8-34 閑話
一日セトーナの保有棟で料理と文化を楽しんだ後、夕方を前に養父に声をかけられ保有棟を出た。
いい加減分かってきたが、女性達の社交というのは誰かが止めてくれないと際限なく続く。これは女性達の社交すべてがそうなのか、それともコランティーヌ夫人が話し上手なせいなのか分からないが、とにかく抜け出すタイミングがない。なので養父が迎えに来てくれて本当に助かった。
そのまま選帝侯議会棟に戻ったところで、すでにぐったりとした体をソファーで休めたい気分であるものの、一日外を駆けずり回って情報収集に当たっていた文官達からの報告を受けた。
初日の保有棟への客入りの傾向や注目の集まっていたもの、円形議場での催しの一覧と、今日の昼餐会に参加していなかった各国の選議卿達の動き。報告することは山のようにあるようで、昼間からお酒も入っているせいか、考えるのが億劫なほどだった。
「今日は集中が続きませんね、姫様」
「昼餐会とその後の茶話会でぐっと体力を奪われた上に頭を使ったせいだわ」
理由ははっきりとしているので、咎めるというよりは柔らかい声色で注意したフィリックもそれ以上うるさいことは言わず、さっと書類を置き、マーサにお茶を頼んでくれた。フィリックが優しいと逆に怖くて背筋が伸びるので逆効果であることを、彼は自覚するべきである。
取り合えずあまり頭を使わない円形議場の題目表にとろとろと目を通す。まだ埋まっているのは前半ばかりだが、やはり皇帝候補達の講演や施策に対する諮問系が多い。
「序盤から随分と深い話をするのね」
「討論が活発になるのは後半からだと大公様が仰っていましたが、今回は若い皇帝候補が多い分、皇宮側からも政治に対する理解度を測るような題目を求められているのでしょう。最初の方は題目が仰々しいだけで所信表明的なものだろうと、クロヴィス卿が」
「一体いつの間にクロヴィス卿に接触したのかしら?」
ルゼノール家から皇宮の皇帝直臣三代家門の一つエッフェル家に婿に行ったクロヴィスは、厳密にベルテセーヌ派であるわけではないけれど、ヴァレンティン家には何かと融通をきかせてくれる既知の人だ。エッフェル家という面目があるので表立ってのことではないが、うちの文官達は遠慮なく接触しているようである。おそらく、皇宮に来て以来ほとんど見かけずに外をうろついて回っているシュルトあたりが。
「この辺りはまた後日調整されて、七日間の昼餐会明けには各家に配布されるそうです」
「そう」
題目を見た限り、今のところ口を挟みたくなるような気になるものもない。それに序盤はリディアーヌも別の予定が詰まりはじめており、せっかく題目を渡されても聞きに行く時間を取るのは難しいだろう。
「常に誰かしらは派遣して、その日の討論会の内容をまとめて提出するよう頼むわ」
「かしこまりました」
ふぅ。とりあえず一つは片付いた。それから次は。
「禁事棟付の職員の身上調査書? まさか、個室付き以外も全員調べたの?」
「姫様が禁事棟にルゼノールのエミール卿の弟がいるかもしれない、などと仰いましたので、早急に」
分厚い書類の束に何事かと思っていたら、まさかの調査書だった。一応、ベルテセーヌの部屋付の者については調べるよう伝え報告を受けていたが、ここにあるのはそれ以外も含むすべての人員に関する調査書だ。空白の多い人物もあったが、基本的には出身と経歴、禁事棟に赴任するまでの流れや採用の経緯がまとめられている。
「リオの経歴も以前より情報が増えているわね。夫がオランジェル系の陪臣家門なのね」
「皇宮でそうと知られているわけではないようでしたが、オランジェル候は先々帝、先帝とクロイツェン出身の皇帝に近侍して三候と呼ばれるようになった家門です。そのために裏で行われた根回しには傍系や陪臣家門が暗躍していたでしょうから、たとえ目立たない男爵家であっても無視はできません」
「現候爵は中立を称しているけれど」
「今回はクロイツェンが取るか、ベルテセーヌが返り咲くかと、皇宮の直臣はみな慎重です。リオ自身がオランジェル候派なわけではありませんが、いつ婿の縁でこちらの情報を取らんとしてくるかは分かりませんよ」
「そうね……注意するわ」
こうしてみるとヴァレンティン出身の皇宮勤務の者達であっても、手放しに信頼できる者は誰一人としていない。やはり皇宮に居ついたからにはどこかしらで他国とも繋がりがあるもので、ヴァレンティン国内や離宮にいる時ほどに安心できる場所ではないのだ。それを実感した。
「エミール卿の弟は……あぁ、やっぱり。そうだったわね。エリジオ・フィンツ伯」
「フィンツ家は代々皇宮近衛騎士を務める武門ですね。指揮官クラスを輩出するような家ではありませんが、文官との目立った血縁関係もなく、武一筋といった家柄です。ルゼノール家に長男が婿に行ったというのは近年でも非常に稀な出来事だったようです」
「まぁ稀なのは、ルゼノール家の長女がなぜか皇宮で騎士になっていたことのせいでしょうけれど」
「……そういえば、そうですね」
おかしいのはエミールがルゼノール家に婿に行ったことではなく、クロレンスが跡取りでありながらなぜか武官として勤めていたことである。それが無ければ、エミールがクロレンスと知り合うことも、結婚することもなかったであろうし、長男がほいほいと婿に行って次男がフィンツ家を継ぐことになることもなかっただろう。
その辺をエリジオ卿がどう思っているのか気になるところではあるが、彼が禁事棟付に任じられたのはそういう実家の皇宮文官との繋がりのない出身と、本人が寡黙に淡々と任務を遂行する優秀な人材だったからに他ならないようである。
ただ家を出た兄を通じてルゼノール家、ひいてはヴァレンティンに爪をかけられていることは選抜した側も認知していたのか、他の騎士達のラインナップを見れば、出来る限り中立から選ばれているとはいえ広く平等にどこかしらに少しずつ縁のありそうな者達が選ばれていた。
「互いに互いを監視させてるような意図もあるのかしら」
「そうかもしれませんね。あるいはただそういう者を配置することでこちらの気を緩ませようとしている誰かがいるのか」
「……はぁぁ」
まったく安心できた話ではない。
「見れば見るほど、調査書の全員が疑わしく見えてきてしまうわ。はなから全面的に信頼を置く気なんてちっともなかったけれど、これでは少しの気も抜けないではないの」
「何故抜く必要が? 禁事棟などにおらず、此処にいればいいではありませんか」
まぁ、それはそうだけれど……と、相変わらずしれっとした顔で仕事をしてくれているフィリックを見、安心安全の変わりない様子で立つエリオットやイザベラを見、マーサの淹れてくれたお茶で喉を潤し……その状況にくつろぎ切っている自分を、見つめなおし。
「……貴方達、まさか身上書と称して私に彼らの悪い噂を吹き込むことを目的に、内容に改竄、ないし主観を交えてはいないわよね?」
「さぁ、どうでしょう。シュルトはありのままを書いたと言っていますし、私が見た限り何の問題もありませんでしたが。どのみち、私達がいるのに彼らが姫様に頼られることがあるわけでもありませんし、この程度で宜しいのではないかと」
「……」
あぁ、これは。フィリックのこの顔、皆のあの無関心ですとばかりの飄々とした顔は……。
「……え、何。まさか嫉妬?」
「お元気が戻っていらしたようなので、次にこちらをご確認ください」
あぁ、そうだった。不用意なことを言うと何故かこの男は嬉々として仕事を積み上げてくるのだった。
やはりまだまだ、頭が疲れているようである。おかげさまで、結局日が暮れるまでくどくどとこの数日の情報収集の結果を語られ、対処を求められ、くたくたにさせられた。
そうやっていじめるだけいじめて、散々に主を酷使して。それで最後に、「そういえば皇宮の港にアンジェリカ様が到着したとの連絡がありましたよ」などと嬉しいことを言うのだから……。
「貴方の人心掌握術にまんまと踊らされて心が弾むのが憎いわ」
「では言わなければよかったですか?」
「今日一日の苦労が報われるほどのいい気分よ」
にやりと微笑んだフィリックに、呆れた顔をしながらピンとその肩を弾いてやった。
おかげさまで、明日も一日頑張る気力が湧いた。




