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8-29 準備期間

 翌日は、昨夜が随分と遅くまで会場を離れられなかったこともあって、昼を前にしてようやくベッドから起き上がった。

 お酒にはそこそこ強いし、夫人達のサロンで提供されるのは度数の低いジュースのようなお酒だから酔いなんてものは感じなかったのだが、さすがに体力的な限界と(あい)()って、頭がくらくらするようだった。

 なので朝食ならぬ昼食はベッドで、食べやすいものを提供してもらって、それからゆっくりと湯につかって疲れを癒し、ようやく離宮内の執務室に顔を出したところで「ようやくお目覚めだな」という養父と、今日は珍しく部屋まで押しかけてこなかったフィリックに出迎えられた。


「昨夜は随分と遅くまで話し込んでいたみたいだな。何か収穫でもあったか?」

「まぁ……とりあえず、申し訳ありませんと最初に謝っておきますわ、お養父様」

「な、なんだ? いきなり怖いんだが」

「私が女性達の社交に不慣れなばかりに、お養父様が私に()(づな)を付けられているというよからぬ誤解が広まってしまいました」

「待て待て、お前達は一体サロンで何の話をしているんだ?」


 ぞっとした顔の養父には、当事者のリディアーヌも同じ気持ちであることを伝えたい。夫人達の集まりは思った以上に恐ろしいものだった。あまり上手くできた気がしない。


「昨夜ほどに、お養父様にちゃんと公妃がいて、娘に女性の社交というものを教えてくださっていればと思ったことはありません。もう遅いですが、お養父様、結婚のご予定はありませんか?」

「ないし、もう遅いぞ」

「ええ、もう遅いのですが」

「まぁ、なんだ……お前に女性の社交を教えてやれなかったことについては、先程エレイーズからも報告を聞いて、皆で反省をしたところだ。まぁわざとではなく、完全に失念していただけだがな。何しろヴァレンティンには長らく女性の社交などというものが存在していない」

「いえ、気が付いていないだけであるにはあります」


 パトリックがすかさずそう口を挟んだが、「まぁ無いにも等しい」と養父は言い換えた。

 確かに、アセルマン夫人がいた頃にはきちんと機能していたはずだ。リディアーヌがヴァレンティンに引き取られたばかりの頃にもアセルマン夫人が多少なりとも色々と教えてくれて、それが後にベルテセーヌに嫁いだ時にも役に立ったはずである。

 だが次に戻ってきた時にはもうヴァレンティンに女主的な存在はいなくなっていた。代わりに女性達の社交を牽引するのはアセルマン家の嫡男マドリックの夫人だったのだろうが、生憎とその夫人はベルテセーヌから嫁いできた元王族だ。いきなりヴァレンティンの女性達を取り仕切ることは出来なかった。

 対する次男パトリックの妻はヴァレンティン八代侯爵家の一角スヴェールト家の一人娘という遜色ない生まれであったが、しかしマドリックの夫人ともども、この数年は出産などもあってあまり社交に顔を出せなかったし、そうしている内にリディアーヌが成人して瞬く間に後継者としての地位を盤石にしたので、今更リディアーヌに夫人達の社交を教えるような真似もできなくなってしまったのだ。

 すべては状況のせいであったといってもいいし、そうでなくとも、やはりヴァレンティンの者達がリディアーヌに望んだのが夫人達を率いる公女ではなく、大公家を支える為政者であったことが大きな原因なのだろう。

 今まではそれで何ら問題を感じたことはなかったのだが、さすがに皇宮ではそうもいかなかった。


「まぁ手綱を取るというのが言うことを聞かざるを得ないほど(おぼ)れているという意味になるのなら、うむ、なるほど。娘に手綱を取られているといっても間違っていないな」

「ちょっとお養父様、何故そこでニヤニヤなさるんです? 大体、未婚の異性が話しかけてくるたびに(うな)り声をあげて私を牽制なさるお養父様が、一体いつ私に手綱を任せてくださったことがあるというんです」

「む。それは確かに。その辺は私が娘の手綱をしっかり握っていると言った方が正しいな」

「いえ、握れてはいませんね」

「握れてはいないでしょう」


 すかさずアセルマン家の兄弟から無慈悲な突っ込みが入ったが、養父は聞こえなかったふりをすることにしたらしい。


「だがそういう意味で我が家の手綱がフレデリクだと言われたら、私は否定できないぞ」

「……なんてことでしょうっ。お養父様、私もです。私、デリクの言うことならなんでも聞いてしまう自信があります」

「雑談はその辺にして、仕事をしていただけますか?」


 話の方向性が斜めに突き抜け始めたところで、フィリックがバサリとリディアーヌの目の前の机に招待状の山を積み上げた。


「……」

「……」


 訂正しよう。リディアーヌの手綱、ならぬヴァレンティン家の手綱は、今も昔も変わることなくアセルマン家が握っている。間違いなく、握っている。

 だがそれを口にしたら何かが終わってしまいそうなので、(かたく)なに口を引き結んで何も気が付かなかったふりをしておいた。


「えぇっと……この招待状の山が、昨夜コランティーヌ夫人の言っていらした“大変”の正体ね。マクス、下読みはしてあるのよね?」


 一つ一つ開いて読むのは億劫なので、控えていた優秀な侍従に声をかけたなら、案の定フィリックの鬼畜の所業にどうしようかと戸惑っていたらしいマクスが苦笑いをしながら「勿論、ございますよ」と言ってリスト化したものを出してくれた。

 ほら、こういうものがちゃんとあるんだから……わざわざ主人を脅えさせるためだけに招待状の山を目の前に積み上げるとかしないで欲しい。


「マーサさんからの情報を得て、すでに予定を組んだものがこちらです」


 さらにマクスは前期皇帝戦の間のスケジュール表をすでに作ってくれていたようで、その中のいくつかの日付に仮の予定が書きこまれていた。

 五日からは予定通り、各国の展覧を巡り昼餐会に招かれる。これはすべての王侯選議卿達の予定であり、ゆるぎない。その翌日は休日の予定だが、一日挟んで次の日には午後一番に茶会の予定が書きこまれていた。これはコランティーヌ夫人の言っていた夫人のお茶会だろう。昨夜の内にすでに予定を抑え込まれた事実をマーサが伝えたようである。

 十五日の火焚きの神事についてもすでに予定に入っていて、その翌日には見慣れない『帝国晩餐会』の文字が入っていた。


「フィリック、この晩餐会というのは?」

「皇帝戦恒例の、皇帝直臣三家が催す労いの晩餐会だそうです」

「すべての王族と選議卿、関係者、それに皇宮の高位貴族が中心に集められる」


 会話の内容を耳にした養父が手に書類を持ったままこちらに視線を寄越して説明をしてくれる。


「ただの晩餐会に見えるが、皇宮が名誉にかけて腕を振るった料理を出してくる。各国もここぞとばかりに自分達の国の最新の文化を発信する、中々面倒くさい場だ。それから招待客があれこれ手土産を持参するのがいつからか知らないが慣習になっている。この手土産選びがまたかなり厄介なんだが……リディ、君に任せてもいいだろうか?」

「私が選んでいいんですか?」

「むしろ私よりいいだろう」


 養父の言葉にもれなく側で補佐をしていたサリニャック候が深く頷いた。その信頼がどこから来るのかは分からないが、まぁ自分はともかく自分の連れてきた側近や専属職人達は皆腕もセンスもいい。何とかしよう。


「先例を知りたいのですけれど」

「ヴァレンティンが手土産にしたものの記録ならこの離宮の書庫にあるだろうが、他の贈り物のリストを見たいなら、多分、皇宮の書架棟のどこかにあるんじゃないか?」

「あぁ、そうですね。書架棟の仕事は……一応、明日からになっていますね」

「いや、一応そうなっているが、しばらくは無理だと思ってくれ。明日と明後日も招待状の整理と予定立て、それとベルテセーヌの展覧会と昼餐会の手伝いにかかりきりになる。私の方は一体どこのどの馬鹿が仕組んだのか知らないが、選帝侯議会がすでに入ってきているから、極力お前に任せたい」

「分かりました。ではこういう資料が無いかと、急ぎマリジット卿に問い合わせだけしておきます。おそらく皆も考えることは同じでしょうから」

「それもそうだな」


 前回から引き続き書架棟での仕事を割り当てられたのは僥倖だった。おそらく他の誰よりも、禁書庫の筆頭司書という書庫室の重職にあるマリジットと既知を得られたし、業務外の欲しい情報についても融通してくれるのではないかという期待を持てる。

 だがそれでも一応は急いだほうがいいものなので、先んじて手紙で問い合わせ、書架棟に顔を出せるようになったらすぐに確認したいと申し出ておくことにした。


「選帝侯議会の予定を入れたのは、どこぞの人員に余裕のある王家に加担している選帝侯家でしょうね。リュシアンには既存の腹心が少ない分、皇帝になれば取り立ててもらえるのではという直臣達からの期待が厚い一方、ベルテセーヌとしての催しに避ける人員が少ないのが難点です。それに女性の社交を担える妃もおらず、必然的に私が補助していかねばなりません。すると私が選議卿として動き回る事への足枷にもなりますが、そのこともすでに知られているでしょう」

「だったら原因はクロイツェンだろうな」


 それ以外の可能性もあるのだが、真っ先にクロイツェンを思いついたのは、養父がザクセオン大公というものを良く知っているからなのだろう。否定はしなかった。


「この際、お前の名前だけ貸して、侍女でも何でもどんどんと仕事を回して使え。やはりヴァレンティンとしてはリディには公女であり選帝伯としての仕事の方を優先してもらいたいからな。まぁかといってリュシアンを放ってもおけないが」

「お言葉ですが、ベルテセーヌ王は良い大人で、自立した為政者です。そう過保護にせずとも、ご自分で十分にご自分の派閥くらい率いてくださいますよ」


 思わず突っ込んだパトリックの言葉には、養父共々キョトンと目を瞬かせてしまった。

 言われてみれば、確かにその通りだ。展覧会や昼餐会みたいな大がかりな行事の準備にはどうしてもベルテセーヌ内だけでは手が足りず女性の手も必要となるが、そうでもない限り、常に国王陛下にくっついて面倒を見てあげねばならないような(いわ)れはないのだ。現に、先の皇宮滞在時にはリュシアンも一人で上手くやっていた。

 だがリディアーヌにはリュシアンを傍で支えフォローするのが自分の役目なのは当たり前みたいな感覚があるし、養父にとっても義兄と姉が皇帝皇后候補であった頃の、完全に身内としてフォローしていた前皇帝戦の記憶がまだ根深いのだろう。だからこそ、そのどちらでもないパトリックの冷静な指摘にはびっくりしてしまったのだ。だが言われてみると全くその通り、当たり前のことだった。


「なんてことでしょう……私、リュスに対して何様よ。これじゃあ完全に“妻”じゃない」

「私としたことが……まさかあのシャルルの息子に対して、“過保護”だとっ」


 ドヨンと落ち込んでしまった二人に、そんなはずではなかったパトリックが困った顔をするけれど、慣れているフィリックは流石に容赦の欠片もなく、「そんな体制で書類が見えるんですか?」などと、頭を抱える腕の隙間に書類をねじ込んできた。

 フィリックさん。ちょっとそこで実のお兄さんまでドン引いていないですかね?


「先帝崩御以来、姫様がベルテセーヌの出身である経歴もすでに皇宮内では口を噤まない者が増え、知れ渡ってきましたからね。周囲も姫様をベルテセーヌの身内のように見る者が多くなっているので猶更でしょう」

「言われてみればそうね……自分では気が付かなかったわ。フィリック、正直気が付いた今も、ベルテセーヌとの正しい距離感というのがいまいち分からないわ。適宜、客観的な目から指摘してくれるかしら」

「ええ、心得ております」


 取り合えず今ここで気が付けたのは良かった。

 手綱が云々とアセルマン家を誹謗したが、やはりそれでも頼るべきはアセルマン家であると実感してしまう。それは養父も同じだったようで、未だに「過保護……」と落ち込んだ様子で呟いていたものの、気が付いたことには安堵したようだった。


 それからはマクスのピックアップしたリストの中から、参加するもの、しないものを確認してゆく。まだ日程がはっきりと決まっているものは少ないので、恐らくこれから怒涛のように手紙を書きまくって、細々と日程の調整をしていくことになるのだろう。

 そういえばコランティーヌ夫人が、絶対に外せないであろう催しにわざと日付をぶつけて相手を測ったり、厄介な相手が円形議場で講演する日に合わせてそそくさと既知の人物を集めて懐柔したり、もはや予定組みが駆け引きのすべてよ、みたいなことを言っていらっしゃった。なるほど……ここに集まっている招待状のすべて、そしてこれから行う日程調整のすべてが、それなわけだ。

 できる事なら、駆け引きされ誘導される側ではなく、駆け引きして誘導する側に徹したいものである。となると、面倒などとは言ってはおれず、こちらから積極的にバンバンと催しを開いて人を集める側にまわらねばならないわけだが……こういう所で、女性の社交に不慣れである自分の経験値の深さを実感する。

 そう悩んでいると、養父から「無理に主催者側になる必要ないぞ」と言われた。


「ですが言いように振り回されるのは気に入らないではありませんか」

「リディは意外と負けず嫌いだな」

「……」

「まぁ必要があれば自分で人を集めればいいが、お前は選帝侯家の唯一の公女で、選帝伯だ。いいか、今この皇宮で、五人の選帝侯の次に偉い」

「……偉いって……」

「偉いんだよ。まぁ、そのくらいドンと構えておけばいい。放っておいてもどこもここもお前を招こうと必死だ。だから何にもおもねらず、好きに選んで、好きなところへ行けばいい。何にも遠慮はいらないし、それが許されるのが“ヴァレンティン”だ」


 あぁ、なるほど。そうか。確かに養父は傍若無人の鉄壁との評判の御仁。だったら公女が懇切丁寧に周囲に機嫌を窺ってやる必要はないのだ。


「こんなところでお養父様の偉大さを学ぶとは思いませんでした」

「そうだろう、そうだろう。もっとパパを尊敬しなさい」


 けれど調子になったお養父様はもれなくパトリックに「それはすべての招待状をゴミ箱に放り捨てる理由にはなりませんよ」と叱られていた。

 尊敬されたいパパの愛娘として、それは見なかったふりをして差し上げた。






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