8-31 試食会(2)
「ベルテセーヌの昼餐会のコンセプトはまったく捻りなどもなく、そのまま正統派ベザリウス風です。下手に趣向を凝らすよりもベルテセーヌらしさが出ると思いますし、他の国々が個性的な分、正統派こそがベルテセーヌであるという強みとしても生かせるかと思います。ただし正統派の中でも単調にはならないよう趣向を凝らし、特に見た目の美しさと上品さには拘りました」
ラジェンナの説明と共に、給仕の出入りする扉の前で待ち構えていた侍従達が待っていましたとばかりにカートを押してきた。
当日に給仕を担当するのも同じベルテセーヌの侍従達だ。当日はレアンドロ卿を含むベルテセーヌの侍従が給仕をするので、今日はお客様側となっているレアンドロ卿だけは例外だが、他は皆当日と同じメンバーだという。彼らの振る舞いをチェックする場でもあるので、若干、緊張しているようにも見える。今日の試食会は彼らのための練習という意味合いもあるのだろう。多少の失礼には目を瞑ってもらいたいと、彼らの上司であるレアンドロ卿からの申し出があったが、幸い、咎めるほどのことはない。
前菜はマリネした雪のような土台の蕪に魚介の出汁の効いたムースに海老と、チーズ、ドライトマト、プチリーフを散らし少しの金箔が振りかけられた美しい一品だった。この一皿だけで、どれほどの手間がかかっているのか一目瞭然である。
皇宮は海が近いといっても海老の取れる海域ではなく、傷みやすい海老は内陸に持ち運ぶには不便な食材だ。それを贅沢に使えるのは飛竜を飛ばすことが許可されている今の特別な期間ならではだろう。
ベルテセーヌでは北部の一部海沿いでしか味わえず、王都まで持ち込まれるのは稀だった。ヴァレンティンでもプラージュから首都まで、ごくたまにしか持ち込まれない食材だ。ベルテセーヌ風というには珍しいものかもしれないが、味付けはベルテセーヌ風であるし、こういう少しの珍しさが特別感を出している。
「これ、わざわざ運んだの?」
「まさか竜着所の担当官も、ヴァレンティンから届いた飛竜便の木箱の中身が、手紙ではなく海老であるとは思ってもみないのではないでしょうか」
そうニコニコと笑ったラジェンナに、思わずベルテセーヌ側がくつくつと口元を隠して笑った。つまりこの海老はベルテセーヌではなくヴァレンティンから運ばれた、と。
フィリックめっ、知ってたな。涼しい顔をしやがって!
スープはこの季節に嬉しいほっこりと暖かい蕪とブロッコリーのポタージュで、魚料理はあえて直轄領近海でとれる魚をベルテセーヌ風に塩とバターを効かせて焼き、肉料理は多少癖のある鴨肉を上品にローストに仕上げてあった。
帝国の正餐会では牛、時に地竜を用いるのが最も高級とされる肉料理なのだが、今回は日頃から食事で四つ足の獣を避ける聖職者も呼ぶし、またヴァレンティンでは食用の地竜が放牧されているが、カクトゥーラでは竜は神聖なものであって、食べることは冒涜とされる。またシャリンナでは土地の慣習として豚を食べない。だから鳥を選ぶようにというのは、先んじてセザールが指示していた内容だ。その中から肉々しさのある鴨を選んだのは料理人だろうか。
何よりどれも小ぶりに準備されていて、量の増減に自由が利くのがいい。最近疲れ気味で食欲の落ちていたリディアーヌでも問題なく完食できた。そのことをラジェンナに問うと、「ベルテセーヌはまだ三番目とはいえ、連日続く馴染み薄い各国の昼餐会に、皆様の胃もお疲れでしょうから」と言われた。食べ足りない者は多めに。胃が疲れているものは少なめに。そういう配慮はラジェンナらしく、有難い。
デザートには半分凍った新鮮な果物にミントを添えたシャーベットで、季節にはそぐわないものの、ずっと暖炉の効いた室内にいた体にはすっきりと心地よかった。
最後に焼き菓子が提供される。こちらはアンジェリカとの会話が生かされたのか、とてもシンプルなバターの香りが上品なもので、控えめな甘みが食事の後にもしつこくならくて良い。色々と指摘をするための試食会だったはずだが、すっかりと満足してしまった。
「文句の付け所が無かったわ」
「姫様の好物ばかりだったのは気のせいですか?」
「何ですって、フィル」
そんなわけないでしょうと思って隣を睨んだのだが、それにはダリエルが涼しい顔で「まぁあえて選択の理由は聞きはしませんでしたが、食材と調理法は主にうちの妹が選んだそうです」と仰った。
それはつまり、リディアーヌの好みを把握しているアンジェリカによる、リディアーヌ贔屓のメニューということではなかろうか?
「……私は批評を控えるわ。皆の客観的な意見を参考にしてちょうだい」
もれなく、リディアーヌは一歩引かざるを得なくなってしまった。
どおりで、全部が全部、好きな味なわけだ。
「賓客のラインナップを見ると、デザートの類はもっと甘味が強い方がいいでしょうね」
「私は好みでしたが、南方やクロイツェンには砂糖を感じられる濃いバニラや、果物も砂糖水に漬けたものなどの方が好まれそうですね。焼き菓子も」
「後から甘味を付け足せるものなどの方が無難ではありませんか?」
「甘味の話ならば私は何一つ答えられない」
甘いものが全般駄目なリュシアンが一歩下がったので、そちらについては甘い物の好きな皆様の意見に任せた。あぁあ……美味しかったのにな、シャーベット。
「前菜のインパクトがいいわりに、スープは素朴な印象になってしまいますね。味は良かったですが、見た目にはひと工夫欲しいところです」
「うーむ……スープは中々彩りようがないですからね」
「砕いたナッツやクルトンなどを散らすこともありますが、正統派ベザリウス風ではないですよね」
どちらかというと下手にあれこれと加えずにシンプルなままであるのが一番好きなのだが、そうはいかないらしい。美味しかったからいいんじゃないと言ってしまいたいが、それではリディアーヌがここにいる意味がない。
「泡立てたミルクで表面に工夫を凝らしたり、ニンジンや蕪の葉、グリンピースのようなものを散らすのであれば正統派の名を損なわないのではなくて? 彩り的にはかりっと焼いたベーコンなどもいいけれど、今回は肉類は避けないといけないから駄目ね」
これまで数多く美食を供されて来た経験から捻り出した意見には、特別に部屋の中に招かれている料理人が必死になってメモを取っていた。
ベルテセーヌやヴァレンティン、それにおそらくダグナブリク辺りでは割とこうした素朴な味わいが好まれるのだが、フォンクラークやセトーナはこれでもかというほどに甘い物や味の濃いものを好むし、クロイツェンも塩気の効いたものが多い。そういう客達のことを考えると、野菜が豊富なものよりもベーコン的なものの方が好まれるかもしれないが、鳥のベーコンだと鴨と風味にかぶる。それにこの油気のない味がいいのに……。
「ふふっ。ご自分で言っておきながら不満そうですね、公女様」
「不満だわ……この柔らかな味わいをかき消さないもっといい物があればいいのだけれど。でも蒸し海老なんかでも前菜とかぶって味気ないわ」
王室専売品などという縛りが無ければ、フォンクラークのピンクペッパーなんかが彩り的にいいのだが、さすがにそんなものはベルテセーヌの昼餐会では出せない。
だがそう口にすると、ラジェンナが「食用の赤味のある花びらなんかは素敵かもしれませんね」などと言った。はぁぁ、なるほど。さすがはうら若い大領地出身の淑女である。発想が華やかである。
しかしこの季節、前もって準備していたわけでもない食用花となると、スープに添えてちょうどいい色合いのものなどあるだろうか。それに生花を添えるような斬新な方法は、なんだかクロイツェンのヴィオレット妃なんかが得意としそうな気がする。幸いクロイツェンより開催が前なので謗りは有り得ないが、後からより華やかに似たものを提供されるような事態は御免なので、他国のやりそうなことは避けておきたい気がする。
「でしたらベルブラウの塩漬けなどは如何ですか?」
「ん?」
思いがけずフィリックから飛び出した言葉には、すぐにエレイーズ夫人が「まぁ、素敵ですわね」と同意した。
ベルブラウの花の砂糖漬けや塩漬けはヴァレンティンで毎年大量に作られるものだ。特にベルブラウの塩漬けは新年にお湯や弱いお酒に溶かしてお祝いの飲み物として供されることもあって、やはりヴァレンティンで馴染みの深いものである。
塩に漬けているため風味もぐっと高まり、色も濃く鮮やかで、ぎゅっと蕾のように固められた塩漬けがほとんど白に近い薄黄緑のポタージュに一輪添えられた様子は、想像しただけでも気品があって美しい。
「何てこと……貴方からそんな素敵なアイデアが出るだなんて」
「姫様は私のことを何だと思っていらっしゃるのですか?」
まぁベルブラウだなんて風情のあるものを嗜まないフィリックがそんなことを思いついたのは、ベルブラウの砂糖漬けを紅茶に淹れて飲むのを好むリディアーヌをいつも見ているからだろう。
「すぐに風味の調整を試みたいところです」
ベルブラウの塩漬けにピンとこなかったらしいベルテセーヌの料理長に代わり、リディアーヌが連れてきた料理人の方が目を輝かせて密かに主張をしている。それを耳に入れたラジェンナが、「それはすぐに手に入る物でしょうか」と問う。
「確かに。今から知らせを飛ばしてヴァレンティンから持ち込むとなると……」
「あの、姫様……宜しいでしょうか」
恐る恐ると声をかけてきたのは壁際に控えていたはずの侍女のマーサで、マーサが本来口挟んではいけない状況の中で手を挙げたのを見れば、もう答えは分かったも同然だった。
「まさかマーサ……あるの?」
「ございます。姫様が好んでいらっしゃるのでベルブラウの砂糖漬けはいつも荷物にお入れするのですが、今回はエステル侍女長が『ふと塩気が欲しくなられるかもしれませんよ』と、塩漬けをひと瓶……その。姫様の私物、ということになるのですが」
「それはつまり、ヴァレンティンの最上級品ということですね」
口を挟んだフィリックに、リディアーヌはハァとため息をこぼした。もしかして、フィリックは知っていたのだろうか。
「いいわ、快く提供いたしましょう。ただどう風味が変わるのかは分からないから、使うかどうかは料理人に任せるわ。ひと瓶ならそんなに量はないから、気を付けて」
「有難うございます!」
王侯貴族の空間では本来料理人は自ら口を聞いてはいけないのだが、マーサの発言で少し気が緩んだのか、料理人が自らそう声を上げ、すぐに慌てて口をふさいで頭を下げた。日頃はリディアーヌが忌憚なく発言を許すせいでもあるだろう。皆もそれを察したのか、誰からも咎めの言葉は飛ばなかった。
幸いにして試食会は皆で意見を出している内にもスムーズに進み、それからは男女に別れ、食後に開かれるであろうサロンの手配の為、ラジェンナと二階の談話室での打ち合わせをした。本来は昼餐会が終われば催しは終了なのだが、先日レヴェイヨン候の夫人から、『催しの後でも声をかけた少数で集まってお茶会を開くのが心得ですよ』と教わったのだ。
こちらは本格的にお茶菓子を用意することになるのだが、前にアンジェリカと話し合った内容をラジェンナも承知しているらしく、高価なバターや牛乳、砂糖をドバドバ使うような、いわゆるヴィオレットが広めていった最新の焼き菓子の類は控え、昔ながらの焼き菓子と、ヴァレンティンの協力を得られることの強みを生かした器一杯の果物、この季節には嬉しい温かいレモネードやジンジャーティーなどはどうか、といった話し合いが行われた。
「こういうのはアンジェリカが得意なのだけれど……アンジェリカの到着は間に合いそうかしら?」
「ええ、幸い明後日には着きそうです。ベルテセーヌの昼餐会の日の前日ですが、最終確認や調理場の監督をお願いするつもりですの」
「そう、良かったわ……ということは、アンジェリカはこの催しにも参加することになるわね」
そもそもそのために皇宮に来るのであるし、無事に入籍され皇帝候補であるリュシアンの義妹という立場になっている以上、影に徹するわけにはいかないだろう。こちらに来た翌日にいきなり重責を任されるというのは不安なのではと思う。
だがそれにはラジェンナが、「きっと大丈夫です」と断言した。
「アンジェリカ様はとても頼もしくなられました。とりわけ公女殿下の目がある時はとても張り切られるようですから」
「私は鬼教師か何かかしら?」
「まぁ、ふふっ」
勿論冗談のつもりで口にしたのだが、ラジェンナが否定の言葉を口にしなかったことが地味にぐさりときた。
「公女殿下は明日のセトーナ、明後日のリンドウーブの催しにも招かれていらっしゃるはずです。そちらの様子を見て、改めるべきところがありましたら、またどうかご教授くださいませ」
「ええ、心得ているわ。ラジェンナ嬢の準備してくれた催しはもう十分だと思うけれど、参考になりそうなところがあれば勉強をしてまいります」
先程の仕返しに、ラジェンナ先生のために、といったニュアンスで下手に出て答えたら、もれなくラジェンナに「私のためを思ってくださるなら不用意なお発言はお控えくださいませ」と、チラチラとフィリックに視線を向けられ、納得させられてしまった。
確かに……怖いよね、フィリック。だがあえて言わせてもらいたい。
理不尽である。
※明日は更新お休み。次は16日に。




