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8-42 フォンクラーク昼餐会(3)

「格差問題はセトーナでもよく取り沙汰されます。南部に多いのは何故なのでしょう」


 話の裾野が広がるに従い、低い身分から一躍伯爵夫人となり、未亡人となった後に王子の妾妃になった複雑な経歴のダウレリアが続けると、クレメンテ司教の意見を交えつつ、リディアーヌとマクシミリアン、ナディアとでかつてのカレッジでの学びを一つ二つ話した。

 元々堅固な職業による差別制度が強い南大陸の影響があったとか、あるいは帝国本土を継承した他の国と違い、南部は帝国制樹立期に現地民を植民支配する形で築かれた国であった名残であるとか、民族的な差異のせいであるとか。それに南部の国々には帝国人ではない南大陸や島国からの移民が多いのも一因とも言われている。

 よりにもよってその南部のフォンクラーク、ヘイツブルグ、セトーナはすべて初代皇帝ベザの血を引き継ぐ伝統的な帝国血統の支配が続いている国である。王侯貴族が帝国人としての誇りを強く持つからこそ、現地の民達や移民との間には感情の格差が広がってしまったのだろう。


「だからこそ、フォンクラークやセトーナから皇帝が立つことも、一つの手段なのです。その国が帝国を率いる立場になれば、国民もまた皇国の民として尊ばれ、国民もまた帝国人であることの意識を得ましょう」

「あら、クレメンテ司教様、だからといってその一国の為だけに帝国全ての命運をかける真似は、選帝侯家として看過できませんわよ」

「ははっ、それはそうだ。ましてや今回は……ね」


 ちらりと隣の机を窺うマクシミリアンに、クレメンテもため息をこぼして、「まぁヘイツブルグの選議卿とはいえさすがに私も、大公閣下の今回のご意向には首を傾げております」と囁いた。それには大公の実の息子のウィクトルすら肩を縮めたほどだ。


「それに国を帝国に染ませる方法なら他にも色々とありますわ。ナディアやバルティーニュ公の試みもありますし、皇帝が立たずとももっと多くの者を皇宮直臣として仕えさせる方法もあります。交易の活性化は分かりやすく異文化を異文化とせず認知してゆく手がかりにもなります。現にザクセオンでは香辛料を用いた料理が浸透しているといいますし」

「逆にこちらから持ち込むものは不足しているのが現状だね。まぁ未知の刺激的な味を楽しめるこっちと違って、南部の国にとっては帝国風というのは味気ないだろうからなぁ。ナディ、いい意見はない? 南部の味に慣れた立場として」

「正直、食べ物という意味では難しいですわね。私はフォンクラーク南部の出身とはいえ立場柄帝国風に親しむよう育てられましたけれど、普通の南部の民にはやはり薄味で上品な帝国風は馴染みにくいです。けれど菓子類などは広まっておりますよ。リディアーヌ様いわく、それはもう帝国風という名を逸した砂糖の塊だそうですけれど」

「はははっ」

「冗談ではなくってよ。おそらく倍は砂糖が入っているわ」


 本気でそう訴えたのだが、「まぁ、倍?!」と、何故かアンジェリカの目は輝いてしまった。そういえばアンジェリカは結構な甘いもの好きだったか。ちょうど目の前に供され始めたデザートに、女の子達のうっとりとした嘆息が続く。

 リディアーヌには、リュシアンの息をひっ詰める声が聞こえてきそうだった。


「あとはセトーナの金銀細工、リンドウーブの木工細工などが美しいと評判です。お家代々の紋様、なんていうこだわりも強いのが厄介ですが、若い人には帝国風の珍しい図案は面白がられる傾向が強いですわね」

「食べ物以外か」

「ナディアはカレッジ時代、帝国風のレースが美しいと、いつも好んで買っていたわよね」

「ええ、あれは今も美しいと思っております。私も南部で真似できないかと試みたのですが、何しろ暑い土地柄と根気強さのない国民性のせいでしょうか、中々レース職人が育ってくれずに苦心していますの」


 ほぅ、と息を吐いて見せたナディアに、花嫁修業としてレース編みをすることのあるシャリンナのヘルミーナ妃が、「私もとっても苦手で、そんなのではお嫁に行けませんよ、と母によく叱られました」と笑った。


「甘いっ! なるほど、これは甘い!」


 そこに空気を読まないダグナブリク公のデザートに対する率直な感想が飛び、同じ言葉を胸の内に秘めていたリディアーヌを含む数人が肩をすくめた。


「まぁ、甘いですか? これでも今回は皆様のお口に合わせて随分と砂糖を減らしましたのよ?」

「フォンクラークは今日からセトーナと共に“二大砂糖大国”を名乗り給え!」

「まぁっ、ふふっ」


 歯に物を着せないダグナブリク公に、思わずナディアの顔にも自然な笑みが(よぎ)った。


「ダグナブリク公、驚くのはまだ早いですわよ。きっとこの後、もっと甘い物が出てきますから」

「まぁ、何故ご存じなんですの? リディアーヌ様」

「ナディ、貴女が教えてくれたのよ。フォンクラークでは食後に必ず、砂糖で煮出した紅茶を飲むのでしょう?」

「砂糖ではなくミルクです」


 ナディアは冷静に修正を促したが、勿論分かっていて口にした言葉である。

 ちょうど赤銅色の特殊なティーカップの紅茶を出そうとしていた侍従がびくりと手を躊躇ってしまったが、あれは多分侍従も、砂糖で煮出したといっても過言ではない飲み物であることを知っているからだろう。

 リディアーヌの元に運んできた侍従は、少し困った顔で苦笑をしながら器を置いていった。

 うむ……これは絶対に甘い。


「何しろナディは、マドレーヌは甘ければ甘いほどいいだなんていう暴論でカレッジで一番厄介な先生を卒倒させて単位をもぎ取った()()だからね」

「きゃっ」

「あぁ、その噂は聞いたことがありますぞ。毎週のように菓子を求めて聖都の菓子店を巡り歩いていた名物教師がぱったりと現れなくなって、何事かとその界隈で騒ぎになったのだとか」

「えっ、それは初めてお聞きしましたわ、クレメンテ司教様。本当ですの?」

「ええ、本当ですよ。今はどうかは分かりませんが」

「そんな。グレアム先生とはよい甘味仲間同士、とっても親しみを覚えておりましたのに」

「良いお年の先生でしたもの。むしろあれを機にきっぱりと甘い物を断てて良かったのではないかしら」

「うん……あれは、ね。見ているだけだった私達も、暫く甘い物は食べられなくなったから」

「一体何があったんです?」


 こってりと甘いデザートをこってりと甘いお茶で潤す甘い物猛者のアンジェリカに話したところで共感を得られるかどうかは分からない。いや、むしろいつぞやの教師よりもアンジェリカの方が甘い物に強いかもしれない。


 ただここまでの甘い物攻めはただの話題提供の一端だったのか、小さなカップの中の砂糖の塊をぐっと一思いに飲み干したところで、今度は黒々とした湯の入った同じ大きさのカップが供された。

 到底お茶の色はしていない怪しい物体だが、遠くにいても香るほどに香ばしい香りがしている。カップを供されたヴィオレットが驚いたように目を瞬かせ、「あっ」と何かを口にしかけたようだけれど、すぐに先程の失態を思い出したように口を噤んだ。

 それをチラリと見たナディアが悠々と口をほころばせ、「これは以前うちにいらして下さったリディアーヌ様にもお出ししたことがございませんでしたね」と言う。逆にマクシミリアンには馴染みのあるものだったようで、驚いたように「カッフェじゃないか」と口にした。

 こちらは先程のヴィオレットと違い、実際にこの飲み物を知っていて、国内で流通している人の言葉である。ナディアもそれにニコリと微笑んで頷いた。


「聞くところによると、あれもこれもと新しい物を取り込むザクセオンでは、こちらも割と流通しているそうですね」

「あぁ。他の国では酸っぱくて苦い泥水扱いされて受け入れられなかったと聞くが、うちでは労働者から貴族まで、一部の好き者達に流行っている。確か、ライゼンより南東の、リビトアの属国の辺りが産地だと聞いたが」

「うちでもわりと昔から輸入があったんです。どちらかというと着付け薬みたいな扱いがされていたのですけれど、たっぷりのミルクと砂糖を入れるとおいしいと気が付いた変わり者がいまして」

「そこでもミルクと砂糖なのね……」


 思わず突っ込んだリディアーヌに、「あぁ、でもこれは淹れないと飲めたものではないよ」とマクシミリアンが言う。

 いわく、一部の好き者の中でもさらにごく一部、そのままでないとカッフェではないと豪語する強者がいるらしいが、普通は甘くするらしい。


「でも今は口の中が甘くなっていらっしゃるでしょう? 皆様にはミルクをお勧めしますが、リディアーヌ様は是非、そのまま飲んでみてくださいませ」

「え、何それ。少し怖いのだけれど?」


 そう言いながらも恐る恐るカップを手に取る。

 香りはとても良くて、青茶を深煎りして香ばしくしたお茶に少し似ている。けれど近くまで来ると、すこし酸味のような香りを感じるだろうか。

 恐る恐る口を付けてみて最初に感じたのは強い苦みで、思わず眉をしかめかけたけれど、今少し口に含ませると、甘ったるくて難儀していた口の中に豊かな風味が広がった。


「あら、おいしい」


 カッフェとやら自体のおいしさなのかは分からないが、少なくとも菓子と合わせるととても飲み心地のいいものだ。


「え、本当に?」


 ミルクを入れずに飲むなんて好き者だけだと思っているらしいマクシミリアンは(いぶか)しみながら自分もそのまま口に含んでみたようだけれど、しばらく難しい顔をしたかと思うと、深く頷いて残ったカッフェにミルクを注いだ。砂糖は入れないらしい。


「ふふっ。駄目だった?」

「うーん……思っていたほど悪くはないんだけど、私はミルクが入っている味の方に慣れてしまったかな。でも砂糖を控えたい気持ちは分かった」

「ほうほう」


 そうと聞いたダグナブリク公もミルクだけを加えて嗜むことにしたらしいい。

 紅茶よりもしっかりと舌に重みを感じるのは先程の菓子のせいか、それともこの複雑な味わいのせいなのか。

 きっと、ナディアに勧められてたっぷりの砂糖とミルクを入れて飲んでいたアンジェリカやヘルミーナ達とはもはや別物である気がするけれど、これは中々、味の濃かった料理の後にはよく合うものだ。あるいは甘すぎる菓子にもいいかもしれない。


「リディが気に入ったなら、今度、カッフェチョコレートを差し入れるよ。馴染みの無いものだから気に入らないかなと思って出してなかったんだけど」

「カッフェ味のチョコレート?」

「そう。キャラメルが加えてあるのが特に美味しい」

「貴方の国の流通って一体どうなっているのかしら。一度本格的に見てみたいわ」

「是非と言いたいところだけれど、もう間もなく姉上に後頭部を狙われる予定の私にそれを叶えてあげられる機会があるかどうか」

「……そうだった」


 いつぞやの後頭部の惨劇を思い出して口を噤んだのだけれど、そのさらりとこぼされた一言に、ナディアとダグナブリク公の目が思い思いの感情でマクシミリアンをパチパチと見るのを見て、リディアーヌはそっと顔をそらした。もしかしたらあの二人は気が付いてしまったのではないか。


「……ミリム」

「ん? あぁ、問題ない」


 はぁ、つまりわざとなわけね。

 一体何を考えているのかは知らないけれど。よりにもよって、そこでニマァとお笑いになった不敵なナディアさんと、面白い物を見つけたようにだらしなく顔を緩めている独立独歩の選帝侯閣下に知られてもいいと思った理由については、後日よくよく問い詰めたいと思った。






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