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8-53 クロイツェンの昼餐会(5)

 そもそもクロイツェンは建国からこの方、幾度となくシャリンナとは小競り合いを繰り返す間柄。隣国でありながら最も相容れない国同士であり、隙あらば駆逐せんとしあっている仲だ。

 アルトゥールはリディアーヌが侍従に指示を出すことを止めず他の客達が恥をかかないようにとの配慮を見せたが、かといってシャリンナにまで礼儀を守られる中でヴィオレットに恥をかかせるわけにはいかないのだ。


 だから、“シャリンナを(おとし)める”ことを選んだ――。


 今はよくとも先程ぼろぼろと具材を取りこぼす失態を犯してしまった若いヘルミーナにはかなりの痛い言葉だったはずで、悔しそうにきゅっと口を引き結んで黙った妃の様子に、ヴィレーム王子がアルトゥールへと鋭い視線を投げかける。


「あ、あの……アル」


 ヴィオレットがおろおろと止めようとしているが、絶妙なタイミングで後ろに立った侍従のアンハイサー卿が呑気に飲み物を注いだりしているものだから、ヴィオレットも口を噤んでしまった。

 だがこれはいささか不味い。アルトゥールは全く気にする所ではないだろうが、薄く焼いたパンで煮込み料理をすくって手で食するという文化はシャリンナだけでなくフォンクラークやセトーナにもあるものだ。シャリンナはそれ以上に様々なものを手づかみで食べるというが、多少なりとも心当たりのある国には引っかかってしまう言葉である。

 すっかり帝国風に染まった育ちのギュスターブ王が何も言わなかったのは幸いだが、そういう文化のあるフォンクラーク南部出身のナディアは『また喧嘩を売るつもりですね』とばかりに笑顔を持ち上げた。

 だが今のアルトゥールの標的はシャリンナだ。


「ええ、その通りですね、皇太子殿下。確かに我が国ではそういう食べ方をする文化がありますね。二百数十年ほど前には貴方方クロイツェンの祖にもあった慣わしです」

「恥ずかしい過去だな」

「そうでしょうね。自国のルーツとなる文化を尊ぶことも忘れ、どこかぶれとも知らない料理を昼餐会で供す国ですから」


 ヴィレーム王子も負けていない。それどころかよほど妻への攻撃に腹を据えかねたのか、笑顔とは裏腹の歯に物を着せない率直な批難の言葉を選んでいるようだ。おかげで今日の昼餐会を仕切っていたヴィオレットがびくりと肩をすくめる破目になった。

 まぁそれについてはあえて誰も突っ込まなかっただけで、皆が思っていたことであるが。


「意見の相違だな、ヴィレーム王子。クロイツェンは貴殿の言う二百数十年前とやらにその野蛮な慣習を捨てて、帝国皇帝を輩出するだけの文明国家として育ったのだ。今なお旧態依然として理性を知らない貴国と違ってな」

「貴殿が我が国の何を知っていると言いましょう。国交などないにも等しいというのに」

「ほぅ?」

「殿下も妃殿下も、今まで我々がそんな無作法を見せたところをご覧になったでしょうか。第一シャリンナにおいても帝国風の料理とは無縁ではないのです。それを勝手に野蛮に食い散らかすなどという酷い妄想をなさっているのはそちらです。いえ、むしろ妃殿下のご様子に、どうやらクロイツェンの方にこそそのような野蛮な時代の名残があることを垣間見たようです」

「っ」


 流れ弾を食らったヴィオレットがかっと顔を赤くする。

 少なからずこの数日ヴィオレットとにこやかに話していたヘルミーナはそのことに罪悪感を抱いたようだったけれど、夫が自分を庇うために皇太子と相対していることは分かっているのだろう、ぎゅっと口を引き結んで目を逸らし、自分も()(かん)に思っていますとばかりの態度を示した。

 彼女は年若く不慣れなところを見せることがあっても、やはり一国のれっきとした王女殿下であり妃殿下だ。守るべきものの優先度を分かっている。


「妃の貴殿らに対する過分すぎた配慮をそのように言われるのは遺憾であるな。そもそも私は貴殿らにそんな配慮は必要ないと思っていたのだが、優しさが裏目に出たようである。あるいはベルテセーヌ育ちの悪癖でも出てしまったのだろうか」


 おいおいアルトゥールさん。ここぞとばかりにベルテセーヌに罪を着せてこないでくださいよ。


「おかしなことを仰る。ベルテセーヌ育ちというのであれば、ヴァレンティン公女殿下がとても美しい作法を示して下さったのですから、妃殿下のそれはさしずめフォンクラークで平民暮らしをしていた弊害ではないでしょうか。聞けば庶民に供する料理屋のための試食であるとも言いますし」


 しかもこっちまでフォンクラークと一緒に巻き込まれた。止めて欲しい。

 だがそれ以上に害を(こうむ)ったヴィオレットが、「私は平民暮らしをしていた時期を恥じてなんていません!」と余計なことを口にしたせいで、もれなくお隣で養父がため息を吐いた。

 養父はアルトゥールが負けるような舌戦をしない人間だと知っている。だからヴィオレットは余計なことなんて言わずに黙っていればよかったのだ。案の定、ヴィレーム王子はここぞとばかりに周囲に「お聞きになりましたか?」と周囲にほくそ笑む。これには周りもなんとも言えまい。

 何しろここにいるのはほぼ全員、“王候”と“高位聖職者”だ。シャリンナよりクロイツェンに近しい国々の者達もこれにはフォローのしようが無かったようで、もれなく近くでカーシアン女伯が眉をしかめて首を横に振った。


「さしずめこのような料理も平民暮らしの中で得た知識なのでしょう」

「ち、違ッ」

「帝国風とは即ち、一つ一つに手間と暇をかけ美しくよそった料理と心得ております。しかしパンを皿として食材を供するのは東大陸東部で貴方方が蛮族と呼ぶ遊牧民が行うやり方ですね。あぁ、なるほど、これは確かに“クロイツェン流”です」

「いらぬ上げ足を取ってくれるな、ヴィレーム王子。だがまことの蛮族とは民の暮らしに理解をせず野蛮だと口にする貴殿の方ではなかろうか」


 うわぁぁ……なんだかアルトゥールさんがアルトゥールさんらしからぬ気持ちの悪いことを言っていますよ。どう思います? と友人達を見たら、案の定、友人達がどんびいた顔でアルトゥールを見ていた。

 それに気が付いたのか、真面目に舌戦をしていたはずのアルトゥールが一瞬マクシミリアンを見て、こほんっ、と咳払いした。さすがに自分でもどうかと思う発言だったに違いない。


「も、もうやめてくださいっ、お二人とも!」


 そこに正義感をあふれさせたヴィオレットが深刻そうな顔で静止を求めた。

 はぁ……そこでクロイツェンの立場やアルトゥールの思惑に同調できない所が、やはりヴィオレットである。まぁ無理だろうとは思っていたが、今そこで口を噤んで私見を慎み国の体面を守っていたヘルミーナを見習ってもらいたいものである。


「私の配慮が足らなかったのがすべての問題です。そもそもお出しした料理は帝国風ではなく私が考案した料理であって、つまりまだそこに食べ方などという“お作法”は存在していないのですから、帝国風を理由に論じるのは問題外ですっ」

「……」


 え、そこ? とか思ったのは、多分リディアーヌだけじゃない。

 この皇帝戦始まって最初の大切な昼餐会、クロイツェンの文化と伝統を見せる催しの中で、帝国風じゃないとか言っていいのだろうか? 案の定、アルトゥールがくらりと傾いて頭を抱えてしまった。

 うむ。ちょっといい気味である。これが貴方の選んだ妃だ。


「ヴィレーム殿下、私は微塵として、貴国やその文化を貶める気などありませんでした。それからアル、私が手掴みで食したことは、この料理が本来そういう作法で食べられていたものだからであって、他意などありませんし、特定の国を意図したわけではありません。それを理解してください」

「……」


 いや、ヴィオレットさんよ。理解はしているのだよ。言われずとも。ただ実際に起きてしまったことの何を武器にして、何かにつけて互いの国の上下関係を作り合う。それが帝国七王家の関係で、特にクロイツェンとシャリンナの関係においては大事な駆け引きの真っ最中だったのだ。だが今のヴィオレットの発言は到底クロイツェンの益になる言葉ではない。

 まぁリディアーヌからしてみればクロイツェンよりも海賊問題で協力を得たいシャリンナに味方をした方が意義があるので知ったことではないのだが、生憎とシャリンナは帝国内において浮いた立場にあり、他国のとの関係が希薄で、シャリンナよりもクロイツェンにいい顔をしていい関係にしておきたい国の方が多い。だからこその皆の沈黙だったのだが……まさか妃殿下自ら率先して自国の皇太子を非難してくれるとは。


 そもそもヴィレームとアルトゥールは別に喧嘩をしていたわけではない。少々お互いに率直の過ぎる物言いにはなっていたが、この手の舌戦なんて日常茶飯事で、二人だって互いに少しでも自分達に優位な落としどころを探り合うために言葉を交わしていたのだ。だがそこに勘違い(はなは)だしい横槍を挟んだヴィオレットのせいでむしろ変な空気になってしまっている。

 これにはさすがにトルゼリーデ妃がこほんっと大きく咳払いし、「妃殿下、公の場でそのようにご夫君を責めるものではありませんよ」と、極力柔らかい声色を意識しながら窘めた。


「ですがっ」

「まぁまぁ、落ち着きなさい。妃殿下のお心づかいは伝わっておりますから。そうですよね? ヘルミーナ妃殿下」


 ザクセオン大公に話を振られたヘルミーナは、びくりと肩を揺らして顔をあげると、少し躊躇を見せ、やがて仕方なさそうに息を吐いて「ええ」と頷いた。

 あちらも、クロイツェン相手はともかくシャリンナともこれから友好を築き得る選帝侯家との間に溝を作ってしまうことは良くないという判断だろう。冷静な判断である。


「トゥーリ、そういう話はここではない所でした方が良かったようね」

「あぁ、まったくだな。これはまた少々……予定外だった」


 チラリとヴィオレットを見たアルトゥールに、リディアーヌも肩をすくめる。

 ヴィレームにも『お互いに妃殿下を巻き込むのは本意ではないでしょうからこの辺にしましょう』という意図は伝わったはずだ。

 ただ中途半端になってしまったせいで、さすがにこのまま侮辱を与えたクロイツェンの昼餐会に残るには居心地が悪くなってしまったのだろう。ナプキンを置いたヴィレーム王子はそっとヘルミーナに何か囁きかけると、ヘルミーナもコクリと頷いてナプキンを置いた。多分、このまま退席となるだろう。クロイツェンにとってはこの上ない侮辱返しである。

 だがだからといってアルトゥールにも今の状況では止める言葉は吐けない。


「妃の体調が宜しくないようなので、我々はこれにて中座させていただきます」

「……」


 はいそうですかとは言えない立場のアルトゥールが眉をしかめ口を(つぐ)んだのに対し、すぐにヴィオレットが「そんなっ」と腰を浮かせた。

 おいおい、正餐会で主催者様が席を立っては流石に不味いわよ、と思ったが、そこはすかさずサッとテーブルの下でアルトゥールが掴み止めたようだ。

 当然だ。そうでもしなければ他の客全員に対する侮辱になるところだった。


「あ、あの……」

「まぁ致し方あるまい。今回の()びはまた改めて、時間を設けさせてもらおう」

「ええ、そうしましょう」


 かたりと席を立ったヴィレーム王子が自らヘルミーナのエスコートをして椅子を引く。ヘルミーナはチラリとこれまでは良くしてくれていたはずのヴィオレットを気遣う視線を見せたが、すぐに逸らすと小さな吐息をこぼした。

 ヴィオレットの行動がわざとではなかったことは伝わっているだろうが、その上で、やはりフォローする言葉は告げるべきではないと判断したのだろう。ナプキンを放り出してさっさと出て行かずに体調不良という理由を付けただけでも十分な配慮である。


 さて、このままシャリンナを追い出してしまうような形になるのは少々居心地が悪い。かといってクロイツェンは席を立ってはならない。選帝侯家としてリディアーヌが見送りに立つのも体裁が悪い。あまり立場の弱い者に頼むのも無意味だ。どうしたものかな……と、自然と視線が向いたのはナディアの方だった。

 それに気が付いたのか、ぱっとこちらを見たナディアは少し考えこむと、そっと隣のセリヌエール公に囁きかけ、夫の首肯を得るとナプキンを置いた。


「アルトゥール殿下、恐れながらご体調のせいか、妃殿下が心細くなさっておいでのようです。無作法ではございますが、お見送りに、少しばかり席を立たせていただいて宜しいでしょうか」

「あぁ、セリヌエール夫人。我が国の過失に賓客を(わずら)わせることは不本意だが、確かにご様子が(かんば)しくないようだ。我が友人として、頼んでいいだろうか」

「承知しましたわ」


 ナディアは見た目からしてとても穏やかな貴婦人であるし、率先して無作法なんて働くことが考えられない雰囲気の持ち主だ。それに立場としても他の面々と違って主賓として招かれているわけではない立場だから、席も立ちやすい。ヘルミーナ妃とは多少年も近いので、若い女性を気遣うという体裁も取りやすい。

 侍従に椅子を引いてもらって立ち上がったナディアは「失礼をお見逃し下さいませ」と客人達、特に細かな作法や縛りの多い大司教様方に丁寧な挨拶をして、扉の前まで行って立っていたシャリンナの夫妻に近づき、「お手をどうぞ」と笑顔でヘルミーナの手を支えた。

 ヘルミーナもこれまでずっと穏やかで優しく接してきてくれていたナディアに安堵したのか、「ご配慮感謝いたします」とようやく顔をほころばせ、夫とナディアに挟まれながら昼餐室を出た。

 ふぅ。ナディアのおかげで聖職者の皆様もニコニコしてくださっているし、場の雰囲気も悪くなりすぎずに済んだ。


「やっぱりナディは何かと優秀だよね」

「ええ、本当に。私がやったらすぐに他意でもあるのかと方々から睨まれてしまうわ」

「そりゃあリディが無意味にそんなことをするはずがないから」

「あら、今度はこちらで舌戦を始めましょうか?」

「おっとっ。助けて、トゥーリ」

「お前の自業自得だ」


 ヒラヒラと手を振ってあしらって見せたアルトゥールは、しかし柄にもなくそのままそっと周囲には分からぬようにリディアーヌとマクシミリアンに目礼して見せた。他愛のない言葉の応酬で雰囲気を取り繕っているのが分かったのだろう。ただ生憎と仲睦まじくしたせいでうちのお養父様だけは余計にむっすりとしてしまった気がするが。


「あ、あの……アル」


 そこにヴィオレットがまた何か口を開こうとしたが、出来れば今は黙っておいてもらいたい。言葉を遮るのは無作法と分かっているが、今は構わらず、「お詫びはマルベールのピノでいいわよ」と微笑む。それにすかさずマクシミリアンが「三年物でね」と付け足したので、セリヌエール公が「はははっ」と声をあげて笑った。


「何故お前達は俺のセラーのラインナップを熟知しているんだろうな」

「あるんでしょう?」

「きっとある」

「……ある」


 仕方なく侍従に「持ってこい」と指示を出した。

 お酒には詳しくないアンジェリカが「えっと……?」とこちらを窺って来たので、「マルベール農園はフォンクラーク山岳地の農園よ」と言ったら、もれなく黙々と食事を続けていた養父がゴホッ、と()せ込んだ。そこは予想していなかったようだ。


「我が娘ながら……今のは流石に驚いたぞ、リディ」

「ナディアおすすめの銘柄なんです。まぁクロイツェンで手に入れようと思ったらそこらの葡萄酒のうん十倍ほどのお値段がしますけれど」


 でもそれはクロイツェンがフォンクラークにかけている関税のせいである。多分アルトゥールが手に入れたのはそんなべらぼうな関税になる前だろうが、場の空気を悪くした責任を取ってもらった雰囲気はあっていいのではないかと思う。

 ほどなくデザートが供され始めたところで戻ってきたナディアが、侍従が注いで回っているワイン飲みなれた銘柄を見て、「あら? 私が留守の間に何が起きたのでしょう」と嬉しそうに微笑んだ。

 おかげさまで、少なくとも昼餐会の終わりまでは表面的に和やかに終わってくれたのではないかと思う。

 まぁ内面は……言わずと知れたことであるけれど。


 その心情は、最後に出された可も不可もない甘ったるいデザートを半分残すというあえての無作法で伝えておいた。

 そんな小細工をしたのは、決してリディアーヌばかりではなかったようである。






※明日は更新お休み。次は8日に。もう満腹です。ぷふぅ。

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