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8-35 リンドウーブ昼餐会

 翌日はマーサが気を使ってくれたのか少しゆっくりと目を覚まし、これまでより随分と簡素な形のスレンダーラインの単色のドレスにびっしりと入った刺繍が重たい上衣をぎゅっと紐で縛りつける五十年くらい古いようなデザインのドレスに、暖かい素材のケープの上着を羽織り、きゅっときつめに髪を結わえた。

 二日目の昼餐会の担当はリンドウーブで、この恰好は織物とやや古風なデザインを流行としているリンドウーブに合わせたものであるらしい。昨日のうちにもすべての展示会場で雰囲気を把握してきたうちのできる子達の情報をもとに、マダム・フロレゾンがチョイスしたものだ。

 こんなものを持って来ているとは知らなかったが、あるいはその目の下のくっきりと色づいた(くま)をみるに、昨夜の内に何かをお直ししたのかもしれない。疲れたとか言って申し訳なかったです、なんて気持ちになった。


 リンドウーブは比較的新興で、クロイツェンに次いでカクトゥーラなどと同じ頃に起きた国である。当時は東大陸全体があまり良い情勢ではなく、帝国の中でもベルテセーヌと比肩して威を放っていたベルデラウト王朝の壊滅という大事件のあおりがあちらこちらに飛び火した混乱の時代だった。

 その頃に新たに起きたクロイツェンからダグナブリク家の支援を受けて独立し七王家としての承認を受けることで自治を勝ち取ったのがカクトゥーラで、勢いを増し戦仕度を万全とする強国となったクロイツェンの侵入を阻むためにばらばらだった氏族を統一して急ぎ国として成立させたのがシャリンナだ。

 一方でリンドウーブのある東大陸南部は、ベルデラウトの(ちょう)(らく)がありながらもザクセオンという堅固な国に守られ、沢山の南西諸国群が生まれたものの、大きな痛手には合わなかった土地である。

 しかしベルデラウト王朝からの救援要請をにべもなく断り知らん顔をしたセトーナ王家に不満を抱いた一部貴族達がベルデラウトからの亡命者を受け入れ独立してできたのがリンドウーブであり、元々はセトーナの一部だった国なのだ。


 そのためリンドウーブは、セトーナの文化とベルデラウトの純帝国風の文化とが織り交ざった国である。南大陸との交易により当初のそんな気風も随分と様変わりはしたが、長年セトーナとの関係が悪く、後にクロイツェンと協力関係を築いたザクセオンとも関係を(こじ)らせた時期があり、帝国七王家の一つでありベルデラウトの一番の後継国と言って過言ではない成立過程ながら、周辺から孤立し、皇帝戦ともまったく無縁な国となってしまった。血筋という意味では、ベルテセーヌ、フォンクラーク、セトーナの三国に次ぐ、濃いベザの末裔国である。

 最近はもうすっかりとセトーナとも関係修復し、ザクセオン、シドニール島、リンドウーブとの間で活発な交易も行われてきたと聞くが、昔の帝国の流行がそのまま停滞して文化になっているあたりは、長い孤立時代があったことを思わせる。

 だがそのおかげもあって、個性の強い東大陸や南部の気質とは裏腹に、リンドウーブはかなり帝国風の名残を残す。展示会に並んだ品にも珍しい南大陸やシドニール島の名産と折衷した文化が見える一方、とても古いベルデラウト王朝時代の宝物なども並んでいるあたりが、やはり古い系譜に縁を持つ国であることを感じさせた。


 それは料理もそうで、味付けだけは南部らしく香辛料が使われているソースなど変化しているものの、食材や調理方法は極めて純帝国風だ。少しばかり味は濃いが食べなれた食材と食べなれた見た目なので気も楽で、また完全に皇帝戦とは距離を置いている国であり、ホストも王族ではない“代官”という立場であったせいか、客もかなり穏やかな心地で食事にありつけた。

 リンドウーブのもう一つの特徴は、そもそも王というのが三家交代制なことだろう。セトーナの本国から離反した有力貴族と、ベルデラウトの旧貴族や落ち延びた王家傍流などから成立した国だったため、そもそもそこに誰を王として立てればいいのか分からなかった。だが独立を維持するためにも王家として成立させ七王家の一員として帝国に領地領民を安堵してもらう必要があり、結果、セトーナ系、ベルデラウト王族系、ベルデラウト貴族系の三家から互選制で王を選ぶ国として成立した。

 今は三家がそれぞれ結婚などで血筋を交えてほとんど同一化しているが、一応、ベルデラウト貴族系の家から王が立っている。

 一方、今回皇宮に代官として派遣されているのはセトーナ系の王家なので、彼らもまたある意味王族に準じる立場であり今後王に立つこともあるかもしれない立場ということになるのだが、それを感じさせない雰囲気もあって、皆の気を緩めさせたのだろう。おかげで二日目はあまりストレスもなく乗り切れた。


 もう一つ良かったのは、昼餐会後の長々とした茶話会が無かったことである。

 一応サロンでお茶には招かれたが、帝国内最高級の茶葉を産出するリンドウーブらしく、会話よりもお茶を楽しむことに重点が置かれており、二杯ほどいただいたところで自然と解散になった。

 思いがけず早い時間に終わったので、その足でベルテセーヌの保有棟に向かい、シュルトの報告書云わく七王家の中でも一二を争うほどの人の入りだという噂の会場内で少しばかり客と会話をしながら、今日は使われていない昼餐会場に入り込んだなら、そこで待ちに待ったアンジェリカと遭遇することになった。


「アンジェリカ!」

「リディアーヌ様! お早かったですね」


 ぎゅっと手を取り合って思わず喜びを露わにしてしまった。猫の手も借りたいところに、まさにその猫がやってきてくれた気分である。喜びが態度に出てしまった。

 そんな思いがけないリディアーヌの様子に一度びっくりとしたアンジェリカも、すでにこちらでラジェンナからここ数日の様子を聞いているのか、あるいはこのベルテセーヌ保有棟の賑わいと慌ただしさを肌で感じているのか、すぐに(いたわ)し気に「随分とお大変になさっているそうですね」と気遣ってくれた。


「貴女が間に合ってくれてよかったわ。今は何をしていたのかしら?」

「これから各家にお送りする席次表と手紙の確認をしていました。ちょうどよかった、リディアーヌ様も最終確認してくださいますか?」


 もう準備が済んでいるものなので今更確認しても仕方がないものだが、ひとまず席に着いてゆっくりさせてあげようというアンジェリカなりの遠回しな気遣いである。こんなことが出来るようになっただなんて、その成長ぶりが微笑ましい。

 すぐにこちらに気が付いたラジェンナがお茶の準備もしようとしてくれたけれど、今日はリンドウーブでたぷんたぷんになるほどお茶をいただいてきた後だったので今はお断りして、この二日間の展示会の様子に関する報告をお願いした。


「昨日以上に今日は盛況ですね。やはり一番人気は二階のギャラリーに置いた初代皇帝皇后陛下の肖像画です。あちらの部屋には毎時十人ずつしか入れないよう制限をかけて、整理券をお配りして入っていただいているのですが、もうすでに最終日の分まではけてしまいましたわ」

「身分で奪い取るような懸念していた事件は起きていないかしら?」

「ええ、起きておりません。助言をいただいたとおり、整理券は国王陛下から与えていただくという体裁をとり、こちらでも誰に整理券をお渡ししたのかをきちんと管理しております。身分の低い者も、陛下からの(たまわ)りものですからという理由を付け誰かに奪われることのないようにしました」


 その方法は元々平民暮らしをしていたアンジェリカがベルテセーヌにいた時に懸念を示し、セザールに相談され、リディアーヌも共に考えた案件だ。上手くいくかどうかは分からないが、と試した試みだったが、思いのほか円滑に行っているようで安堵した。


「ですが今回はそれ以上に、レティシーヌ王妃陛下の肖像画に関する意見が大変な話題ですよ。初代陛下の肖像画は言ってみればすでに名の知れた有名な絵で、レプリカを見たことのある人は大勢います。勿論、本物には本物にしかない良さがありますが、しかし見慣れた構図の絵よりも見慣れない美しい女性の肖像画に、これは一体誰なのかと話題になりました。とくに昨日はレティシーヌ陛下を御存じのご年配の方が大層目をお輝かせになって懐かしがられ、一階で絵のお話と当時のお話を語り出されて……それを聞いた人から噂が広まり、今日の盛況になったようです」

「一体そんな広告塔になって下さった方とはどなたかしら」

「えっと……確か芳名録には、バーテルミ・デシャンルム卿と……」

「ごふんっ、ごほんっ、ゴホッッ」


 思わず()せこんでしまったリディアーヌに、びっくりした顔でラジェンナが背を撫でてくれた。

 驚いた。驚くどころじゃないほどに驚いた。おかげで変なところに空気が入ってしまった。うぅ、息苦しい。


「杖を突かれた随分なご年齢の方でしたが……ご存じなのですか? 公女殿下」

「……ラジェンナ」


 あぁ、物知らぬ貴女が羨ましい。


「ご存じも何も……バーテルミ候は皇宮直臣三候家の一つ、オランジェル侯爵家の先代当主様よ。先々帝クロイツェン六世の最側近で、皇帝陛下の妹君……つまり現皇王陛下の大叔母君とご結婚なされた皇族近縁でもあるわ」

「っっ……そんな大物だっただなんてっ」


 びっくりと飛び跳ねたラジェンナに対し、まだこの皇宮という場所と人に馴染みの無いアンジェリカが、「お名前はオランジェルではないのですね」なんて呑気なことを聞いた。

 リディアーヌにとっては皆が知っていて当然という心地だったのだが、やはりベルテセーヌは閉鎖的な国である。常識だと思っていたことも、皆当たり前のように知らないのだ。


「デシャンルムはデ・シャンルム。先々帝陛下がオランジェル候に与えた家名よ。先々帝クロイツェン六世と妹姫のセカンドネームがシャンリ、シャリアンと仰ったから、それにちなんで一代限りに与えられた副家名なの。お母君が皇宮直臣出身のシャンリエッタ様と仰ってね。帝国近現代史では有名な話よ」


 だがまさかすでに十四年以上も前に引退し、以後まったく動静の聞こえてこなかった前時代の偉人がこんなところに出てきていただなんて驚いた。生きているのか死んでいるのかの噂さえ聞こえていなかった人だ。

 それが初日からベルテセーヌの展示会に来ていたと? しかも先々帝時代、何度も七王家の王妃として皇宮に訪れていたであろうレティシーヌお祖母様の肖像画に昔話をして盛り上がっていたと?


「一体何をお考えなのかしら……」


 目の前の人達のことでいっぱいいっぱいなのに、こんなところにそんな前時代の人物まで出てきたとなると、頭の中が破裂しそうである。まぁ、今更政界を退いて長いご隠居様が何かをしでかすつもりでいるなんてことは流石に無かろうが、その影響力は計り知れない。


「こうなると来賓名簿も確認した方が宜しいかしら」

「私達が無知なばかりに申し訳ありませんが、お願いをした方が良い気がしてまいりました」


 そう肩をすくめるラジェンナに対し、アンジェリカは「私も勉強いたします」とやる気満々である。まぁアンジェリカに教えるためだと思えば頑張れなくもないか。


 おかげさまで、折角リンドウーブの催しが早く終わったこの日も、結局日暮れまで昼餐会場でアンジェリカとラジェンナのための勉強会を取り仕切ることになってしまった。

 招きを受けて他の展示会に出向いていたリュシアンが来客もいなくなり閉門した保有棟へやってきて、「到着したはずのアンジェリカがいまだに離宮に顔を出さないと、侍女長が慌てふためいているのだが」と呆れて声を掛けに来るまで、時間にも気が付かなかったほどだ。

 おかげさまで、明日の準備は万端整った。

 整ったが……やはり、女性は三人以上集まると際限なく時間が過ぎてしまうのだということを実感した。






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