8-33 セトーナ昼餐会(2)
「今日は皆の快い参会を感謝している。特に私を皇帝候補に推薦してくれたドレンツィン大司教閣下と教会関係者の皆様に、この杯を捧げる」
会は皇帝候補アブラーン王弟殿下の挨拶に始まり、それから少しの抱負の言葉がそれらしく述べられて乾杯となった。
この七日間は各王家の独自の文化を発信するものなので、料理は基本的にその国で食べられているものだ。しかし食前酒には皆が飲みなれた果実酒が用意されていたようで、リディアーヌにも何の心配もなく飲めた。ただし度数は高かったので、養父はグラスに口を付けるだけでやめたようで、リディアーヌが杯を飲み干すと周りの拍手の喧騒にまぎれてサッとグラスをお入れ換えになった。
まぁ……いつものことではあるのだけれど。でもここはヴァレンティンじゃないんだから、そんな小細工をしなくても。誰かに見られたら恥ずかしいじゃないか……なんて思っていたら、もれなくコランティーヌ夫人と目が合って、クスリと笑われた。
「ほほほ。公女殿下は本当に大公閣下と仲が宜しゅうございますね」
「今の行為を見てそう思ったのであれば、それは是非、父親が娘にする行為ではありませんと咎めてもらいたいところです」
「ですが私、同じ行為を昔も見たことがございますよ。お身内にも咎められなかったことを私がどうこう言うものでもございませんわ」
それってつまり、前回の皇帝戦の事なのではなかろうか?
「お養父様、まさか夫のいる隣で姉と自分のグラスを入れ替えるようなお恥ずかしい真似をしていませんわよね?」
「……」
したな! これは絶対、していたな!
お母様も、成長しない弟にさぞかし苦笑いをなさったことだろう。父クリストフ二世は一体それをどんな顔で見ていたのだろうか。
「ですがこれはこちらの不手際でございますね。これでもセトーナでは度数の弱い方なのですが」
「これでですか?」
文化の違いに驚いている内に、テーブルには料理がサーブされていった。
セトーナの伝統では、必ず最初にスープが供される。普通は冷たいスープなのだが、今回は季節柄と他の国の慣習に配慮してか、温かいスープだった。そしてその料理を見て、リディアーヌもこの席次の並びの意味を察した。
リディアーヌの右手は養父、リュシアン、リヴァイアン殿下と続くが、左手はコランティーヌ夫人、アンナベル公子妃、ウィクトル公子とヘイツブルグ系だ。そのリディアーヌとコランティーヌ夫人の器の中の色を見れば、明らかに“赤さ”が違う。
ホストであるアブラーン王子が手を付けたのを見て皆もそれぞれに手を付けるが、なんとも濃い色合いのスープに恐れ慄く気持ちとは裏腹に、多少香辛料が辛いものの野菜の出汁がたっぷりと含まれた食べやすい物だった。色の割に辛さを感じないのは、以前ナディアから教えてもらったこともある、パプリカのような野菜系の着色料が使われているせいかもしれない。
「あら、辛くありませんわね」
コランティーヌ夫人の向こうから、ほっとしたようなアンナベル公子妃の声がする。ウィクトル公子もそれにほのぼのと同意をしているようだから、ヘイツブルグに供されているものも辛さは控えめなのだろう。だがリディアーヌの器よりは明らかに色が濃い。
「もしかして家門ごとに、細かく味を変えてあるのですか?」
「家門ごとというほどではございませんが、ええ、そのように私からもお勧め致しましたのよ。ヴァレンティンでは香辛料のきついものや塩辛いものは好まれないでしょう? お口にあいましたかしら」
「ええ、とても。こうした少し酸味のあるスープは南部らしいですわね」
底に沈んだたっぷりのくたくたになるほどに軟らかく煮られた野菜が、この味わい深さの正体だろう。さらに細かな鶏肉も見える。最初から肉が出てくるのも南部料理らしい。
リディアーヌ以上に馴染みの無い食事を嫌煙しがちな養父はしばらく躊躇していたようだけれど、リディアーヌがそう言うのを聞くと恐る恐る口を付けたようだった。相変わらず、どちらが保護者か分からない。幸いにして食べることは出来たようだが、馴染みの無い味わいはお気に召さなかったようだ。まぁ、そんなのはうちの養父くらいだったようだけれど。
それからスープの器が空になる前に、パンが供された。セトーナのパンは薄く、少しの焦げ目がついたもっちりとした独特のパンで、これはフォンクラークやヘイツブルグでも食べられるものだ。スープ料理と合わせて食べるもので、こちらも酸味のあるスープに馴染みの無いヴァレンティンやカクトゥーラ、ダグナブリクの席にはチーズ入りで、スープをまろやかにしてくれる工夫がしてあった。だが教会関係者の方はそうではないようだ。
なるほど。おそらく聖職者には薄味で、肉も乳も控えたもの。リディアーヌ達のいる辺りは薄味で食べやすい工夫を凝らしたもの。反対側のリンドウーブやザクセオンの辺りはもう少しセトーナ料理に寄せたもの。ヘイツブルグやクロイツェンには、味も濃くある程度辛さもあるもの。そしてなにやら異様な雰囲気を放っているセトーナ、フォンクラーク、シャリンナの辺りは、がっつりと濃く、がっつりと香辛料のきいたものになっているに違いない。
シャリンナの代官妃の隣に座るヴィオレット妃が随分と興味深そうに会話をしているが、その奥のアルトゥールは若干引き気味の視線だ。おそらくここと本格南部派との間にはかなりの隔たりがあるに違いない。
主催者側のダウレリアの隣で実に美味しそうにパンを真っ赤なスープに浸しているナディアは、一体どんなものを食べているのだろうか。
スープがおよそ空になったところで続いてテーブルには沢山の銀のボールが並べられ始めた。中央に上品に揚げた魚と焼いた大きな肉が供され、素朴で嬉しい焼き野菜が添えられている。
見慣れない提供の仕方には、アブラーン王子が自らセトーナの伝統的な宴会料理について説明した。こういう形式は実は教会でも見られるもので、教会では聖職者だけの大規模な晩餐会が催される際、メインとなる物が一つ供され、あとはテーブルの真ん中にずらりと付け合わせのようなソースのような大きな器が並んで、好きによそって食すと聞く。今回はその付け合わせが一人一人小さめのボールで提供され、上品にしてあった。
ボールの中も、比較的シンプルだ。とろりとした煮豆のスープや、野菜にパプリカの粉の散らされたとろみのある餡。香辛料にハーブを混ぜて爽やかに仕上げたソースに、ごろごろと野菜の入ったサフランの香りのするさらさらした椀。一番右は一番辛味のありそうな色をしているが、これもおそらく調整されているのだろう。
こういう正式な昼餐会ではよほどのことが無い限り残すという選択肢はなく、自分の皿に供されたものは完食することが礼儀とされる。だがこの形式の場合、周りのボールの中は好きに選んでいいようで、せっかくの素朴な焼き野菜を添えられていた塩だけで堪能した後は、失礼にならない程度には少しずつ口に合いそうなものを選んで食した。やはりどれも味が調整されており、おいしくいただけた。
「初日は大変と窺っていましたけれど、セトーナは独自の風味があるので、むしろ最初で良かったかもしれませんわね」
「確かに。ヘイツブルグではまだセトーナ料理は馴染みのある味ですが、最終日にこれでは他の家門の皆様は疲れてしまわれたかもしれません」
コランティーヌ夫人と話すつもりだったが、飛び越えてアンナベル公子妃が答えてくれた。ここまで自分に良くしてくれるコランティーヌ夫人がリディアーヌととても親し気に会話を弾ませていたので、リディアーヌが怖くない人だと知ったのか。あるいはおいしい食事に、少し社交性が出てきたのだろうか。
そういえば前にナディアが、香辛料の中には気を大きくしたり興奮作用を起こしたりするものもあって、決して毒ではないけれど慣れないと苦労なさるかも、なんてことを言っていた。日頃は馴染みの無い味に、公子妃も少しテンションが上がっているのかもしれない。
良い機会なので、先日もあまり会話らしい会話をすることのできなかったアンナベルとは少し会話を弾ませておいた。コランティーヌ夫人という庇護者と夫に挟まれているおかげか今日は顔色も良いようで、少しばかり、ダグナブリク公の隣でカーシアン女伯にからまれ青く小さくなっているパラメア妃に申し訳ない気がしないでもなかった。
カーシアン女伯は明らかに甥であるダグナブリク公とそりの合わなさそうなキツい面差しと雰囲気の女性だ。元々身分も高くなく公妃としての仕事も最低限しかこなしていなかったパラメア妃とは明らかに合わない性格であろうから、ベルテセーヌの昼餐会ではあの二人の席次は分けた方がよさそうだ。
ただダグナブリク公はほどなくそれに気が付いたのか、養父と二人して間のリヴァイアン殿下とリュシアンにあれこれ吹き込んで楽しんでいたのもほどほどに、後半には積極的に妃に声をかけて安堵させているようだった。
ふむふむ。
「お勉強になりましたか? 公女殿下」
「あら……見すぎでしたかしら」
「ほほほ。明日、ベルテセーヌからの席次表が届くのを楽しみにしておりますわ」
「是非お近くに招かせていただきますわ。宜しければ、アンナベル様も」
「嬉しゅうございます」
どうやらすっかりとアンナベルはリディアーヌに懐いてくれたようで、何故か隣のウィクトル公子までそろって、ほっと安堵の息を吐いていた。この夫婦、次期大公夫妻だというのに大丈夫なのだろうか。コランティーヌ夫人の苦労が窺えるようだ。
セトーナの昼餐会は、メインの後に口休めの果物が出され、最後にセトーナ米と言われる、セトーナやリンドウーブ、フォンクラーク南部やヘイツブルグなどで見かける食材を用いた粥が出された。
馴染みのある国では香辛料と共に炒めたものが供されたが、馴染みの無い国には食べやすいように、鳥と野菜に塩を利かせたすっきりとした味わいの粥にしてあって、今日の食事の中でも一番食べやすい味にしてあった。馴染みの薄い食材に対する工夫であろう。これまでの料理で少し舌が濃い味に馴染んでいたので、添えられていた香りの強い薬味を加えると、異国風の味わいながらもちょうどよかった。
デザートはシンプルにたっぷりの果物と、塩気のあるビスケットが出され、それにいつぞやフォンクラークで経験したうんと甘いお茶が出される。ナディアはミルクで煮出してたっぷりのお砂糖を入れるのがフォンクラーク流だと言っていたが、セトーナではお湯で紅茶を煮出し、たっぷりのミルクと砂糖を加えるミルクティースタイルが主流らしい。当たり前のように「お砂糖をおいくつお入れしますか」と侍従に問われ、二つだ三つだと答えている南部甘い物大国の皆様を横目に「一つで」と答えたのは言うまでもないことである。
ただ主催国の慣習だからと「一つで」と答えたらしいリュシアンは、そのたった一つの角砂糖の甘さにすら耐えられなかったのか、一口飲んでから、非常に困ったような顔でチラチラとリディアーヌを窺って来た。
あぁ……そういえばベルテセーヌ王太子妃時代、甘い物が全くダメなリュシアンも、よく幼い妃を慮るふりをしながらデザートだなんだをさりげなくリディアーヌのテーブルに乗せていたな。もしかして苦手なものをさりげなく寄越すのはベルテセーヌとヴァレンティンのお家芸なのだろうか? そういえばうちの実の兄もよくそうやってリディアーヌのテーブルにせっせと好物を寄せてくれたりしていた気がするが……いや、あれはただの過保護か。
勿論、今はリュシアンとリディアーヌの間にヴァレンティン大公という目敏い保護者がいるので、食べ物のやり取りだなんて親し気な行為は養父が許さなかった。お酒のグラスを娘の机に移していたのを見咎められた腹いせに仕返しをしているらしい。むしろ「ほれほれ、飲め飲め」などと悪乗りしているものだから、隣で養父の膝をパチンッと叩いて差し上げた。まったく……なんと大人げない。
だが確かに、これはリュシアンが顔色を濁したのも分かる。たった一つの角砂糖だったはずなのに、確かに甘い。多分、砂糖の凝縮密度と大きさがリディアーヌの知っている角砂糖ではない。さすが南部、さすが砂糖の国セトーナだ。
それにしてはデザートには砂糖は控えめだが、それはきっと贅沢を慎む教会関係者に慮ってのことだったのだろう。逆にお茶に入れる角砂糖くらいなら、聖職者も悪びれずに甘い物を楽しめる。
全体的に舌と胃には重めであったが、味付けや量で無理なく食べられるように細かな配慮がなされた昼餐会だった。異国情緒を楽しめたし、珍しい物も多少馴染みが無いと思う程度で十分に食べられた。一体誰の手腕が優れていたのかは分からないが、さすがは長い歴史と経験を持つ国の昼餐会という感じであった。
しかし、セトーナが昨今皇帝戦から遠のきがちというのも何となく分かる内容だった気もする。セトーナは七王家の中でもベルテセーヌ、フォンクラークと並んで古い血筋を持つ王家の治める国であるが、その料理や風習に、いわゆる今日帝国風と言われるものの面影はほとんどない。
まぁ、王族がベザの直系だったというだけで、割り当てられた土地にはその土地の風土があり、慣習があり、国民は元々その土地にあった生活をしていたわけだから、王族の方がそれに順応していった結果なのだろう。それがよく分かった。
しかし昼餐会を終えて再びコランティーヌ夫人の案内で展示室に戻り、サロンでお茶でもと誘われ二階の部屋に案内されるにつれ、細かな装飾品の類などには帝国風と似通った意匠が多く残ることに気が付いた。
「例えばこうした燭台の装飾であったり、タペストリーの中に描かれた構図であったり」
「こういう品はいわゆる高級品、王族貴族階級で嗜まれてきたものですからね。逆に帝国風の方が高貴なものとして好まれて、土地が帝国風に合わせて行ったのでしょうね」
コランティーヌ夫人の説明になるほどと納得しながら改めて展示品を見てみれば、先程とは見え方も違って感じられた。
セトーナも、決して見知らぬ外国、馴染みの無い遠い国などではないのだ。




