1-25 聖餐会
聖餐の儀へは、アルセール先生が教会の馬車で迎えに来てくれた。
どうやらトレモントロ大司教の計らいだったようで、リディアーヌがベルテセーヌ側と行動しなくていいようにとの配慮だったようである。おかげで、これからの計画を話し合うことが出来た。
聖餐に参加するのは儀式に参加する聖職者達と、来賓はベルテセーヌ王シャルル三世をはじめ、王太子クロードとアンジェリカ嬢、それに末席に並んでいる見知らぬ男性は、どうやらアンジェリカの父エメローラ伯爵のようだった。このほか、聖餐を見守るためなのか参加するためなのか、オリオール侯爵夫妻とその三男もいた。
大聖堂を来るなりこちらをジロリとみてきたブランディーヌ夫人の視線は反射的にリディアーヌを緊張させたが、臆する必要はない。幸いにして教会にいる間はリディアーヌを聖女として大切にする聖職者達が周りを囲んでいる。こんな場所では、ブランディーヌも嫌みの一つだって言えないことは分かっている。
それに彼らはあくまで今はただの一般参列者でしかない。リディアーヌもそちらに見向きもせずに上座に向かった。
国王や王太子、アンジェリカ嬢とはすでに挨拶を交わしているのでこちらも略礼だけで済ませて、明日と同じ席次で立派な椅子に腰を下ろす。
うちの側近達も聖餐には参加できないので、フィリック達はオリオール家同様、下座の長椅子で儀式を見守ることになる。儀式の開始を待っている間、さらに数人が観覧のために席に着いたようだったが、その辺の把握は今頃フィリックがしてくれていることだろう。今は気にしなかった。
聖餐自体はヴァレンティンでも年に一度の神事で行うから、慣れたものである。どうやら今日の進行役はトレモントロ大司教が勤めるようで、朗々とした声が聖典を読み上げ、聖歌が奏でられ、祭壇には火が供えられ、供物が捧げられた。大きな聖堂での神事は小さな頃から慣れ親しんでいるが、場所が変わると雰囲気も違うもので、真新しいものである。
やがて大司教から神に明日の神事についての奉告が行われ、呼ばれたアルナルディ正司教がその神事の進行役として叙される。この過程を経ることで、明日の主導権が聖司教に委ねられることになるようだ。
それが済むと、メインイベントである聖餐である。
大司教自ら捧げた供物にナイフを入れて、小さく刻んだものをひとかけら口に含み、火酒を一口飲む。それから儀式を行う人達が身分の高い順から、大司教様にそれらを渡され同様のことを繰り返すことになるのだが、どうしたことか、大司教様が最初に祭壇にと招いたのはリディアーヌだった。
やはりここでも、聖女扱いなわけだ。大人しく最初に席を立ち、祭壇に跪いて祈りを捧げ、大司教様手づから差し出された聖餐を口に含み、傾けられた火酒で唇を濡らす。
ベルテセーヌ王室側の視線が痛い。
だがその辺は大司教様も考えてくれていたらしい。次いで名を呼ばれたのは聖女候補のアンジェリカ嬢だった。
どうやらこの数時間の間に、アルナルディが放置していた祈りの言葉なども教えられたらしい。緊張した様子ではあったが、幸いにして先にリディアーヌが実践したことがお手本にもなったのだろう。作法を違えることなく聖餐を受けているようだった。
まぁ、火酒は強烈に強い酒なので唇を濡らす程度で本当には飲まなくていいものを、上を向いた不自然な体勢のままごくんっ、と一生懸命喉を鳴らしているようだったが。あれでは色々と苦しかろうに……案の定、真っ赤になってしまっている。
そこからは順序通り、アルナルディ正司教、アルセール司祭、テシエ司祭、エイデン助祭と、その他儀式に参加する助祭達の聖餐が続いた。リディアーヌとアンジェリカは聖職者枠に数えられたことになるが、これが済むと、聖職者以外の聖餐になる。
大司教が再び儀式次第通りの祝詞をあげて、別の供物を刻み、火酒を注ぎ、ベルテセーヌ王、次いで王太子クロード、エメローラ伯爵、そして参列していた人々にも順次略式で聖餐を与えていった。
参列者にはこのリンテンのフォルタン伯やブルッスナー伯、それにアレクサンドラ女伯もいたようで、その後に続いた見知らぬ男性はどうやら皇帝陛下の遣わした見聞役だったようだ。去り際、国王とリディアーヌの方に丁寧に礼を尽くして祭壇を降りていった様子は、流石、こなれた様子であった。日頃から皇帝陛下の祭儀にも近侍しているのか、聖餐にも慣れているようだ。
ベルテセーヌからの参列者は、やはり昔の記憶では頼りないのか、顔と名前の一致していない人も多かった。だがこぞってチラリとリディアーヌを意味ありげに視線で追う辺り、あちらも成長したリディアーヌの姿を一目確認せんとしているのだろう。とりわけ鋭い視線を投げかけてきていた人達については、今の内に記憶しておいた。
そうして聖餐が終わったところで、今回はいつもと違い続きがある。
アルセールが本山から連れてきていた見習い修道士達が、明日儀式の行われる奥の祭壇に水盤を供え、エイデン助祭が銀の水瓶を分厚いベルベットに包んで持ってくる。それを受け取ったアルセール司祭が、神に聖水を捧げる旨を告げ、恭しく水盤へと瓶の中身を注いだ。
水盤に触れた瞬間、一瞬ほのかな光が零れ落ちたものだから、参列者の中から自然とホゥという吐息が重なり聞こえた気がした。持ち込まれたものが本物の聖水であることは一目瞭然である。
そうして捧げられた聖水に布をかけて安置すれば、清めの儀式は終了になる。
だがここで少し小細工をする旨を、先に馬車の中でアルセールと打ち合わせてある。
「聖女リディアーヌ様。聖水をご検分いただけますか?」
そんなアルセールの求めに応じて、「勿論です」とリディアーヌは席を立ち、エスコートしてくれるエイデン助祭の手を借り再び祭壇に上がった。
すでに光は落ち着いていて、聖水といっても普通の水と変わりなく見える。だがそんなことはどうでもいい。さらさらと水を軽く指で撫で、手拭いで手を拭い、「相違ございません」と口にする。聖女がそう口にすれば、これは聖水なのだ。
「後の清めのために、一つ二つ汲みおきましょう」
「アンジェリカ様も、どうぞこちらに」
「えっ?!」
アルセールの促しに、そんな予定を聞いていなかったであろうアンジェリカ嬢は驚いたようで、勿論アルナルディ正司教もピクリと眉を吊り上げたようだった。
だがアルナルディとて聖女の儀式作法のすべてに精通しているわけではない。リディアーヌがさも当然のように、「貴女も聖痕を持つ身ですから、共に汲んでおきましょう」と促せば、この場でその作法に文句を付けられる人などいなかった。
アンジェリカ嬢はまだ少し戸惑っているようだったけれど、この状況で進み出ないという選択肢もないことだろう。恐る恐る歩み寄ってきたので、そんなアンジェリカに、アルセールが小瓶を差し出した。馬車の中で返却しておいた物で、その瓶に聖水を汲むよう指示する。
この小瓶は本山の聖職者が日常的に用いている物なのだが、本山以外では早々見かけることのない、聖都職人街の特産品だ。下手にベルテセーヌ教会側が複製したりすり替えたりできないようにと思ってのことである。
言われた通りにアンジェリカが汲み上げるのを見届けてから、リディアーヌももう一つの小瓶をアルセールから受け取って、同じように水を汲む。
これで、皆の目の前で聖水が二瓶、別に用意されたことは確認されたことだろう。後々この小瓶の水をして、それは聖水ではない、などと言う人はいないはずである。
この二つの聖水は後々重要な役割を果たしてもらう予定である。くれぐれも大切に保管しておくよう、その場で“大司教様”へと捧げられた。
トレモントロ大司教とは何の打ち合わせもしていないけれど、リディアーヌが自ら「儀式の終わりに神に捧げる聖水です。御自ら大切に保管しておいて下さいませ」とお願いをした。これだけで、その言葉を守ってくれることだろう。「かしこまりました」と恭しく受け取ったのを見届けてから、アンジェリカを丁寧に彼女の席までエスコートし、自らも席に戻った。
アンジェリカの視線が随分と戸惑うようにチラチラとリディアーヌを窺っている。聞いていた話の人物像とは少し違って感じるのだが、どうしたのだろうか。とりあえず大人しくしてくれていることは幸いである。
それに……なるほど。リディアーヌと違ってはっきりと胸元の開いた白のドレスを纏っているが、そこに聖痕らしきものが確かにある。聖痕が現れる場所は心臓の近くであることが多いそうだが、人によって多少の差がある。初代皇后ベルブラウ妃の肖像画では、聖痕はほとんど胸元の中心に描かれているが、リディアーヌは左胸上部のやや内よりにある。一方、アンジェリカ嬢は随分と右寄りで、リディアーヌとは真逆の場所にあるようだ。それだけでも珍しいのだが、聖痕の形がベルブラウの花の形というより、ベルブラウの花を中心に咢、葉、茎があしらわれたような珍しい形をしている。
もしも聖痕を偽っているのだとしたら、より周知されている場所に、周知されている形で模倣されたはずだ。だから歴代とは少し違った珍しいその聖痕は、どうにも偽物とは思えぬものだった。
かといって聖女の聖痕かと言われると、これまでの聖女の手記に記録されていたどの形にも似ていない。
どういうことなのだろう? やはり歴代一人の原則を破るイレギュラーな聖女だから、通常とは異なっているのだろうか? あるいは……。
ふむ。一応、“偽る”準備をしておいたのは正解だったかもしれない。果たしてこの聖別がすんなりいくかというと、不安な気がする。
聞いた話では、アンジェリカ嬢は堂々たる様子で聖女として王太子の許嫁の地位を奪ったはずなのだが、今のアンジェリカ嬢からはそんな様子が窺えない。むしろ聖別を恐れているかのように見える。おかげさまで、国王陛下も頗る不安そうだ。クロード殿下はそうでもなさそうだけれど。
「それではこれにて、聖餐会を終了いたします。どうぞ明日まで身を清らかに、謹んでお過ごしいただきますように」
そんな言葉に続き、大司教様退出の声がかけられる。大司教様が扉を出れば、儀式は終了である。皆ぞろぞろと席を立ち、聖職者たちは祭壇を清めて片づけを。人々は宿舎への帰り支度を始める。
そんな中、今しか機会はないだろうからと、リディアーヌは挨拶をするふりをして国王シャルルの元へと歩み寄った。気が付いたらしいシャルルもまた、足を止める。
「陛下。多くは申しません。ただ一言。私は何事もなく両国にとって平和な形で儀式を終え、気持ちよく我が母国ヴァレンティンに帰りたいと願っています」
「……」
シャルルは何も答えなかったけれど、言わんとしていることは分かっただろう。
隣で王太子が目を瞬かせ、アンジェリカ嬢が困惑気にしている。だが彼らにも聞いておいて欲しいことである。
「そのためには、貴方方はどうぞ大人しくなさっていてくださいませ。ここまで自らお膳立てしたのです。多少あちらに騒がれるでしょうが、悪いようには致しませんわ」
そう言うとともに、つかつかと両側からアルナルディやらブランディーヌやら近づいてきているのが見えたものだから、すかさず退席の礼を尽くして周りの横やりを阻んだ。
「それではお先に失礼しますわね、陛下。また明日、お目にかかりましょう」
「……あぁ。そうしよう」
「王太子殿下、アンジェリカ嬢、失礼」
「あ、あぁ。よい夜を、公女」
「皆さまも」
さっと踵を返したところで、ブランディーヌより早く、フィリックがエスコートの手を差し伸べてくれた。有難くその手を借りて上座を降りたところで、ブランディーヌもリディアーヌを取り囲むヴァレンティン家の布陣に、何と声をかけていいか躊躇したようだ。
「お先に失礼しますわ、ブランディーヌ夫人。オリオール候も」
夫であるオリオール候がさっさと腰を折ったものだから、ブランディーヌは益々声をかけるわけにはいかなくなったことであろう。「せっかちですこと」などと言いながらも、ちゃんと丁寧に礼を尽くした。
それを横目にそそくさと聖堂を出てゆく。
出口には先に出ていたアレクサンドラ女伯が「一緒にお帰りになりませんか?」といってすでにルゼノール家の馬車を付けていてくれたものだから、有難く同乗させてもらって急ぎ離れることが出来た。
ひとまずこれで、すべての手はずは整った。




