の緩衝地にできないか……私にはまだその土地に対する理解が足りないのですぐに案は出せませんが、賢い貴方ならいくらだって思いつくはずです」

「くくっ……」


 思わず笑ってしまったアルトゥールに、ムッとした顔が返ってくる。相も変わらず、表情が分かりやすくて“不向き”な妃だ。腹が立つ。


「共有財産? 緩衝地? ははっ、腹がよじれる」

「ッ」

「いいか、ヴィオレット。お前の罪は、無知と傲慢だ」

「私はッ」

「そうではないと言いたいのか?」


 すかさず言葉を切らせた追い打ちに、ぎゅっと口を引き結ぶ。


「クロイツェンがいう“聖地”とやらは、つまり鉄鉱山脈という宝の山のことだ」

「え……?」

「初代国王は自分が滅ぼした王朝の知識と技術で、捨てた故郷にお宝が眠っていることを知ってしまった。だから言いがかりをつけて侵略をしたんだ。その必死さに、シャリンナも価値に気付いた。だから長年どっちがその土地の本来の持ち主なのかなんて建前で争い続けて、一度はお前の言う共有財産にしようなどというバカげた条約が結ばれたが、結局その隙を突いた連中が一帯を占領して大乱になった。それが今のカッシア独立国の発生原因だ。すると今度は責任の押し付け合いだ。以来、三国国境に位置する山脈を巡る争いは絶えない」

「……馬鹿馬鹿しい」

「馬鹿馬鹿しいか?」

「馬鹿馬鹿しいです。そんなものなくたって、クロイツェンにはすでに沢山の鉱脈があって、豊かではないですか! なのに争いで無益なもので国民の命を散らすだなんてっ」

「だがそれでもその山脈が唯一であるシャリンナは、そこから鉄を掘り出し武器を作り、我が国の民を殺す道具とする。それでも馬鹿馬鹿しいか?」

「馬鹿馬鹿しいですっ。そもそも戦争なんてしなければ武器にする必要もないはずです!」

「だが武器と軍備は抑止力だ。シャリンナの向こうには海洋軍事国家であるクリンテン、その先には今なお未知の国力を持つ極東大陸がある。南の海には海賊がはびこり、南大陸からいつどんな圧力を受けるともしれない。周囲を山と内海と帝国諸国に囲まれたクロイツェンとはわけが違う。そうでなくとも武装しておかねば、シャリンナの土地を淡々と狙う北のカッシアに瞬く間に攻め滅ぼされよう。我らも同じだ」

「シャリンナと協力して自衛すればいいではありませんか!」

「驚いたな。君は万民に慈悲を垂れる甘ったれだと思っていたが、帝国に属さない国に対しては案外淡泊なのだな」

「あっ……」


 少しは見直そうとしたのだが、どうやら今の発言はただのよく考えもしていないだけの失言だったらしい。がっかりだ。


「あ、上げ足を取らないでくださいッ。それでも争う理由なんてっ」

「何を言っている。そこら中にある」


 その辺は習っていないのだろうか。いや、母の選んだ教師がそんな大事なことを教えないとは思わないのだが、まだそこまで進んでいないだけだろうか。


「遊牧民の生活は貧しく、質素だ。その生活を捨てられないと言い帝国に恭順しない傍らで、カッシアはひたすらにクロイツェンとシャリンナの肥沃な大地を渇望している」

「……」

「移民問題も深刻だ。カッシアの辺りは高地なだけでなく元々雪深い北部に属す。毎年のように口減らしで誰かが集落を追い出され、あるいはそんな生活から抜け出して町に住もうと麓に下りる者達が町であぶれ、学もなく知識もないまま豊かと聞く隣国に不法侵入し治安を乱す。飢えると今度は暴動をおこす。それが過ぎれば隙を突いたようにカッシア本国も攻めて来る。だから我々もそれを厳しく取り締まるが、あまりにも度重なれば彼らにより身内を失った者達の恨みも積もり、我慢を失い、またカッシア側も国民を殺されたからと国境で戦になる。さぁ、ヴィオレット、お前に聞こう。悪いのは誰だ?」


 最近はシャリンナとの国境では睨み合いが続くばかりで不法移民は強制的に突き返しており、大きな争いにはなっていない。だがカッシアにそんな理屈はきかず、毎年のように起きる小競り合いで命を落とす兵士も、処刑台に送るカッシア人も同じほどにいる。それはまるで、かつてベルデラウド王が不当に流入してくる野蛮なクロイツェンの祖である民族を大量処刑していた時代さながらだ。

 実に皮肉な話だが、しかしその教訓があるからこそ、クロイツェンはこの移民問題に過敏にならざるを得ない。もはや“帝国のクロイツェン”となって長い自分達に、彼らの粗野で身勝手な言い分は何一つ共感できなくなってしまい、対話などと言っている内に滅ぼされた前王朝の記憶を誰よりも知っているからだ。

 そもそも自分達の生活を捨てられず、遊牧を捨てたクロイツェン人をひたすらに(けな)すばかりの彼らに、どうして救いの手など差し出せようか。無論、それはクロイツェン側の一方的な認識で有り、きっとあちらにもあちらなりの言い分があるのであろうことは理解するが、共感はできないだろう。

 またカッシアは三国の国境にあって今はシャリンナが領有する鉄鉱山脈を虎視眈々と狙い、自国側から掘り進めてシャリンナとも甚大な争いを幾度となく繰り返してきた。この状況に、せめてシャリンナが管理しきれていない山脈をクロイツェンが管理出来たらと切望した王も過去にいた。一方でシャリンナも最近はカッシアがクロイツェンとばかり小競り合いを繰り返しているものだから、公然と武器をカッシアに流してクロイツェンの勢力を削ごうとしてくる。山脈を狙うクロイツェンの敵はシャリンナにとっては味方にもなりうるからだ。

 こうして三国は(こじ)れに(こじ)れ、常に一触即発の状況を抱え込んでいるのが現状だ。






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