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8-39 ベルテセーヌ昼餐会(4)

 結局、ヘルミーネやアンナベルなどはアンジェリカと共に展示室をきゃっきゃと見て回ることになったようで、サロンには精神的に年嵩な者が集まった。

 なんとなく、若い人達のテンションにあてられてちょっと疲れていたので、この空間と苦い紅茶が落ち着く。


「グレイシス夫人はおかしな方ですわね。あぁ、悪口ではなく、良い意味で」

「私もそう思いますわ、コランティーヌ夫人。アンジェリカにはまだまだ足りていない所も沢山ありますが、あの胆力と(ほが)らかさは中々見かけない美徳です」

「特に王侯貴族では珍しいと言えますわね」

「すっかりと(なつ)かれたヘルミーネ妃殿下が可愛らしかったですわね」


 二階には付いていかずにこちらにいらしたダウレリアはヘルミーネからは少し遠い席にいたはずだけれど、その賑やかな声が聞こえていたようで、なんとも微笑まし気である。

 夫のヴィレーム殿下は気恥しそうだったけれど、改めてこの場でリディアーヌに、「緊張とストレスが続いていたようですから、グレイシス夫人の心遣いには感謝をしています」と伝えた。


 アンジェリカは一応リディアーヌとは他国の者なのだが、リディアーヌに伝えればアンジェリカに伝わるという認識は、これまでアンジェリカがリディアーヌを実の姉のように慕い、振舞ってきた行動が功を奏しているのだろう。

 それは意図通りであったので、リディアーヌもあえて指摘はせず、「そうと聞いたらアンジェリカはとても喜んで、励みになることでしょう」と答えておいた。


「ところでこんなことを聞いては失礼かもしれないのですが……ヴィレーム殿下は、ヘルミーネ妃殿下とは、その、お年が離れていらっしゃいますよね?」


 シャリンナから遠いヴァレンティンではその辺の詳しい事情は知られておらず、既知を得られたのは良い機会だからと問うてみたら、同じく事情を知らなかったらしいコランティーヌ夫人も、「私も気になっておりましたわ」と頷いた。


「ええ、お恥ずかしながら。妃は、私の兄の娘……つまり、シャリンナの現国王陛下の第六王女です。我が国では、王女の降嫁は王からの信頼の証なのです」


 そういう噂は聞いたことあった。何かの間違いだろうかと思っていたが、どうやら本当だったようだ。


「ということは、姪、ですか?」


 そういう近親婚が珍しいらしいヘイツブルグのウィクトル公子が目を瞬かせると、ヴィレーム殿下も困ったように「野蛮だとお思いになりますか?」などと口にした。

 すぐにウィクトルはしまったという顔をしたけれど、それにはマクシミリアンがすかさず「いや、思わないけれど?」と何事もなかったかのように口にする。


「確かに、今の帝国では珍しいかな。でも帝国初期にはよくあったことだとか……この辺はリディの方が詳しいよね?」

「ええ。帝国初期にはよくある事でしたよ。ヴァレンティンは特にそうで、系図を見る限り同母の兄弟姉妹以外は普通だったようですね。最近は避けるようになりましたけれど、それは感覚的な理由というより近親婚より遠い血を加えた方が丈夫な子が生まれるから、といったような統計的な話だと聞いています。実のところ、ヴァレンティンやベルテセーヌでは兄弟姉妹以外の結婚にも法的な縛りは有りませんし、イトコくらいなら今も多いですわ」

「そうなのですか?」


 その話はヴィレームも存じていなかったらしく、目を瞬かせていた。


「しかし兄王の命での降嫁であったとはいえヘルミーナは私の娘ほどの年ですし、一つしか年の違わない私の長女を養女にしたりと、苦労も掛けています。まさか皇宮であのように自然な笑顔を浮かべてくれるとは思っていなかったので、とても安堵しています」

「ヘルミーネ妃はとても可愛らしい御方ですもの。アンジェリカでなくとも可愛がりたくなるというものです」


 リディアーヌがそう言うと、コランティーヌ夫人もクスクスと笑って、「確かに」と頷いた。

 その可愛らしい魅力を引き出してくれたのはアンジェリカなので、やはりこれはアンジェリカの功績だ。


「そういうアンジェリカ様も可愛らしい方でしてよ。公女殿下をとても慕っておいでのようですね」

「私も一体、何をどうしてこんなに懐いてもらえたのか不思議ですけれど。私のしたことといえば、本人の未熟さを叱って、厳しく作法を叩き込んだことだけですのに」

「おほほほっ」


 何故かコランティーヌ夫人は朗らかにお笑いになったけれど、リディアーヌには心の底から不思議なのである。特に好かれるようなことをした覚えがないのだ。


「リディはいつも大体、年下に好かれる。特にリディは女の子を可愛がるから、カレッジでは“お姉さま”を慕う後輩達が群がって大変だった」

「あぁ、ベネディクタ皇女とか」


 お姉さまと呼び出しカレッジでリディアーヌの周りを賑わわせた張本人を思い起こして名前を挙げると、「それはクロイツェンの皇女殿下のお名前では?」とヴィレームが首を傾げた。

 どうやら帝国の事情に(うと)いヴィレームは、リディアーヌというヴァレンティンの公女が対立派閥のクロイツェンの皇女と親しくなるというのがピンとこないらしい。リディアーヌだって、カレッジが無ければそうはならなかったと思う。

 意外と知らない人もいたのだと逆に驚いたが、そういえばヴィオレットもその辺りのことをよく分かっていなかった。

 先の皇帝崩御の折からこの方、昔の成人式の頃とは違ってリディアーヌもアルトゥールとは距離を置いてきた。なのでもしかすると国によっては、アルトゥールと友人だったといっても驚く人はいるのかもしれない。

 その割にマクシミリアンと仲がいいことについては誰からも不思議がられたことが無いのだが……何故だろう? 対立派閥とはいえ同じ大公家だからか? まぁ確かに、なんだかんだ言ってうちの養父もザクセオン大公と一緒にいることが一番多い気がするが。


「シャリンナももっと皇宮に顔を出し、帝国の一員として介入なさいませ。貴国にはその資格があるのですから」

「お言葉ですがコランティーヌ夫人、我が国は帝国の一員といっても新参者で、それに初代皇帝陛下の血などそのわずか欠片も引いているかいないかという()()(もの)です。文化も異なり、肩身の狭い思いをせざるを得ないことはご理解ください」

「あら、文化の違いというのであれば、すでに同じ帝国、同じベザの子孫であってもまったく個性が違うということがこの三日でお分かりになったのではないかしら」

「それは……そうですが」


 コランティーヌ夫人とヴィレームとが少し込み入った話をし始めたところで、きゃっきゃと賑わうアンジェリカ達がサロンに戻ってくる様子が横目に見えた。

 決してギスギスしているなんてことはないものの、こんな生真面目な空気の場所に入ってきたら、あの子達は戸惑ってしまうのではなかろうか。


「帝国とはかくあるべきかは、この皇帝戦においても重要な争点の一つですわね」


 だから極力声色を軽くして見せながら口を開く。


「私は各国の個性は好きですし、帝国が一つの国としてのまとまりあるものでなくてもよいと思っています。文化が違っていても、私はヴァレンティンとは比較的近いザクセオンとも、全く違うフォンクラークとも、あるいは対立派閥だなんて言われているクロイツェンとも、等しく分かり合える友人を得ました。勿論、そう一筋縄でいくものではありませんけれど。でもきっと帝国というのは、その言葉だけで他国にこうした堅固な繋がりを作ることが出来る制度であり、いざという時、戦うのではなく皇帝という名のもとに話し合いで穏便に物事を処理することのできる、理性的な機関であると認識しています」

「理性的な、機関」


 皇帝という制度に対して、選帝侯家が口にするには少々不遜な物言いであることは承知している。けれど帝国という制度に縁の薄いシャリンナの王弟殿下には、そう言われた方が理解しやすいのではないだろうか。


「各国の自治は尊重しながら、皇帝という権力の元に、困ったことがあれば穏便に支援をやりくりし、外国に対しては一国で対処できないことも帝国として対処することで安全や優位性を得る。現にフォンクラークやセトーナはそうして南大陸の大国相手に優位的な関係を築いていますわよ」


 それは南大陸と海路で通じうるシャリンナも他人事ではない。今はまだ、シャリンナは帝国の恩恵をうまく受けられていないだけなのだ。


「それは、シャリンナが帝国の一員としての意識を持ち、そうであることを受け入れたならば、我が国にも恩恵があるはずだと?」

「さぁ、それは私にはわかりません。けれどそうなるよう立ち振るまえば、そうなるかもしれません」

「……なるほど。私達はまだ、その恩恵を理解していないのですね」

「勿論、恩恵だけとは限りません。(わずら)わしいことも増えるかもしれませんけれど」


 現にヴァレンティン大公はそれを(いと)うて、あまり帝国というものに貢献していない。それでもヴァレンティンが孤立しないのは、ヴァレンティンが王国ではなく選帝侯家の自治領国という立ち位置だからなのかもしれない。


「しかし我々は元々、クロイツェンの躍進から身を守るために国家として成立した国。今なおクロイツェンとの関係は一触即発で、クロイツェンの率いる帝国制にはやはり懐疑的とならざるを得ません」


 そう真っ直ぐに実情を口にしたシャリンナの王弟殿下は、やはり帝国の事情に精通していない。あまりにもリディアーヌにとって都合のいい言葉が出てきたせいで、眉をしかめてしまった冷静な為政者達とは裏腹に、満面の笑みが零れ落ちてしまった。

 だがそれを隠す気は毛頭ない。


「まぁ、それはなんと素敵なことでしょう。ふふっ、お忘れですか? ヴィレーム殿下。皇帝権力の拡充を望むクロイツェンの皇子殿下に対し、私達ヴァレンティン擁するベルテセーヌの国王陛下は自治促進、皇帝権力の最低限中立派です。殿下の今のお言葉は、私共を支持しますと言うに等しい、いささか過激なご発言でしたよ」


 私は嬉しいですが、と続けたリディアーヌに、ようやく察したらしいヴィレームはすぐに顔色を引き締め、「失言でした」とはっきりとした言葉を述べた。

 さすがに、王位争いを勝ち得て王座に就いた現国王陛下が唯一信頼を置いて生かしたという王弟殿下だ。国としての発言がどれほど慎重であるべきなのかも、その一言がどう影響してしまうのかという己の身分のことも、きちんと(わきま)えていらっしゃる。

 今はまだ帝国の内情への知識が足りていないのだろうが、もしシャリンナが現王体制下、この王弟を重用して帝国制に理解を示してゆくのなら、これからシャリンナの立ち位置というのも変わってくるかもしれない。

 無駄にライバルを増やすことのようにも見えるが、元々帝国和親派のリディアーヌとしては、シャリンナが協力的になってくれることに悪い気はしないものである。


「失言ではありましたが、しかし良い学びを得られたようです。公女殿下のお話は、私も心して王に伝えましょう」

「そうしてくれるとうちも嬉しいね。シャリンナは海を挟んで対岸という近さなのに、ザクセオンはクロイツェンの後援派閥だからと敵視されている。それが私は残念でならないよ」


 さらにマクシミリアンがそう口にすると、この数日マクシミリアンの妙な人懐っこさにあてられてきたらしいヴィレームも、「それについてはすでに認識を改めています」と苦笑した。

 少し場の空気が穏やかになったところで、様子を見ていたアンジェリカがほっとしてヘルミーナ達を連れて中へ戻ってこようとしたけれど、その隣を横切る形でさっそうと翻った紅色のマントが、再びアンジェリカの足を止めさせた。


「少し目を離した隙にシャリンナを懐柔か? 相変わらずお前達は目が離せないな」


 話し込んでいる間に、上へ行っていたアルトゥール達が戻ってきてしまったらしい。

 大公達の姿はないが、彼らはおそらくそのまま二階の応接間に留まっているのだろう。なのにどうしてアルトゥールだけ降りてきてしまったのか。思わず眉根が寄ってしまった。


「酷い反応だな、リディ」

「まったく……貴方はどうして悪びれもなくのこのことこちらにいらっしゃるのかしら。皇帝候補なのだから、皇帝候補らしく上で大公達に揉まれていなさいよ」

「ここには懐柔しがいのある選帝伯という(とうと)い悪友達がいらっしゃるからな」


 そう逃げ出そうとしていたマクシミリアンの肩をがっしりと掴んだアルトゥールに、マクシミリアンがあからさまなため息を吐いた。


「ミリム、ザクセオン大公がお呼びだぞ。うちの跡取りは一体どこで後援すべき俺を放り出して遊んでいるんだ、と」

「見逃してよ、トゥーリ。最近、姉上の目が怖くてリディとベタベタできてないんだ」

「何言ってるんだ。ほら、行くぞ」

「あぁぁぁ」


 嘆きの声をあげるマクシミリアンが引きずられていくのを呆れた顔で見送っていると、クスクスと笑うナディアが代わりにやってきて、立ちすくんでいたアンジェリカ達に「さぁ、面倒な方達はいなくなりましたから入りましょう」なんて声をかけた。

 もしかしてザクセオン大公に『そういえば公子様は?』なんて吹き込んだのはナディアかもしれない。


「暗躍しているようね、ナディ」

「あら、誤解ですわリディアーヌ様」


 一体何が誤解なものかと思いつつも、ナディアのおかげで場の空気は変わっただろうか。

 幸いにして、それから自然と解散の流れになるまで、大公達が厄介な方々を下に連れてくることはなく、そのままベルテセーヌの茶話会は幕を下ろした。


 そろそろ一休みしたい心地だけれど、まだまだ催しは続く。

 解散の流れの中で、孤立しそうだったヴィオレットに声をかけたナディアが丁寧な対応で帰って行くのを見送りながら、随分と人の空いた展示室の真ん中でホゥと吐息をこぼした。


 偉そうに帝国制について説いたりしちゃって……こんな(ぬる)い考え方、実の父が聞いたら鼻で笑いそうだ。

 でも私はもう、強烈な威厳で皆を魅了したクリストフ二世の王女ではなく、ヴァレンティンの、傍若無人だけど根は真面目で、ちょっと親馬鹿で時々暴走するけれど基本的には平和主義者な、そんな甘い養父の娘なのだから。

 きっと、これでいいのだろう。






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