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8-44 カクトゥーラの昼餐会

 各国の昼餐会も五日目。もういい加減慣れてきたところで、今日も今日とて朝から仕度に時間を割き、たまった疲れにふわわと()(くび)をしながら階段を下りた。

 今日はカクトゥーラの昼餐会であるが、推戴家門があのダグナブリク公であり、少なくともこの数日会話をした限り害の強くなさそうなリヴァイアン殿下の主催となると、まだ少し気は楽である。


「お養父様は三日おきには騒動になると仰っていましたが、昨日の危うい場面はあったものの、比較的落ち着いた様子で進んでいますね」


 久しぶりにボタ雪も止んで晴れ間が見えたせいで、気分が良くなっていたのかもしれない。漏れ出た感想は爽やかなものだった。


「リディ、甘いぞ」


 ただそれは油断が過ぎただろうか。呆れ顔の養父に、ふたたびふわわと欠伸をかみ殺して答えたのが、半刻前。

 そして今現在……。


「……」

「……」


 和やかな雰囲気で始まったはずの昼餐会が凍り付いたのは、つい先程まで談笑していたはずのドレンツィン大司教閣下がこの上なく不愉快な様子で顔を真っ赤にカトラリーを投げ出し、隣のサンチェーリ司教がナプキンで口元を抑え真っ青な顔で(うつむ)いているせいだ。

 何事かに気が付いたリヴァイアン殿下の面差しもさっと色が変わり、「責任者を呼べ!」と声を荒げると、たちまちその場の雰囲気は凍り付いた。

 それを横目に、そっとリディアーヌもそっと原因と思しき目の前によそわれた煮込み料理をスプーンで掻き分ける。そこにごろりと出てきたのは……羊、いや、カクトゥーラなら鹿肉ということもあり得るか。


 教会の聖職者達は基本的に四つ足の動物を食べることを禁忌としている。その度合いは人や派閥によっても異なりまったく食べないわけではない者達もいるそうだが、生憎とドレンツィン大司教やサンチェーリ司教は経験な禁忌派閥だ。

 一方で、サンチェーリ司教を気遣っているダグナブリクのペラトーニ司教は無禁忌派なのか、今のこの状況でも冷静な様子だ。ダグナブリクのような雪深い国では肉食して体力を維持することは必須であるから、土地柄もあるのだろう。

 だがよりにもよってそれが鹿となると……案の定、ザクセオン大公も苦い顔をしている。

 ザクセオンにとって鹿は禁忌というわけではないが、家紋にも刻まれた尊ぶべき生き物だ。正式な昼餐や晩餐、神事の前後などには決して食さないはずである。これにはマクシミリアンもフォローのしどころを思いつけないようで、困ったように考え込んでいる。


「何か……起こりましたね」

「ほらな、起こっただろう?」


 特に無関係な養父は皆が手を止める中平然と手を動かし、「あぁ、やっぱり鹿だな」と呟いた。なんて呑気な。

 異例の事態に緊張感が高まる中、突如最も高貴な者達の昼餐会場に呼び出された料理長はすでに真っ青な顔で脅え切っており、見るからにがくがくと手が震えていた。あれは、知っていて供した顔ではない。


「料理長、これはどういうことか。指定した食材以外は使わぬよう、指示は出してあったはずだが」

「っ……」


 委縮したように言葉を続けられない料理長に、焦燥が苛立ちを掻き立てたのか、リヴァイアン殿下はクイと指で侍従に指示を出すと、料理長の膝を鞭で打たせた。

 すぐに「ひぃっ」と声をあげてがくりと倒れ込んだ様子に、気の弱い一部の女性陣が眉をしかめて目を逸らし、ついでにウィクトル公子もビクリと肩を跳ね上げた。ただやはりこの(めん)()だと、平然とした顔の方が多い。意外なことにシャリンナのヘルミーネ妃も随分と慣れた顔で、仕方が無いわね、という顔をしている。シャリンナは階級制度が顕著だというし、むしろ他の国々よりもこういう処罰に慣れているのかもしれない。


「答えよ、料理長」

「わっ、わ、私はっ、何も存じあげませんっ……私はただ、届いた食材でっ」

「それがこの結果か!」


 再びリヴァイアンが侍従に合図を出したところで、「お、お止めくださいッ!」とたまらずお節介の代名詞であるヴィオレット妃が椅子を鳴らして立ち上がった。その様子にもれなく数名が、やっぱりかと言わんばかりに顔色を濁し、隣にいたアルトゥールもまたあからさまなため息を吐いてヴィオレットの腕を掴み止めた。


「やめるのはお前だ、ヴィオレット」

「ッ、しかし殿下! こんなことをしても何の解決にもなりません!」

「いいから、座りなさい」


 少し語気を強くしたアルトゥールに、だけど、と他の賛同者を求めるべくヴィオレットは辺りを見回す。だが生憎と、ヴィオレットに賛同するどころか目を合わせようとする人すらいない。それは聖職者も含めてだ。

 そのことにヴィオレットはひどくショックを受けたようだったが、しかしそれも当然である。ここで料理長を庇ったりすれば、味方を庇っているのかと、失態を仕組んだ側にみなされてもおかしくない。

 ただ他に誰も名乗り出ないのを見ると、リヴァイアン殿下もこの場の淑女達に慮ったのか、ひらひらと手を振り二度目の鞭を振るおうとしていた侍従を下げさせた。

 ただそれでこの事件が終わるわけではない。


 この上なく重たい緊張と沈黙の中、慌ただしく開いた昼餐室の扉からサンチェーリ司教の直弟子として呼ばれたらしいフィレンツィオがカクトゥーラの侍従に連れられて入ってきた。とても冷静な様子だが、たしかフィレンツィオも敬虔な禁忌派であったはずだから、内心はまったく穏やかではないだろう。今は見知った貴顕達に一礼して微笑むような余裕もない様子ですぐに師を気遣い、口を(すす)ぐための水と銀杯を求めた。

 そのおかげか、少しばかり部屋の中にも安堵の気風が広がると、さっそくボロを出す者が現れ始める。


「これはなんとも、救いがたい失敗でございますわね、リヴァイアン殿下。どうなさるおつもりですの?」


 ここぞとばかりにため息交じりに口を開いたのはダグナブリクのカーシアン女伯で、そちらをキッと睨みつけた殿下の面差しを見れば、常日頃からあの辺りは(あい)()れない関係なのだということが見て取れる。いかにもあの辺りが真犯人ですと知らしめているかのようではないか。

 これはおそらく皇帝戦というより、カクトゥーラ内部の王権争い的な問題だろう。そうとなるとこれ以上無意味にリヴァイアン殿下を追い詰めるのも(いか)()なものかと思うが、さて、後見人のはずのダグナブリク公はどうするのかと見てみれば、珍しい顔で天井を(あお)ぎながら何か考えこんでいる。それから程無く、「ふむ、なるほど」などと呟いた。

 実にのんびりとしているから、この一件に無関係なのは間違いなかろう。だが身内が仕出かしたことであれば、責任が無いわけでもない。それでも()(より)()を決め込みそうな辺境公閣下ではあるけれど、今回は流石に動くことにしたのか、「どこかで誰かが余計な手間をかけたらしい」と言いながらスープをすくってパクリと口に入れた。


「うん、美味い」

「……ダグナブリク公……」


 困ったようなリヴァイアン殿下も、しかし公のマイペースさに少し毒気を抜かれたのか、先程までの(げき)(りん)の色が少し納まっている。


「思慮深い王子のミスだなどとは誰も思わないさ。でも料理長、君は料理人なら、持て成される者達の何が駄目で何が良いのかくらいは知っておくべきだったな。折角の良い腕がもったいないが、まぁ、仕方あるまい。命が惜しければ自ら腕でも切り落とすと良い」

「ひぃっ」


 料理人は腰を抜かしたように縮こまってしまったが、あれはまぁ、庇えない。

 ダグナブリク公の言う通り、自分が誰にどんな料理を供するのかくらい理解しておくべきであり、また王家に仕える料理人であれば、特殊な事情のザクセオンはともかく聖職者に四つ足の動物を供するような失態はまず犯さない。疑わしいことがあれば主人に問い合わせるべきであるし、もし良いと言われたとしても、宮廷料理人としての矜持があるなら食い下がるべきだ。

 なのにリヴァイアン殿下が何一つ気が付いていなかったのを見ても、この料理人は予定と違う食材が届いたところで殿下に確認することすら怠ったわけで、おそらく相応の罪に問われるだろう。


「お待ちくださいッ。先ほども言ったように、料理人を罰することは何の解決にもなりません! ミスに対する処分は仕方なくとも、長きにわたり研鑽を積んだ人間の技術はすぐに買える物ではありません。どうか慈悲ある処遇を!」


 この処分に再びヴィオレットが食いついたけれど、これにはすかさずアルトゥールが「他国のことに口を挟むのは失礼だ」と窘める。それでもヴィオレットは食い下がらず、「それでもこれまでの料理はすべて素晴らしいものでした」と庇う。

 やれやれ。ヴィオレットは慈悲やら慈愛やらというものがこの世で最も貴いとでも勘違いをしているのではなかろうか。ヴィオレットが口を開けば開くほどに、皇帝戦においてはクロイツェン派であるはずのカーシアン女伯の視線が険しくなり、聖職者として戒律を犯された師への侮蔑にフィレンツィオの表情が恐ろしく無となっている。特にフィレンツィオのあの顔は、かつての学友であるリディアーヌすら見たことのない顔だ。

 いつもは(ひょう)(ひょう)とした友人だけれど、彼なりに師に対する深い尊敬と信頼があったらしい。あれはそのくらいの怒りだと思う。


「どうかご慈悲を」


 それに気が付きもせず慈悲を求めてリヴァイアン殿下に訴えかけるヴィオレットに、やれやれとアルトゥールも諦めたとばかりに首を振った。今の応酬で、ヴィオレットの意見にアルトゥール、ないしクロイツェンが無関係であることは誇示できたから、もうどうでもいいのだろう。

 あるいはアルトゥールは、国境を接する国の王弟の出方を知りたくて、見定めようとヴィオレットを放っているのかもしれない。ぐいぐいと慈悲を迫られたリヴァイアン殿下も何と答えたらいいのか反応に困ってしまっている。今周囲の皆が気にかけているのも、どちらかと言えばリヴァイアンという皇帝候補の判断力であろう。

 しばらくヴィオレットの訴えに困惑をしていたリヴァイアンであったが、しかし周囲の冷静な視線に突き動かされたように、やがてヴィオレットに手を挙げて制止を促した。


「殿下……」

「皇太子妃殿下の慈悲には感服する。だがこれは我が国の問題であって、そして慈悲は供された料理により害を受けた聖職者と不快感を得たであろうザクセオン大公家に対する侮蔑の上塗りである。私はそのような罪を塗り重ねるつもりはない」

「ですがっ」

「それとも貴殿は私に彼らへの謝罪に誠意を欠かせ、恥を上塗りさせることが目的なのであろうか。なるほど、貴殿のところの皇太子殿下と同じ皇帝候補である私から教会とザクセオンの信頼を奪うには今以上の機会はあるまい」

「ッ……ち、違いますッ。私、そんな意味でッ」

「でもそういう意味と同義だわ」


 今の状況があまりにもリヴァイアン殿下を追い詰めるものだから、少なからず既知を得た殿下を救うべく、思わずリディアーヌはため息交じりに口を挟んでしまった。思わず振り返ったヴィオレットに、もれなく周りからも『そういうことだ』と言わんばかりの首肯が続いたおかげで、ようやくヴィオレットも口を噤む。

 無駄に罪を着せられたアルトゥールの方は、そんなヴィオレットにはもう慣れっこなのだろう。気にした様子はない。


「やれやれ、これでは私が悪役ではないか。言っておくが、妃の意見は私の意見ではない。むしろ私は友人達に過激が過ぎると怒られることの方が多い。この場がクロイツェンの催した席であったのなら、私はこの場で料理人の首を落としている」

「知っているわよ、悪党。ドレスを飛び血で汚さずに済んだのだから、リヴァイアン殿下が理性ある方であったことに心から胸をなでおろす思いをしているわ」

「トゥーリなら間違いなくやって、間違いなく今以上の批難を浴びただろうね」

「そういえばカレッジ時代のお茶会でも嫉妬に狂い公女様のお茶に塩を入れようとした令嬢をその場で殴り飛ばして先生に呼び出しを受けたことがございましたわよね」

「あれは流石に酷かったわ」

「最低だったね」

「最低でございました」

「お前達、ここぞとばかりにやめろ」


 リディアーヌ、マクシミリアン、ナディアという三者に思いがけず批難を上塗りされて顔色を濁したアルトゥールに、司教様を介抱していたフィレンツィオが「呑気に昔話に花を咲かせていないで、何か知恵をお貸しください」と呆れた声を出した。

 ふぅ、おかげでフィレンツィオの顔から険が和らいだか。


 とはいえ、料理人を罰したところで状況が変わらないのは事実だ。

 何が問題であるかというと、四つ足の動物が煮込まれた料理と知らず、すでに司教様がその料理に(さじ)を付け、口に含んでしまったことだ。下手をすればドレンツィン大司教も同じ目に遭っていた。それは長年戒律を守り過ごしてきた猊下達にとってどれほどの屈辱であるか。

 やはりまずは司教様をどうにかせねばならないだろうと視線をやったダグナブリク公は、一体何を思ったのか、だんまりをしているリディアーヌに視線を寄越した。


「ふむ。何とかといえば、確かにその通りだ。何か良い案はないのかい? ()()()

「……」


 周囲の視線が一斉にリディアーヌに集まり、リディアーヌはもれなく頭を抱えてため息を吐く破目になった。

 まったく、この人は……。


「ダグナブリク公……何故私にそれを問うのです? 聖女というのであれば、ここにはほら、アンジェリカ夫人と、それからそちらにヴィオレット妃がいらっしゃいますわよ」

「ん? だがやはり聖職者達が一番安心する聖女と言えば君だろう? “リディアーヌ聖女殿下”」


 はぁぁ。まったく、まったく……この人は。


「……お、思わず呆気に取られて言葉を失ったぞ。おい、ダグナブリク。うちの娘にいらん疑いと面倒をかけるな、この身勝手め」

「いやぁ、ヴァレンティン大公にそう評されるとは恐縮だなぁ」


 まったく笑い事ではないのですけれど?!

 ただどうしたことか、おろおろとするばかりのヴィオレットに解決策がありそうには見えないし、それは困ったようにリディアーヌを見ているアンジェリカについても同様だ。

 そんな状況の中で、よりにもよって友人の期待の眼差しがこちらを向いているのを見てしまった。


「リディアーヌ公女殿下……」

「……フィレンツ……助けてあげたいのはやまやまだけれど、私は……」

「……」


 うぅっ……なんという純粋な聖職者の眼差しをするのか。ここで断ったら悪魔のようではないか。

 それにようやくゆるゆると青い顔を持ち上げたサンチェーリ司教を見ると、このまま無視するのも申し訳ない。それにダグナブリク公の言葉に、『貴女なら何とか出来るのでしょうか?』と言わんばかりのリヴァイアン殿下の焦燥と期待を孕んだ必死の眼差しが、()(たび)リディアーヌにため息を吐かせた。


「リヴァイアン殿下、私の側近達を棟に入れる許可を下さいませ」

「勿論です。どうか頼みます。お力をお貸しください、公女殿下」






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